1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. むらっ気

むらっ気

家の片づけはそれなりに進んでいるけど、何だかもう、計画や予定を無視して、目についたところに手をつけると面白くて、ついせっせと、そこだけに集中してしまうので、何となくうまく行かない。もしかしたらこれでいいのかもしれないけれど、わからない(笑)。

とりあえず、紙類とダンボールを片づけて「排出」してしまえば何となくすっきりするかと思ったのだけど、ついつい、そっちは中断して、ふだん着る服を回転のしかたにもとづいて整理し(おかげで洗面所はかなりすっきりした)、玄関と台所の間にある、祖父の古くて巨大なデスクの上を片づけて仕事もできるようにした。なくしたと思っていた、こまごましたものもいくつか見つかり、気分がいいっちゃあいいのだが、その分メインの片づけが進んでいない。くりかえすが、まあこれでいいのかもしれないけど。

大河「べらぼう」は唐来三和も登場して、毎回妙に浮かれてしまう。戦国武将などとちがって、こんな人たちが生身の俳優として人々の前に現れることなんて、何だか信じられない。
 かえすがえすも、中村幸彦先生や中野三敏先生がもう亡くなられているのが残念だ。どんな感想をもらされたか、聞きたくてしかたがない。別に高尚なことでなくても、「あの俳優はスマートすぎる」とか何とか、そういうどーでもいいことでもいい。まるで予想がつかないだけに、ささいなことでも何を言われるか知りたい。

私は先生たちとそういつもいっしょにいたわけではないから、あまりそういうことを聞いたわけではない。でもたとえば、中村先生が中世という時代について、力強いとかエネルギッシュとか言われることが多いけど、「何だか気味の悪い時代だと思いますよ」みたいなことを口にされたのとかが妙に今も心に残る。先生のお言葉だったか、私が頭の中でつけ加えたのかももう覚えていないが、何となく、宗教的でまがまがしくて薄暗くてお香の香りがたちこめて、みたいな雰囲気の時代で、中村先生のすこーんとさばさば明るい青空のような心と頭には相容れなかったんではないかと勝手に解釈してしまっているが、たとえばそういう片言隻句だ。

前回の狂歌の会の盛り上がりも妙に今風なところもあって笑ったし、京伝の軽やかなパワフルさや春町の繊細ないじけぶりも、「そうか?」と首をかしげるところもあるけど、まあわかりやすいからこれでいいのかと思ったり。私としては京伝はもっとしなやかで繊細で品が良いし、春町はもっとおおらかで温かな感じなのだが、まあそんなこと言うてもしかたがないって気もしている。

肝心の狂歌については私はそんなに詳しくないので、皆が歌って踊ってた狂歌が本物かどうかも知らない。誰か知ってたら教えてほしい。
 かわりに、私がめちゃ好きな狂歌を二つご紹介しますね。どっちもそこそこ有名ですけど。

 歌詠みは下手こそよけれあめつちの動き出してはたまるものかは

 ほととぎす自由自在に聞く里は酒屋へ三里豆腐屋へ二里

何べん読んでも死ぬほど笑う。この妙に冷静な感覚って、今の若者にも共通する気がするのだけどどうなんだろう。江戸時代は「理性的で理屈っぽい時代だ」と言うのは、私のいつも持っている感覚なのだが、それはこういうところから受ける印象もある。

一方、朝ドラ「あんぱん」では、戦争の悲惨さを身近な人の体験として知ったヒロインが、小学校で生徒に忠君愛国を教えるのをためらいはじめている。「この戦争に勝って終わったら、何をするかを夢見て、それに向かって一日一日を大切に生きよう」みたいに「お国のために死ぬのは立派」からかなりトーンダウンしている。私はこれでも、当時としては相当な危険発言、発想として軍部や上司から目をつけられかねないと、かなりどきどきするし、「この戦争に勝ったら」は最低限絶対に言っておかねばならぬ安全パイだと思うのだが、ネットの記事ではそれすらも許さず、彼女の愛国的姿勢を批判する意見も多いらしい。

どこまで追いつめるんですかね。ほんとに当時がわかってない。私だって戦後生まれですが、本や映画やその他で見聞きしなくても、この現代でも同調圧力とやらの社会を知ってれば見当ぐらいつくでしょうに。だいたい、そんだけ、ヒロインの言葉尻つかまえて、わーわー言うヒマがあったら、あの戦争で学問が政治に利用されてはいけないという強い反省のもとに作られた日本学術会議を政府が骨抜きにして、人事権握って、時の権力者の好きなように操れる組織にしようとしている法案が議会を通過しようかって時に、もっと危機感、せめては関心や興味を持っていただけないかとついつい思ってしまいます。

写真は庭に咲いたバラ。今年は何だかこんな風に、てっぺんに集まってぎっしり開くバラが多く、最初の花の周囲に続いて咲くのが、まるでウサギの耳みたいに見えます。本当はこのちょっと前、耳の部分が赤みを帯びていたときが、もっと不思議でかわいかったのですが、それは撮りそこねました。

Twitter Facebook
カツジ猫