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あれが原点

いやー、人間の可能性には果てしがないなあ。トランプ大統領のすること言うことなんて、もうアホらしくてこれ以上腹のたつことないと思っていたが、イランへの爆撃が日本への原爆投下と同じく戦争を終わらせたって発言には、やっぱり腹を立てさせられて、そのことにまた腹が立つ。

だいたいね、そもそも、イランの原爆施設(かどうかもわからんわけだが)を空爆するのと、普通の市街地に原爆落とすのと、どこがどう似てるんだよね。本質的にも部分的にも、あんたの頭の中以外では重なるとこがないじゃないか。そんなこと今さらこいつに言ってもしかたがないけど、最低のちゃんとした、ものの見方や考え方がまるで出来ない人だろこの人。サボテンとプリンの区別もできないとしか思えない。

今朝の朝ドラ「あんぱん」で、軍国少女だったヒロインが、まちがったことを生徒に教えていたことを反省し、今後は本当の「逆転しない正義」を求め見つける決意を示していた。それでふと思い出したが、私が大学院生のころ、大学紛争が起こって、大学はバリケードで閉鎖され、全共闘の学生と教授会が対立した時期があった。その間の実態は、小説「従順すぎる妹」で書いているので、お読み下さい。

私は民青系の自治会活動をしていたが、当時はもう離れていた。そして研究室の院生全体が大学側とも全共闘とも一線を画す微妙な立場を守っていた。そんな中でバリケードの中にも出入りしていた私は、活動家の学生たちや教授たちのどちらとも話を交わす機会があった(知れたら危険な状況だったかもしれない)。

そんな中でしばしば強く当惑したのは、たとえばある教授が廊下で学生たちにつるしあげられ、もみあいになったという事件のあとで、両者から聞く話がまったくくいちがうことだった。すぐ目の前で見ていた、どちらも一応ちゃんとした人であるはずなのに、一方は「えっと、もみあいになって、めがねが落ちて割れたんだっけ」、一方は「壁におしつけられ、めがねが割れて血を流していたのを見た」、などと話す。

やれ石丸何やらとか立花なんちゃらとかが出て来て、SNSや電話詐欺では真っ赤で真っ黒な嘘八百が珍しくもない現代ならまだしも、当時の私にはどちらを信じていいのか、まったく資料も判断材料もなかった。どんなに信じて尊敬している教授のことばでも、それだけを理由にうのみにしたくはなかったのだ。

私は不勉強な学生で、まじめな大学院生でもなかった。だが、あの時期に、あの時に、私が切実に痛切に願ったのは、「誰が何と言おうと、これだけはたしかだ、私が確かめて、知っている」と思えることが、一つでも二つでも、どんなにささやかなことでもつまらないことでもいいからほしい、ということだった。それが、一冊の本がいつ書かれたか、この文字がこちらの文字より新しいか、そんな虫のような小さいことでもいい、絶対にこれだけは信じられるということを、たしかに持ちたいということだった。調べて、検証して、疑問の余地をすべてなくして。誰が何と言おうと、これだけはたしかだと確信できることを。もちろん、誤りが見つかればただちに訂正することも含めて。

それが私の学問の原点である。そこがすべての出発点だった。骨に刻まれ、肌に焼きつけられた実感だ。それは今でも変わらない。きっと死ぬまで忘れない。

九州北部の梅雨は明けた。猛暑に対応すべく、水まきや庭仕事は日の出前の早朝に行い、太陽が昇ったら外には出ないで室内で仕事をすることにした。さてさてこれで乗り切れるものか。しなくてはならないことしたいことがひしめきあって、頭の中がぱんぱんだ。とにかくちょっと落ち着こう。

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カツジ猫