彼らの未来(1)
このところずっと、テレビは長嶋茂雄監督の追悼特集ばかりやっている。大正七年生まれの私の母は、まだ女性の野球ファンなどほぼまったくいない時代に、六大学野球に熱中し、縁もゆかりもない慶応大学の猛烈なファンだった(叔父はこれまた何のゆかりもない早稲田のファンで、二人で対決していたらしい。笑)。もちろん長嶋も知っていたがプロに行ってからの人気ぶりに、あまのじゃくな人だったからうんざりしていたようで「長嶋はいいんだけど、持ち上げられすぎていや」と、いつも言っていた。だいたい母は、慶応出身の選手がいるチームはどこも応援していたから、特にプロ野球でのひいきはなかったようで、ただマスコミや世間の巨人好みはそこそこいやがっていた。
私は母ほどではないが、世間ほど長嶋に夢中になっていたわけではなく、それほど野球に熱中していたわけでもないから、テレビで昔は全日本人が長嶋に夢中だったみたいな報道をされると、ちがうだろと反射的に思う。まあ、何しろ私は美空ひばりも島倉千代子も石原裕次郎も吉永小百合も、特に理由もなく皆大嫌いなので、私の世代ならその人たちが無条件に好きだろうと思われるのは心外なくらいだから、もともと世間と趣味が合わない。その人たちと比べると、長嶋には、それほどの拒否感はない。
要するにその程度の関心なのだが、それでもテレビが連日報道するのを見ていると、何だかちがった変な方向に考えが向かう。
いきなりもう話が飛ぶが、私は二十五年も前に死んだ愛猫キャラメルのことが今でも大好きで、毎年命日には花やフードや好きだった魚を供えてやっている。家族の命日は忘れても、それは忘れない(笑)。
彼は八歳で亡くなった。エイズにともなう白血病だった。八キロあった体重が、やせこけて板のようになっていたが、最後まで外国の品物のようないい匂いをさせていて、私の腕の中で抱かれて死んで、そのままのかたちで丸くかたまったのを、なぜか、しっぽだけはふらふらしなしなやわらかくゆれつづけて固くならなかったのをまきつけて、いっぱいの花といっしょに庭に埋めた。
今飼っている猫のカツジは、見た目は万人が認めるイケメンだが、性格はビビリで複雑で、賢くて強かったキャラメルとは似ても似つかない。毛が長いからでかく見えるが中身はすかすかで、とうとう先日四キロを切った。それでも元気ではずんだ足取りで歩くし、当分死にそうにないから私は老後の生活設計を立てかねている(こいつがいるといないとじゃ、まるで状況が変わって来るじゃないですか)。で、今はもう十六歳。キャラメルの二倍を生きている。
私は彼の好物のさしみをわけてやり、ブラシもかけて、たいがいぜいたくをさせてやっている。ただ、ときどき、こう言って脅かすというか覚悟を決めさせる。
「ねえ、長生きはいくらしてもいいよ。私もがんばって、おまえより先には死なないようにしてやるから。でもさ、どう考えても計算しても、おまえが死んだあとで、キャラメルや他の猫や犬たちのように二十年やそれ以上の命日の供養はできないからね。下手すりゃ最悪、一回か二回、それもしないで、おまえのあとを追うかもしれない。だから死んだあとの命日のお供え物はあんまり期待しないでおくれ。二十五年なんて絶対に無理だから。いい?」
えー、長嶋監督の死と、この話がどうつながるかわかる人は少ない気がしますが、長くなりましたので、しょうがない話ですけど、二回にわけます(笑)。(つづく)