宇宙風平和論
SF小説で、「平和」を考える
―ロバート・シェクリィって、ご存じですか?―
この人、SF作家です。ハヤカワ文庫で「人間の手がまだ触れない」っていう短編集が一冊出てます。その、冒頭しょっぱなの話が、定期的に妻をなぐり殺すことになってる(そして妻や女性たちもそのシステムにとっても満足している)どこかの星の話だったりするので、げっと思って敬遠する人もいるでしょうが、だまされてはいけません。(笑)そういう女性蔑視や人権無視とまちがわれそうな設定も時にあるけど、この人の短編はそういう冷たさや虚無感もただよわせながら、とても切なくて、優しくて、暖かい。
私が一番好きなのは、最後の「静かなる水のほとり」です。本のタイトルになっている「人間の手がまだ触れない」も、どってことない話ですけど、変に笑えて好きです。
それと、この本には入ってないのですが、よくあちこちで紹介されるので、ごらんになった方もいるかもしれない、「夢売ります」という、本当に数ページの話は、戦争の恐ろしさと悲しさをぎょっとする描き方で教えてくれます。
全文紹介したいけど、著作権にひっかかりそうなので、ちょっとかいつまんでの紹介にします。今、ネットで検索してみたら、民放で年末にドラマにもなったのかな?知ってる、って方もいらっしゃるかも。
「夢、売ります」のあらすじ
瓦礫の山の間の狭い道を通って、空地のすみのバラックへ、一人の男がやってきます。店の中にはオウムをそばの椅子にとまらせた、ちょっと怪しげな愛想のいい男がいて、小屋の裏の装置で何でもお好みの夢を見せてあげることができると言います。薬物は使わないし、現実そのもののリアルさだって。でも神経組織に負担を与えるから寿命は十年縮まるし、料金もすごく高い。訪れた男(ウェインさん)は全財産をカバンに入れて持ってきてるぐらい。とはいえ、ウェインさん、まだ決心がつかない。
店の主人のトムキンスは自分の研究は政府に禁止されているけど、政府の役人も夢を見たいからこっそり来るぐらいで取り締まりはゆるやかだと言います。人が心の奥深く、ひそかに抱いている自分にもわからない妖しい欲望を、夢の中ですべて実現できるのだと。ネロやシーザーやアレキサンダーにもなれるし、人殺しもできる。美女に囲まれて酒池肉林ももちろん。神にも聖人にもなれる。「そんなこと…」と反感や抵抗を示しながら、まじめなウェインさんもついひきこまれてゆく。もっとも、「お見かけしたところでは、あなたには南の島でおとなしい現住民と平穏無事な無事な生活を送るのがいちばん適当と思いますね」と言われて、「きみの方がくわしいようだ」と恥ずかしげな笑みを浮かべるウェインさんは、もうトムキンスに性格見抜かれてるようですが。
ここ読んでると、ずっと前に見た「サザエさん」の作者長谷川町子の中編マンガを思い出すなあ。一人の男の人生を優しい神様と意地悪な神様が、たがいに邪魔しあって変えていく話。離れ小島に漂流して一人淋しく死んで行く最期を与えてやろうとした意地悪な神様に対抗して、優しい神様は彼に家族を与え、そこそこ出世もさせ、妻子に囲まれた穏やかな死を迎えさせるのですが、その死の床で男がいわく「あ~、おれの人生は不幸だった。おれの夢は離れ小島でのんびり一人で一生を送ることだったのに」。ショックをうけた二人の神様は、「人間て、わからんな~」と首をふりながら肩を並べて去って行く…のがラストだったよな、たしか。ウェインさんも、なんかそういう、平凡なちょっと疲れたいい人っぽい。
「代償は十年の命か!こんなことのために!」と全財産の包みをかかえて、ため息ついたウェインさんは「お忘れなさい」とトムキンスに言われます。結局決心がつかず帰る道すがらも、この店のことが頭から離れない。列車が駅についても、家まで車を走らせる間も、トムキンスの話をちょこちょこ思い出す。
でも家に帰ると、奥さんがメイドの悪口を言うわ、息子はヨットの修理をせがむわ、娘は幼稚園のことを話すわで、そんなことすっぱり忘れてしまう。メイドに穏やかに注意し、息子のヨットにペンキを塗り、娘の話を聞いてやり、子どもたちが寝たあと奥さんと居間で二人になる。「心配ごとがあるの?」と妻が気にするが、ウェイン氏は「別に」と言ってあの店のことは話さない。妻は普通の家庭婦人で、男のひそかな欲望のことなんかわからないだろうと思う。翌日会社に行くと、中東やアジアで紛争が起こるかして株価が反応し、会社はてんやわんやで仕事に追われて、またまた夢の店どころではない。
そうやって、日が過ぎて行く。「週末には彼はトミイ(息子)とヨットを楽しんだ。古いヨットだが故障もせずよく走った。底部の継ぎ目から水の入るようなこともなかった。トミイはヨット・レース用の新しい服をほしがった。それをウェイン氏はきっぱりはねつけた。株が上がったら来年買ってやる。今年は古いので我慢しなさいと納得させた。」
えっと、このあとはちょっと原文引用。この雰囲気は私には出せん。
子供たちの寝しずまった夜など、彼はジャネットと二人きりでヨットに乗った。ロングアイランドの入江は静まりかえっていて涼しかった。ヨットは明滅するブイの間をゆっくりとまわると、金色の満月に向って走った。
「考えごとをしているのね」ジャネットがぽっつり言った。
「やめてくれ、たのむ!」
「どうして隠すの?」
「なんでもないよ!」
「ほんとう、うそつかないわね?」
「ああ、うそじゃない」
「それじゃ、わたしを抱いて。それがいいわ……」
ヨットはしばらく舵手なしで走っていた。
欲望と満足……そのうち秋がきた。ヨットはしまわれた。株式市場はふたたび堅調をとりもどした。ペギーがハシカにかかった。トミイは普通の爆弾と原子爆弾、水素爆弾、コバルト爆弾などニュースに出てくる爆弾との違いについて質問してきた。ウェイン氏は知識を傾けて説明してやった。メイドはいきなりやめて出ていった。
ひそかな欲望の方もなんとかうまく処理されていた。人殺しや、海の島での生活を望んだとしても、そうは簡単にできない責任がある。なによりも、かれには育ちざかりの二人の子供と最愛の妻があった。それでもクリスマスぐらいにはなんとかなりそうだったが……。
冬の最中のことだった。漏電による失火で客用寝室が焼けた。消防士が迅速に消火に当ってくれたので、ボヤ程度で消しとめた。だれも怪我はなかった。それにとりまぎれて、しばらくはトムキンスのことを忘れていた。寝室の修理が先決である。ウェイン氏は古くとも造りのしっかりしたこの家には愛着をもっていた。
世界は国際情勢の悪化につれ変動していた。ソ連、アラブ、ギリシャ、中国と情勢が不穏であった。大陸間弾道弾、原爆、人工衛星……。
ウェイン氏はオフィスにこもりきりだった。残業で夜おそくなることもある。トミイがオタフクカゼにかかった。屋根の一部を修理する必要があった。やがて、ヨットを浮かべる春を想う頃になった。
こうして一年はすぎた。かれはひそかな欲望のことを殆(ほとん)ど忘れていたことに気づいた。来年にはひとつやるか。とかくするうちに―
「いかがでした?」トムキンスが訊いた。「満足されましたか?」
「うむ、よかった」ウェイン氏はそういうと、椅子から立ちあがって、額をぬぐった。
「払いもどしを要求されますか?」
「いや、楽しい夢だったよ」
「みなさんがそういわれます」トムキンスはオウムにみだらなウィンクをして、「どんな夢でした?」
「このあいだまでの生活の夢だ」ウェイン氏は名残り惜しげにいった。
「ほとんどの方がそうです。そこでひそやかな欲望を満足されましたか?人を殺しましたか?それとも南の島で?」
「それは口外できぬ」ウェイン氏は楽しげに、しかしきっぱりといった。
「みなさん同じことをいわれます。わたしがうかがっても仕方ありませんが」トムキンスはすねたようにいった。
以上、引用です。以下はまた、私の文章。
ウェイン氏は「それはそういう世界を自分だけのものにしておきたいからだろう。悪気はないのだ」とトムキンスをなぐさめ、夢の世界を永久化することはできないのか、その可能性はないのかと聞き、トムキンスは努力していますが、なかなか難しくて、と答えます。
もうおわかりと思いますが・・・ウェインさん、店から帰っちゃいなかったのです。そのまま、トムキンスの装置にかかって、夢を見たのです。雑多な家事や仕事に追われ、ありふれた日常が続く妻や子どもたちとの暮らしを。「このあいだまでの生活」を。で、それは今どうなった?
代金を払おうとウェインさんは包みを開ける。出てきたのはコンビーフの缶詰とナイフ一本と靴一足と銅線二巻。それでもトムキンスは目を輝かせて「けっこうです。ありがとうございました」と言う。それがウェインさんの全財産、それが「法外な料金」。
ウェインさんは店を出て、瓦礫の道を戻って行く。瓦礫の山はこの空地だけではありませんでした。それは地平線まで続いていて、都会や樹木の残骸の間に人の骨と肉だった白い灰がまざっている。腕につけたガイガー測定器を使って、ウェインさんは放射能の少ない道をさがしながら、夕方のじゃがいもの配給に間に合うように、ねずみたちが来襲する前に、シェルターに戻ろうと急いで歩いてゆく。・・・ってところで、お話おわり。全部で十ページもあるかないかです。
つまり、大きな核戦争が起こったのでしょう。そして世界は壊滅し、人類の多くも滅びた。ウェインさんの妻のジャネットも息子のトミイも幼い娘ももう死んだ。家も会社も暮らしももうない。
そうやって消えた世界、ウェイン氏がそこから逃げ出そうとしているとばかり思って読者が読んでいた、平凡でささやかで退屈な毎日が、実はもう二度と帰らないもので、ウェイン氏が十年の寿命と全財産を犠牲にしてでも、もう一度だけ味わいたかった夢とわかって読み直した時の、その世界の、何という輝き、なんという美しさ。
私たちの周囲に今ある、私たちが護らなければならない世界とは、こういうものではないのでしょうか。
そして冷やかな作者は巧みに、その美しい平和で平凡な日常の描写の中に、迫り来る戦争の影を示しています。核爆弾の話を息子にしてやり、遠い国の紛争で動く株価に忙しい思いをしながら、ウェイン氏がそれがもたらすものに気づかず、世界の動きに関与せず、戦争をくいとめる努力をしなかったことも、そこからは読みとれます。私たちにウェイン氏を批判する資格はない。けれど今、私たちが見ている何だかだ言ってもささやかに幸福な日常は、ウェインさんが夢で見た過去と、あまりに似てはいないでしょうか。
「体形」のあらすじ
それと、今日、久しぶりにこの本を読んだら、前にはそれほどでもなかった二つの話に息苦しいほど感動しました。下手すりゃ涙が出そうなほどに。
ひとつは「体形(Shape)」、ひとつは「専門家(Specialist)」。
「体形」の方は、(以下ネタばれですから、読んでない人はご注意)どっかの星から、地球征服をねらった宇宙船が来るんです。その星は周囲の星を征服しまくって領土を広げてるんですが、エネルギー源がとぼしくなり、「転位器」というのを地球に持ち込んで設置して、原子力のエネルギーを自分の星に流してしまって使おうと計画してます。同時にその転位器で自分の星の兵隊もじゃんじゃん送りこめるから地球を制覇できるというわけ。(かなり古いSFなので、あちこち間の抜けた設定もあるけど、気にしないで下さいませ。)
ところで、この星の生物なんですけど、形が決まってないんです。「ターミネ―ター2」に出た、液体窒素だか何だかのあの警官に化けてたやつみたいに、どんなものにでも姿を変えられる。だけど、法律があって、「操縦士」「探査士」「思索士」みたいな仕事に適した体形しかとっちゃいけないことになってて、誰もがそのどれかにならなくてはなりません。しかもその仕事って、世襲制です。
小説だから、その体形がどんなもんなのかはわかりません。ただ、その仕事にふさわしい体形で、それをきちんと保っておかなきゃならない。でも、意識が低い下層階級とかでは、ともすればすぐ体形をくずしてしまうし、「決まった体形なんかなくていい」という過激な思想を唱える者もいて、政府は苦労しています。
主人公はピッドなんて人間みたいな名の「操縦士」なんですが、まじめな性格で寝る時でも体形を崩しません。彼は二人の部下を連れて地球に向かうのですが、その二人はどっちも、ちょっと体形を崩したがる危険な傾向があると、上官から注意されています。「どうしてそんな者をこんな大事な任務に使うのですか」とピッドが聞くと、上官は「そうなんだけど、二人は機転がきいて融通がきくから、こういう任務に向いているからしかたがない。どうしてこういう危険な傾向の者に、こういう才能のある者が多いのか不思議なのだが。なんとも悩ましいことだ」とか言います。
だんだんもう、このへんから既に苦笑しちゃうんだよなあ。わが教育大学で、荒れた学校現場に行ったらとてもちゃんとやってくれそうな学生に限って、採用試験に落ちる。それ以前に受けない。そんな現状もほろにがく、かみしめてしまう。
それはともかく、これが困難な任務というのは、これまで何度も実は地球にそういう部隊を派遣してるのですが、帰ってきた者がまったくいないのです。だからきっと、すごく危険な何かが地球にはあるんだろうと思われるわけです。
これもね、「エイリアンの目から見たら、どこがこの地球は危険なのだろう?」とか考えたりすると、けっこう楽しい。いや~、ちょっと難しいかもしれないけど、これ中高ぐらいの学校の教科書にしたらいいのにな~。授業計画たてられるよ~。
宇宙船は何のことなく無事に地球に着き、悟られないように船はすぐ破壊溶解して消してしまうのですが、ピッドはそれがつらい。実は彼が体形を崩さない現在の自分の星の法律、制度に満足してるっていうのも、彼は操縦士という仕事が好きでたまらないからなんです。それ以外の体形になって、それ以外の生き方することなんか思いもよらない。
でも、上官が注意してくれた通り、部下の二人はなんかヤバくて、すぐだらだらと体形を崩して溶けたりしそうになるので、ピッドはそれに目を光らせながら、転位器を設置しなきゃならない原子力発電所に近づきます。このへんも何だか、え~かげんな部下や学生を引率してる上司や先生みたいで、身につまされるんだけど。
初めて見る地球は、彼らの星にくらべて、ものすごくもののかたちが多彩で種類も豊富です。そりゃ何しろ彼らの星って、生物の種類は8つしかないんですよ。でも本当は彼ら無定形なんだから、地球以上に雑多に多彩になれるはずなんだけどね~って、このへんも何だか切ない。
彼らはそれこそ、カップでも車でも銃でも犬でも猫でも人間でも、何にでも化けられるわけだから、「何に化けて入ったらいいだろう?」などと言い合って発電所の周囲で計画をねってたら、部下の二人がいなくなっちゃう。
前に派遣された部隊と同様、二人もまた消えた!?ピッドはあせって探します。えっと、そろそろ本当にネタばれかな。ご注意を。
結局、二人の部下は犬と木になっちゃってるんです。探査士だった隊員は、「この仕事は大嫌いで前から猟師になりたかった。この体形は狩りをするには最高だ。この星でなら幸福になれる。誰にも自分の好みに合った形が何かある。だから、この星は自分の星に征服されてほしくない」と言います。通信士だった隊員も思索士になりたかったからと言って、木になって満足している。そして、これまで地球に来た隊員も皆、この星の何かになって幸福に生きているんだと教えます。
まじめなピッドは怒って、一人で任務を遂行しようとします。そして転位器を持って、めあての部屋の近くまでしのびこむのに成功します。でも部外者が侵入したと悟られて、中から閉めたドアは人間たちにたたかれて今にも破れそうになっている。 それでも転位器のスイッチを入れれば、故郷の星から軍隊がなだれこんで来るから、もう大丈夫で任務は成功しかけてます。でもピッドはそこでもう一度、部下たちの話を思い出す。「何にでも好きなものになれるこの惑星」の魅力を。
でもね、問題は彼が操縦士ってことなんです。犬や木とちがって、人間になって宇宙船を手に入れて…なんて、そう簡単にかなう願いじゃない。自分の何より好きなことをする生き方は、この星にはない。そう思ってあきらめてスイッチ入れようとして、もう一度だけ彼は窓の外を見ます。
そして「あった~!!」と思うんです。
本当だったんだ、この星には誰の望みもかなえる体形がそろってたんだ、自分の望みを宇宙船を操縦する以上によくかなえる体形もちゃんと存在したんだ、そう思って彼は転位器を床に投げつけてたたきこわし、窓にかけよります。
その時ドアが破られて人間たちがかけこんで来る。でも部屋の中には誰もいない。人間たちが見たのはただ、大きな白い鳥が一羽、まだどこかぎごちなく、でもいっぱいに羽を動かして、向こうを飛んで行く小鳥たちのあとを追っていく姿だった・・・というラスト。
他愛もないといえばそうだし、自由主義の礼賛とも思えなくもないけど、でも、今、私がこの話にこんなに心を動かされるのは、前回のニュースで紹介した、香田さんや雨宮さんといった日本の若者たちの、「自分は何者なのか、自分に合った生き方は何か」を探している苦しさ、そういう模索に対してとても冷たい今の世の中を、切実に感じているからかもしれません。
「専門家」のあらすじ
もう一つの「専門家」は、もっと難しい。いや、話は多分こっちの方が単純なんだけど、スケールが大きくて内容が高度な分、イメージがしにくいかも。宇宙船が事故にあって、乗組員の一人が死に、その代わりができる種族が地球にしかいない(つまり人間)ってわけで、山中でキャンプしていた若い軍人をとらえて、何とか意思疎通させて協力を頼み、ついに彼も了承して宇宙船は首尾よく飛び立って行く、って話で、なあんだ、どうってことない、いくらでもどこかで聞いた話だ、と皆さん今、思われたでしょう?
そうなんだけど、それがね・・・
実はこの宇宙船、船自体が意志を持った生命体なんですよ。それもどっかで聞いたって?でも、それだけじゃなく、スィンカー(思考係)とかアイ(見る係)とかトーカー(話す係)とかフィーバー(食べ物補給の係)とかウォール(宇宙船の壁つうか外殻)とか、皆それぞれの役割分担があって、それに適した外見をしてる。壁は壁だし(でもかたちは意志で変えられる)、蜘蛛みたいだったり目の玉みたいだったり、とにかく、とことん専門化してる。そして宇宙船飛ばせるなら飛ばせるという仕事を、自然に協力し信頼しあって行っている。この関係は何といおうか、すごく哲学的な描写をしなくちゃならないわけで、でもそれがちゃんとできてるからすごい。
そして、これは珍しいことではないのです。どこでって、宇宙では。彼らの星が特殊なんじゃなく、おおむね宇宙ではこういう信頼と協力の体制がずっと自然に続いている。だけど、事故が辺境であったもんだから、誰もまだ知らない言ってみりゃ、ど田舎で、乗組員を調達しなきゃならなかったわけで、それで地球に来たのだけど、ここは宇宙の常識から見たら、すごく異常な形態の発展をした星だった。んだそうですよ地球人の皆さん。(笑)。「何かそんな気がしてたなあ」ってふっと言いたくなったりしてません?
死んだ乗組員ももちろん専門化した専門家(笑)だったわけで、その仕事とはプッシャー(推進係)でした。これがどんな仕事か作者ははっきり書いてませんが、これがないと宇宙船は加速できないのです。そして私たち地球人=人間は、元来プッシャ―族でして、その分野で他の専門家と協力して仕事をするために存在していたのです。なんですってさ。スケール大きい話じゃん。
でも他の種族が近くにいなかったせいか、この星(地球)のプッシャ―は独自の発展をして、本来他の種族がするはずだったことを、自分たちを無理に改造して自分たちでやってしまったり、または無機物を(金属とか)使ってそれをさせたりしてきた。そういう歪んだ方向でどんどん発展してしまった結果、本来のプッシュという仕事も忘れてしまい、孤独で疲れて無気力になってしまった。
プッシュが何だかよくわからんけど、妙になんとなく納得しそうになりません?
つかまった若い軍人の反応のひとつひとつに皆は驚きます。他者を信頼できないし、疑惑と恐怖に満ちている。戦争なんて誰もしたくないと言いながら、それがやめられるとは思っていない。
自分たちの星に戻って、宇宙のいろんな生物と会ったら、そこにはあなたと同じようなプッシャー族もいるし、淋しくないですよとかいろいろ説得するのですが、地球人は決断できない。彼は別に愛する人や家族はいないのですが、あまりとんでもない話だから不安なのです。何より、地球とはあまりにもちがう、宇宙では常識である調和と協力の関係を彼は理解できない。
おわかりでしょう?これって、すごく哲学的な話。高級で高度な、そして重要な話です。なのに、陳腐なほどにわかりやすいスタイルで描かれている。この地球人としてはとても健全で平凡な若い軍人の気持ちは、私たちは誰でもよくわかる。でも、トーカーやスィンカーたちの驚きやとまどいを共有している内に、悲しいぐらいしみじみと、苦しいぐらい痛烈に「私たちって、ひょっとして、何とゆがんでいるんだろう。ものすごく変なんじゃないだろうか。もっと思いきりちがった発想ってできないんだろうか。人間について、世界について、未来について」と感じてしまう。
軍人が承知しないので、皆は彼を解放します。無理にいうことを聞かせるということは、宇宙の常識では考えられないのです。たとえ、彼の協力がなかったら宇宙船は故郷に帰れず、アイもトーカーもウォールもスィンカーも皆、死ぬしかないとわかっててもです。
若い軍人はそのことに驚きます。そして、協力していっしょに行くことを決意します。でも、多分プッシャーの仕事というのは物理学者や哲学者のするようなことで、自分にはできないんじゃないかと危ぶみながら。でも、彼が皆と心を合わせたとき、宇宙船は発進し、光速の速さで飛び立って行く。彼はプッシャー族としての仕事がちゃんとできたのです。
ねえ、たまには、こういうスケールで、こういうことを考えましょうよ。(笑)
プッシャーって何なんだろう。私たち人間にしかできない、それをするために私たちが存在する、それなのに私たちが、しなくてもいいいろんなことをしている間に忘れてしまった、その仕事って。作者はそれを、決してはっきり書きませんが、「物理学か哲学」みたいなものと地球人である軍人に推測させています。深読みすると、この二つはそんなにかけはなれたものではないと作者は言いたいのかもしれない。
これも、今、この話が変に私の胸に迫るのは、日本の大学から文学部が消え、哲学や文学がどんどん軽視、無視されつつある状況があるからかな。そこにこの小説読むと、あらためて「すごく、ヤバいんじゃないの、この状況」と思います。宇宙が私たちに求めてるのは「プッシャー」としての役割なのに。人間にしかできないものなのに。それっていったい何なのか、もうちょっと考えてみた方がいいんじゃないの、絶対に。
SF小説って、こういうことが書けるんだ、と思ってしまいます。シェクリィはこの分野ではむしろもう古典といっていい、古い作家ですが、ここに描かれているテーマは少しも古びていません。かえって切実になっていますよね?
(2006.1.13.)