民教連サークル通信より三月の顔

誕生日は十一月なのに、昔から三月が好きだった。
春も四月になると、間のびしてきて眠くなる。まだ寒さが残り、枯れ草の中に濃い紫のスミレがのぞき、冬と春とがせめぎあって、どことなく不安定な三月の方が心おどった。
小学校に入ってから後は、三月は一年間過ごした教室や先生や友人と別れる月にもなったけれど、それは全然悲しくなかった。私はいつも自分が人間に化けたトカゲかキツネのような気がしていたのかもしれない。人間は好きだった。でも、しっぽもうろこも見せないで過ごして行くのは骨が折れた。無事に一年終わるたびに、また本性をうまく隠し通して皆を首尾よくだましたという達成感に酔いしれた。

教師になってからは、学生の前ではびびっていても泰然自若、激怒していても春風駘蕩、疲労困憊でも意気軒昂、隠隠滅滅でも明朗快活でいなければならないから、ますますしっぽやうろこ隠しに磨きがかかった。あたりまえだが、長年中学校の教員だった友人は、もっと自然体で素直に本心を生徒たちに見せていたから、教師が皆こんなわけではない。
自業自得でもあるのだが、こんなことをしている分、私は卒業式が終わったとたんにぶちきれて、もう先生のふりなどしてられっかと、一人で開き直るのが毎年恒例の年中行事だった。一度はいきなり、そのまま車を運転して、仙台まで突っ走ったことがある。東北大学の図書館に見たい資料があったので、せっかくここまで来たのだしと、せめてそれを見ていたら、三月と言えば仙台はまだ寒く、いつか図書館の窓の外は雪になった。あわてて引き上げたが、チェーンもつけてない車で、ろくに知らない高速道を吹雪の夜に走ることになり、生きた心地がしなかった。ものすごいスピードで走る巨大なトラックに前後左右をはさまれる中、わりとゆっくり走る一台を見つけては、必死でぺったりその後ろにはりついて行くのだが、そういうトラックは休憩しようとしているので、すぐにすうっとパーキングエリアに入ってしまう。私はまた猛獣の群れの中のウサギのように、びゅんびゅん飛ばすトラックの間を走り続けるしかなくなるのだった。

思えばそれは大学がまだのんきな時代だった。定年前の数年は大学改革と入試改革のおかげで、二月から三月は周囲をたぶらかした達成感も、ぶちきれる余裕もない忙しさになり、四月になって新学期が始まったとたんにほっとして、仕事が皆終わったような気になるという不思議な感覚を毎年味わった。おまけに二〇〇〇年のミレニアムに、金色と白のふかふか太った私の愛猫キャラメルが白血病になり、お医者さんからひな祭りまでもつかどうかと言われたのを、そう律儀に守らんでもと思うぐらいの三月二日の朝、死んでしまった。春の花がいっせいに咲きそろう中、彼の墓に入れたストックと金魚草の甘い香りとともに、三月は彼を思い出す季節にもなって、ますますさまざまな、あれこれの感情に、にぎやかに満たされている。

最後に、これはあちこちで何度も言ったり書いたりしたが、大人になってからの三月は、さまざまな友人知人の仕事や進路が決まる時期でもあった。よい結果や悪い結果が、誰の上にもそれぞれにあった。その中で、当人からも回りからも、ふだんのその人からは想像もできない、思いがけず冷酷なことばや、みっともないふるまいを見聞きすることがあった。
五月や十月にカッコよく強くなるのも、八月や十二月に細やかに優しくなれるのも簡単だが、三月に強い人は本当に強く、三月に優しい人は本当に優しいということを、肌で感じ骨身にしみこむ真実として、いつか私は知るようになった。

(2018年3月)

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