中途半端のアドリブ1-児童文学は役に立つ
「源氏物語」でも、「平家物語」でも、「八犬伝」でも、読んでおくべき長編で読んでないものの内容を、簡単につかもうとしたら、児童文学のコーナーをねらうのがよい。私は、かつてゲーテの「ファウスト」を、(もちろん大人になってから)本屋の児童書で立ち読みして、あらすじを覚え、後に岩波文庫で読んだ。こういう児童文学は、著名な作家が名文で書き、よくまとめてくれているから、助かる。「汚さないようきれいに読んで、あとはリボンをかけて親戚の子にでもプレゼントすれば、無駄にはならない」と、私はよく学生たちにアドバイスしていたもんである。
もちろん、ちょっと注意しておくべきなのは、本学の工藤重矩先生が授業で指摘されるごとく、こういう児童文学(漫画、映画にも)には、その時代の思想が微妙に反映する。「三銃士」を下敷きにした「仮面の男」が民主主義的であり、光源氏を主役にした「千年の恋」がフェミニズムの視点で描かれると言ったように。それは気をつけないといけないが、しかし、それを割り引いても、筋をとにかくつかめるという便利さでは、児童文学にしくものはない。
もちろん阿刀田高や田辺聖子の古典ものもよいし、漫画の「あさきゆめみし」は平安文学の専門家にも相当に評判がいい。こういうものを利用して、あらすじを知り、それから本編を読むと、わかりやすい。
困るのが、児童文学にない本である。「曽我兄弟物語」は、いつの頃からか、まったくなくなってしまった。「太平記」も同様。この二つは江戸時代の人々にとっては、西欧の聖書やギリシャ神話にも匹敵する「常識」となっているのに、これを若い人が知る機会がないというのは惜しい。面白いのに。自虐史観じゃない新しい教科書を作ると言ってる人たちは、ついでにぜひ、「太平記」と「古事記」の児童文学の安くていい本を出版してくれないものだろうかと私は考えているのだが。
何かの月報で読んだのだが、森鴎外は教師をしている時、古典のあらすじを説明するのが好きでうまくて「森梗概」と呼ばれていたとか(うろ覚えなので、嘘かもしれない)。でも、あらすじってやっぱり大切だと思う。知らなきゃ話にならないから。それは、「ダイジェストでは絶対わからない。必ず原文で読め」ということと、どっちも同じぐらい真実なのだ。
それにしても誰か「失われた時を求めて」の児童文学、書いてくんないもんかなあ。