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そこそこ役に立つじゃんよ

すきまのない床にむりやり押し込んで、ストーブをたいて灯油を片づけている。エアコンに比べると暖かさがいまいちで、あれ~と思ったけど、慣れればこれも悪くない。ほっこりほのぼのじわっと温まってくる感じで、炎の匂いも心がなごむ。猫はもちろん満足して、特等席を占拠している。

数日前に衝動買いした菜の花を、やっと卵とじにして食べた。買いすぎた玉ねぎも順調に減ってきている。賞味期限切れのレーズンの大袋も、ようやく全部食べあげられそうだ。愛猫キャラメルの命日用に買いこんでしまった魚類も毎日せっせと食べて、あとは穴子のパックを残すのみ。サワラもカレイもおいしかった。キッチンでシンクの前に立つと、妙に料理をしてしまう癖がついて、まあいいことなのだが、おかげでひいきの喫茶店やレストランにさっぱり行く時間がない。

コミック「大奥」の平賀源内がドラマとくらべて、すばらしくかわいくて魅力的なのにショックを受けた話は前に書いたが、おかげでドラマではさほどではなかった田沼政治の終焉と源内の死との喪失感と寂寥感と悲壮感が、ものすごく胸に染みて、とてもつらい。実は置き場もないし金にもなりそうなこととて、読み終わったら全巻ブックオフで売り飛ばそうと思っていたのだが、この源内が手放せなくて、取っておくことになりそうだ。「どこに?」という問題はあるが、要するにやっぱり家の片づけをいそがなければということよなあ。

テレビはあいかわらずろくなニュースがない。欠かさずトランプが出て来るのにも腹が立つ。昔からトランプが嫌いな行きつけのお店の主は(民主党も国民もなにをしてるんだアメリカはという私の疑問に)「アメリカはあの栄えていた時代が忘れられないんでしょうね」とさじを投げ、久々に長話をした大学時代の友人は(パソコン使わず朝日新聞一辺倒の人だが)「あれをまともに批判するマスコミがいないのが信じられない。朝日新聞までが、ウクライナのとる今後の方向の一つとしてゼレンスキーの退陣をあげてるのがあきれてしまう。ゼレンスキーがやめたら、もうウクライナはおしまいだよ」と憤慨し、別の友人は電話で「ここだけの話、日本の首相が石破さんでまだよかった」と言っていて、ここだけの話、私もそう思う。

とは言うものの国会中継を聞き流していると、例の高額医療費の問題でも、本当に実態調査も何もかもいいかげんで、どっかで金をひねり出そうどこかありませんかねああこれこれというノリで決めたのにちがいないという感じがひとりでに浮かび上がって伝わってくるのが恐ろしい。

もうひとつ石破首相の答弁を聞いていて、ちょっと愕然としたのは、野党の「ろくに話し合いもしないで」という攻撃に、やや色をなして、「私どもは真剣に長い時間をかけて討論している。そういうことは言わないでいただきたい」と反論していたことだ。私は石破首相はこれまでの首相に比べてずっとまともで、血の通った話をしていると評価しているのだが、これはまったくいただけない。

この答弁の示すところは、要するに自分たちの身内や同調者との打ち合せやすり合わせや政策決定までの準備が皆、ちゃんとした話し合いと思っていることだ。そんなもん、カウントすんなよ、反対派や敵対する人たちと議論してたたきあって、ボロをみつけて修正していくのが話し合いで討論ってんだよ。

しかしつまり、この感覚だから自民党は閣議決定だの何だのを誰にもはからず、独断専行しても、それまで自分たちだけで話し合ってたことで、ちゃんと仕事をし議論をつくした気でいるのだな。おそらくトランプの大統領令出しまくりも同じ感覚なのだろうな。

内輪の議論や打ち合せなんて、どの政党もどの団体もやってるわけで、それは公式の仕事に入らない。あとで回想録にでも書いてくれ。しかしまあ、やっとこさ、自民党があれだけ勝手気ままに、他者の意見を聞きもしないで好きなことを決定していく心境がわかったよ。自分たち同士の話し合いや準備を、国民や野党や識者との議論や意見聴取と同じものっていう感覚なのだな。言わせてもらえば、もうバカじゃん。

「レポートを書く前に」というテキストの中の「卒論を書く前に」で私は、「ある結論を出すのに、それまでの迷ったり悩んだりした過程をいちいち書かないでいい。それは私小説だ。最終的な結論と証明だけ書くのが論文だ」というようなことを書いた。自民党やトランプや独裁者たちがまちがってるのも、似たようなことだ。野球でもサッカーでもフィギュアでもマラソンでも練習で出た記録を試合の得点としてカウントすることなどあり得ない。こんな錯覚をしているのは、ひかえめに言ってもアホとしか言いようがない。

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カツジ猫