雑誌「柳かげ」随筆・Y村の選挙

(私の田舎の選挙について書いたもの。宮口準太郎は、もちろん私のペンネーム。「柳かげ」の執筆者はすべて私である。
もう六十年も前の実態だが、今につながるような話も多い。買収選挙のすさまじい実態もよくわかるし、そういう中で日本共産党の姿勢が今とまったくと言っていいほど変わらず、くそまじめで清潔なのに、あらためて気づかされる。
登場人物は今は皆亡くなっている。原文は実名だが、一応、すべて仮名に変えた。また、原文は読点や改行がほとんどないので、少しだけ加えてある。
この個人誌は、すべて鉛筆書きの手書きで、書き直したあとはほぼない。下書きを清書した記憶もないので、当時の私はこれらの文章をすべてぶっつけで書き下ろしていたのだろう。そのことにも少し驚く。)

随筆・Y村の選挙  宮口準太郎

村会議員の選挙が近づいて村が騒がしくなって来た。十人以上立候補しているが四人落ちるとかいうことだ。毎日々々車に乗った候補者が何かどなりながら近くの国道を走って行く。どなるといってももちろんマイクは使っている。聞いていると一人一人特徴があって面白い。
 「皆さん、お仕事ご苦労さまです。ご苦労さまです。」と田んぼで仂くお百姓に声をかけて行くのは共産党の池山候補の車である。落選第一候補と思われていたが失業者や人夫の票をがっちりにぎっているし、ああいうのも一人入れておいた方が村長をやっつけるのにいい―と思っている反村長派もあるので、案外当選するのではないかともこのごろでは言われはじめた。年よりはとにかく若い人達は共産党と聞いても別にびくびくはしない。入れたければ平気で一票入れる。そういうことを考えるとたしかに分らない。
  この池山候補、ポスターは一人手描きで(それも下手な字)、車も最初の日はなくて友人の党員久留正という人がバイクの後に候補をのせてマイクでどなって回ったという。ぜひその有様を見たいと思ったが、二日目にはどうくめんしたのかちゃんと車に乗っていた。ちょっとがっかりである。

「たびたびうかがっておそれ入ります。まことに失礼します。」といやに低姿勢なのは西清好候補の車。マイクを担当しているのはきれいな声の女性である。妻の妹とかで「本職だ」といっていた。といってもまさかアナウンサーではあるまいし―バスガイドかもしれない。
 この人の名がキヨヨシで他に尾田潔―キヨシと言う人がいる。他にも立候補者は久留が二人、佐藤が三人、佐藤の内一人の名は正二、別に末永正二という人がいるといった始末でややこしいことこの上もない。こういうことを考えると子供には特徴のある一度きいたら忘れられないような名をつけるべきかもしれない。それにしても西候補のこの低姿勢、当選した後も続くだろうか。
 松崎安次候補も女の人にマイクを受け持たせていたようだが、その女はあまり上手でなかった。きっとマイクを扱いつけていないのだ。

「皆さま、久本でございます、久本でございます、久本が最後のごあいさつにまいりました!」と悲痛な声をふりしぼって絶叫して行く車もある。後で聞くと「最後」ではなくて「再度」だったそうだが、そんなおだやかな感じじゃなくてどうしても「最後」みたいなムードだった。だいたいこの久本候補は昔Y村のごろつきで、今だってそれに似たようなものらしい。何でも字を書けないのだそうだ。それじゃそれをつぐなうぐらい人格者かというとそうでもない。つまり村長の子分で村会のとき村長の意見に賛成して起立するためだけの議員になるらしいのである。そういう候補は他にも大勢いる。皆村長の悪だくみだと僕の父はカンカンに怒っていつか言っていた。それにしたって起立するためだけに村会に出ていたら退屈でしかたがないだろうと思っていたら、数年前村長のやはり子分の末永八郎という人が会議中に居眠りして椅子ごと通路にひっくりかえったことがあるそうだ。やっぱりそうかと感心した。しかし通路に椅子ごとひっくりかえったとなると、これはよっぽど無器用ないねむり方をしたとしか思えない。僕らなど授業中にいくらいねむりしたってひっくりかえるようなことはない。また別の子分は字を書くどころか読めもしないので、いろいろ決算報告などが回されるといつもさかさまにして見ていたそうだ。そんな人達が村の政治をしているのかと思うと何やら背すじがうすら寒くなった。

子分からおしはかっても村長は立派な人物とは思えないが父に言わせると「もうめちゃくちゃなばか者」だそうである。建築会社の社長であるがその会社がひどいもので、たとえば先日中学校の体育館を百万円でうけおってたてた。でき上がってみるとその体育館には便所がない。文句を言われると村長は「そんなら便所はあと十万でうけおいましょう」と言ったそうだ。(するとばか者どころかなかなかぬけめがないことになる。)一事が万事それだそうだ。その前には自分の胸像をたてた。それも広場や公園にたてたら誰かがこわすか汚すかしれないので、自分の家の庭にたてて日夜ながめて喜んでいるそうだ。僕はもともとああいう銅像はどこにたっていてもきらいなので、村長のやり方などそこまで徹すればかえってごあいきょうだと思った。しかし父がいうには本来像などというものは本人が辞退しても他人が無理にたてて毎日掃除をしてやるべきものなのに、村長のはまるきりあべこべではないか、とのことだ。まあそれはそうかもしれない。もっとおもしろいことには村長は村の名士を集めてその像の除幕式をしたが、そのとき自分で自分の像に最敬礼したという。きっと記念碑とでもまちがえたのだろう。

村長はそのとき、自分の親戚か何かにあたる江端という歯医者の先生を招かなかった。その先生が「反逆者」であるというのである。なぜかというと、この前の衆議院選挙のとき、自分とちがった候補者の応援をしたからである。それくらいのことで反逆者とはいささか大げさな話だ。江端先生はそれでカンカンになり、いつもなら村長の運動をするのに、今度は反村長派の旗頭の久留護候補の推せん者になり、毎日車にのって村長の悪口をどなって回っている。こうなるともうどっちもどっちとしか言いようはない。田舎では―都会でもそうかしらないが―こういうばかばかしいような小さなトラブルが非常に大きく選挙にひびいてくるようだ。

その点、久留護候補は―僕らは気やすく「まもるさん」と呼んでいるが―人づきあいがうまいのか何か大変味方が多い。村の青年達が皆「まもるさん」をあがめているし、年よりの人達にもうけがいい。僕は村長やその子分はつきあったことがないからはっきりしたことは言えないが、「まもるさん」はたしかに立派な人である。うわさでは村長は「まもるさん」と、共産党の久留正さんが一番苦手とのことである。議論では村長は二人の敵ではないそうだ。しかしもちろん議論が下手な人が議論に負けたからといって、その人の意見がただちにまちがっているということにはならないだろう。

それにしても金がたくさん動くのには驚く。村長ははっきりした一票には千円、はっきりしないのには五百円払っているそうだ。うわさとばかりも思えない。それが昔は各部落に親分のようなのがいて、皆の票をまとめて候補者と交渉し、五百票なら五百票、きちんとわりあてて出していたそうだ。ところが今はそんなわけにはいかない。(ありがたいことに。)そんなに票をまとめることのできる人などいない。だからまたますます金がいるのだろうと思う。ある部落では三票に一万円もらった家族があるそうだ。と、すると一票三千円以上である。「昔は百姓はたばこ一箱で票を売ったが、このごろはそうはいかん」と候補者がこぼしていたそうだが、それにしても三千円はちょっと大きい。

田舎の村議選でこれなら都会のもっと大きい選挙はどうなるのだろう。しかもそれだけ金を使っても四年間議員をつとめれば、ちゃんともとはとれるのだそうだから人をばかにしている。(もっともそう計算どおりにつごうよくとれるものではあるまいとも思う。)松沼候補の事務所びらきに行った人が帰りにうちによって、いつもなら事務所びらきには酒さかなが出るのに今日はいやに質素だったとこぼした。僕がそれはお金を使わなくなったんだからいいことだよ、と口をはさむとその人はあわれむような目で僕を見て、坊っちゃん、あんたは何にも知らないからそんなことを言うんだが、今使わない分もためといて選挙の直前に票を買おうって寸法なんですぜと言った。選挙の前日となるともう皆大っぴらに票を買う。「まもるさん」も買う。「日本の政治って当分よくなりゃしないな。選挙からしてこれじゃあ」と僕がこぼすと「まもるさん」は「しょうがねえなあ、とにかく向こうがやることはこっちもしないわけにゃいかんし。皆がもっとずるくなって金をもらっても投票せんようになりゃいいんだがな」と言った。
 この頃になると候補者は少しノイローゼになるらしい。ある候補者は投票日の前日になると自分の妻まで信じられなくなり、「おっかあ、おめえ、明日誰に入れるんだ、誰に入れるんだ」と何度もしつこく聞くそうだ。(1964.3.29.)

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