水仙が咲いた!
今日は昼からお客さんが来て、あれこれ楽しくくっちゃべった。どなたかがこうしていらして下さる時は、それをきっかけに家の中をほんの少しは片づける。今日も、玄関から入ってすぐの小テーブルの周辺につもりつもった郵便物や書類の山を仕分けして整理して、不要なものをごみに出そうと楽しみにしていたのに、結局時間がなくて、紙の山を奥の空間に移動させただけになってしまった。これは明日、片づけてしまわないと、パソコン前の空間がつぶされて、動きがとれなくなってしまうぞ。やばい。
でも、おかげで、一人二人(は無理か。やっぱり一人か)のお客さまなら何とか座ってお茶出せるぐらいには、入口付近が片づいたから、まあいいか。
お花を買いに行く間がなかったので、庭に開き始めた水仙を一気につんで花びんに入れた。まだ数が少ないから、そこは葉っぱでごまかした。ついでに奥庭で咲き誇っていた黄色いバラも全部つんできて、あちこちに飾った。バラの刈り込みと株分けと肥料やりが、もう一刻も待てない状況になってるので、これも何とかしなくてはならない。うえ~ん。
お菓子の買い置きがなかったけど、先日、お葬式に参列したお礼に送っていただいた箱の中身が多分お菓子だからそれを使わしてもらおうと考えていて、お客さまが見える直前にほんとにお菓子だったろうか、タオルとかだったらどうしようとパニクった。開けてみたら幸い予想通りにお菓子で、それもものすごくおいしくて、夜になってから、一人でぱくぱく食べてしまって、身体には悪かったなと反省している。
猫のカツジは久しぶりのお客さまで、何だか喜んで、いそいそ愛想をふりまき、「かわいいねえ」とほめられて、ますますうれしそうにしていた。こいつ本当に最近性格が変わったな。
おしゃべりは私自身の老後や片づけ計画とか、世界情勢とかで盛り上がった。彼女は立花なんちゃらやらトランプやらに惑わされる人がいることが信じられない、自分とはちがった景色を見たり聞いたりしているのだろうかとしか思えないと、くり返していた。まったく同感だが、人を信じて行動して社会を動かす楽しみは一度味わうと癖になるから、そこはいい面もあるかもしれない、そうやって信じたことがインチキで間違いだったとわかって、またひきこもらせてしまったら、罪は重いけど、と私は言い、トランプを支持する人たちの意識の根底にあるのは、私が「情けあるおのこ」で開陳した、「恵まれている立場」の人たちへの差別が生んだものかもしれないとも話した。これについては、いずれまた、ゆっくり書きたいんだけどねえ。