たまらんなあ
「報道ステーション」では「胸が悪くなる」と言っていた。全国各地の小学校教員十人ほどがネットでグループを作り、女子生徒の下着姿などを共有して楽しんでいたらしい。こんなニュースと国民民主党の「女性には理解できないだろう」発言や、フジテレビの性的接待問題や、TOKIOの解散や、夫婦別姓問題や、ひいてはジャニーズ問題までつながって考えると、もう脱力というか絶望的な気分になる。
ただし私は、これが「ここまで来たか世の中は」みたいな感じはあまり抱いてない。ネットとか手法やアイテムは新しくなっているが、こんなことが生まれる土壌はずっと昔からあって、ハリウッドでも日本でも、そういうことが明るみに出始めているということだろうと感じる。
私が多分小学校か中学校のころだったけど、数学の男性の先生で、厳しくて恐い人がいた。教えるのは多分下手じゃなかった。生徒におもねる人ではなく、皆、恐がって尊敬していた。
その先生は癖があって、授業中の自習やテストの間に机間巡視をしながら、机の上にのっている、女子生徒のむきだしの腕の毛を指でつまんで抜くのだった。それは有名で、教師はどうか知らないが生徒は皆知っていた。でも特にいやがるでもなく、もちろんうれしがるわけはなく、ただ恐い先生の、そういう一つの癖として受け入れて、見過ごされていた。親に話した生徒もいたかもしれないが、親も聞いても別に気にしなかっただろう。そういう時代だった。
私は優等生で、家は医者で田舎の共同体の中では家ごとちょっと異質な存在だった。本を山ほど読んでいて、皆からどこか特別扱いされていた。それで特にいじめられたとか仲間はずれにされたとかいうことは全然なかったが、私がむしろ自分のそういう異質さを痛感したのは、その先生が多分私にだけは、腕の毛をつまんでむしる行為をまったくしなかったことだ。
どうしてか、いまだにわからない。当時の私はむしろそのことに、ぼんやり不安を感じていた。嫌われているとは思わなかったが、何か他の生徒とはちがうことを先生から気づかれて、それこそ異星人かイグアナみたいに見えているのかという感じがした。
その先生はもうとっくに亡くなられているだろう。私の他にも優等生はいたし、しっかり者や気の強い子もいた。先生がどの程度私のように、警戒だか遠慮だか用心だかしてさけていた生徒がいたかは、もうわからない。生徒同士でもそんな情報交換はしなかった。奇妙で不可解で、でも何となく日常の一部として、その状態を皆が受け入れていた。
ジャニーズ事件や中井氏の性犯罪や今回の教師たちの行動を見ていると、被害者たちの沈黙や黙認や見逃しの状況や気分が、どことなく私にはわかるような気がする。昔は、そういうことがきっと、どこでもあったのではないか。被害者ももう覚えていないほど、普通のことだったのではないか。そんな気がしてしかたがない。いくらたくさん本を読んでいても勉強ができても、先生のそのような行動をどう考えるかどうしたらいいか、何一つわからなかった自分のことも、いまだにまだよくわからない。
それが意識され、告発される時代になったことを私は喜ぶ。それだけにまた、声をあげ告発した人たちへの攻撃もすごいだろうし、恐怖や苦痛も底しれないものがあるだろう。私が向き合えなかったものを見つめて向き合った人たちを、せめて私は絶対に支持するし、何とか守りたい。あのころのことも、考え続けたい。
雨が毎日降りつづくのはありがたいが、気温の乱高下のせいか、体調がぱっとせず疲れまくって寝てばかりいる。部屋に飾ったユリやバラがしおれて枯れて、見ていると気が滅入ってしかたがない。今朝やっと雨の合間に、鉢のいくつかの草取りをして、しおれたバラの茎を切って挿した。奥庭のユリも雨の中でかなり散ったが、まだ咲き続けている。折れて倒れているバラやユリを切って来て、部屋に飾ると、やっと少しだけ気分がすっきりした。そうこうする内に、庭ではもう桔梗の花が咲き始めている。わーおー。来週はまた熱波の襲来らしいし、生き延びる方法をせいぜい考えておかないと。