1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. 映画「戦雲(いくさふむ)」感想(3)

映画「戦雲(いくさふむ)」感想(3)

それはまあ、こんな物騒なご時世ではあるから、いつどこの国から襲われてもいいように、何らかの防衛はしておかなくてはならないだろう。

しかし、私はこのところずっと、何をどう考えても、日本政府が、ひいては国民が、真剣に戦争準備や国防対策を真剣に考えているという気がしない。仮想敵国扱いしてる隣国の対岸にミサイル一個かテロリスト一人でとんでもないことになりそうな老朽化した原発をずらりと並べておくことと言い、米が食べられないで国民が困るような食料確保もしないでおいて、どうでも戦争したいなら死なせる若者や子どもをいっぱい製造しておかなくてはならないはずが、女性も男性も特に女性が、全然子どもを生みたくならないような、ありとあらゆる状況をめいっぱい作り続けておいて、そもそも真剣にそれらの問題を考えるはずの閣僚が軒並み不法な金儲けにうつつを抜かしているような国が、どこと戦争して勝てるというのだ。そういう問題に全部目をつぶって放置しておいて、ミサイル買っても軍備を増強しても、それこそ非現実もいいところとしか思えない。

もしも、日本の未来を真剣に考えるなら、そもそもどこと手を結ぶのか、どういう立ち位置を世界の中で選ぶのか、その上の対策は何か、どこの場所にどういった建物や人員を配置するのか、きちんと考え、可能な限り、国民にもそれを説明し納得してもらわなくてはならない。

それを、ほとんど誰も知らないまま、首都圏なら大騒ぎになるだろうが、こんなところで何をしても誰も気に留めないだろうと思ってるんじゃあるまいかと言いたくなるような雑な荒っぽさで、ものすごい規模の施設を次々に海の彼方の離島に建てる。まるでそこには岩と砂しかなく、少数の人が住んでいても大して楽しい豊かな環境ではないだろうから、取り上げられても失っても、その人たちにはそんなに痛みはないだろうという感覚が、どこかですごく透けて見える。それは政府や役人の感覚だけではない。国民の多くが抱くイメージの中にも、きっとそれに近いものがある。

だが、だからこそ、この映画は、ひとつひとつの島の歴史と文化と、そこに住む人たちの仕事と生活、日常を、風の色、海の香りも感じられそうな色彩と音響で私たちに届けて来る。
 政府は、まだ島民が納得も理解もしていないうちに早々と、「何か起こったときには島民は皆九州の各県に移動させ避難させる」という計画を発表した。まあこれも「だから安心ですよ」と前もって教える親切さだったか知らないが、私は聞いていて、ものすごくむかっとした。理屈抜きで、へどが出そうなほど、こんなに失礼な話はないと思った。

なぜ、ガザの住民をまるごと移動させて、そこにリヴィエラみたいな保養地を作ろうとか、ウクライナの戦地の人たちをロシアに移送させて保護しようとか、アホで無神経な指導者は、そろいもそろって、こんなことを考えつくのだろう。人間と土地と時間をどう考えているのだろう。その一方で自国の愛国心とか純血性とかについては、いやに重視して強調するが、そんなのは、付け焼き刃の嘘っぱちだということは、他国や他地域の人たちに対する、このような鈍感さを見ただけで、あっという間にわかってしまう。

映画を見たあと三上監督の本も買ったのだが、まだ読んでなくて、だからまだ私は、どの島がどの島か、よくわかっても覚えてもいない。ただ、そこの住民の男性の一人が、微苦笑まじりに、ひかえめに、「想像できないんですよ。自分たちが、ここの今の生活をやめて、九州のどこかで暮らすっていうことが」とつぶやいたのが、忘れられない。怒るでもなく涙するでもなく、微笑みながら、かみしめるように、その人はそれを言った。

なぜこの人たちは、こんな悲しく恐ろしく、自分たちをバカにした対策のことを、こんなにおだやかに語れるのだろう。それが政府や国の一方的な言い渡しで、日本のほとんど全国民が知らないままに、これほど大規模になされようとしていることに、静かな疑問で答えられるのだろう。

私はもちろん、このようなことのすべてを認めない。しかしその多くがすでに実行された今、私たち国民のすべてはせめて知るべきだ。国防と言い、私たちが守られるためと言いながら、彼らから私たちが何を奪ったのか、奪いつつあるのか。どこの国かは知らねども、どこかの国と戦うために、これが必要だという人は、せめて、絶対に、そのために何がなされたのかを知るべきだ。そして、最低でも深く感謝するがいい。それだけはせめて、してほしい。罪悪感と責任感を抱くべきだとまでは言わないが(言いたいが)。

すみません。まだ続きます。

Twitter Facebook
カツジ猫