嵐の夜か月の夜か
誰かが小屋の戸をたたく
追われています 助けて下さい
向こう岸まで渡して下さい
小さな村のそのまたはずれ
人も通らぬさびれた街道
その川沿いのちっぽけな家
わずかな道具と狭い畑と
ひっそり暮らす年老いた人
夢も理想も戦いも
今では遠い思い出となり
静かにすぎる安らぎの日々
そんなある夜に戸がたたかれて
追われていますという声がする
とらえられたら殺されて
最後の望みが断たれるという
この世の未来が消されるという
岸につないだ小舟も古い
はたして川を渡せるだろうか
追っ手は怒ってこの小屋に
火をかけ畑をふみにじるのか
うつらうつらと耳をすませば
声もノックも幻だったか
聞こえてくるのは川の音だけ
それでも時にひずめの音が
遠いどこかでとどろくような
追われる者と追う者が
次第にこちらへ近づくような
「川っぷちの小屋」へようこそ
幼いころから政治的社会的関心はいつもあった。
小説を読んでいれば、どうしたってそうなる。
学校の友人たちとは別に避けていたのではなく、他の話題が多すぎて、そういうことを話す機会がなかったが、家では母と天下国家を論じてばかりいたし、祖父と喧嘩もよくしていた。
大学でも就職後も卒業後も、常に何らかのかたちで政治的社会的活動はして来た。その一方で、それにどれだけ時間や力を割けばいいか、いつも苦しい選択をせまられた。
どれだけ自分が恵まれているのか、どれだけ未来や世界や弱者のために犠牲を払えばいいのかが、どうしても判断できなかった。
私が味方し、所属するのは、基本的にはいつも弱者で敗者で少数者だ。
それだけに、そんなところに集まってくる人たちは、とても無欲で高潔だ。
今、いっしょにそういった活動をしている人たちとのつきあいは快く、地域でも職場でも、最もすぐれた人たちと触れ合えているという実感があり、幸福感がある。
それでも、政治的社会的活動は、決して私の生きがいにはならない。
あくまでも、人間として果たさねばならない義務でしかない。あるいは強者として。勝者として。恵まれた者として。
だが、本当に、自分はそうなのだろうか?
川っぷちの粗末な小屋のような、ささやかな幸福と安定。
それを、世界や未来のために捧げなければならない予感と決意との間を、私は今も行ったり来たりし続けている。
それは、「情けあるおのこ」や「ぬれぎぬ」や「格差」にまつわって、私が考え、書きたいと思っている、人生最後のテーマでもある。
ラフな格差論
「私のために戦うな」で、自分の中の女性についてのさまざまな迷いに私は一つの結論を出した。それは私を限りなく生きやすくした。
だが、もう一つ、幼いころから私の中に存在しつづけ、整理できていない問題点がある。それは、「恵まれている者の怒り、不満、絶望」である。
このことについて語るのは、女性について語るのと同じぐらいに、微妙で危険で難しいと私は感じ続けている。
それでも、老後の、死ぬまでの課題の一つは、これを解決することだ。
この小論は、それのきっかけとなるであろう、とてもささやかな試みである。
これはまた、金時計文庫「ぬれぎぬと文学」、また未定稿「ぬれぎぬと文学」の中の「情けあるおのこ」とも、関連し、つながって行く問題でもある。
大学入試物語
ここに私が書いたのは数年前のことなのですが、今の大学の状況はこれよりもっとずっとひどくなっています。現在からふりかえったら、ここで私がぼやいてることなんて、ユートピアのように見えるかもしれません。
でも、変わっていないことも多いはずです。どうぞ少しでも、実態を知っていただきたいと思います。
九条の会関係
「むなかた九条の会関係」というのに入っています。毎月、近くの駅でビラを配ります。そのビラに、時々私が書く文章をまとめておきます。
実際には他のお知らせの記事と重なったので、配布しなかったものもあります。
古いものは使えないでしょうが、何かに利用できるようでしたら、どんどん転載して下さい。まるごとでも、一部分でも、いっさいご遠慮は無用です。このビラの文章に限っては出典明記も不要です(笑)。
また、旧板坂耀子喫茶室に書いたエッセイ等もとりあえず、ここに入れます。こちらも、いくらでも転載、引用可能です。
母と私の戦後
地域の女性の皆さんの集まりでお話したものです。まだいろいろと手を入れたいところもありますが、一応当日のままのかたちで、ご紹介しておきます。その後、出身大学のメールマガジンで連載していた、晩年の母との暮らしに関する記事も追加しました。
とみのさわコーナー
れっきとした近代文学作家の短編なのですが、あまりのシュールさに、私の研究室やその周辺の学生たちが、ぶっとんで喜んで、そのパロディを皆で競作した、という、ただそれだけのコーナーです。笑ってお楽しみ下さい。
「嫌韓流」をサカナにおしゃべり
マンガ「嫌韓流」がバカ売れしているというので買ってみた。結論。なかなかおもしろかった。これをサカナにおしゃべりしたいと、いろんな人に声をかけたが相手にしてもらえなかった(笑)。しょうがないから、ここでやります。
映画「ナチス 偽りの楽園」
「ナチス、偽りの楽園」という映画の感想ですが「風立ちぬ」の感想もまじっちゃってます。ごめんなさい。タイトルには長くて入れられませんでした。
共通するのは、芸術や科学や、そういう何かを愛した、すぐれた人の社会的役割…みたいなものかなあ。
映画と戦争
一時期、「ゆきうさぎ」のペンネームで、戦争を扱った映画を片っぱしから見ては感想をアップしていました。当然ながら陰々滅々たる話が多かったのですが、中でも「ノーマンズ・ランド」は強烈でした。残酷な場面があるわけではありませんが、戦争の愚かさと悲惨さにただ圧倒されました。絶対に見てほしい映画です。
小説「れくいえむ」
昔読んだときは、わりとありふれていると思ったし、それほど強い印象は残らなかった。
それが今、この年になって再読すると、その単純で清冽な魅力に完全にしてやられた。
さすがに芥川賞はあなどれないと、変な感心をする一方、これが絶版になって手に入らないという現状が、つくづくもったいないと感じた。早急な復刊を心から祈る。
地雷を踏む山羊
多分、十年以上前に書いた文章です。「大学入試物語」と重なるところもありますが、当時の、そして今はますますひどくなっている、大学の現状をごらんになるためにも、どうぞお読みになって下さい。 2019.2.9
福岡教育大学物語
「岬のたき火」の「きゃらめる通信」で連載していましたが、まとめて読みたいという声もあるので、別欄を設けました。大学や教育の現状を知っていただくだけでなく、国や自治体の民主主義について考える材料にもなればと思います。