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彼らの未来(3、これでおしまい)

こちらから続く)阿川弘之という作家は別に全然左翼的な作家ではない。むしろその反対だろう。でも私は山ほど戦争に関する小説やドキュメンタリーを読んだし、それらに感動し影響も受けたけれど、一番鮮烈に心に残っているのは、学徒兵の特攻隊員を題材にした、この人の『雲の墓標』だ。高校生か中学生の時に読んだが、いろんな意味で胸がかきむしられて、その傷がいまだに癒えていない。それほど悲しく切なく腹立たしかった。

舞台となった航空隊の基地が私の実家の近くの柳ヶ浦だったこともあるけど、それよりも主人公の青年が最初はそうでもなかったのに、次第に聖戦を信じ特攻を受け入れて行く心境が、とても自然で生々しくて、『アンの娘リラ』とはまたちがうが、どこか同じ「軍国主義者の人たちって、私とまったくちがいはないのだ」ということを実感した。どんな立派で賢い人でも結局はこうなるのだと思い知らされた。友人で同じ特攻隊員の藤倉が、最後まで染まらないで冷静なのも救われた一方、また苦しかった。

大人になって家族も死んで家を片づけていたとき、この小説と同じように宇佐航空隊にいた学徒兵が、私の家に遊びに来て母や叔母と仲よくしていた手紙なども見つかって、さらに傷痕をえぐられる気がした。

山下大尉の手紙

(44)残された手帳

そして、これは前にも書いたと思うが、大人になって大学教員になってからは、別の切なさと恐怖が生まれた。『雲の墓標』の学徒兵たちは、私と同じ国文科の学生だ。戦争の正しさが信じられず、自分たちの運命にも納得できない彼らは、何度か大学の指導教授に手紙を書く。教授は返事をよこさないが、心配していたことがあとでわかる。ほんのわずかな描写で、メインの話でも何でもない。

しかし大学で学生指導をしはじめてから、私はこの教授の立場や心情を考えて、苦しくてたまらなかった。優秀な教え子たちが、その知性なら到底納得できない戦争や運命について悩みを吐露し救いを求める、こんな手紙をよこしたら、教師はいったいどんな返事が書けると言うのだろう。もしも自分が同じ立場だったらと思うたび私は戦慄した。情けないけど、そんな立場になりたくないと、ただもう、やもたてもなく思った。

いつからか私は自分の指導する学生たちや卒業生の年齢を気にするようになっていた。彼らが徴兵をまぬがれるような年齢になるまで、時が、年月が早く進めばいいと、ことあるたびに思い続けた。それまではどうしても日本の、世界の平和を守り、憲法を変えてはならないと思っていた。デモに署名に集会に参加しながら、私の学生たちが徴兵されない年令になるまで時間稼ぎをしなくてはと、いつもどこかで思っていた。

私の気持ちも知らぬまま、学生たちは成長し就職し、教師や公務員や研究者やその他の社会人になって行った。病気療養中の者も事故で死んだ者もいるし、自衛隊に入った者もいるが、誰も戦死はしていない。最初の指導学生たちはもはや定年退職している。ほっと一息つきながら、それでも気がつけば、非常勤の授業で、また新しい二十代の学生たちが目の前に現れて、私を魅了し笑わせるレポートなどを提出して来る。彼らがまた徴兵されない年になるまで(女性だって、この時代ではそうなる可能性だってある)ひやひやどきどきしなければならないのかと、何だか絶望的になる。愛したい、大切にしたい、守りたい者が限りなく生まれ続けるなんて、ほんとに幸福なんだろうか。特に体力も衰え、戦争を食い止める行動に参加することも難しくなって来ている現状では。

柳田悠岐三十六歳、上林誠知二十九歳、周東佑京二十九歳、柳町達二十八歳、栗原陵矢二十八歳、野村勇二十八歳、そんな数字を見るたびに、うーんまだまだ危ないなあ、と私がため息をついてしまうのは、きっとそういう心配が板につきすぎているのだろう。そして、学生たちと同じように彼らが年をとり安全圏の年齢になっても、次から次へとまた新しい魅力的な選手が登場してくるのだろう。「あの人たちが死んだというだけでも、戦争を私は絶対許さない」と九十歳超えても言ってた母と同じように彼らを愛するファンもまた生まれ続けるだろう。自分の死んだあとのことはもうどうしようもないが、やっぱりせめて、今できるだけのことはしておきたいと思うしかない。彼らの未来。私がそこにもういない未来。それでもやっぱり、それだからなお。

などと、長嶋監督の追悼番組見ていて考える人間なんて、どうせきっと私ぐらいのもんなんだろうなあ(笑)。

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カツジ猫