ブログ 日記 岬のたき火

銀色の潮が、ざわめきながら
浜べを大きくひとなでして
月にひかれて、去っていった
冷たいもやに包まれて
なお、ほんのりとばら色に
果てしなくのびる砂の上には
たくさんの美しい海のがらくたが散らばる

ひとで
桜貝
みる
流木
いくたびも波にあらわれ
くろずんだ砂の上で
限りないスクエアダンスをして
泡だつ波の最後が去ったとき
縞形をなして砂に残ったそれら

砂はまだ潮を含んで
虹色に輝く
私の心からも
今、潮がひいた
寄せては返す波が
たくさんの不思議なものを
浜べに残していった
波が私から奪えなかった
いくつもの小さな宝

海ほおずき
ガラスびん
まき貝
入り乱れるそれらの中を
私は黙って歩く
潮騒が遠い
やがてまた銀色の潮が
ひたひたと満ちてくるだろう

「朝の浜辺」へようこそ

研究者として専門分野の論文を書く一方で、日本文学の教員として大学で専門以外の分野の講義をするのも私の仕事のひとつである。正確に言うと、私の生活を支える収入は、こちらの仕事に対しての報酬という面が大きいかもしれない。大学だけではなく、カルチャーセンターなど一般の方々への講座や講演も同様の仕事になる。

そのように人に何かを教えることは、いつも私にとって直接ではないが研究をし、論文を書くための手がかりになり刺激になった。「人にわかりやすく疑問を残さず説明する」ということが、そのまま研究者としての私を支える良心となった。偉大な存在に評価されよう、同じ志の仲間から一歩抜きん出よう、そういったことからはまったくやる気を引き出せない私が、何も知らない人にちゃんと理解してもらおうと思うと、どこまでも情熱を燃やせた。そのために真実を知ろうと努力し、それを正確に伝えようと工夫することが、どんなに大変でも、まったく苦にならなかった。

そして、いつからか、私は自分の空想や創作の手法を、その努力に利用し、その工夫に結びつけるようになった。
研究者としても、文学者としても、私は決して他から抜きん出た存在ではない。しかし、この専門性と創作力を合体させ混合させて、ある種の読み物を生み出すことは、もしかしたら私以外の誰にもできない独自の能力なのかもしれない。
カーリングやトライアスロンなどを見ると、要するに自分に向いた競技を作れば優勝じゃんとふと思うが、私にとって、この分野はそれに近いものなのだろう。
そうやって生み出された作品の数々を、ここには収めることにした。

お買い物と文学

さまざまな小説に登場する「お買い物場面」を集めてみました。買い物の楽しさとは何かをあらためて味わったり、その描写を通して思いがけない作品の特徴を発見したり。画像がないのも淋しいので、私の身近の関連するものを、こじつけ気味に紹介します。その点では「断捨離狂想曲」のミニ版になるかもしれません。

ぬれぎぬと文学(未定稿)

はじめは授業ノートでした。その内、本にしようと思って書きなおし始めたのですが(ときどき「この本」とかあるのは、そのせいです)、だんだん広がって、とんでもない雑談に。いろんな文学や映画や日常をネタに、あれこれの連想をお楽しみ下さい。

動物と文学

授業ノートとして大学のサイトに掲載していました。後にまとめて出版したのが弦書房「動物登場」です。版元にはもう在庫がないそうですが、書店等ではもしかしたら買えるかもしれません。

私のために戦うな

還暦記念に自費出版した本。三島由紀夫の「仮面の告白」に例えるのはいくら何でもおこがましいが、決して語れず、その前に見つめることさえできなかった、自分の中の女性とは何かということを、極限まで整理した文章の数々です。これを書いてしまってから、確実に生きるのが楽になりました。
それと同時に、この本で少なくとも私がしたかったことは、人を殺して傷つける時に「何かを守るために戦う」という口実だけは許さない、その逃げ場だけはたたきつぶしておく、という仕事です。

江戸文学その他あれこれ

以前の「板坂耀子第三研究室」では「江戸時代文学史」の項目でまとめていたものが中心です。一部を金時計文庫に入れたりして少し重なる場合もありますが、縦書き横書き気分を変えて、お楽しみ下さい。新版作成にあたってはずしたりものはここで保管します。

情けあるおのこ

同人誌「ガイア」に掲載し、のちに「江戸の女、いまの女」に収録したエッセイ。これは、私の壮大?な「情けあるおのこ」論構想の、スタートであり、基本です。「岬のたき火」の「協力者列伝」、特にその中の「軍記物から江戸時代へ」と、合わせてお読み下さい。

雨の夜のある町から

私の飼った初代猫おゆきさんにまつわる話。彼女はこの話のあと、私と岐阜で暮らし、やがて名古屋市内に戻り、最後は福岡に来て私が建てた初めての家で暮らして十七歳で亡くなりました。

うちに来たとき、もう大人でしたから、もっと高齢だったのかもしれません。写真で見ると、あらためて思い出しますが、アイラインがきっちり入った大きな目と、口元のほくろのような小さな茶色、そして特に大きめの耳が特徴でした。「断捨離狂騒曲」の中の「ハイタッチ」にも、彼女のことが出て来ます。

人間らしい暮らし

多分、十年以上前、大学に勤めていた最後の時期の日記みたいなものです。あまりの忙しさに、何とか普通の人間らしい生活をしようと努力していたころ、あえて日常の雑事を書きとめてみていました。それでも、ついつい、それ以外の話が多くなるのは、私のせいか時代のせいか。 2019.2.9

昔のコラム

かなり以前に、毎日新聞の土曜夕刊のコラム「水脈」に書いた文章。他の記事と重なるものもありますが、今では忘れ去られかけた事件の話もあり、古新聞のスクラップブックと思ってお楽しみ下さい。

中途半端のアドリブ

十年以上前、まだ大学の現職教員だったころ書いた、授業ノート用のメモです。その後、中公新書「平家物語」などに使った部分もありますが、走り書きなので、かえって読みやすいかもしれません。どうぞご自由にお使い下さい。 2019.2.9

地下室の棚

どこに入れるか迷ったり、他の記事と部分的に重なったりして、削除するのも何なので…みたいな文章を、とりあえず、置いておく、地下室の棚みたいなコーナー。まさか死体がかくされていたりはしないと思いますが、がらくたに目がない方は、どうぞのぞいて見て下さい。

民教連サークル通信より

2018年9月に福岡教育大学で開催された、「福岡県民間教育研究団体連絡協議会(福岡民教連)」の大会に準備段階から参加したのをきっかけに、そこが発行している「サークル通信」にエッセイを連載するようになりました。
ブログやその他のコーナーと重なる内容もありますが、最初からまとめて読みたい人もいるかと、こちらで紹介しておきます。

金時計文庫

こちらの作品は特設ページへどうぞ。

カツジ猫