はーもう、こういう人だったのか
ベッドの枕元にくっつけた椅子に、広いマットやクッションでバリケードを作って、つまみ食いの本が落ちないようにして並べておくことにした。そうしたらつい、何かを置きたくなって、小さく白いぬいぐるみのウサギを置いた。はは、なんか、かわいい。
八代亜紀の死後の写真集に、若いときに知り合いが撮ったヌード写真がつくとかいう話には、強い批判があり、私の身近でも怒っている人が多かった。私も不愉快なこととは感じていたが、何となく傍観していたのは、ほんとにしょうもないことだが、私の母が三浦洸一さんの大ファンで、彼のヒット曲のひとつに「舟唄」というのがあり、母も私も愛唱していた。知ってのとおり、その後八代さんが同じ「舟唄」というタイトルの曲でヒットを出して有名になって、今ではこのタイトルだと、こちらの歌しか誰も知らない。別にそれで敵意を抱いたとかいうのではないが(笑)、私と母にとってはそれだけでもう、あまり彼女には関心がなくなっていた節がある。まあそもそも私は、「家なき子」とか「人間失格」とかでもそうだが、いかなる名作でも、前にあった他者のタイトルをそのまま使う作品は、気に入らないからまず見ない読まない聞かない。有名でなくて偶然一致しちゃったのはしかたがないが、よくわかってて重ねてくるのは、もうそれだけで、ことばを大切にしない人という気がして、まともに相手にしたくない。
これって、案外ささやかなことが原因のひとつかもしれない。祖母や母が年取ってボケかけたとき、似たような名前の題名や人名をテレビやラジオで聞いて混同するのが悲しくて、訂正するのがつらかった。一時期(今でもやってるかもしれん)、民放ラジオのアナウンサーが内輪受けの冗談で、松田聖子のまねとかするのが、冗談でなく大嫌いだった。入院していてラジオが楽しみの祖母が、本物か物真似かわからないで混乱するのが予想がついて、何て残酷ないたずらをして遊ぶんだろうと、いつもほとほと苦々しかった。そういうこともあるのかもしれない。
なので、写真集の話はけしからんと思ったものの、これというコメントはしないままだった。それきり話題にもならなかったし、発売されなかったのかと思っていた。
そこのところは知らないが、今朝Xを見ていたら、何だか発売されるとか何とかで、その出版社の社長かなんかのコメントが載っていた。これがもう最低で、下品で、低級で、しょうもないではすまないほど、ひどかった。抜粋引用するのもいやだけど、これですよ。
八代さんについて詳しいことは知らないし、そういう写真をあえてつけるというのも、それなりの信念とか美学とかのなせるわざかということは、心の底ではちらと考えないでもなかった。しかし、この文章を読むと、開き直ってるとかそういうものでもない、ただの恥知らず、せいぜい金の亡者としか思えない。自分が何をしてるのか、まるでわかっていないのだろう。それとも何だか末期症状を呈してるのかしら。どっちにしても見るに堪えない。
性犯罪者の日本代表もそうだけど、こういうことって、何とかならないものなのかしら。
くうう、13日の金曜日のせいか、こんなことを書いてるだけでも疲れて来た。早いとこ寝てしまうか。