映画「戦雲(いくさふむ)」感想(4)
のどかに、静かに、ていねいに、この映画は、日本を守る最前線として設定され、ミサイル基地や弾薬庫の設置場所となった(それが的確な分析か必要かなどなどの検討も、まったくと言っていいほどないままに)南方の島々の、歴史と暮らしを、ひとつひとつ、ていねいに(岸田首相以来、この「ていねいに」ってことばは、とことん安売りされ傷つけられ汚されつくされてボロボロにされたけど)語る。
漁師たちは船をあやつり、農家は作物を育て、畜産業の人たちは牛や馬に愛をそそぐ。苦しかった開拓の歴史や、ひきつがれた豊かな文化や祭り、踊り歌う若者たちの凛々しく清々しい美しい顔と姿。
基地や弾薬庫が作られたことで、それらの暮らしのすべては、いつ突然中断されるかもしれない不安定なものになり、失われ奪われるかもしれない美しくも不吉な輝きにおおわれた。
それはもちろん、痛ましく腹立たしくはあるものの、そのことを思いながら、それらの暮らしを眺めていると、それが日本や世界のどこの村でもどこの都市でも、どこの土地でも、決してありえないことではなく、ガザやウクライナのような広い意味でも、もっと身近な狭い意味でも、いくらでもあることに否応なしに気がつく。島々に広がる風景や音や色彩のすべてが、もはやすでに失われた過去の風景、いつかは消されて失われるものとして、見る者の目や心に食い込んでくる。
これほどに豊かな自然を、幸福な人々を、美しい毎日を、国家や政府や企業や私たちの愚かさや冷たさのおかげで、すでにもう、いくつも私たちは葬って、消して来た。福島の桜。能登の器。放置されて苦しみ抜いて死んで行った被災地の牛たち。地獄と化した水俣の湾。その悲惨な未来図と、その失われた過去のささやかながら満ち足りた楽園図が、島の風景のひとつひとつに重なってきて、まぶしくも息苦しい。
もうずっと昔、作家の丸谷才一が、石牟礼道子の水俣についての文章をエッセイの中で長く紹介していたことがある。水俣病で廃人同様になった老いた漁師が石牟礼に語る、昔の漁の思い出だ。「かかよい、船こげ」と妻への呼びかけにはじまり、二人で海に出た小舟の上で釣り上げた魚をそのままに料理して食う、その様子を「これより上の栄華の、どこの国にあろうかい」と漁師は語る。
その痛ましさとその輝きに胸のつまる思いをしながら、ここで丸谷はいくつかのことを指摘している。たとえば、彼の終世の持論だった、日本語は美しい標準語で書かれるべきで旧仮名遣いを復活させるべきで、方言などの使用には批判的という、自分の姿勢が変わったわけではないが、「この文章を読むと、ある作家たちが、あくまで方言の使用にこだわる気持ちが初めて理解できた」ということで、そこまで石牟礼のこの方言を駆使した水俣の漁師の語りはすぐれていた。
更に丸谷は、ここで描かれる、海の上での夫婦の新鮮な魚の食事風景に注目して、「貧しい人々がどうしてそういう生活に満足して幸福でいられるのかという、日本文学がこれまでどうしても理解できず描けなかった問題への、完全な解答がここにある」(記憶で書いてるのでむちゃくちゃですが、だいたいそういう意味でまちがってないはず)と断言した。
私たちのほとんどは水俣の映像を見る時、悲惨な状態の患者や村の生活の分断や対立、大企業の汚染水で汚れきった海などの、おぞましく悲しい身の毛のよだつ風景しか思い浮かべられない。しかし、その前には豊かな美しい海で勇ましく漁をして、「これより上の栄華はない」と実感するほどの、活気に満ちた、穏やかな美しい暮らしがそこにはあった。
今では見ることのかなわない、それらの風景が、この映画の島々の、勇壮で力強い漁師たちの姿に重なってくる。
緑の野原を走り回る馬たちや、出産後の子牛を必死で世話する飼い主たちを見ていると、全島避難という時に、彼らは連れては行けるわけがなく、砲弾の下の島で、最後を遂げるしかないのだろうとしか思えない。
彼らの家、彼らの船、彼らの畑、彼らの動物。それはまた、とりも直さず、私たちの家であり、町であり、職場であり、家族であり、ペットであり、庭である。不満も不安も数しれないが、それでも「これにまさる栄華があろうか」と私たちが心のどこかで実感する、かけがえのない、大切なもの。
それを危機にさらすこと、不安定な、いつ消えるかもわからない幻にすることについて、私たちはもっと向き合うべきだ。考えて、知るべきだ。
この映画が描くのは、遠い南の島々の話ではない。同じように愛されて、いつくしまれて、育てられた、そして消されて奪われた、たくさんの世界の風景だ。それは私たちのひとりひとりが、今、身をおいている、町や村や日々の暮らしの物語だ。それをどうするか、それがどうなるかを目の当たりに見せてくれる映像の数々だ。