かまどの前で、語ってあげよう
昔の話を、古い歌を
今夜もかまどは、とろとろ燃える
炎の向こうに、昔が見える
昔の私の笑いが見える
昔の私の涙が見える
かまどの前で、語ってあげよう
今ではみんな、もうすんだこと
二度とかえらぬ昔の話
遠くかすかな古い日の歌
かまどの前で、語ってあげよう
かえらぬ昔の話だけれど
語る私のひとみは燃える
覚えておくれ、この物語を
誰も知らない、歌の数々
覚えて、そして、歌っておくれ
春の野原で、夜明けの浜で、
夏の広場で、ま昼の街で
「空想の森」へようこそ
趣味で書いた小説をはじめ、私のミーハー精神が生み出したもの、それを育てたものの数々です。お金が稼げる仕事としての、「研究の沼」の世界があったから、これだけ何の束縛もなく、好きなことだけ書けたのが、よかったのか悪かったのか。万人向けのもの、歴史に残りそうなもの、プロとしての高い評価をもらえそうなものを書こうとは、まったく思わなかったのが、私の強みでもあり、限界でもありました。
自分を理解し、指導してくれる人など、この世にはいないと初めからあきらめていました。誰かの声に耳を傾けることで、自分の何かを殺してしまう危険を冒すことはするまいと、小さいころから決めていました。自分の中にある何かは、それほど、もろくて、ひよわだと感じていたし、多分それはまちがいではありませんでした。
その結果、守り抜いて、残ったものが、ここにあります。弱々しくて、貧弱で、いびつで、未熟で、時に凶暴でも、醜悪でも、とにかく私が保ちつづけた世界です。最高にわがままに、最高にぜいたくに。
それだけでもう、満足し、感謝しています。もし他の誰かが同じように楽しんで喜んでくれたら、うれしいけれど、それはあまりに、過ぎた望みかもしれません。
なお、時に出て来る「じゅうばこ」「ゆきうさぎ」「キャラママ」は、すべて板坂が用いたペンネームです。時には対談までしていることがありますが、全部、同一人物なので、混乱されたら申し訳ありません。
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「クイック&デッド」の魅力
ラッセル・クロウという俳優を最初に見た映画の長い感想です。「グラディエーター」をはじめとした、彼の他の映画の感想といっしょにしてもよかったのですが、これは、かなりきちんと分析した上に、私の生き方や考え方の基本となる「暴力否定」「女性の権利」の二点について、詳しく述べてもいるので、あえて、特別に紹介します。
赤毛のアンの子どもたち
現時点では未完成です。私が最も愛した小説のひとつについて、ともに歩んできた、長い時間が生み出したもの。副題は「お帰りなさい、ウォルター」。おそらく、ここで私が指摘していることは、まだ誰も、どこにも書いていないことのはずです。
赤毛のアンと若草物語
教育学は完全に専門外なのに、2019年末の講演会で、現職の先生方を前にしゃべってしまった、文学と、個人的体験に基づく、かなり危険な部分もきっとある教育論。映画「侍の名のもとに」の感想とも関係があるので、そちらもぜひあわせてお読み下さい。
映画「侍の名のもとに」感想もどき
プロ野球には詳しくないし、関心もそれほどなかったのに、つい見に行って、つい書き始めたら、とんでもなく長くなった、プレミア12ドキュメント映画の感想もどき。私の専門の江戸紀行の研究や、「赤毛のアン」や「若草物語」にまつわった教育論ともつながるので、やめられなくなりました。野球に関心がある人も、ない人も、よろしかったらのぞいて下さい。また、これと関係する「赤毛のアンと若草物語」もぜひお読み下さい。
料理と暗殺
映画『ミュンヘン』の感想集です。気どったタイトルのわりに、芸がないのですが、当時の掲示板のおしゃべりを抜粋したもの。なお、じゅうばこ、キャラママ、ゆきうさぎなどのペンネームが出て来ますが、皆、板坂で同一人物です。
小説「散文家たち」
麗泉女子学院高校の演劇部につどう少女たちのめんめんは、絶対に嘘をつかないと皆に信頼され、迷信や不合理は断固として認めない大天使のような美少女朝倉京子、華やかで明るく「何かさせようと思ったら、それと反対のことをしろと脅迫すればよい」とまで言われる徹底的なあまのじゃく美尾さつき、大地の女神のように暖かくやさしい癖に、弱いものがいじめられると相手を許さない南条美沙、お掃除マニアの浅見司、食えないお嬢さま日村通子、などなどのいずれ劣らぬ曲者ぞろい。「現実ばなれしすぎてない?」などという文句はおっしゃらず、どうぞ笑ってお楽しみを。お好きな映画や小説を、彼女たちに演じさせるなら?とキャスティングもして、お遊びください。
雑誌「かまど」
今をさること五十年前、大学生のころ、手書きで「かまど」という個人雑誌を作っていました。インターネットやパソコンはおろか、コピーもまだ普及していない時代です。
肝心の日付を入れていないので、正確な日時もわからないし、表現も幼いものばかりですが、言っていることの骨格は今とほとんど変わらなくて、自分の成長や変化のなさに、むしろ愕然とします。若かったなとかいちずだったなとかいう種類の感想を、この時期に書いたものをふり返って、私はまったく持てません。恐るべし昔の自分(笑)。
というわけで、とても全部は無理ですが、今の私の見解や主張につながるものについては、ときどき少し紹介したいと思います。いわば私の古代史で、ラスコー洞窟の壁画みたいなものです。
雑誌「柳かげ」
「かまど」以前の高校時代に作っていた個人誌「柳かげ」の中から、今読んでも面白そうな記事を随時紹介して行きます。
「かまど」同様に、手書きで作っていた雑誌です。創刊号から第三号あたりまでは、特集記事などがあるからうるさいと、第四号から始まっているのも、高校時代の私のぐうたらぶりをしのばせます。タイトルは西行の「道の辺に清水流るる柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」からとったもの。「涼しげな木陰で一休みと思ったら、つい長くとどまってしまった」という気分で書いた記事のさまざまです。