好きにして
朝からすっきりいい天気。空は晴れ渡り、風はそよそよ、暑くもなければ寒くもない、庭仕事にはもう絶好の日和。なのに身体がついて行かず、通常の庭の見回りと水まきをすませただけで、もうエネルギーが切れてしまって、ばったりくったりのびている。まあ、またその内復活するだろうさ。でないと困る。
大阪万博について、辛坊治郎氏が高齢者が行きにくいその他と批判を重ね、 橋下徹氏がすばらしい行くべきだと絶賛してるとか。どっちも以前から私とは意見の合わない人たちだし、好きにしてとか言うしかないが、もともと私は万博とか博覧会とかいうものは、嫌いじゃないんだよねえ、多分。
子どものころ、ディズニーランドなんかなかったし、叔母夫婦や母と遊びに行くのはデパートの屋上とか、そんなのが最高だった。アトラクションなどもある大きな遊園地になっていたから。あとは動物園とかにもよく行った。ときどき大規模な博覧会などがあると、叔母夫婦は必ず連れて行ってくれた。
動物園で見た鳥や獣は覚えているのに、博覧会は何度も行ったはずなのに、いっさい何の記憶もない。まったく、かけらも残っていない。
それでも私は自分の中に、そこで見聞きしたものが、残って、埋まって、私の人格や哲学の何かかなりの部分をかたちづくったような実感がある。それは、どこか地球全体、世界全体に自分の居場所がつながり、広がっているという実感と、技術や機械や道具などへの、信頼と愛と親しみだった。ずっと文系の学問を続け、外国旅行もほとんどしてない私なのに、いつも心のどこかで、あらゆる国と世界を身近に感じ、科学や機械にわけもない愛情を感じ続けていられたのは、読書や空想だけではなく、絶対に、あのいくつもの博覧会で体験し見聞したものの骨身と血液に溶け込んだ記憶に残らない記憶のせいだ。だから、もし子どもがいたら、映画や読書や海外旅行ではきっと味わえない、同じ体験をさせたいし、自分も体調が許せば、何かをよみがえらせるためにも足を運んで見たい。
母は前回の大阪万博に一人で参加し、これまた大いに楽しんだようだった。「何しろあんなに愉快なことはなかった。山ほど人がいるんだよ。そして、その中に誰も私が知っている人がいないんだよ」と興奮気味に話していた。群衆の中の孤独とやらを、母は最高に幸福と体感する人だったのだ。母がもし存命で元気だったら、やはりいっしょに参加したかった。もちろん叔母夫婦も、従姉たちもだ。
だが、今回の大阪万博は、話し出したらきりがないけど、とにかくそういう高齢者たちのことをまったくイメージしていないだけではなく、あらゆる視点や姿勢が、ずれていた。カジノ誘致のためだとか、その他さまざまな話を聞くにつけ、自分が行くのは問題外としても、私が何よりもいやだったのは、万博というものが本来持つはずの魅力や豊かさを、心をこめて扱わず、利用しようとしか考えていないような粗末で荒っぽい傷つけ方だった。何よりも万博というもののために、腹立たしかった。
それでも、進んで行くうちには、欠点や弱点も修正されて、せいぜいよいかたちになることを期待していた。しかし、もと消防隊員の、つまりその道のプロの共産党議員がメタンガスの発生を検知し注意を促したのを、感謝どころか明らかに迷惑がって、共産党の取材を禁止したという主催者側の対応に、完全にもう絶望した。政党間の対立やその他いかなる事情があるにせよ、この種の催しで、危険や欠陥を指摘されたら、即座に感謝し対応する他、することがあるだろうか。欠点を見せまい、批判を許さない、そういうことを前提にして運営されるすべてのものに、一切の救いはないし、未来もない。
無事に終わればいいと思う。昔、私が得たようないろいろなものを、与えられればいいと願う。ただ、それ以上に、こういう主催者の集団の手に万博がまかされたことが悲しい。今言えるのは、それだけだ。
ちなみに、どーでもいいんですが、昔、私が大学の雑誌に書いたエッセイです。これは私の研究や生き方のひとつの基本です。「江戸の紀行文を訂正する」という内容で、批判され、否定されるよりは、まちがいをそのまま受け入れられる方がずっと恐いし、不幸だという私自身の実感です。最初の部分だけ、お読み下さい。政治だってイベントだって研究だって、よりよいものにしたければ、正しい結果を生みたければ、こういう姿勢も感覚もあたりまえのものじゃないんでしょうか。それができない研究者も政治家も私は絶対信用しません。
さて、日暮れまで、もうひと仕事、庭を何とかして来ますかね。