今日も今日とて庭仕事
また今日もせっせと庭の手入れにかまけていました。
朝の内に大仕事をするとバテて後が続かないと思ったので、垣根のジャスミンを適当に刈り込むことから始めた。そうしたら、つい表庭の木陰の草取りにとりかかってしまい、陽射しをさけて茂りまくった枝の下を這いずりながら、あおむけに枝を切りまくるという妙な作業に熱中してしまった。おかげで、表庭は半分ほど草刈りが進み、特に油断するとはびこってしまう、とげだらけの野ばらの茂みをほぼ退治できたのは大きい。あとは、アジサイとまともな白バラの茂みを、からみついたジャスミンから解放すれば、かなり見栄えがよくなるだろう。でも伸びまくった姫エニシダの木の刈り込みがもうちょっと手こずるかな。これも、もともとはかわいい鉢植えだったのだが、鉢の底から地面に根づいて、今はほとんど大木になりかけている。
その後、奥庭の手入れにかかりたかったのだが、前庭のツツジがあまりにも見事に咲きかけているので、つい、お隣との間に広がっているツゲかなんかの枝を刈り込みたくなって、ついでにそのまま、前庭の手入れに移行してしまった。
そういうわけで、奥庭前庭表庭、どこもかしこも中途半端になっている。どこの誰が見ても、何かが片づいたようには、とても見えまい(笑)。でも私としては、だいたいこういうスタイルにしようとずっと描いて来た庭の感じにはちゃんと近づいて行ってるので、けっこうそれなりの満足感はある。言いかえれば荒れに荒れはててはいても、木々や花たちは、ちゃんと持ち場を守って、それなりの基本形は崩していなかったのだと感謝の念もこみあげる。死ぬまで、というか身体が動くまで、そこそこの手入れをして行けば、ちゃんとそれなりの形は保てそうな気がしている。
それにしても、これだけめちゃくちゃに荒れ果てたのは、体調のせいもあるが、それよりも、ひとえに、「水の王子」「砂と手」と引き続いて自費出版の本を出しまくったから、そっちにエネルギーを全振りしていたからだな。そう思うと、この荒廃も雑草も、あのとんでもない量の作品群を生み出した源泉なのだと、何やら尊くて腹も立たない(笑)。よくぞ待っていてくれた、今度はおまえたちをきれいにしてやるというような心境である。はあ、いつか専門の国文学の研究でも、そうなる日々が来るのだろうか。時間さえたてば、ちゃんと来るって自信はあるが、その時間がもうあと残り少ないのだよなあ。祖父が死んだのが八十八、祖母が死んだのが九十二、母が死んだのが九十八、しかも皆それぞれ、身体にはガタが来てたし、頭も心も当然ながら衰えていた。私があそこまでの力があるとはあまり思えないし、あったとしたって、かれこれ十数年ではね。
しかもその間、私としてはまだまだバカなこともいろいろして遊びたいし、でれっとぼやっと過ごす時間もたっぷり確保したいのよ。そんなのもないまま、走り抜けちゃうには、あんまりつまらないしなあ。
というわけで、今夜も猫にブラシをかけながら、ホークスが楽天にまさかの逆転負けをするのを見つつ、本屋に山積みされている蔦重関係の文庫本を何冊か買ってきたのを、ちびちび読んでる。