腹が減ってはいくさが出来ぬ
というわけで、何はさておき朝ご飯を。と言ってもお味噌汁をこさえる気力はまだ回復していなくて、せめておいしい熱いお茶でも飲むことにして、あとはパックで買っていたふきの煮物の残りと、昨日買ったおさしみ。それに庭のハーブと月桂樹をちぎっていっしょに炒めた鶏肉と豚肉。そしていちごとヨーグルト。まあ、それなりにおいしかった。
今日はまだ曇っている。雨が降るのかもしれないから、その前に庭仕事をしたいがどうなるかな。植えた花々は一応皆無事に咲いているし、バラも少しずつつぼみをつけ始めた。何よりもうれしいのは、枯れたんじゃないかと心配していたスモークツリーやヒメシャラやキナモチが若芽をつけはじめているようなこと。本当にほっとする。
そろそろ私の小さな個人墓にも遠足かたがたお参りに行きたいけど、何だかもう、突然の訪問者トラウマが大きすぎて、もともと私の死後に誰かがお参りに来たいときはどうぞっていう感覚で衝動買い?した墓なのだけど、もうこうなったら墓に誰かが会いに来るのも見に来るのもうっとうしくて、あの墓もいっそこわしてしまおうかという気にもなりはじめた。景色もいいし、ときどき行くのが楽しみだったけど、何となくもう、見るのもいやという心境だ。すごいな私の拒否反応って、我ながら。自分でちょっと感心する。とにかくもう、昨日の午後にまつわるすべてを自分の人生や記憶から完璧に消したいという欲求が強すぎて、これはもういささか危険な段階だ。槌でも持って自分の墓石をぶっ壊しに行ってしまう前に、少し落ち着いて冷静になっておかなければ(笑)。それにしても、この年でこの不安定さ、広末涼子を笑えない。
むしゃくしゃついでに文庫本の中山七里『テロリストの家』を一気読み。武骨で荒削りな文章だが、その分読みやすかったし不快感もなかった。登場人物が誰もかれもあまりにアホで、加害者や被害者も皆、いくら何でもこれほどバカじゃあるまいと思っていたが、ふと気がつくと昨今の日本の現状では、このくらいのことは大いにありうるなと変にリアルさが生まれたのも印象的だった。
藤野千夜『団地のふたり』もすらすら読めて楽しかった。とりあげられそうで案外誰も描かない世代や環境をまともにとりあげているのがいい。『猫の客』のひりひりするような感覚とはまるでちがうが、ここにもまた、静かに衰えて滅びて移り変わって行きそうな、日本の住宅環境がのどかに温かく、でも容赦なく浮かび上がっている。