情けあるおのこ

その一 理解ある警吏たち

1.それはいけない、崋山さん

杉浦明平の「渡辺崋山」を読んでいて、ラスト近くの裁判場面で「あ、いけないいけない、崋山サン、それはいけない」と、声に出して言いたくなったところがあった。崋山が自分の罪を認めることになる言い回しの供述書に妥協して署名してしまう場面である。
その表現の文章には気をつけて、絶対に承認してはいけないことは、友人たちから言われていて、崋山もよく知っていた。それでも署名してしまったのは、監獄生活で疲れているとかいろいろ理由はあるけれど、何より大きな原因は、裁判官の一人がとても良心的な人で、せいいっぱい崋山のためにはからってくれていて、そのために自分もいろいろな圧迫をうけつつ、それでもがんばってくれているのを崋山もよく知っていて、それで「どうせ勝つみこみもないのに、これ以上この人に迷惑はかけられない」という気持になるわけなのである。
痛いほどよくわかる気持だった。だからこそ「そこっ!危ないよ!」と私は叫びたくなったのだ。私にはまた痛いほど、苦しいほどよくわかっていたから・・・そこでこそ、妥協しないでいなくてはいけないと。たとえ、良心的なその人に、どんなに迷惑をかけようと。最後には、その人も敵に回すか、・・・徹底的に味方にして自分と同じほろびの道をたどらせるか、そのどっちかになったとしても。

2.鉄条網のこちら側

大学生活のおわり近く、オ-ルナイトだったか一日ぶっ通しの上映だったかで映画「人間の条件」全五部の一挙上映を見た。当時、私はかなり孤独でニヒルな気分で、いわゆる人間的なものに感動するにはきわめて不向きな状況だった。それでも特に第一部にはショックにも似た感動を受けた。小説を読んでも感動はそれほどではなかったから、原因の大半は小林正樹監督と宮口精二の名演にあったのかもしれない。
主人公の梶は日本の帝国主義の誤りをよく知っている良心的なインテリである。中国人捕虜をこき使う労務管理の一員でありながら、せいいっぱいの良心をもって彼らのためにつくそうとする梶は、捕虜たちの待遇を改善し対話を重ね、そのかわりに脱走はしないでくれと頼む。だが宮口精二扮する捕虜の指導者王享立は、梶の好意をうけいれる一方で、平然と彼を裏切りつづけて次々に捕虜たちを脱走させ、梶を窮地に追い込むのだ。別に悪人ぶりもせず、苦しげでもなく。淡々と、落ちついて。
とりわけ私が、息をのむほど驚いたのは、捕虜たちの不当な死刑が決定され、それを阻止するあらゆる手段がとざされて絶望の中、迷い抜いた梶がさまよい歩いてきた鉄条網の向こう側で、王が静かな熱のこもったことばで彼を励まし、人間としての生き方をつらぬくことを強く勧める場面だった。言われているせりふは、とおりいっぺんの正義論であったかしれない。だが、それを、あれだけ不誠実を梶に対してつらぬきとおした王が、毅然として言ったことに、本当に息がつまった。
なぜ、あれほどに感動したのか。驚いたのか。白黒の画面に陽のひかりがみち、シネスコ-プの広い画面いっぱいを、ななめに横切った鉄条網の針金と、その向こうから梶を見送る王享立の顔と陽に照らされた白い衣を、私は今でも忘れないが、あの時の感動と驚きが何だったのかということは、本当はまだ私自身にも充分わかっていない気がする。

3.番人たち

私の大学の卒論は「平家物語」がテ-マだった。今それを読みかえすと、その中に「虜囚場面・刑死場面にみる『情ある番人』と支配者」という一節がある。学生のころだけあって、引用も叙述も律儀で長ったらしく、読んでいて退屈だが、以下にあげてみたい。

敗者もしくは、それと同等の弱者が、囚人として幽閉され、護送される過程を描いたものが、平家物語中には多い。(略)ここでは、敵側として場面に登場するのは護衛の兵士たちであって、彼らと囚人との関係は、大体において友好的である。保元物語の為朝の様に、護送の武士を馬鹿にする傍若無人な囚人は、「文覚被流」(巻五)の文覚だけで、他にはない。又、太平記で、日野資朝を息子に会わせぬまま斬った本間入道の様な護衛の兵士もいない。実は鹿谷の変の後の、成親父子に関しては、「阿古屋之松」「大納言死去」(ともに巻二)等で無情な番人を登場させる余地が充分ある。現に源平盛衰記では、成親を殺した僧の娘が、その呪いで狂死したという挿話がある。しかし、平家物語の作者は、殊更その様な番人の非情さの強調を避け、例えば「大納言死去」でも、番人の行動を(見方によっては相当冷たい行動だが)次のように描写する。
「信俊これ(成親の妻の手紙)を給はて、はる/\と備前国有木の別所へ尋下る。あづかりの武士難波次郎経遠に案内をいひければ、心ざしの程を感じて、やがて見参にいれたりけり。(略)かくて四五日過ければ、信俊『これに候て、最後の御有様見まいらせん」と申ければ、あづかりの武士難波次郎経遠、かなうまじき由頻に申せば、力及ばで、『さらば上れ』とこその給ひけれ。」
これに類する場面は、「阿古屋之松」(巻二)で、瀬尾兼康が囚人成経の問に偽りを答えて恨まれる場面、「法住寺合戦」(巻八)で、幽閉されている法皇に長教が会うのを、出家後やっと許す武士達を描く場面等であろう。しかし、これらにしても兵士達や兼康の行為を正面きって非難してはいない。そして、次の様な場面になると番人達は、囚人の同情者としての役割を持つ。
「(成親が)『縦重科を蒙て遠国へゆく者も、人一人身にそへぬ者やある』と、車のうちにてかきくどかれければ、守護の武士共も皆鎧の袖をぞぬらしける。」(巻二「大納言流罪」)
「(成親は)『若此辺に我方さまのものやある。舟にのらぬ先にいひをくべき事あり。尋てまいらせよ』との給ひければ、其辺をはしりまはて尋けれ共、我こそ大納言の方と云者一人もなし。『我世なりし時は、したがひついたりし者共、一二千人もありつらん。いまはよそにてだにも、此有さまを見をくる者のなかりけるかなしさよ』とて泣かれければ、たけきものゝふ共もみな袖をぞぬらしける。」(同上)
「(宗盛は)よるになれども装束もくつろげ給はず、袖をかたしゐてふし給ひたりけるが、御子右衛門督に御袖をうちきせ給ふをまもりたてまつる源八兵衛・江田源三・熊井太郎これをみて、『あはれたかきもいやしきも、恩愛の道程かなしかりける事はなし。御袖をきせ奉りたらば、いく程の事あるべきぞ。せめての御心ざしのふかさかな』とて、たけき物のふどももみな涙をぞながしける。」(巻十一「一門大路渡」)
次の様な場面では、囚人が番人を、相手役として語っている。
「大臣殿、若公の御ぐしをかきなで、涙をはら/\とながひて、守護の武士どもにのたまひけるは、『是はをの/\きゝ給へ。母もなき物にてあるぞとよ。此子が母は是をうむとて、産をばたいらかにしたりしかども、やがてうちふしてなやみしが、(略)七日といふにはかなくなりてあるぞとよ。此子を見るたびごとには、その事がわすれがたくおぼゆるなり』とて、涙もせきあへ給はねば、守護の武士共もみな袖をぞしぼりける。」(巻十一「副将被斬」)
次の場面では、番人は囚人の希望を、同情をこめて許可している。
「三位中将守護の武士にの給ひけるは『此程事にふれてなさけふかう芳心おはしつるこそありがたううれしけれ。同くは最後に芳恩かぶりたき事あり。我は一人の子なければ此世におもひをく事なきに、年来あひぐしたりし女房の、日野といふところにありときく。いま一度対面して、後生の事を申をかばやとおもふなり』とて、片時のいとまをこはれけり。武士どもさすが岩木ならねば、おの/\涙をながしつゝ『なにかはくるしう候べき』とて、ゆるしたてまつる。」(巻十一「重衡被斬」)
この様な「情ある番人」が最もよく登場するのは、重衡・宗盛・六代御前の虜囚場面においてであり、それも、各々、土肥実平・義経・北条時致という人物に、集中していく傾向がある。「さすが岩木ならねば」「たけきものゝふなれども情あるおのこなれば」「『なじかはくるしかるべき』」「『何事か候べき』」「『子細あるまじ。とうとう』」等の類句が多用される。ここでは重衡対実平の例をあげておく。
「三位中将の年ごろめしつかはれける侍に、木工右馬允知時といふものあり。八条女院に候けるが、土肥次郎がもとにゆきむかて、『これは中将殿に先年めしつかはれ候し某と申物にて候が、西国へも御共仕べきよし存候しかども、八条女院に兼参の物にて候あひだちからおよばでまかりとゝまて候が、けふ大路でみまいらせ候へば、目もあてられず、いとおしうおもひたてまつり候。しかるべう候者、御ゆるされを蒙て、ちかづきまひり候て今一度見参にいり昔がたりをも申て、なぐさめまいらせばやと存候。させる弓矢とる身で候はねば、いくさ合戦の御供を仕たる事も候はず、たゝあさゆふ祇候せしばかりで候き。さりながら、猶おぼつかなうおぼしめし候者、腰の刀をめしおかれて、まげて御ゆるされを蒙候ばや』と申せば、土肥次郎なさけあるおのこにて『御一身ばかりは何事か候べき。さりながらも』とて、腰の刀をこひとていれてげり。(略)中将なのめならず悦て(内裏の女房への、知時にことづける文を)やがてかいてぞたうだりける。守護の武士ども『いかなる御ふみにて候やらん。いだしまいらせじ』と申。中将『みせよ』との給へば、みせてげり。『くるしう候まじ』とてとらせけり。(略)知時(女房からの返事を)もてまいりたり。守護の武士ども、又『見まいらせ候はん』と申せば、みせてげり。『くるしう候まじ』とてたてまつる。三位中将これをみて、いよ/\思ひやまさり給ひけん、土肥次郎にの給ひけるは『年来あひぐしたりし女房に、今一度対面して、申たき事のあるはいかゝすべき』との給へば、実平なさけあるおのこにて『まことに女房などの御事にてわたらせ給候はんは、なじかはくるしう候べき』とてゆるしたてまつる。(略)」(巻十「内裏女房」)
この様に、護衛の兵士達の冷酷さを強調せず、「情あるおのこ」として描き、囚人の孤独を際立たすより、慰める存在にしたのは、弱者や敗者を絶望的な立場に追い込んで、醜い人間性をむき出しにするといった描写を好まない作者の、一貫した傾向によるものであろう。必ずしも、平家の囚人の場合だけに使われる手法ではないから、源氏への好意による描写とは、一概にいえまい。この様な、本来は勝者側の人間でありながら、囚人を理解し、共感を持つという護衛の武士の描写が、最も発達した典型として「千手前」(巻十)の千手の像があると思う。千手像の本質は、例えば内裏女房や牛飼三郎丸の様に、以前囚人と関係があった者というより、本来遠い存在の筈が、身の回りの世話をして行く内に囚人に親しみを感じはじめる護衛の武士達に近い。
しかし、実は、この護衛の武士達の立場は微妙なものの筈である。かつては戦場で戦った相手への気持のこだわりはさておくとしても、護送の役目がある以上、囚人に油断する事は許されないし、又いくら同情しても、囚人の運命を、自分の手でかえ得るものではない。いわば敵でも味方でもなく、相手に関する一切の権利を持ちながら、しかも何一つ権利を持たぬのが彼らなのである。囚人の運命を握っているのは結局は彼らの主君であり、彼らも又、その主君の意志は決して無視できない。仮に場面に登場しなくても、それらの主君の意志は、常に場面を動かす一要素をなしている。虜囚場面でその様な役割を持つのは、主として清盛と頼朝である。義経も部分的にその役割を持つ事もあるが、彼自身の意志か頼朝の意志か明確でなく、義仲がその様な存在として描かれる事は、虜囚場面では、ない。この様な、囚人と、護衛の武士と、主君の意志との三者の関係が強調される虜囚場面には、「法皇被流」(巻三)で、宗盛が清盛を恐れて法皇の伴をしない場面、「厳島御幸」(巻四)で、上皇が宗盛に「法皇に会いたいが清盛の許しをうけなくては駄目か」と尋ね、宗盛が涙を流して「何条事か候べき」と許可する場面、「六代」(巻十二)で、北条が六代に、頼朝の許しがないから、と涙ながらに死刑の宣告をする場面、「戒文」(巻十)で、義経が重衡の出家の願いを、頼朝の許しがないからと拒否する場面等がある。重盛が成親に助命を約す場面(巻二「小教訓」)、義経が宗盛を同様に慰める場面(巻十一「腰越」)等も同様である。最も有名なのは、次の場面であろう。
「入道、猶腹をすへかねて『経遠、兼康』とめせば、瀬尾太郎・難波次郎まいりたり。『あの男とて庭へ引おとせ』との給へば、これらはさうなうもしたてまつらず、畏て『小松殿の御気色いかゝ候はんずらん』と申ければ、入道相国大にいかて『よし/\、をのれらは内府が命をばをもうして、入道が仰をばかろうしけるごさんなれ。其上は力及ばず』との給へば、此事あしかりなんとやおもひけん、二人のもの共立あがり、大納言を庭へ引おとし奉る。其時入道心ちよげにて、『とてふせておめかせよ』とぞの給ひける。二人の者共、大納言の左右の耳に口をあてて、『いかさまにも御声のいづべう候』とさゝやいてひきふせ奉れば、二こゑ三声ぞおめかれける。」(巻二「小教訓」)

ここで私が記している平家物語の番人たちの優しさは、この作品全体の性質ともかかわるもので、真実を描くことよりも、読者に生きて行く方法を示し、救いを与えることを優先しがちな傾向によるものと、当時も今も、私は考えている。更に付け加えるならば、大勢の人がたずさわり、聞き手が同時に作り手ともなる中で成立していったことが予想される平家物語では、さまざまの立場の人たちが、それぞれの立場を説明し弁明し美化することがあったはずで、結果としてそれが、多くの人の視点を持つ広さと深さを生んでいる。とりわけ、番人たちに類する立場の人々が、制作に参加している可能性は多い。捕らえられ処刑された有名人の最後にいたるまでのさまを、日常的に観察し記憶して、他の、後の人々に伝達する役割は彼らのものであったはずだからである。
番人とは、同時に観察者であり、証人であり、語り手であった。彼らの話がなかったら多くの情報と興味ある記事が失われたことだろう。そして平家物語のような成立の仕方の場合には特に、そのような事情のもとでは彼らを悪役として一方的に描くことは少なくなるだろう。それは平家物語にある種の優しさを与える。同時に甘さも与えている。

4.ピラトとせいうち

平家物語の番人たちを優しく書かざるを得ないのは、彼らを一方的な悪役にできないのは、きびしい見方をするならば、他のかたちでの証人や伝達者が・・・生き延びた囚人、陰の協力者たちが、いかにいなかったかということでもある。アウシュビッツを生き延びた人々、レジスタンスに協力した人々の、当時の警吏や看守への評価は常に苛酷なまでに厳しい。命を賭して戦って、対決して、耐えて生き延びた、誇りと責任が、そうしなかった人たちへの容赦ない指弾を生む。(註1)
そのような人々が、あるいは証言が少なく、「番人」側の人からの証言で歴史の空白を埋めなくてはならない時、私はそれも大切なこととは思いつつ、ときどき妙にむしゃくしゃすることがある。
少し前、共産党の機関紙「赤旗」で森村誠一氏の連載しておられる特高警察の記録を読んでいて、その中である活動家が転向しなかったことを評価するのに、当時の取調べ官のことばとして、「何々は有名な人物で立派なことも言っていたが拷問にあうとすぐ転向したのに、この何々はそういうことがなくて驚いた」というような話が紹介されていて、私は腹をたてた。人を拷問にかけておいて自分は何様のつもりかと思ったのである。裏切ろうと転向しようと、裏切らせたり転向させたりした方に比べればよっぽど人間が上等で、誰が転向しようと大きなお世話だと思った。これでもし、裏切らなかった方が、裏切った方を軽蔑するとか、自分を誇りに思うとか、そういうことが少しでもあるとすれば、滑稽どころか悲惨だと思った。それは刑吏を評価者として認め、うけいれることではないか。闘争が、我慢大会になってしまう。
多分ほぼ同じ意味でむしゃくしゃしたのが、最近になってようやくビデオで見た「ジ-ザス・クライスト・ス-パ-スタ-」の一場面だった。そもそも全体的に「ここまで民衆を、馬鹿で役立たずで救い様がないように描かなくってもいいんじゃない?」と思いつつ見てたこともあって、イエスを裁くピラトが、やたらにイエスを救いたがって「群衆に殺されたいのか、何とか弁明しろ」と必死で説得し、拒絶されると「私はもう知らぬ」と怒りと絶望にかられるのを見て、名演技であるだけに、突然腹がたってしまったのだ。「イエスを救わない民衆の愚かさを、あんたが攻撃して何になる?それにあなたが絶望してどうする?あんたとは比べ物にならない弱い立場にいる民衆が、支配者が自分たちの指導者を逮捕したから、びっくりして、あわてて見捨てることぐらい、何がそんなに珍しいの。悲しいの。そんなことで民衆の弱さや愚かさを確認した気にならないで。自分のすることのいいわけにしないで。裏切ったり逃げたりするのは、何の力も持たない人たちだけの特権よ。あなたは権力を持っているのに、彼らと同じふりをしないで。あんたたちが逮捕しなければ、民衆は馬鹿でも幸せにイエスをあがめていたでしょうが、それを幻想とか欺瞞とか批判する権利は、あなたにもユダにもないわ。より理解し、より力のあるものには、それなりの義務と役割があって、それをごまかすことは許されない。あなたにできる仕事は、あなたの権利を使って、どんな危険を冒しても、たとえ民衆と対決しても、イエスを釈放することしかない。たとえその結果、その権利そのものを失っても。それができないのなら、あなたも民衆と同じなのだから、イエスに同情するのも、自分の方が民衆よりイエスに近いと言うのもやめなさい。せいうちじゃあ、あるまいし!」と思った。
最後の一語には、説明がいるだろう。こういう時に私がいつも思い出す「鏡の国のアリス」に出てくるナンセンスな詩の中の、せいうちである。海にいる、ばかでかい、あのせいうちだ。この詩では、せいうちと大工が浜辺をあるいていて、海の中にいる若い牡蠣たちをたくさん散歩に誘い出す。そして砂丘の上まできて、歩き疲れた牡蠣たちを「用意できたらいとしの牡蠣よ、ぱくつく段にとりかかろうか」とか言ってバタをつけて皆食ってしまう。
「ぼくらじゃいや!と牡蠣は叫んだ、顔もいささか青ざめながら」牡蠣たちは皆食われてしまうのだが、その際、大工はまったく同情しないで、ひたすらうまいうまいと喜んで食う。しかしせいうちの方は、とても牡蠣に同情して「ハンカチとって目をおさえたが、涙はあふれて滝津瀬となる」というくらい同情する。しかし、食うのは大工に負けずにしっかり食って、ハンカチのかげでかくして、大工よりいっぱい食べたという話もある。
これを聞いたアリスは、どっちがより嫌いか決めるのに迷って、結局「いいわ!両方ともまったくいやな連中だわ」と結論づける。こういう時、どちらがましかと真剣に考えるほど不毛な作業はないと、私は最近考えているので、アリスにはまったく同感だが、しかし、私が牡蠣だったら、何となく、せいうちにだけは食われたくない。

その二 親切な主人たち

1.丘の上の老人

脇役というのは、常に魅力ある存在ではある。普通、彼らは語り手、傍観者、観察者として、主人公よりは安全な立場にいる。だが、いったん、彼らが間違って深入りし、ふらふらと物語の本筋にまきこまれてくると、彼らは主人公以上に命の保障も何もない、きわめて危険な状態におかれる。
なぜなら、とあらたまっていうこともないが、彼らは主人公と違って、物語の最後まで生きている必要は何もないからだ。残っているペ-ジ数の多さ、上演時間の長さは、彼らの身の安全を何ひとつ保障しはしない。それどころか、話の中頃で最も効果的に、あるいは悲惨に残酷に滅びて、後半の話を盛り上げる役割をになっている可能性さえ、充分にある。
というわけで、こういう脇役を好きになり、あるいは共感してしまうと、いったい、いつ作者は、あるいは監督は、この人物を消す気だろうかとひやひやしながら読み進み、あるいは見守ることになる。
中には、そのような脇役的性格を有したまま、最後までしっかり活躍し、主役と同等、または主役そのものになってしまう人もいる。「クオ・ヴァディス」のペトロニウスなどは、その顕著で巧緻な例だろう。優雅な美意識とゆるぎない実力をそなえた傍観者として若いキリスト教徒たちに余裕をもって手を貸していく彼は、ついにはそのために自らの地位をも失い、死刑同様の自殺へと追い込まれて行き、しかもなお、皮肉と冷静さを・・・脇役としての性格そのものの節度と品位を失わない。開高健が、幼い頃にこれを読んで、彼にあこがれたというのも、よくわかる。
もっと荒削りなかたちではあるが、シラ-の「ウィルヘルム・テル」もそうである。冒頭のテルの登場場面は実に効果的に作られているが、これはいわば脇役としての魅力を十二分に生かした使い方である。ここでの主役は代官を殺して逃げてきたバウムガルテンであり、嵐の湖に小舟を出して淡々と彼を助けてやるテルは、主役を救う脇役なのだ。それ以後も、有名なりんごの的の場面まで、いや、もしかするとそこですら、彼は、脇役的思考、行為をつらぬいて、それ故に実に魅力的な主人公像をかたちづくっていく。
だが、ペトロニウスやテルのような例はむしろ珍しい。大抵の脇役は、「生き残って語り継ぐ」役割を捨てて、「主人公たちを援助する」協力者になった時、それほど先のことではない破滅への第一歩を踏み出している。そういう人たちの中でもっとも多いのは、いわゆる「情ある宿の主人」というタイプだろう。このような人たちは、どうかすると読者の印象に残る間もなく、あっさり消される。もしかすると、作品の外でも殺されているのかもしれないが、それが描かれてないことも多い。
一夜の宿を貸し、逃亡のための馬を貸し、船を貸す。もっとも簡単で基本的で、しかも決定的に主人公たちの運命を左右する、このような協力をする宿の主人たちは、多くの場合、主人公たちとは一面識もなく、そこに生活し、安定して平和な日々を送っていた人々である。突然訪れた旅人たちによって、束の間、物語の中にひきずりこまれた彼らの姿はそのまま再び見えなくなることも多く、その運命はわからない。
チェスタトン「木曜の男」では、このように馬を貸す宿の主人の老人が印象的に描かれており、馬に乗って遠ざかる主人公たちがふりむいた時、丘の中腹にある宿屋の前に立ってこちらを見送る老人の白髪が「この世に残った唯一の真人間」のように見え、そのときちょうど老人の背後の丘の上の稜線に、黒いいなごの群れのように、追跡者たちの影があらわれてくるという場面は、悲しいほど美しく恐ろしく、あざやかで、象徴的である。

2.惣六の論理

江戸時代の歌舞伎にも、このような主人公たちを助ける宿の主人は、むろんしばしば登場する。そして、それはどちらかというと、重厚で安定して生活にどっしり根をおろし、すいもあまいも噛み分けた、判断力ゆたかな中年男であることが多い。「義経千本桜」の船問屋の主人銀平や「生写朝顔話」の宿屋の主人徳右衛門、「碁太平記白石噺」の遊女屋の主人大黒屋惣六などは、いずれもそうである。
彼らは家族と仕事と家を持ち、使用人も使って人の上に立ち、世間的な信用もある、健全な市民である。しかも、人間としての暖かさや良心を失ってはいない。豊かな経験にもとづく判断や行動は正確だが、冷たくはない。権力者へ反抗できる気概や自信や実力も有しているし、悪人たちの裏をかく、ぬけめのなさも知恵もある。
「何故とおっしゃりませ。人の借りた船を無理に借りようとおっしゃりますは、まァ御無理じゃござりませぬか」と、役人にじわりと下手に抗議しながら、その後即座に「こりゃもう料簡がならぬわえ」とたんかを切る銀平のように、歌舞伎は、このような若者にはない安定と円熟を持つ中年男たちの魅力を、理屈ぬきに、見ていて納得できるかたちとして、どっしりした体型やしぶい色の衣装などで露骨なほどに否応なく表現している。「見ればわかる」とはまったくこういうことだろうが、しかし、同時に私はたとえば、大黒屋惣六が、自分の店にいる遊女の一人が仇討ちをするのに協力を約束(自分から進んで)する際に言う、次のせりふなどが、あざやかに表現するものにも同じくらい感心し、つい吹き出すほど納得(賛成ではなく、理解だが)する。
「おぬしばかりが親に孝行ではない。勤めする者はみんな孝行。それだによってあれも孝行だこれも孝行だと、孝行づくめにした日にゃあ、おれも女郎屋を止めにゃあならぬ。これも浮世の身過ぎ世過ぎだあ。又おれが内の野郎が、女郎買いに行くと聞けば、ヤイ野郎めチト気を付けろとかなんとかいう揚句が、勘当すると叱りつけ、また人さまの大事の息子たちがござると、為になる客人だで、随分大事にしろと女郎どもに言いつける。まアこんな得手勝手な商売はないわえ。その商売はしていれど、慈悲と情という事は不断心には忘れぬ」。
惣六は、自分の遊女屋という商売の本質をわかっているし、この遊女への同情をつきつめれば、自分の今の生活を崩壊させなくてはならないことを知っている。それがわかる賢さも優しさも彼はある。だが、彼はそこまでする気はないと、ちゃんとわりきっている。わりきっているが、できるだけの親切をすることは惜しまない。それが偽善だなどと悩んだりはしない。矛盾は矛盾として抱え込んだまま、中途半端な親切をすることにひるまない図太さが彼にはある。
このような協力者の、その中途半端な姿勢をなじるほど私も今は若くはない。いや、若い時でも私は多分、彼らのこのような安定と限界に不快を感じるより前に、協力によって彼らの生活が崩壊しないということに、安心し、それほど強い安定した立場にいながら、彼らが協力してくれることに、感謝を抱いただろうと思う。
私は優しすぎたのだろうか。甘かったのかもしれない。
けれども、言い換えれば、私は彼らの強さや安定を心のどこかで信じられずにいたし、協力することによって、彼らに襲いかかってくる危険や苦難の大きさに、彼らがその時失うものの大きさに、その時彼らが見せるかもしれない醜さや弱さと、そうさせた者へ彼らが向けるかもしれない怒りに、いつも強くおびえた。
それは杞憂とばかりも言えない。
「朝顔話」の徳右衛門は、行きずりの女乞食をただの親切心から助けて、面倒をみる。だが、その結果、彼は自分の命を捨てて、若い主人公たちを助けることになっていく。「千本桜」の銀平は実は平知盛であり、かばって助けた義経を彼自らが倒すべく、夜の海へと船を乗り出す。運命に翻弄され、不幸でうつろいやすく見えた主役たちよりなおいっそう、彼らの最期はあっけなく、はかない。
崋山の場合の裁判官もそうだが、主人公を助ける脇役というのが、一見堅実に安定しているのは、ドラマの本筋に徹底的に介入していないからである。その圏内にいるかぎり、時に彼らは超人的な力を持っているようにさえ見える。主人公にたまたまかかわったばかりに話にひきずりこまれたが、本来ならば文学の題材などという、いかがわしいものにはならずにすんだはずの人たちなのである。それだけに、いざとなった時のもろさは、あるいは主役以上だろう。
悲劇であれ、喜劇であれ、主役になるのは不幸なことに決まっている。それでもなってしまったからは、もう逃れようがないのだから、そこにかえって救いというか、あきらめはある。だが、脇役は本来かかわらなければ、それですんでいたはずの人で、たまたま中途でひきずりこまれるということは、必然性がなかっただけに、本人もたまらないだろうし、あきらめきれないだろうし、主役以上に悲劇だという気がするのである。彼らが耐えなければならない辛さは、おそらく主役以上に大きい。失ったものの大きさを思い出し、たまたまかかわった不運をかみしめる苦しみと後悔も。
しかし、それも本当にたまたまかかわったのだろうか?主人公たちとかかわり、助け、世話してしまうところに、すでに彼らが、物語とか小説とかいう異常な世界とかかわりないところで、平凡に健全にくらしているというばかりのわけにはいかなかった弱点か弱みを持っていたことが示されているのかもしれない。
彼らはなぜ、主人公に手をさしのべ、本筋に介入してくるのだろう?自分の生活がもはや確実にゆらぐことはないと知っている人間の大人の自信、余裕だろうか。それとも本質的に持つ優しさや暖かさか。かくしていても切り捨てられずにいた過去の絆か。あるいはそれらのすべてだろうか。(註2)

3.チップはおいくら?

先日見た「最後の誘惑」という映画・・・これもキリストの伝記なのだが、この映画では、いろんな人がしつこくキリストに「救世主になるなんて思い上がりだ」と言う。そのせいか、はじめからか、キリスト自身もどちらかというとそう考えてる傾向がある。その下敷きがあるとはいえ、破天荒なのは、十字架で断末魔の時、天使が彼を救ってしまい、平和で平凡で庶民的な一生を与えてくれるという展開になる。その平凡な生活の穏やかなみだらさと温かい美しさが、大変よく描けている。で、キリストはエルサレムが滅びようが、パウロが広場で演説してようが、一切関知しないようにして、仕事と家庭に生きて老衰して死ぬのだが、その最後の瞬間に、訪れてきた弟子たちのことばによって、救ってくれた天使は実は悪魔だったとわかる。そこでキリストは後悔して「私をゴルゴタに戻して下さい、救世主になります」と神にたのむ。すると一瞬にして、彼は再び十字架についていて、満足の中に息をひきとるのである。ほとんど冗談じゃないかと言いたくなるが、何となく、笑い事ではない。
私は、悪い意味での救世主願望があって、世界でおこる不幸のすべてが、どこかで自分に責任があると考えやすい傾向がある。だから、それが思い上がりだと言われると実は痛いのだが、しかし、私が救世主的発想をするのは、いわば半分やけっぱちで、それではいったい世の中のことに、そこで起こる不幸の数々に自分がどれだけ責任をとり、犠牲をはらったらいいのか、いつも見当がつかない気がするからなのだ。今でも自分に与えられた仕事や生活、回りの人々に対する、ささやかだが重い責任をはたすだけでも、けっこう私はぎりぎりの力を出しきっている。その中で、たとえば、社会的問題について発言し、行動し、考えるということは、精神的負担は別にしても、時間的なことだけでも大変な労力を要する。何もかもふりすてて、人のためにつくすのはまだいい。平凡な幸せとやらを築きつつ、守りつつ、しかも世界に起こりつづける、あらゆる不幸・・・戦争や貧困や差別や公害や病気のことを、忘れずに考え、見つめ、対決していくことは、どうかすると、すべてをなげうつ以上に疲れる。
日本の国際的責任のために血と汗を流す覚悟をしろとか、老後の責任のために消費税を払えとか言われるときに、私の気分がおだやかでないのは、まるで、今まで何一つそんなものを私が払わなかったような言い方をされることだ。聞いていると、そういうことを言っている人たちが、これまでそういう犠牲をいっさい払ってこなかったか、あるいはよっぽどいい思いばかりしてきたから、人も同じと思っているのではないかと言いたくなる。この際、他人のことは知らぬが、少なくとも私は、救世主であることが傲慢ならそれでもいいけど、それならば、私は自分が今持っているものの中から、どれだけの時間を心を金を労力を、さし出したらいいのだろうかと、いつもチップの額がわからない高級ホテルのロビ-にいるように、びくびくしながら生きてきた。世界や老後のために、私がこれまで血も汗も金も出さなかったなんて、ほんとに、言ってほしくはない。これで出し方がたりないというなら、それこそ、核戦争がおこってやけただれて死のうが、年取ってから凍えて野垂れ死にしようが、もうしかたがないというぐらいの覚悟はいつだって決めながら私は生きてるつもりである。チップの出し方にまちがいはあるかもしれぬが、そういうものがあることも知らないで、生きてきているように言われるのは困る。
たとえば、学生運動をしていた時、組合活動をする時、集会などにも出てくれて、ある程度の協力をきちんとしてくれる人がいると、次には必ず、その人を執行委員にしようとするのが、私はとてもいやだった。他の皆がそれをしてくれない時に進んでする人に対して、次々それ以上の要求をするのは、不当なことに思える。けれども現実には、そういう人たちが次々過大な役割を負わされていくことが多く、そうすることが、その人にとっての成長とか、情勢における発展とかいう考え方にどうしても私はなじめない。
それは、理屈で説明できることではなく、たとえば、少なくとも私が、そういう自分が正しいと思う行動や方針に、いつも一定の参加と協力はしつつ、決して過度な犠牲は払わず、しかもそうすることによっておこる批判にひるまず、かかわりも協力もやめないことを、ずっと続けることでしか回答できないことだろうと私は考えている。
それにしても、そのような緊張と努力、チップの額を自分で決める不安とは、いつまで続ければいいものなのだろう。「最後の誘惑」のキリストがゴルゴタの丘に帰らなくてはならなくなったのは、その努力を放棄しつづけていたからだと、さしあたり私は考えているのだが、それにしても、あの映画が一つ私を恐がらせたのは、この不安と緊張は、老衰して死ぬ直前まで止むことはないのだなという、変な確信だった。人はその瞬間からでもゴルゴタの丘に帰ることは可能といえば可能だと、あらためて気づいた。平凡な生活を守ることと、それを犠牲にして何かにすべてをささげることとの相剋は、人が死ぬまでやむことはない。そのぎりぎりの瞬間まで、何かを求めて訪れてくる旅人は、きっと扉の外にいるのだ。

その三 かかわった旅人たち

ただ、安定と定住は常に一致しているとは限らない。
もし、村が崩壊や滅亡の危険にさらされていたり、不和や混乱や悲劇に見舞われている家だったなら、そこに束の間だけいて去って行く旅人の方が安全だし、安定している。
その場合、孤独と放浪という自分の生活から踏み出さないで、村や、その家とかかわりを持たないでいることによって自分の安定を守ろうとするのは、むしろ旅人たちの方だろう。「あっしにはかかわりのねえ・・・」と、すべてを黙殺し、村や家というひとつの安定した世界をおびやかす変化と混乱への参加を拒絶しようとする、木枯らし紋次郎に典型的なように。そして、親切な宿屋の主人と同様に、彼らもまた、そうしようとしながら、ともすればふらふらと、孤独な他人という自分の安定から踏み出して、その混乱の波にのまれそうになりつつ望みない戦いを戦おうとしている、親切な百姓一家や、けなげな未亡人を助けてしまう。(註3)
混乱がおさまって、変化が一段落した後で、彼らの消息がそのままわからなくなってしまった時、救われた村人たちは、それが神であり、仏であり、あるいは身をやつした高貴の人や富豪であったと、語り伝える。そのような大きな力を持った存在であったこともあるかもしれない。しかし、多くの場合、こういった旅人たちは、かかわりのない局外者、傍観者であることが、唯一の強みだったのであり、それを放棄した時に、彼らの力はすでにほとんど失われたも同然だったのではないかという気が、私はしてならないのである。村人たちは、いったい、どれだけの、どういう犠牲を彼らに払わせたのだろう。いつも、見極められない気がする。(註4)
かつて、後輩の男の子の一人が「シェ-ン」の映画が好きで、その最後に、自分の救った一家から去るシェ-ンが一人で馬を進める場面が次第に暗く消えていく時、手前に墓石の影が見えるはずだと、どこかで聞いてきたことを教えてくれた。小説で読んでも、シェ-ンは戦いで傷ついていて、その後一人で死ぬことが予想されるというのだった。

その四 最後に

「理解ある警吏」「親切な宿の主人」「かかわってしまう旅人」、いずれも「情あるおのこ」たちである。そして、年や立場からいうと、今では私はいろんな意味でむしろ彼らに近いことが多く、彼らの運命や行末は、私にとってもひとごとではない。
それはわかっていてなお、私はかつて、はじめにひいた「渡辺崋山」を読んだ時、「人間の条件」の映画にもふれながらノ-トに書いた一文を思い出す。

思いがけない協力者を、敵と思っていた人の中に見つけたときはうれしい。大切にしたいと思う。甘えて、その人に迷惑をかけたくはない。自分に同情してくれるだけでうれしいと思うから、不幸にまきこみたくはない。うらぎらなければならないなら、せめて、期待をもたせたくない。好意をうけとってはならぬと思う。
そういった思いの数々が、どんなにひよわで、卑怯だったか、王享立の生き方に、私は思い知らされた。
思えば、クリスチャンやマルキストの人々の中に、そんな生き方は基本的にはいつも見てきた。しかし、どちらかといえば、いつもかすかに、私はそれらに反発してきた。相手を「教育」して、おのれの側にひきつけていく生き方が私はきらいだったし、何よりうっとうしく、それより恐かったのだ。
愛する人、好きな人には、喜びと幸せを与えたかった。不幸な運命以外何も、さし出すことができないのなら、いっそ、かかわりを持ちたくない。
しかも私は妥協できなかった。自分の生き方をかえ、自分の信念を捨てて、相手にあわせることで、相手に喜びや幸せを与えられると、私には信じられなかった。
自分は決してまちがっていないという信念がいつも心のどこかにあって、私は自分の生き方をどうしても変えたり、ゆずりわたしたりできなかった。
けれど、それは、ともすれば、世間の常識とはちがう生き方だったから、他人を自分の仲間にすれば、その人をきっと不幸にすると思った。
妥協しない覚悟だけはいつもあった。だから多分、私が崋山だったら、歯をくいしばって、きっと署名はしなかったろう。
ただ、そのために私は、石のようなかたくなさと、冷やかな怒り、憎しみ、孤独の中にとじこもる心を必要としただろう。
署名をしないで、相手を怒らせ、相手を傷つけ、もしかすると相手を不幸にしながら、それでもなお、相手を愛し、人間すべてに対して、あたたかい心を抱きつづけ、信じつづけていくことは、決してできなかったろう。
自分を、人間らしい人間、正しい人間とは、決して思えなかったろう。心の底ではたしかにそう信じていても口に出す勇気は、なかっただろう。

私はこの時、そうとはっきり書く勇気すら、まだ持てずにいたが、これは明らかに男性たちと男女差別について語る時、というより決して語れなかった時、いつも私が乗り越えることのできなかった最初で最後の壁だった。それは、同時に私がどんな男性に対しても自分の本心を語る時、というより決して語れなかった時、彼らに対して抱きつづけた、激しい愛憎と信頼、期待と危ぶみでもあった。
今、いろいろな理由から私は、そんな自分が傲慢だったと思っている。男性の、人間の持つ力を、私はあまりに弱いものと考え過ぎていたのではないかと。
けれど、それでもなお、「情あるおのこ」によせる私のさまざまな思いの多くは、まだどこか、男性たちのすべてに感じるそれである。
(1991.1.12.)

  • 註1(本文へ)
    あるいはまた逆に、それが、それゆえに、感情的な、事実を歪めるものになる可能性や危険も皆無とは言えないであろう。この点での本当に正確な座標軸というものが、どこにあるのか、存在するのか、私は今でもつかみきれない。
  • 註2(本文へ)
    こういう私の気づかいすべてが、滑稽で馬鹿馬鹿しく見えるほど、この点を骨太に割り切っている文学は「水滸伝」だろう。何しろ、梁山泊の義賊たちときたら、誰かを仲間に引き入れようと思ったら、殊更に協力者にさせ、お尋ね者にしてしまって、否応なしに味方にならざるを得ない状況に、その人を追い込んでしまう。ここまでくると、いっそ豪快というしかない、政治的判断の容赦のなさがある。
  • 註3(本文へ)
    長谷川伸の戯曲「一本刀土俵入」は、「親切な主人」と「かかわった旅人」が合体し、前半と後半で両者の立場が交代する面白さを巧みに生かしていると言えよう。
  • 註4(本文へ)
    この点で私が感心するのは、リチャ-ド・アダムズ「ウォ-タ-シップ・ダウンのさぎたち」におけるユリカモメのキハ-ルと、うさぎたちとの協力関係である。
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