多分きっと、役者がちがう
ウクライナとアメリカの交渉の決裂、知らんけどゼレンスキーは絶対に覚悟も予測もしていたし、むしろめざしていたんじゃないかと思う。レアアースをエサにしてトランプを釣って直接対面に持ちこんだなとしか私には見えない。トランプの経歴や生育歴なんて知らないし知りたくもないけど、たくさんの戦いをして経験を積んでるといっても、しょせん紙切れと札びらの世界だろ。自国民が飢えて凍えて手足を寸断されて、幼い子どもや病人までがむざむざ野垂れ死にしていく毎日を、日夜目にして、国土が焼かれて汚されて行くのを肌で感じてる人だぞゼレンスキーは。その元凶の一人でありながら、同じような状況のガザをリヴィエラ天国にするとか、寝ぼけた世迷い言を言ってる金と欲に脳髄を支配されてるような老人を目の前にして、とびかかってのど元を食いちぎりたいほどの怒りを覚えないはずはない。それを抑えて話せるだけでも役者がちがう。
感情たれ流しで、すぐ前に口にしたことでも忘れるようなトランプだが、ゼレンスキーはもともと俳優だった人だから、そういう点でも三流役者のしろうと芸人のトランプを、一度ナマで見て正体を確認して今後に備えたいという思いは絶対にあったはずだ。そのためには顔を合わせねばならず、そういう場所を作るためには単純バカの欲と金でしか動かないトランプを、とにかくおびき出してどの程度の人間か見たいという気持ちがあったに決まってる。
今後がどうなるか知らないが、あらゆる意味でゼレンスキーは世の中の「あるべき姿」を見せてくれた。それがありがたいし、これを見て恥じ入らないし、さほど心に響かないような人は、私の母が生きてたときにしばしば口にした(母は基本的に全人類を、これを基準に二つにわけていたような)「ともに、ことをはかるのに足りない人」でしかない。
何の力もない私だが、ささやかながら何らかの決意と行動はしたいと思っている。ピント外れでも見当違いでも、私にしかできない何かの方法で。
ところで気分転換に、これは昨日書いた、久々の街で買った、猫のクリップです。洗濯ばさみに布を被せてるだけなんだろうけど、なかなかかわいい。しっぽでもぶらさがったりぶら下げたりできるのが、またいいです。ちっ、もう一匹買っとくんだった。
それから、これも昨日やその前にちらっと書いた、江戸時代の遊女や遊郭について、教えたり学んだりする際に、私が感じる悩みや迷いを書いたエッセイ「楽しいお仕事」へのリンクです。実は「江戸の女、いまの女」の本に収録する前に、友人たちと出していた同人誌「ガイア」に載せていたのを思い出しました。「ガイア」の論文は、こちらに全部リンクしていますので、どうかぜひ、ごらんになってみて下さい。「楽しいお仕事」が始まるのは、右上の窓にあるページ数の122ページからです。
私がこの問題について書きたかったことは、ほぼ全部ここにぶちこんであります。まあまたぼちぼち抜粋紹介もして行きたいとは思っています。