とことんゴージャス
しょぼしょぼと雨つづきで、おかげで水まきをしなくていいから、ほくほくしている。でも庭で咲きまくってるバラやユリが、大輪のものほどぬれて頭が重くなって、がっくり折れたり曲がったりしてしまうので、やむを得ず切ってきて部屋に飾ったら、何かものすごいゴージャスなことになってしまった。
この赤いバラなんて、適当に小さい枝の切れ端を適当に鉢に挿し木してたのがここまで育っちゃったんだよー。すごいでしょ。
ガラスの器に放りこんでおいた小さめのバラも、散り始めたので、また庭の鉢に挿したけど、散った花びらがきれいなので、ちょっとそのままにしています。
回りが散らかりっぱなしなのは悲しいですが、それでもこれだけ立派な花々に囲まれてると何となく、ちゃんと生きなくてはなあ、と思っちゃったりするから笑えるよ、自分でも。
ひめゆり学徒隊に関してアホなこと言った西田議員が国会で質問してるのを聞くと、前にもちょっと文春の記事でも見たが、けっこう政府を批判したり、官僚をつるしあげたり、ただのアホがアホな発言したにしてはアホすぎると思っていたが、どうやらとことんのアホではなく、言ってることは大間違いでも何か考えはあったのかもしれないと思って、少しあの発言の真意に興味がわいた。
イスラエルに爆撃されるかもしれない船で、ガザの食料支援に向かっている環境活動家のグレタさんは、自爆テロや特攻隊の精神にどこかで共通するような迫力も感じてしまうが、それよりも彼女が信じているのは私たち世界の世論だろう。それがどれだけイスラエルをくいとめられるかということで、試されているのはイスラエルと私たちだと、ひしひしと感じる。
この前紹介した福岡での集会の報告が届いたのでリンクしておきます。どうぞじっくりお楽しみ下さい。
大河「べらぼう」は、蔦重がじわっとワルの顔になって来てるのに笑う。春町のキャラも本当にああかどうかは知らないが、よくできていて楽しい。作家たちのどんちゃん騒ぎは今に通じるものがあるし、遊女も庶民も含めた俗文化の質の高さに今さらながら舌を巻く。ええと、まだ何かあったんだけど忘れた。思い出したらまた書きます。
朝ドラ「あんぱん」では主人公が入隊して殴られっぱなしの毎日に、「見ていられなくなって裏番組に切り替えた」という人もいるようだ。無理して見るようなものでもないが、きっと若い人なのかなあ。ほんの十数年前(もっとかな)までは小中高でも体罰なんて、あったりまえの日常茶飯事で、私のクラスでも立派な知性あふれる先生が、そんなに生意気でもない生徒を、鼻血が出るほど往復ビンタでなぐりまくっていたぞ。私の友人の中学教師も「いっぺんなぐられてすんだ方が、あとでねちねち怒られるよりいいってこともあるのよ、生徒にしては」とか言っていた。
私の教えた学生たちも、教師になって普通に生徒を殴っていた。もちろん女性の先生も。「私たちはなぜ子どもを殴っていたのか」って本も出たが、それは当時は珍しい意見だった。職場でも家庭でも、体罰なんて普通だった。
私は一度他の生徒といっしょに指示棒で頭をたたかれただけですんだけれど、私は家族でも他人でも教師でも、自分や他人に手を上げて暴力をふるった者は、どんなに他のことで尊敬し信頼し親しくつきあっても、死ぬまで絶対に愛しないといつからか決めて実行していた。それで実は困った。教師になったときから、教え子はどんなにいやなやつでも嫌いでも基本的には絶対に愛すると決めていたからで、じゃ教え子が自分の生徒を殴ったらどうするんだよと途方に暮れた。うーん、「矛盾」という語の説明に、これほどふさわしい状況はないなと感心したりしている内に、次第に体罰が否定されるようになって、究極の選択はしないでもすんで、私の中ではそのままになった。
裏番組に逃げるほどではなくても、ああいう場面にショックを受けている人たちがかなり多いことに驚く。それを喜んでいいのかどうかもよくわからない。当時の兵隊はあれ以上に凄惨なリンチを受けていたこともだが、少し前までは学校だって家庭だって同じ目にあっていた人たちばかりだったのに、それがこんなにあっという間に、なかったみたいに加害者や被害者の記憶からも消えてしまって、異世界みたいなことになってしまうことも、何だか気持ちが悪すぎる。そして、いじめやDVや虐待は今もこまめに存在しているのに、その現実は気にならないのだろうか。そう言えば先日の講演で詳しく聞いた、自衛隊内部の状況は、これとどれほど違うのだろうか。チャンネル変えて裏番組に逃げることもできない、自分と地続きの現実を、皆どうしているのだろうか。