1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. ぎゃあ

ぎゃあ

ユリもバラも、そろそろ終わりかけているので、しばらく買わなかった花屋のきれいなお花を買って来れるとひそかに喜んでいた(行きつけの花屋さんは、このブログを読んで下さっているので、「お庭にあるでしょう」と言って、花を売ってくれない。泣)。そうしたら、今朝庭に出たら、もうグラジオラスが立派に開いていた。そろそろジンジャーもカンナも咲き出すだろうし、私はどうしたらいいのだろう。

前にも書いたが、母はグラジオラスがきらいだった。「すぐ、くたっと折れるからいや」と言っていた。でも品種改良が進んだのか、今の私の庭のグラジオラスは(三つほど生えてる場所があるのだが)、はがねのように丈夫で折れない。とりあえず、切って部屋に飾った。そう言えば、菊もあちこちで開き始めていたような。もーどーしよう。知らんがな。

私は体調がいいか悪いかよくわからないが、仮にそのうち死ぬことになっても、そんなにものすごく苦にはならないかもしれない(別にそういう予定があるわけではないから心配はしないで下さい)。でも、せめて、きれいに片づいた家で死にたいのよー。こんな片づけ中途のごみ屋敷で最後の日々を過ごしたくないわー。
 それと同じで、こんなに次々きれいな花が咲いてくれるのに、草ぼうぼうで木々も茂り放題の荒れ果てた庭で、満開になって枯れて行くのが気の毒で申し訳なくてしかたない。
 申し訳ないと言えば、バラがともすれば病気っぽくなって枯れそうになるので、せいぜい薬をかけては復活させていた。でもこの頃大小いろいろ色とりどりのきれいなちょうちょや、お歯黒とんぼが、庭をすいすいひらひら飛び回って、花にとまったりしているのを見ると、薬なんかかけて彼らの身体に悪くないのかと心配になる。あーもう、悩みはつきないったらない。

集中講義は終わったが、黄表紙の名作「江戸生艶気樺焼」の骨格になってる、「不幸や悲劇にあこがれて、幸福な恵まれた生活をものたりながる」の発想が、「ハックルベリー・フィンの冒険」に出てくるトム・ソーヤーの脱出計画と共通すると思ったついでに(どうも、あのくだりは、研究史でも高く評価されてはいないようなんだけど)、これまた古典の名作「高慢と偏見」にも似たような設定があるんじゃなかったかと気になって、光文社文庫の新訳を読んでみた。私はこれを実は読んだことがなくて、この年になって初めて読むこんな有名な本があることに、ちょっとわくわくした。

子どものころや若いころの私なら、あんまり面白く思わなかったかも知れないが、でもまあそれはわからない。とにかく今は楽しめた。ダウントン・アビーと源氏物語と失われた時を求めてと細雪をいっぺんに読んでるような気分で、登場人物たちが、いろいろと重なるのも一興だった(笑)。
 私の記憶違いかなんかで、前出の設定とは特に共通点はなかったのだが、それはもうどうでもよくて、読み終えるが早いか、もっと昔の訳でも読んで見たくなって、岩波文庫を注文しようとしたら、これって山ほどいろんな訳が出ていて、しかも映画やドラマにもなりDVDも安く出ている。あー、何かもう全部読んでみたくなる。

とりあえず、岩波文庫とDVD二点を注文した。最新の映画のDVDも見たかったけど、キーラ・ナイトレイが主演と知ってやめた。彼女に別に恨みはないが、「キング・アーサー」の映画が私は大嫌いで、あれに関わった俳優たちは正直今でも見る気がしないのだ。あーあ。まあ一本見なくてすむから助かるっちゃあ助かると思うことにしよう。

Twitter Facebook
カツジ猫