小説「散文家たち」はじめに、序章

はじめに

もともと私は基本的にはいつも自分に読ませるためだけに小説を書いてきた。自分を楽 しませ、自分の心を整理する、ただそれだけのものとして。
今度もまたそうなのであるが、同時に私が親しくしていて、この小説について何度か話 したことのある数人の人たちに読んでもらって楽しんでいただくつもりも少しある。その 人たちに喜んで、笑ってもらえればそれでいいと思っている。
以前、「A高野球部日誌」という小説で、どこにも絶対ありそうにない野球部を描いた と同様に、この小説の中心となる女子高校も演劇部も似たようなものはおそらく現実には どこにも存在しないだろう。そういうことは問題ではない。そういう意味での「現実」を 私は書こうとするのではない。
私が書こうとしたのは、幼い頃から現在に至るまで常に私の中に生きつづけ、私をはげ まし支えつづけた大勢の少女たちの肖像である。彼女たちすべてが登場しさえすれば、あ とはもう、ほとんどどうでもいいのである。

序章 転落

夜の闇の中に満開の桜の花がかすかに白く浮かび上がる。海の方から吹いてくるわずか な風に花の枝はゆっくりとゆらいでいる。
暗い沖の遠いどこかで汽笛が鳴って、目を凝らすと船の光が動いて行くのが小さく見え る。おだやかな波の音があたりに響き、なまあたたかい空気の中には潮と花の香りが入り 交じっている。
りんと澄みとおった、少年のような声が、その暗がりの中にひびいた。
「身を切るような風だ。寒いな」
「まるで、つみ切らるるようでございますな」
答えた声ははじめの声よりやわらかく少女の声のようだったが、歯切れのよさはやはり 男性っぽかった。
最初の声が聞いた。
「今、何時だ?」
ひとつ、ふたつ、桜の花びらが枝を離れた。ひらひらと闇を横切り暗い海へと消えて行 く。やわらかな声がまた答える。
「まだ十二時にはなりますまいが」
「いや、さっき・・・」
三人めの声がした、ちょうどその時、がらがらっと何かが砕ける音がした。古い壁か何 かが崩れ落ちるような。そして、小さい短い悲鳴がそれにまじった。
それに重なりあうように闇の中のあちこちからいちどきに声があがった。
「どうしたの?」
「大丈夫?」
「誰か落ちた!」
「片山さん?いるの?」
「しのぶ!しのぶ!」
「ライトをつけて、ライトはどこ!?」
どれも少女の声である。
桜がまた、ひらひらと散った。
波の音もゆるやかに響きつづけている。

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カツジ猫