近世紀行文紹介ア行の部

国書総目録に収録されている紀行文の中には、題名からのみでは内容の見当をつけにくいものが、相当数存している。管見のもののみについて、それらの作品の主な内容を若干紹介してゆきたい。原則として五十音順だが、後で適宜補充することもある。紀行文研究の際の何らかの手がかりともなれば、幸いである。

あがたの三月四月大江丸旧国

帝国文庫「続紀行文集」所収。寛政十二年、大坂から東海道を経て江戸に遊び、東北から北陸を巡る大旅行である。発句を交えて歯切れのいい文体で綴られ、とりわけ江戸での長期にわたる滞在の日々の遊興の描写は、近世紀行における都市観光の役割を考える点で注目すべきものがある。

暁雁坂本如楽子重行

東京大学蔵の写本一冊(青表紙。26.9×18.0cm。十行書、十二丁。虫少々あり)による。元禄三年十月、足の痛みの治療のため、熱海へ湯治に行った時の紀行。江戸から東海道を経る。途中の情景や温泉の様子を、和歌を交えて記している。筆致は細かく具体的だが、比較的時代が早いせいか、長閑で静かな品の良さがあり、よくまとまった小品と言える。

贖日記今村楽(渋柿蔕成)

国会図書館本「土佐国群書類従」百三巻所収のものによる。文化三年十一月、友人三四人と、土佐の足摺岬にある蹉 山金剛福寺に参詣した紀行文。十行書、四丁と短い。和歌も交えた優雅な和文だが、鶏の声に一芸に徹する大切さを考察したり、寺の額の年代に興味を示すなど、本人も「さかしら」というような理論的記述が多く、雰囲気も明るいのは近世紀行の特徴を感じさせる。

麻衣西田直養

国会図書館「不忍叢書」四所収(茶色表紙、19.9×13.2cm。外題「不忍叢書四」、内題「麻衣」。該当部分は、十行書、十二丁)による。比較的短い、木曽路の旅だが、内容は俗的なものもあり、一つ書きの具体的な記事も多くて、面白い。

あさくら日記山路重固

「碧冲洞叢書 日記紀行集」第四冊所収。同書解題によれば、袋綴横本一冊(16.4 21.4cm)の自筆写本、同筆で朱の補訂がある。嘉永五年、宰府に近い春吉村のあたりから六本松を経て、朝倉宮に詣で、小石原、宝珠山などを経て帰る、二十日間近い紀行文。翌年、長崎警護に赴いた時の営中で清書したとある。和歌を交えて友人たちとの楽しげな旅で、土地の様子や旅の日常を優雅な和文で綴っている。国学者たちの完成した日記的紀行文の一つといえよう。益軒の「筑前国続風土記」にしばしばふれる。小石原などの記事は、あまり他の紀行にはなく、珍しい。

蘆の仮寝廼記内藤正範

静嘉堂文庫本(十二行書、六丁。「葦手書考」などと合冊)による。享和元年七月廿三日から八月十五日にかけて、甲斐守正範が公務のため江戸から難波に赴いた際の紀行文。東海道の紀行で、和歌を交え、とりたてて特色はないが、素朴な中に一種の格調がある。掛川近くの七森稲荷では、出発時に病気だった子の正博の健康を祈ったりしている。本文の末尾に「右一巻内藤甲斐守正範内難波紀行」と記す。

蘆のかりふし柳叟

静嘉堂文庫蔵本による。弘化四年、公務のため、江戸から大坂へ赴く作者が、見送りに来た友人から、名所の現況などを記した紀行文を記すよう唆されて、賀茂真淵の「岡部日記」のように考証的なものならと思って書いたと、「はしがき」に記す。十月二十七日に出発して十一月十二日に到着する、東海道の紀行で、正確な描写と丁寧な考証で経路の各地を紹介する長編の力作である。特に、「土佐日記」「更級日記」「十六夜日記」などの著名な紀行をはじめ、太田持資「平安紀行」や貝原益軒「吾妻路之記」などまで引用する紀行作品の多彩さは、他に例を見ない。注目すべき作品である。

葦の若葉大田南畝

「大田南畝全集」第八巻所収。享和元年~二年、大坂滞在中の名所遊覧記である。「改元紀行」「壬戌紀行」などと同様の細かく具体的な描写で、町の風俗や社寺の様を描いている。「曾根崎心中」や「心中天の網島」のことも出る。西鶴の墓のことも記す。祭りの様子なども詳しい。全体の印象はやや雑然としているが面白い記事や美しい文章が多い。

阿寺持方の記岡野蓬原

「三十輻」三に所収。 常陸の山奥の二村、安寺・持方の風俗について記したもの。非常に短い。「三十輻」の編者の南畝が、この後に柴田宗伯の「米沢三面の記」(三面という小村についての短い記事)を附しているのでもわかるように、このような山奥に残る古代のままの淳朴な「かくれ里」ともいうべき村への興味が、紀行文作家をはじめとした人々の中に、強く存したようである。

あし曵の日記伴蒿蹊

京都大学蔵本による。写本一冊。安永四年十一月に、吉野・初瀬・三輪山や奈良の名所を巡覧したもの。和歌や考証を交えて、日付に随って淡々と記す、どちらかといえば地味な紀行文だが、冬の吉野の情景なども窺えるのが珍しい。小沢蘆菴との交流を示す記述も散見する。

安達太郎根渭北

東京大学竹冷文庫の板本(青表紙、26.5×18.6cm。上冊23丁・下冊30丁を一冊に合冊)による。刊記はない。芭蕉の影響が強く、冒頭に「おくのほそ道」を引用し、佐藤兄弟に関する記事も少しある。内容も松島行、鹿島行など。発句が多い。跋文は沾徳である。

安濃の日記安田躬弦

無窮会神習文庫の写本(青表紙、27.8×18.9cm。九行書、墨付八十七丁、朱少々)による。天明二年の奥書を有するが、寛政二年の誤りかとの書き入れがあり、これが正しいであろう。作者は県居門人と、井上頼圀氏の朱書がある。伊勢国安濃の津に住む親友、田中如真の弟が重病に罹ったため、療治に赴いた際の紀行と冒頭にあり、医者でもあったかと思われる。東海道を経て伊勢に着き、帰途は木曽路を通っている。分量からも判るように、かなりの長編で、描写は具体的で、丁寧な和文である。交流した人々の実名が多く出るのも特徴である。

阿伏兎土産含笑舎桑田抱臍

三原図書館蔵の板本による。外題は「狂歌」と角書があり、内題は「吉備之後州阿伏兎磐台寺記行」とある。天明七年八月、「阿伏兎の月を見ん」と一人で赴く紀行文で、本文は和歌も有して平明な和文であるが、各丁の上部に欄を設けて、項目別に道中の名所旧蹟を案内記風に記して説明を加えている。また本文は五丁で終わり、その後は「吉備後国名所」として同国の名所を簡略に紹介する。挿絵も数丁あり、どの程度実用に供したかは不明だが、名所案内記風の瀟洒な一本である。

安倍紀行桑原藤泰

天保十四年、大坂への旅の途中、嶋田で知人の塚本孫兵衛を訪ねた 堂陳人が、かつて天保六年、孫兵衛の実家桑原家で孫兵衛の祖父黙翁(藤泰)が著した「駿河志」なる地誌を見たことを思い出し、黙翁が文化十年、同地誌作成のため巡行の際に記した紀行「はまつづら」を借りて抄録したもの。この地誌は駿城町奉行牧野靱負の計画によるものだったが完成はしなかったという。東海道付近の名所古跡について項目別に実態と由来を記したもので、内容はかなり詳しく面白い。ただし、筑波大学の写本(外題「はまつづらの抄」とある)は字が読みにくく、誤写も存する。「駿河叢書」六に所収されるが未見。

雨滝紀行衣川長秋

同じ作者の紀行「やつれ蓑の日記」の板本(九大・音無文庫)の末尾に、附録として附す。十行書、六丁。九月二十日に友人たちと雨滝という滝を見物に行った一泊旅行。旅は娯楽的傾向が強く、紅葉を見つつ酒を飲み、宿の主を夜中に起こして共に朝まで飲んだりする。和歌を交えた平明な和文で、滝の描写は一応あるが、それほど詳しくはない。七山のところで、貝原益軒の紀行をひく。

天石笛之記宮内嘉長・石上鑒通

無窮会神習文庫の写本(紺表紙、26.8×19.1cm。十行書、墨付二十丁、挿絵一丁)による。文化十三年、下総の銚子を訪れた平田篤胤が地元の弟子たちと近在の社寺を参詣中、古書に記す「天の磐笛」なる石の笛を、古寺の庭に転がっていた石の中から発見、和尚にかけあって手に入れる経緯を記したもので、師弟の交流の様子や、雨中の泥道を四貫余の石を抱いて、喜んで、先に行って心配していた弟子たちの後を追って来る篤胤の姿が生き生きと描かれ、読み物としての面白さも充分に備えている。作者二人は当時同行した弟子で、後に篤胤から、この一部始終を記すように言われて、筆を執ったものである。

有沢紀行集有沢永貞・武貞

金沢市立図書館加越能文庫蔵の、共表紙・仮綴、全九冊の写本である。金沢藩の兵学者として名高い、有沢永貞とその子武貞が、江戸詰めと国元での勤めの折りに往復した際の記録で、寛文十三年から享保十年にわたる。(第七冊のみは、将軍家綱の死去の様子を記した記録が大半を占めている。)走り書きのため判読はやや困難だが、文章はメモではなく整っており、内容も具体的で細かく面白い。時代が早いにもかかわらず、伝統的な主情的美文紀行の型を離れて、冷静で記録的な文体で綴っているのも、近世紀行として貴重な存在である。有沢一族については、矢守一彦氏「古地図と風景」(筑摩書房)に詳しい。金沢市立図書館には他に十五冊に上る「有沢永貞日記」も存しており、その翻刻と整理研究は、近世紀行文学研究に欠かすことのできない今後の課題であろう。

安永道中誌林子平

「新編林子平全集 4」(昭和54年刊 山岸徳平・佐野正巳氏編第一書房)に、林三喜子氏所蔵の自筆本で「道中誌」として収録。同書のあとがきに述べられるように、きわめて備忘録的なもので、行程等も確認できない。「四月廿四日発足小雨 一寓白石扇や文右衛門」などの記亊もあるが、大半は自他の和歌や人名などのメモである。

石海日記平守胤

無窮会神習文庫の写本一冊(茶に白の横縞表紙、23.3×16.1cm。九行書、墨付三十八丁。外内題共に「石海日記」)による。文政十年の春、長門を出発して石見に向かう参詣記で、和歌が多く、記事は明快だが簡略で、さほど面白くはない。

岩下方平旅日記岩下方平

東京大学史料編纂所蔵の写本一冊(茶色表紙、27.2×19.0cm。黒罫紙使用、十行書、二十五丁。朱なし)による。同所蔵の写本「岩下方平事蹟」によれば、作者は文政十年三月十五日、鹿児島に生まれ、慶応二年、藩主の命によりフランスへ渡り、同三年帰国して、その後明治四年には、大阪府大参事に任ぜられている。これは、そのフランス旅行の帰途で、七月にマルセイユを発し、九月に長崎に到着する船旅の記録である。簡潔な無駄のない文体で地中海からアラビア、インドを経て帰る途中の都市や海の様子を描いている。ラクダや砂漠のこと、嵐による難船、病で死んだ士官の水葬なども記され、当時を知る資料としても貴重であろう。

伊具知濃宇曽多田義方

国会図書館の板本一冊(茶色表紙、22.9×16.0cm。十行書、三十六丁。内題「伊具知廼宇曽」。表紙に正徳五年刊の旨の書き入れあり。末尾の刊記は「武江 彫工 吉田宇右衛門」とのみ)による。内容は、元禄七年の旅から始まって、東海道、吉野、高野、有馬入湯、大坂などと豊富である。喜多村寛慶の序文に「其見きける所をありのままにしるせるなるべし」と言うように、やや古めかしいが歯切れのいい、簡略な記述で、説明も具体的である。町の賑やかさも描いていて、時代は早いが近世的傾向は強い。

池上紀行梅屋主人

九州大学細川文庫の写本一冊(淡青に濃青の松葉模様表紙。12.0×19.1cm。八~十行書、墨付九丁、朱少々あり。外題「池上紀行」、内題「遊池上山本門寺記」)による。享保年間九月十日の本門寺参詣記。冒頭に「我宗ならねど、堂宇のあらたにつくられて、人のにぎあふところなれば、行て見んと」と記するように、宗教性は薄い。短編の小品だが、土地の人が芋を洗う川のことなど、庶民の生活にもやや触れており、風景描写も少しある。和歌と漢詩を、よく詠んでいる。

磯山千鳥堀秀成

「日本随筆大成」第一期四巻所収。慶応二年の春、熱海に入湯の折に記したものであるが、入湯記ではなく、「問屋」「旅宿」「雲助」「飯盛」「宿引」「茶屋」「旅人」の七項目をたてて、俳文風の流麗な文章で、その実体を描写したもの。旅の雰囲気をよく偲ばせる、一種の散文詩といってよい。

一立斎広重旅日記歌川広重(初世)

「近世文芸叢書」十二巻所収。天保十二年、江戸から甲府への旅。ややメモ風だが、歯切れよく面白い。食物のこと、宿のさま、土地の伝説など、よく記してある。甲府で、芝居の看板など描いているのもわかる。末尾に、天保十五年、嘉永五年の木更津行の紀行を附すが、これは短く、簡単である。

伊藤和義日記伊藤和義

「維新日乗簒輯」四所収。「文久三年日記」「登都道中日記」「萩行日録」「元治元年日記」「日記残闕」の五点である。土佐藩士で三条中納言の衛士となり、元治元年七月、二十一才で戦死した作者の漢文日記で、多く紀行部分を含む。「登都道中日記」は周防から出発して瀬戸内海の船旅だが、風向きが悪く、松山に吹き寄せられる。「萩行日録」は中納言の萩近辺の遊覧の際のものである。いずれも短く、記述も簡単だが、素朴な味わいがあり、この地方の紀行は、あまり多くないので、珍しい。

いとまの記石川近江守総茂

内閣文庫蔵本による。写本一冊。作者は常陸国下館の藩主で、綱吉・家重二代の将軍に仕え、寺社奉行、若年寄、御側御用人を勤めた(「寛政重修諸家譜」による)。これは享保十七年三月、六十二才の時、下館城を賜って、当地に帰国した紀行である。途中の道についても語られるが、何よりも、この作品の魅力は、作者の藩主としての領地での日常、領民らとの交流、過去の追想、講義をするほど熱心だった儒学に関する考察、などが飾りのない力強い和文で綴られる、日記的な面にあるだろう。九行書、七十三丁と、かなりの長編で、漢詩や和歌も多く入る。

いなむしろ奈佐勝躬

内閣文庫蔵本による。写本一冊。十行書、十二丁。外題に「奈佐勝躬真間国府臺紀行 いなむしろ 全」とある。安永四年冬、千葉の市川のあたりを散策した紀行で、優雅な和文で、土地の風景や、農家の暮らしぶりを綴っている。長閑で洒落た近郊紀行である。

啌も八百記行作者不明

東京大学洒竹文庫本(共表紙、仮綴の写本一冊。11.3×15.7cm。ほぼ十七行書、四十丁)による。外題に「東海道 中仙道 京都 大坂 幡州 啌も八百記行」と記するように、それらの方面を巡る紀行で、発句が主の走り書きである。各句の前書に、しばしば面白い内容もある。

卯の花かさね雨の屋隣春

無窮文庫神習文庫の写本一冊(茶色に赤色まじりの表紙。24.2×16.5cm。十二行書、三十五丁。表紙に「加藤雀庵自筆 江戸より参宮 天保十二年」の貼紙あり)による。天保九年、東海道から伊勢を経て京に入り、木曽路を経て帰る伊勢参詣記。軽妙で巧みな挿絵が入る。井上頼圀の末尾の朱書によると、作者の隣春は浅草田原町の丸屋という質屋の隠居、雀庵は藤の長房という俳諧師である。道中の風俗や伝説に興味を示す一方で、「更級日記」「枕草子」などの古典も引用し、路辺に咲く花にも目を注ぐ。内容が豊富な上に、文章も軽やかで巧みな、優れた紀行文である。作者の自序があり、紀行論を述べている。跋文によると、隣春の紀行を友人の雀庵が写したもので、挿絵は原本より省いたと言う。また末尾に、原本に挿まっていた、隣春の師と覚しき人の、この紀行の批評(語句の訂正など)を写している。これも紀行研究上の参考となろう。

有渡日記稲中庵黒露

無窮文庫の板本一冊(青表紙。22.3×16.1cm。八行書、三十五丁。刊記は、「江戸通本町三丁目西村源六板」とある)による。元文二年の「馬光演之」の跋文に、「我友の甲斐が根に雲遊して駿河なる有渡の郡に笈を荷ふ」紀行と言っているように、冒頭は「ことし卯月十七日甲亥、明ほののわか葉に残る有明も幽なるに、甲斐駿府の柴の戸引よせて旅たつ」と始まり、最後は江戸に入っている。歌仙の多い俳人紀行であるが、京都での「惣じて商人の東西南北に走る、此府の豊饒なる成べし」と述べるような観察もある。「風土記」なども引く。

うなひの囀今村楽

国会図書館本「土佐国郡書類従」百三巻所収のものによる。内題「うなびのさへつり」で、「寛政七年の秋今村のたぬし」と奥書がある。十行書、七丁と短い。冒頭「此国の東の海つらこそみまほしけれと、ほむたぬしのいさなひのまにまに、家よりいてたつは、長月とほかの日の事になん」と始まる、優雅な和文で綴られ、海辺の人々の生活なども描かれている。

馬の上鈴木道彦

「校註俳文学大系」七部集総覧編三所収。享和二年三月、江戸から足利学校を訪れた際の紀行。壺半、まさき、宇瓊の三名と同行。歌仙一巻を含む。短い作品だが軽妙な筆致で馬方と馬、村祭のさまなどを描いている。

駅路の鈴遠藤数馬

無窮会神習文庫の板本(青色表紙。折本一冊。23.0×9.5cm。題簽は剥落して外題は不明、内題はない。目録によって題とする。「安政五年二月 遠藤数馬高朗識」と奥書、「本郷三丁目 御印判版木師 中沢与兵衛」の刊記あり)による。東海道(江戸~関が原)から金沢への道を絵と文で道中記風に記している。実用的だが、記事は細かく面白い。作者が常日頃、「此彼の書によりて綴りおきし」ものを、主君が帰国の時、供の人が写させてくれと頼んだため、印刷したとある。

沿泝録白河藩勘定頭取

無窮会平沼文庫の写本一冊(共表紙、仮綴。21.1×12.8cm。表紙左肩に「沿泝録」、右肩にインクで「白川城黒川疏紀行文」とある。八行書、十一丁。朱少々)による。弘化三年夏五月、「黒川疏鑿潺功有査視命」をうけて出かけた時のもの。漢文の記録文であるが、川や周囲の風景について記している。那珂川のことなども詳しい。

遠遊草作者不明

刈谷図書館村上文庫蔵本(写本一冊。十行書の罫紙使用、二十一丁。「紀行詩卷」と合冊)による。岐阜の州股から大垣を経て、京都・大坂・明石などを巡って、桑名から佐屋に至る。漢詩のみで綴っているが、常套的な表現が多く、さほど面白いものはない。

往還蹤脇蘭室

「脇蘭室全集」所収。寛政八年、鶴崎から大坂への船旅と大坂滞在、更に京見物をして帰る紀行である。丁寧な和文で描写は細かい。瀬戸内の様子が詳しく、特に往路は風が悪く十七日もかかったため、長い。大坂では、難波人の話題は芝居と遊女のことばかりだと批判し、人混みを好まず、避けている。しかし、全体の筆致は明るく、楽しげである。

大熊言足紀行大熊言足

東京大学史料編纂所蔵本(奥書によれば、筑前の伊藤熊雄氏蔵本を明治廿年~廿一年に写したもの)による。文政六年春、伊藤常足らと共に吉野花見と伊勢参詣に出かけた紀行で、二月十一日に福岡の箱崎を発ち、小倉から船で大坂に行き京都・吉野・奈良・伊勢などを巡って、五月廿五日に帰宅する。国学者風の丁寧な和文である。伊勢で、ロシアに漂流して帰国した人に会って話を聞いたり、大坂の新町で遊興したり、らくだを見物に行くと作りもので失望したり、興味をひく記事も多い。帰途は船を適宜利用しながら、中国・四国の各地を見物、金比羅参詣も行っている。吉野では本居宣長の「菅笠日記」を引用しており、その影響が若干見られる。

大高源吾紀行大高忠雄

東京大学の写本一冊(表紙は後補のものか。白地に紫・緑・朱で草花や鞠や羽子板の絵を散らす。24.3×17.2cm。紀行は十行書、八丁。その後は「はまいさご」なる雑記など別書を付す)による。内題に「丁丑記行」とあるから元禄十年か。(主君浅野長矩の松の廊下刃傷事件は元禄十四年)内容は、主君に従って江戸から赤穂へ帰る折りの東海道紀行。発句を交えて簡明な記述だが、赤坂のあたりの農家の鹿や猿を田畑に入れないよう脅す仕掛けのこと、桑名での春日妙神祭の雑踏など、沿道の風俗をよく捉えている。文化六年、三秋園写の奥書を有する。

岡部日記賀茂真淵

有朋堂文庫「日記紀行集」所収。別名「東帰」。江戸から郷里の遠江に帰る紀行。各地で多くの書を引用して、地名や伝説などについて検討するため、やや固い印象もうける。しかし、旅の実体や風景の描写も的確に行っており、やはり重厚な名作と言うべきものである。

窟屋睨

無窮会図書館神習文庫蔵。写本一冊。12行書、26丁。内題は「寛保元年秋茸狩記行」。九月十一日に友人数名とともに、大坂か

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