映画「マスター&コマンダー」資料・各方面に送った手紙
目次
- もし、あなたが映画評論家で
- ブエナ・ビスタ宣伝担当への手紙
- ウォルト・ディズニー・インターナショナル・ジャパンへの手紙
- 仮)じゅうばこの資料棚 → ファンの方たちとの活動がわかる形にタイトルを変更
- 1 ファンの一人が出した要望書(無断転載を禁じます)
- 2 ファンの一人がBVJの宣伝担当の方とかわしたやりとり(抄録)
- 3 ある方が出された抗議の手紙
- 4 印象に残った一文
- 5 ファンの一人がJARO(広告審査機構)に出した審査請求書(無断転載を禁じます)
- 6 ファンの一人が20世紀FOXに出した要望書(無断転載を禁じます)
- 7 ある人がウォルト・ディズニー・ジャパンに出した手紙の一部(長文のため、この方の自己紹介の部分は省略してあります。無断転載を禁じます)
- 8 監督、俳優たちへの手紙(既に発送され、一部は届いているはずです。無断転載を禁じます)
- 9 ある海外在住の方がウォルト・ディズニー・ジャパン㈱ 代表取締役宛に出した手紙(無断転載を禁じます)
- 10 ある方がウォルト・ディズニー・ジャパン㈱ に出した手紙(無断転載を禁じます)
- 11 ピーター・ウィアー監督記者会見記(何人かの方からうかがって確認修正し、まとめたものです。無断転載を禁じます)
もし、あなたが映画評論家で
もし、あなたが映画評論家で、そしてまだお手もとに私の手紙が届いていなかったら、それは私があなたのご連絡先がわからないでいるか、お書きになったご本などを読まないでいきなりお手紙をさしあげるのは失礼ではないかとためらっているからです。
先日から私はいくつかの手紙を書いて出しました。時間と体力の許す限り、まだまだ書きつづけるつもりでいます。映画が好きで、映画について語っておられるすべての方に、同じような手紙を出したいと思っています。
あて先がわからず、まだお手紙をさしあげていない批評家の方の中には、私の深く愛した映画を他の方にさきがけていち早く評価して下さった方、私の好きな俳優たちをさまざまな美しいことばでほめて下さった方など、どうしてもお手紙を届けたい方もいらっしゃいます。それ以外の、私がまだよく存じ上げない方の中にも、この問題について興味と理解を示して下さる方がきっとおられると思います。
けれども、どうしてもお手もとにお手紙を届けられなかった場合のことを考えて、本当に失礼を省みず、すでにお送りした手紙のいくつかをまったくそのままではありませんがここにあげて、こんなかたちででも、せめてお目を通していただくことにしました。
最初の段階の手紙は(1)のようにていねいで詳しいです。これではお忙しい皆さまにかえって失礼と思い、次の段階のものは(2)のように短くなっています。でも少し短くなりすぎたかと反省して、(3)のようにまた長くなるなど、試行錯誤をくりかえしています。時間が経過するにしたがって、新しくわかることや変化していく事情もあり、今後の手紙もいろいろと、かたちを変えることになるでしょう。
なお、映画雑誌の編集部、各新聞の学芸部、文化部にも同様の手紙をさしあげています。しかし、まだまだどれほども送れてはいません。こちらもまだまだこれからだと思っています。
「自分も出したいがどう書いていいかわからない」という方は、口はばったいことを申しますが、どうぞ私のこの手紙を参考にして下さい。まるごとコピーして下さって「こう言っている人がいる。自分もそう思うのだが」とつけ加えて出して下さってもかまいません。
ですが、できたら、これはあくまで一つのめやすにして、あなた自身のお気持ちを、あなたのお言葉で書いて下さい。映画への思い、この予告編に関するさまざまな事実を知り、私たちのやりとりを聞いた感想、それが悲しみでも怒りでも驚きでも、必ずしも私のしていることや私の意見に賛成でなくても、とにかく自分のお気持ちを批評家や編集部、マスコミの方々に伝えてあげて下さい。
その時に参考として、ここにあげた私の手紙をコピーしてつけられても、またここのサイトやページを紹介していただいてもまったくかまいません。
「映画の宣伝担当者は、作品を見ないで宣伝をする」…掲示板でのやりとり(「まだ見ていない映画のために」(2)(3))や、宣伝担当者の電話での応対(「まだ見ていない映画のために・じゅうばこの資料棚」)から推測される、どうやらその業界では常識に近かったらしい事実に、私も含めた映画ファンたちは強い衝撃を受けています。
「広告宣伝が素材に関係なく作られるとは思ってもいませんでした。最近年を取るのも悪くないと思う事項が増えました。このような胸悪くなる事実も傍観できるのも年のせいです。」
「最近、この件に関していろいろ読んで、知らなかった業界の事情とかも学んで…私って、ずいぶん好意的に判断してたんだなあ、と自分の甘さがいやになっているところです。なんか、映画の宣伝を作る人って、時代背景の勉強どころか、映画を観もしないのが普通みたいですね。『理解』とか『リスペクト』とかいう次元の問題ではありませんでした。映画と宣伝がどんなにかけはなれていても、『映画と宣伝が違うのはよくあること』と言っておけばすむ話ですし。映画の宣伝でなんぼ嘘をついても、訴えられたって例はありませんし。」
といった書き込みにもうかがわれるように、それは虚無感や嫌悪感に近いものさえ生んでいます。
さまざまなかたちで、それぞれに深く映画を愛してきた人たちが、このように傷ついているのを見るにつけ、こんな失望と索漠とした思いをこの人たちに与えることが許されるのかという怒りとともに、その原因の一つを作った私自身が強い罪悪感さえ感じます。
その私自身と言えば、あまりのことに呆然として、打たれたり斬られたりした直後のように、まだ痛みさえよく感じていません。
ある作品を宣伝しようとする時、何よりもパワーとなるのは、作品そのものから自分が与えられる印象ではないのでしょうか。
この最大の武器を手にしないで戦うことの苦しみをむしろ私は思います。担当の方々はなぜそんな苦しい戦いを選ぶのでしょう。
かつて友人たちと書いていた小説の一つの中で、自分の信じる生き方を投げ捨て、受験勉強に没頭するしかなかった登場人物が、のちにその時の心理をこう語っています。
「小説も読めなくなった僕は、勉強にうちこみ、教科書だけに読みふけりました。しかし、それもやがて苦痛になりました。国語のテキストには理想と行動の一致をとくシュヴァイツァー博士の手紙がありました。世界史の教科書には宗教改革の解説があり、英語の本にはパトリック・ヘンリーのアメリカ独立を叫ぶ手紙が紹介されていました。それらが僕の心の琴線の一すじにでもふれると、たちまち他の糸までが、つられるように鳴りひびき、最後には一つの大きな交響楽となって、僕をゆすぶり、僕の目をさまそうとするのでした。」
あくまで推測にすぎませんが、あるいは、映画が訴えかけてくるものに、心をゆさぶられ、溶かされ、ほどかれ、生き方や考え方を変えさせられそうになるのを何よりも恐れる、そんな厳しい状況の中に他ならぬ宣伝担当の方々はいらっしゃるのかもしれません。
「全員が下調べしたり作品をちゃんと観てるってことはあまりないかも。本当にヒマだったらマスコミ向け社内試写に出るかもしれないですけど、僕なんかほとんど観たことないです(笑)。見るのが仕事ではなく売るのが仕事だし。ドラマのプロデューサーはドラマ見ないですよ。キライな人のほうが多いかもです。」
「テレビなどは視聴率が全てでどんなに文化レベルが高いものでも、数字が取れなければ仕事になりません。お金にならないのです。」
「当面をクリアしないとその後もない状態です。売上を上げないと会社潰れちゃいますし、文化だの芸術だの言ってる余裕がないのが現実です。」
このような、制作現場に携わっていると言われる方の発言がどこまで一般的なものかは私にはわかりません。
また、今回の予告編問題は、こういう事情がある中でも他の例とは同一視できないほど程度がひどいとも私は判断しています。
しかし、このような発言が示す実態はやはりいくらか以上にあるのであり、それが今回のような問題につながったことは否定できないでしょう。
その上で、こういう業界の現状にとまどいと怒りを覚えられる方がもしおられたら、このような状況は私たちにも責任があるのだと、私はその方に言いたい。私たちもまた、いろいろなかたちで、このような状態を作り出すことに荷担したのです。何かをすることで。何かをしないことで。
私は文学の研究をし、人にそれを教えて生きています。
「生きる力」「こころの教育」などとのスローガンとは裏腹に、今、教育の世界でも日本全体でも、このような学問…人の心を見つめ、現実と向き合い、生き方を考える学問は、軽視を通り越して無視されて風前の灯の状態にあります。
また、正月未明のテレビ番組で田原総一朗、小林よしのり氏らがいらだちをこめて語っていたように、今、この国の人々は政治や社会への関心を失い、無気力に無責任になりつつあるかに見えます。このことについて、特にマスメディアの方々の果たす役割はとても大きいと思います。
今回の予告編の問題は、そうしたさまざまのこととも、どこかで深くつながっていると私は感じていますけれど、だからといって、あせることも力むこともないと思っています。
宣伝の仕事にたずさわる人々、映画を好きで見る人々、さまざまな立場から正直に気持ちを告げあい、情報交換することから、何かよい方向はきっと生まれます。
戦うところは戦い、支えあうところは支えあいましょう。何よりお互いの考えと、状況を知りましょう。
考えて、話し合うことは、とても時間と力がいりますが、このことをきっかけに一人でも多くの人がそれを始めて下さったら、日本の映画界にとってそれは必ず大きな力になるはずです。
以下はこれまでに送った手紙です
(以下の手紙の原文には空行はありません。パソコンの画面では読みにくいと思って、適宜、行を空けています。また、原文には句読点がなく、「私」は行末にありますが、読みにくいのでこれも変えました。
また、文中に「コピー」とあるのは、Kumikoさんの「映画『マスター・アンド・コマンダー』の宣伝に関する意見とお願い」と、私の「まだ見ていない映画のために」関係のすべてのコーナーを印刷したものです。)
手紙(1)
拝啓
突然お手紙をさし上げる失礼をどうぞお許し下さい。
私は、自分の仕事と直接の関係はないのですが、映画が好きで割りとよく見ます。今回このようなお手紙をさし上げたのは、現在映画館で上映されている「マスター・アンド・コマンダー」という映画の予告編について、どうしてもお知らせしたいことがあったからです。この映画は二月末の公開で実は私もまだ見ていません。また予告編が宣伝のためにある程度、本編の内容とちがった紹介をすることも、やむを得ないと考えています。それでも、この予告編には問題が多すぎるように思えてならないのです。私はたまたまこの映画の主演男優のファンでしたが、それが理由でこのようなお手紙を書くことを決意したのではありません。
同封のコピーの最初の三枚は、既に外国でこの映画を見て来られた方の、きわめて要を得た説明と訴えです。四枚目以降の私の文章はまとまりがなく冗漫ですが、この予告編を見た者の反応についての資料ともなるかと思います。ともにホームページに掲載してあり私のホームページ「板坂耀子研究室」で検索していただければごらんいただけます。
なぜこのような予告編になったのかよくわかりません。この映画がアメリカで高い評価を受けながらも観客動員数がやや伸び悩んだことや、内容に感傷性が乏しく日本人の好みにあわないのではという危惧からの処置とは思いますが、私の見たところその処理は決してうまくできておらず、むしろ観客動員の上でマイナスに働く恐れさえあります。何より映画という一つの芸術を作り手から受け手に伝えるに際して、ここまでの改変が宣伝として許されるのかと大きな疑問を持っています。
まだ公開されておらず、自分が見てもいない映画に対してこのような発言をすることへの不安もあります。しかし今考えて対処しなかったら、更に問題が複雑になり、とりかえしがつかなくなるのではという心配もあります。
自分が何をすればいいのか私にはわかりません。 したがって何をお願いしたらいいのかもよくわかりません。ただ映画を愛しておられる方の一人でも多くに、ともかくもこのことを知っていただきたくて書いています。このことに少しでも興味や関心を持っていただけましたら大変ありがたいと思っております。
あまり楽しくもないお手紙をさし上げたことを、くれぐれもお許し下さい。また似たような内容の手紙を、他にもいろいろな方にお送りするかもしれませんので、このことの失礼もあわせてお許しいただきたいと存じます。
最後になりましたが、お仕事の今後ますますのご発展とご活躍を心からお祈り申し上げます。 敬具
二〇〇四年一月四日 じゅうばこ(本名)
手紙(2)
拝啓
突然お手紙をさしあげる失礼をどうぞお許し下さい。
自分の仕事と直接の関係はないのですが、映画が好きで割りとよく見ます。
このたびお手紙をさしあげたのは、現在上映されている、二月末公開予定の映画「マスター・アンド・コマンダー」の予告編について、お知らせし、お考えいただきたいことがあったからです。
宣伝に際して作品の内容をある程度改変することは、やむをえない場合もあると理解しています。しかし同封のコピーをごらんいただければおわかりのように、今回のこの予告編は、その限度を大きく越えているように私には思えてなりません。
まだ公開されておらず、自分が見ていない映画について、このような発言をすることに非常なためらいはあるのですが、このまま放置しておくことにはそれ以上の不安を感じます。
同封のコピーの初めの三枚は、海外ですでに公開されているこの映画を見た方の、きわめて要を得た説明と抗議のよびかけです。私の文章は四枚目以降で冗漫ですが、この予告編を見た者の反応の資料にもなればと添えました。ともにホームページに掲載したもので現在も更新中です。私が管理している掲示板のあるホームページ「板坂耀子研究室」で検索していただければ続きがごらんになれます。
映画を愛するお一人として、このことに関心をよせて下さることを願っております。
なお、これと似た内容の手紙を、他の方にもお送りする予定です。この点の失礼もどうぞお許し下さいますよう。
お仕事のご発展と今後のご活躍を心から祈っております。 敬具
二〇〇四年一月七日 じゅうばこ(本名)
手紙(3)
拝啓
突然お手紙を差し上げる失礼をお許し下さい。
自分の仕事と直接の関係はないのですが、映画が好きで割とよく見ます。このたびお手紙をさし上げたのは、二月末公開予定の映画「マスター・アンド・コマンダー」の予告編について、お知らせし、お考えいただきたかったからです。
映画の宣伝にあたって本編の内容をある程度誇張あるいは部分的に強調するなどの処理が必要なのは充分に理解しているし、その巧みさに膝を打つことも、苦笑しながら共感することもよくあります。しかし同封のコピーをごらんいただければおわかりのように、今回のこの予告編は、その許容範囲をあまりにもはずれているように思います。その結果得るものと失うものを充分に検討してとられた処置とも思えません。
同封したコピーの最初の三枚は、すでに海外では公開されているこの映画をごらんになった方のきわめて要を得た説明と呼びかけです。私の四枚目以降の文章はまとまりませんが、予告編を見た一人の心境の資料ともなるかと添えました。どちらもホームページに掲載したもので、現在も更新中です。
私が管理人をしている掲示板があるホームページ「板坂耀子研究室」で検索していただければ、続きがごらんになれます。
まだ公開されておらず、自分が見ていない映画についてこのような発言をすることはためらいも強くあります。また私たちのこのような批判が、見る人によっては映画の宣伝工作ともとられかねないと思うと、言いしれないほどの深い無力感と徒労感にひたされます。それでもこのまま放置しておくのはあまりにも不安で、ともかく一人でも多くの、映画を愛し、関心をお持ちの方に、この事実に目を向けていただきたくて書いています。
一月五日に出た、この映画の巨大な新聞広告では、原作にも映画にも存在せず、状況からも役柄からも書かれることはまずあり得ない内容の、脇役の少年の母への手紙というものが異様に大きく紹介され、画面に出ている少年の母の肖像としか見えないものは、実際には彼とは何の関係もない、艦長の恋人の肖像であるという、信じられない操作がなされています。映画というものが制作者たちの心血を注いだ一つの芸術といやしくも呼ばれるものならば、それを紹介する者は少なくともそれに対して最低の敬意は払うべきであり、ここにはもはやそれは存在しないと思う私の感覚は、すでにもう日本の映画界では通用しない常識なのでしょうか。
いろいろなご都合もご事情もあることとは存じますが、どうか、私どもの言いつくせないさまざまな気持ちをおくみとりください。
長々と失礼いたしました。私はこれと同じような手紙を他にも何人かの方にお送りしようと思っています。その点の失礼もあわせてお許し願いたく存じます。
最後になりましたが、お仕事の今後ますますの御発展を心から祈っております。 敬具
二〇〇四年一月九日 じゅうばこ(本名)
ブエナ・ビスタ宣伝担当への手紙
拝啓
貴社の紹介される映画の数々をいつも楽しんできた者です。
既にマックス・パーキス・ファンサイトの担当者の方へは一度メールをさし上げたのですが、現在上映中の「マスター・アンド・コマンダー」の予告編についてお願いしたいことがあってペンをとりました。
私は、この映画の監督、出演俳優、原作のファンで、どのような作品になるのか大変気になっていました。海外で見た知人たちの評価も高く、公開を期待していました。
しかし予告編を見て、その期待を裏切られました。実のところ、これまで映画も予告編もずいぶん見て来ましたが、これほど強くその映画に対する拒絶反応を与えた予告編は初めてでした。最初私は、これは映画そのものがそういう映画なのだろうと思い、既に見た方々から映画とはまったく異なる内容を紹介していると聞いたあとでは、予告編が勝手に作った筋書きが私の好みにあわなかったのだろうと判断しました。その後、宣伝担当の方はどうやら映画そのものをごらんにならないで予告編も含めた宣伝をなさっている可能性が高いとわかった時も、驚きも失望もしましたけれど、そういうかたちででもとにかく一人でも多くの人を映画館に連れて行くというやり方もあるのだろうかと、思ってもみました。
けれど、どのように考えても、この映画が本来持っているさまざまな批評家筋に激賞され、気むずかしい原作ファンまで納得させたさまざまな魅力を犠牲にしてまで「国の戦争政策の犠牲になったいたいけな少年たちの成長物語」というまったく存在しない別の筋を押し出すことが、それほどに人を集める効果を生むとは思えません。そのようなことが許されるかどうかは別にしてもです。
職業柄、若い人から老年までかなり幅広い人たちとつきあい、映画の話も出ますが、あれだけの大きな広告が新聞に出たあとも、私がこの映画の話をしても広告を見た人たちは何の印象も抱いていませんでした。私はむしろそれで安心したのですが、いったい「かわいい少年たちのかわいそうな話」でこの映画を売るという方法に、現在何らかの手応えを感じておられるのでしょうか。よほどのたしかな反応があるのでなければ、これだけ問題の多いやり方はおひかえになる方が賢明なのではないでしょうか。
あるいは、このような予告編に対して起こる抗議や批判そのものが、かっこうの宣伝になると判断しておられるのでしょうか。そういうことはよく聞く話ですが、もし本当にそうならあまりにもみじめな考え方と思います。現在日本の映画界や芸術や文化をとりまく状況が苛酷で、制作や宣伝の現場がきれいごとを言っていられない事態にあることも察してはおりますが、だからこそ捨ててはならない誇りもあるのではありませんか。私のような人間が少々の抗議の行動や発言をしようと、宣伝において最高の影響力と責任を持つのは専門の担当者の方です。その自覚をどうか失わないでいただきたいのです。その上で、今の宣伝方法について、もう一度お考え直し下さい。「これでも問題はないだろう」ではなく、「絶対にこれでなければならない」という宣伝をして下さい。
もしもあの予告編が、あの宣伝方法が「あれしかない最高のもので、必ずあれでヒットさせてみせる」と断言されるのでしたら、あと一つだけ、私の危惧していることをお聞き下さい。
あの「少年の母への手紙」が中心となった新聞広告が出たのは、自衛隊の人々が海外に行くことになる直前でした。何と配慮のない文章を掲載するのだろうと暗い気持ちになった直後、他ならぬそういう時期だからこそ、このような「明日の戦いにおびえ、故郷を思う」少年のことばが読者を刺激し、この映画への関心を高めるという計算の上でのことかと思って、全身がおぞましさに総毛立ちました。これが誤解であり、思いすごしであることを私は心から祈ります。
しかし、あるいはこの映画を「戦いにかり出されたかわいそうな少年たちの悲劇」とし「泣かせる物語」にしようとした発想のどこかには、あるいは「戦争に進んで参加した少年たち」の話じゃまずいんじゃないか、一応は「戦争に行くことは悲劇」にしておかないとヤバいんじゃないか、そうしてさえおけば皆無難に泣いてくれるはずという一種のタブーをとても安易に守ってしまった結果もあるような気がしてしかたがありません。何か漠然とそういうことを感じたまま、あいまいに整理しないまま、このような予告編が作られ、宣伝がなされていると感じます。私はもとより、あらゆる戦争に反対ですし、軍隊という存在も好みません。しかし、だからこそ、戦争や軍隊をその魅力も含めて描いた小説や映画は評価しますし、安易にまた浅薄に反戦のスローガンをはりつけたり、そういう基準で批判するのはまちがいだと思っています。戦争や軍隊を、その作家なり監督なりの哲学できちんと描いた作品は、見る者に必ず何かを与え、広い意味での反戦に必ずつながっていくものです。
けれど、それにしてもそれは困難で微妙な仕事です。戦争を描くということは、しかもそこに自分から誇りをもって参加したエリート少年たちも存在する戦争を描くということは、深い洞察を、鋭い分析を、そして卓抜した表現力を必要とします。現在、世界の民族紛争などで少年兵の問題が大きな悲劇として意識されている時、幼い少年たちが参加する戦争の実態を、当時の感覚そのままに等身大に描いて、いたずらに現代のイメージとリンクさせないだけの説得力ある場面を作り上げることが、どれだけ血のにじむような努力を、心と身体を切りきざむ苦闘を要するものだったか、想像もできません。
「いまを生きる」の名作を生み出したピーター・ウィアー監督、「アンボンで何が裁かれたか」を映画デビュー作に選んだラッセル・クロウを初めとしたこの映画のスタッフは、おそらくはそれに成功したのだろうと、映画の評判を聞きながら私は推測していました。
あの予告編がどのようないきさつで作られたのか、あの宣伝方法がどのようにして決定されたのか、あわただしくか、熟慮の結果か、急ぎの仕事か、自信作か、それは私は存じません。知る必要もありません。けれども一つだけあらためてお尋ねしたいのは、戦争や軍隊を描く時、その映画が決定し撰択しなければならない立場や観点の重要さ、それに基づいてなされる表現や描写の精巧さ、絶妙なバランスや深い配慮によって構成された作品全体の味わいの微妙さを考えられた上で、あのようなことをなされたのかということです。おそらくは監督たちが最も避けたかったであろう印象を映画にはりつけ、最も切りはなしたかったはずのイメージを結びつける、そういう作業だと、自覚しておられたのでしょうか。
あのような宣伝であの映画を紹介し、そのような印象を抱いた観客にあの映画を見せることは、あの映画の息の根をとめるにも等しいでしょう。それとひきかえにしてもかまわないほどに人が呼べる宣伝方法なのですか?
どうかご一考願いたいと思います。
貴社のこれまでのお仕事に私は深い感謝と敬意を払っております。お礼を言うべき数々の時は何も言わず、文句を言う時だけこうしてお手紙をさし上げることを、つくづくと心苦しく思っています。
少し前に「ロード・オブ・ザ・リング」の字幕のことが問題になった時、私は字幕の誤りそのものより、それが明らかになってなお何の対処もなされないまま、抗議への無視と事態の放置が続いたことに、ずっと当惑と失望を感じたものです。字幕も日本版予告編も日本映画界の大きな財産と思っていますし、大変な忙しさの中でのお仕事に誤りや不充分が生じるのは当然と思っています。あえて言うならそんなことは気になりません。けれど明らかに問題のある事態がそのままにされつづけているのは、それとはちがった印象を抱かされます。どうか、これまでに築かれてきた私の中の貴社への信頼を裏切らないで下さい。
これまでお手紙をさし上げなかったのは、私への回答などにお時間を使っていただくより、何らかの対処の方を急いでいただきたかったからでした。今もその気持ちは変わらず、したがってこの手紙にお返事は不要でございますが、もしいただいた場合には公開もあり得ることを何とぞご了承下さいませ。
まとまらないまま長々と書きつらねたことをどうぞお許し下さい。
最後になりましたが、貴社のお仕事のご発展を今後ともお祈り申し上げます。 敬具
二〇〇四年一月二十六日 じゅうばこ(本名)
ブエナ・ビスタ・インターナショナル・ジャパン
「マスター・アンド・コマンダー」宣伝担当者 様
ウォルト・ディズニー・インターナショナル・ジャパンへの手紙
拝啓
突然お手紙をさし上げる失礼をお許し下さい。
幼い時に母に連れられて見た「バンビ」や、大学時代に友人と笑いころげて見た「黒ひげ大旋風」など私の思い出の中にはいつもディズニーの映画があります。そのことについて感謝のお手紙をさし上げる機会もないままに、このような注文とも文句ともつかない内容のお願いをすることになったのを、本当に残念に思っています。
とは申しましても、実は私は貴社にどのような責任や権限があるのか、正確にわかっておりません。ただあるいはこの件に関しまして、ご発言なりご考慮なりが可能なお立場なのかもしれないと期待して、お知らせするだけでもしておきたいと思いました。
前おきが大変長くなってしまいましたが、お話したいことと申しますのは、現在映画館で上映されている二月末公開予定「マスター・アンド・コマンダー」の予告編、更にそれをはじめとした、この映画の宣伝方法について抱かずにいられない私の不安と疑問です。
他の方々からもおそらく同様のご指摘の手紙が届いているかと存じますので、この映画の宣伝が原作にも映画にもそして歴史上もまったく存在しない「英国が戦力不足のために海軍に送りこんだ幼い少年たち」の「かわいそうな物語」という枠組のもとに行われ、新聞広告では他の登場人物の肖像を少年士官の母として掲載するなど、見る人を混乱させる可能性の高い作為まで加えている問題点について、くだくだしくは申しません。私の最も気になっていることを一つだけお話したいと思います。
いうまでもないことですが、戦争は大きな悲劇です。そして、その戦争で戦うことを職業とする軍隊についての考えも人によってさまざまです。戦争や軍隊を描く時、特に必ずしも反戦映画としてではなく、また単なる娯楽作でもなく描く場合、監督やスタッフはどのような哲学を持ち、どのような観点から、どういう姿勢で描くかについて、注意深い決断と細心の配慮をしたはずです。
とりわけ、今回の場合、幼い少年たちが戦闘行為に参加していることは、それも誇りをもって積極的に参加していることは、きわめて微妙な要素を持ちます。現在世界各国で行われている不幸な戦争の最も悲惨な要素として、「否応なく戦場にかり出される少年・少女兵士」の問題が存在するからです。このことと重ねあわされ、安易に結びつけられてしまうことは、おそらくは映画にとって命とりでしょう。
そうならないように監督や俳優をはじめとしたスタッフは、超人的な努力をしたはずです。見る人が、今日的な問題と結びつけてしまわないよう、現代の道徳で判断しないよう、一つの時代に一つの世界で生きた人々の群像を等身大に描くことに、魂をきざむような作業をしたはずです。「いまを生きる」の名作を作ったピーター・ウィアー監督なら。デビュー作に「アンボンで何が裁かれたか」の重厚で良心的な戦争犯罪劇を選んだラッセル・クロウなら。
そのような作品だからこそ、逆に今日の問題につながり、戦争の意味や平和の大切さを人に伝えることができます。私は戦争には反対で軍隊はきらいですが、だからこそ、それらをきちんと描いた映画は評価しますし、反戦という安易な意味づけや批判はしてはならないと思っています。
それにしても、この問題…戦争や軍隊といったテーマは微妙であり、多くのことが語られてきただけに、観客はそれぞれの先入観にとらわれやすく、映画はそれを忘れさせるために全編に緻密な計算を行い、絶妙なバランスを保っているはずです。優れた芸術作品が皆そうであるように。
ここまで書けばもうご推察かと思いますが、今回の「戦争にかり出された、かわいそうな少年たち」の宣伝文句は、このような監督はじめスタッフの努力を、その根底から否定するものに他なりません。監督たちが細心の注意と最高の能力をふりしぼって避けようとした方向へ、全力をあげて観客を誘導しています。
これをつぐなって余りある程の集客能力があの宣伝にあろうとは、どう考えても私には到底思えないのです。
また、この点について、宣伝担当の方々が充分にお考えになったとも考えにくいのです。
存在しない「少年士官の母への手紙」を大々的に掲載した新聞広告は、自衛隊の派遣問題が人々の話題になっている時でした。このような時に、ことさらに故郷と母をなつかしむ戦地からの手紙を大新聞の大紙面に載せる感覚が私には信じられませんでした。無意識にせよ、効果をねらってにせよ、そこには戦争や軍隊について真剣に考えている姿勢はうかがえませんでした。
あの「かわいそうな少年の悲劇」という宣伝路線そのものが、「自ら進んで戦う少年たちの話じゃまずいんじゃないのか」という反戦タブーめいた、実にいいかげんな配慮から派生してきたのではないかという疑問は、その時に生まれ、まだ消えません。
言うまでもないことですが、もしもそうなら、それは戦争反対の立場にいる人たちをも愚弄するものでしょう。そのような、いわば軽い気持ちで、おそらくそのような問題については考えに考えぬいた上で作りあげられたあの映画を、最後の最後でこれだけ苦しめて傷つける宣伝方法が選ばれたことが、どうしても私は納得できないのです。
長々と書いてしまいました。失礼な表現はおわびいたします。
このようなお願いが、きれいごとだ、理想論だとおっしゃるのなら、私のこのようなものの考え方や生き方は、かなりの部分、ディズニーの映画によって教えられ、養われ、支えられてきたものだということを、最後に、心をこめて、力をこめて、お伝えしたいと思います。現実の厳しさを充分に知った上でなお、希望することも、絶望することも恐れずに、前進する力と知恵を貴社の映画から私はいただきました。
これからもそのような存在でありつづけるためにも、どうぞ、この問題に目を向けていただくようお願いいたします。
なお、この手紙にお返事はいりません。万一いただいた場合は公開させて頂く可能性もございますので、どうぞご了承下さいますよう。
貴社の今後ますますの御発展を心より祈っております。 敬具
二〇〇四年一月二十六日 じゅうばこ(本名)
ウォルト・ディズニー・インターナショナル・ジャパン(株)
星野康二 様
橋本)区切りの目印として、後に消去!!!!!!!
仮)じゅうばこの資料棚 → ファンの方たちとの活動がわかる形にタイトルを変更
ここには、「マスター・アンド・コマンダー」予告編に関する問題で、私が掲示板以外で発送した文書、あるいは他の方の書かれた文章で許可を得たものを掲載します。何かの資料や参考になさって下さい。ただし、私以外の方の文章は許可なく転載はしないで下さい。
1 ファンの一人が出した要望書(無断転載を禁じます)
ブエナ・ビスタ・ジャパン宣伝部長及びご担当者様
映画「MASTER and COMMANDER」の日本での予告宣伝について苦情と要望を申し上げます。
現在、日本で流されている予告編は本編と全く異なるばかりか、本編を著しく歪曲し、嘘に満ちた宣伝となっております。
私がこう申し上げるのは、既に海外でこの映画を何度となく観ているからです。
そして、映画の完成度の高さに非常に感動いたしました。
また、海外在住の友人達を含めて多数の人が本編を何度も観ており、同様に高い評価を持っていますが、それだけに日本での予告宣伝の欺瞞性に大変怒っております。
その内容の欺瞞性は以下の通りです。
1、話しを歪曲し、特に少年士官候補生の役割を戦争の犠牲者に仕立て上げて、本編には無い話を作り上げ強調している。それは原作にもある当時の常識的な歴史的背景をも著しく歪曲したものとなっている。
2、その少年を準主役の扱いにし、Paul Bettanyを始めとする役者陣を過小に描いている。他社におけるどの映画宣伝を見ても、御社にあるようなキャストの紹介はしていない。
3、Aubreyは本編とは全く違う人物に描かれ、とくにMaturinの存在はゼロに等しく、大事な脇役を少しも描いていない。
4、映画を若者(特に女性)向けの話しに捏造している。Max Pirkisを主役級の扱いにしたファン・サイトまで設けて宣伝の中心にしている。
4については御社の観客動員のための苦肉の策と判断しますが、その露骨さが著しく、本作品を歪めている主要因と思われます。
余談ですが、この少年は成長期であり、御社が盛んに謳っているような「可愛い」少年ではなくなりつつあるのは海外プレミエで実際に本人に逢った人の言があります。(もちろん、この少年にも日本での状況を訴えるべく準備しております。)
予告編では上記の内容の画面に少年のナレーションを重ねているなど、宣伝方策とはいえ、甚だしく逸脱し、それには不快感さえあります。
調べた限り、公開国でこのような予告編が流されているのは日本だけであり、御社がとった宣伝方針は若年層の動員狙いとはいえ、「虚偽の宣伝」に該当します。
既に日本のインターネット上では抗議の声が拡がり、海外にも波紋は拡がりつつあります。
ラッセル・クロウのファンサイト、原作者のパトリック・オブライアンのサイト等をご覧いただければお判りになります。また、製作者サイドにもこの問題を正式に伝えるべく作業を開始いたしました。
このままいけば、やがては活字メディアでも取り上げることとなるでしょう。
この問題が映画のヒットにプラスとはならないことは言うまでもないばかりか、この業界における御社の信頼性をも損なうこととなります。
このままでは、宣伝を信じて観た人を裏切り、前からこの映画の公開を待ち望んだ人を遠ざける結果となります。
くりかえしますが、映画のヒットにはつながりません。
私はこの映画に出演している俳優たちのファンであり、同時に原作の愛読者でもあります。
御社に変更の姿勢がみられないかぎり、あくまでも抗議は続けますし、その手段をかぎりなく拡げていく所存です。
是非とも、可及的速やかに対処してくださる事を要望します。
★要望は
1、本作の予告編を諸外国同様のものに戻し、余計な手を加えない。
2、ネット上のサイト宣伝を中止し、1に即したものに変更する。
3、既に配布された宣伝物は致し方ないとして、今後は「少年を客引き材料」とした、映画の趣旨にそぐわない物を廃棄・変更する。
4、字幕に宣伝路線を反映させない。
尚、この要望に対する御社の正式な回答を1月20日までに要請いたします。
その回答は公開されることを前提として下さい。
また、期日を過ぎてもなんら回答のない場合は拒否と受け取り、更なる行動に移らざるを得ない旨ここに通知しておきます。
共に映画のヒットを願っている立場でありながら、このような事態になった事を大変残念に思っております。敬具
2 ファンの一人がBVJの宣伝担当の方とかわしたやりとり(抄録)
(電話での応答をご本人がまとめられて他のサイトに書き込みされたものを、ご本人の許可を得て紹介させていただきます。この内容についてはご本人に再度確認し、歪曲や捏造はないと判断して掲載しました。無断転載を禁じます)
実は、今日、だいぶ事実確認が出来ましたので、BVJの宣伝担当に電話を入れて 話しました。
まず、昨日の新聞予告の件である旨を伝えたら、かなり待たされてから物慣れた女性 に電話が代わりました。
以下、やりとりです。
Q:既に海外で観て来た××といいますが、昨日の新聞広告と内容が違うので確認 させて下さい。まず、手紙の上にある肖像画のロケットですが、あれはロードBの母親 ですか?
A:こちらは本社から送られてきた材料を使っているだけですので。
Q:では、本社からの説明に母親とあったのですか?
A:いや、そういうわけでは・・・
Q:それでは、あの肖像画のロケットは艦長の恋人か妻であるソフィーであるのを知っていて ああいう掲載の仕方をしたのですね?
A:えええっ!!(※ほんとうに驚いてました。この後しばらく絶句してました。)
Q:知らなかったのですか?
A:いえ、あの、その、教えていただいて有難うございます。
(※これには、私の方が絶句しました。)
Q:じゃあ、映画の中でロードBが手紙を書くシーンなんて無いことは知ってますか?
A:はい。それは、この前映画を観て判りました。
(※12月16日に完成試写会をやっているので、その時のことか。あるいは抗議の声が多い のでデモテープを観たか。)
Q:ということは、あれだけの宣伝を用意したのに、映画を観てなかった、内容を知らなかった ということですか?
A:映画宣伝は内容と違うものを作るということはよくあるので。
Q:多少の誇大化や強調は私も知ってますが、今回のは無い話を作って、全く異なる映画 にしてますよ。それでも許される範囲だと思うのですか?
A:××さんのように観て来た人がそういるわけでは無いので・・・
Q:観てない人を騙しても良いということですか?
A:そうではなくて、映画宣伝は中味と違うのはよくあることなので(※以下この言い訳が何度 も繰返される。)
Q:役者陣は有名だし、原作もよく読まれています。情報は公開国からもどんどん入ってきて いて、多くの人が怒り困惑しています。この状態に対してどう思われますか。
A:社内で検討いたします。
Q:間違った予告編を修正し、ネット上の宣伝も方針を変更し、今後の宣伝路線を変えるように相談するということですか?
A:ご意見があったことを伝えて、社内で検討しますが、なにぶんにも組織で動いているもので。
Q:大きな組織なら大変かもしれませんけど、あなたのところはそうじゃないでしょう?
A:!!カハハハ~(※この笑い声は妙に明るかった・・・)
Q:では、その変更が形になって現れるのを毎日チェックしてますから。あなたのお名前を教えて 下さい。
A:一般の方には名前は教えないことになっております。
Q:警戒しているのですね。映画のヒットのためにも、こちらも更に注意しております。
以上です。
最悪の予想通りで、彼らはよく考えて今の路線をとったのですらなく、満足な下調べもしないで、 安直に作りあげた、のでした。
3 ある方が出された抗議の手紙
(知り合いの方を通じて、こちらに提供していただきました。最初の手紙で言いつくせなかったことがあるからと、あらためて書き直されたものも添えられていました。あわせて掲載いたします。無断転載を禁じます。)
拝啓、貴社益々のご繁栄お喜び申し上げます。
さて、この度貴社配給によるFOX映画「マスター・アンド・コマンダー」について 申し上げます。
この映画をたまたまロンドン滞在中に鑑賞いたしました。
近来稀な海洋活劇と興味を持ち、アカデミー賞俳優主演もまた期待感を高め 楽しんで観賞いたしました。
作品の出来はやや地味ながら、時代背景や衣装にも考証が行き渡っており、 当時の船乗りの手や爪にも気を配り、衣装もその時代らしくわざと汚し古びさせ全く 現代の匂いのない画面に思わず惹きこまれました。
帰国後はもう一度字幕で観賞したいものと、日本公開を楽しみにしておりました。し かし、先日の新聞広告はどうしたのですか?あの少年士官が手紙を書くシーンなど無 かったと思いますが?
それに、あの小さな写真のご婦人は少年の母親ではなく、オーブーリー艦長が手紙を したためている相手だと思いますが、このような予告編での変更は常に行われている ものなのでしょうか?それとも、日本向けのバージョンが別にあるのでしょうか?
不思議に思いインターネットで検索したところ、貴社の予告編は全く本編の趣旨を伝 えていません。
あの時代の貴族の子弟は名誉の為、高貴な者の義務として戦いに赴くのであり、愛す る者の為ではありません。
そして、手紙を作るのならばもう少しらしく作れなかったのでしょうか?
母さんではなく母上とすべきです。
そして、オーブーリー艦長の「お前・・・」の台詞です。
日本の時代劇でも、侍同士はお前呼ばわりしません。必ずだれそれ殿と敬称をつけま す。たとえ、敵であってもです。
映画中の台詞にはMR,だれそれと呼んでいたのを記憶しています。
映画の雰囲気とあまりの違いに驚き手紙を差し上げたしだいです。
最早、出来上がった物に難癖をつけるとお思いでしょうが、若者向けにターゲットさ れたのであれば、若者や子供は映画を見てがっかりするでしょう。甘さやしめっぽさ の微塵もない硬質の映像に、分かる子供もいるかもしれませんが日本の甘ったれさん 達には理解できない映画だと思います。
今後は、このような驚きに満ちた予告編がないように祈りつつ終わりにいたします。
敬具
(書き直された二回目の手紙です)
拝啓、寒さ厳しき折から編集部の皆々様にはお忙しく仕事にお励みと思います。
さて、「マスター・アンド・コマンダー」の宣伝についてお話させて下さい。
海外で「M&C」を見ました。男っぽさ満載の骨太な久しぶりに観る海洋活劇の本髄を 見た思いがしました。
主演俳優の演技はアカデミー賞俳優の名にたがわず素晴らしかったし、脇を固めるド クター役の俳優との息の合った演技は名コンビと言える程の絶妙の間でした。
この度の新聞広告を見て驚きました。その大きさではありません。準主役とも言うべ き俳優を差し置いて、少年が大きく扱われていましたね。
男と海と帆船の戦いの映画が、いつの間にか少年の成長物語になっているではありま せんか。
おかしいのは少年士官の手紙です。あの時代の貴族の子弟はプライド高く、名誉を何 より大事にしていた筈です。戦うすべを知らなかった!!言うはずが無い。 英国貴族は広大な領地を持ち、幼い時から特別な教育を受けて育ち、子供と言えども 立派な大人です。大の男を命令して戦闘する能力はあるのです。日本でも、源平の昔 から武士の子弟は12~3歳で元服して戦った歴史があります。 今の子供には考えられない事ですが、歴史を学ぶいい機会とも思います。お涙頂戴路 線にするのは惜しい映画です。
映画ファンが興味を持つは可愛い男の子ばかりではありません。映画そのものの持つ パワーにも惹かれるのです。丁寧に作られた映画には何処と無く漂うパワーがありま す。作り手の意気込みやメッセージが伝わるのです。
「マスター・アンド・コマンダー」にはその映画の持つ力を感じました。決してお涙 路線で売る映画ではありません。
予告編や広告は公開にあわせて段階を踏んで変わるそうですが、どうぞ、変更なさっ て下さい。必ずや口コミで反響があると思います。 何度も観たくなる不思議な映画です。隅々まで拘った映像は後で気に掛ってもう一度 観ずにはいられないと思うのです。
営業活動の流れでこのように歪んだ形になってしまったのでしょうが、海外の予告編 の力強さは成熟した大人、男性の観客を惹きつけています。
知り合いの外人男性は三度観て、三度同じシーンでのジョークを大声で笑いこんなに 男が楽しめる映画は最近無かったと仰ったそうです。
確かに、ユーモァも洗練されていて日本語字幕では難しいでしょう、ジョークは様々 の解釈でいいのですが、予告編中艦長が少年士官達に「お前達」 と言うのあり得ない、必ず、MR,をつけています。日本の時代劇でも何々殿と言うで はありませんか。
礼儀を重んじる武家社会と貴族社会とは同じようなものと考えます。手近にいい見本 があるのにどうして参考になさらないのですか?
字幕作者が忙しいとのお言葉は言い訳になりません。公に披露する映画の字幕は慎重 に扱うべきです。観た人は誤った知識を記憶してしまいます。 熟慮されるべきです。
この映画を担当されたジャーナリストの皆様にお願いします。無冠の帝王の意味をよ くお考えになって下さい。(国語辞典にあります)
ペン一本で権威に物申す、その潔さは動員数と売上高で消えてしまったのですか?折 角の無冠の帝王の称号を大切になさって下さい。
映画の宣伝などでこの言葉を持ち出すのは大げさとお思いでしょうが、たかが映画さ れど映画です。
いささか言葉が過ぎたようです。しかし、「M&C」の広告宣伝を憂う者の心の叫びと してお聞き下されば幸甚です。
敬具
4 印象に残った一文
(KumikoさんのHPの「日記」1月13日の「嫉妬を感じる」というタイトルで記述されたものです。この映画の広告は私が見たのでも、おすぎさんの評価を短い中にきちんと紹介して、知人の一人がそれ読んで「見に行きたい」と言っていました。この「日記」の嘆息が私にはよくわかります。許可をいただいて転載しました。無断転載を禁じます。)
もう、あんまりこのことばっかり言っていたくないけどね、言わずにいられない。
今日ね、新聞である映画の広告を見たのですよ。「タイムライン」という映画。「M&C」の見開き2ページに比べたら、ちっちゃいちっちゃい、2×5センチぐらいの広告ですよ。でも、14世紀にタイムスリップするという映画の内容に合わせて、「14世紀のマメ知識」みたいなのを書いている、ちょっと目を引く広告なんですよね。
言っちゃ悪いけど、「タイムライン」なんてねえ、本国では批評家にクソミソにけなされ(くされトマトではなんとホメ率11%。ちなみに「M&C」は84%)、ボックスオフィスでも大コケした映画ですよ。でもね、この小さい広告には、「何とかこの映画に興味を持って欲しい」という気持ちが表れている。「どこかに売れる要素がないか」と、よく調べ、頭を使った痕跡がある。映画をよく知りもしないで、「こんな映画売れやしないんだから、売れる路線(それも、自分で考えたのではなく、よその誰かが成功したものの真似)の内容をでっち上げて観客を騙しとけばいいんだ」という態度で作ったでっかい広告より、ずっと心に響くよ。
「M&C」よりもまともに扱ってもらえている、他の全ての映画に嫉妬を感じる今日このごろです。
※くされトマト=Rotten Tomatoesは、「全米の新聞・雑誌・インターネットの映画批評にリンクし、その映画を何%の批評家がほめているかをグラフで表したサイト」です。一言で言えば 「全米の映画批評を網羅したリンク集」かな?←とKumikoさんがおっしゃっています。私がさっきまでてきとーに書いていたのは嘘です。ごめんなさい。(まちがいがわかると、すぐ訂正することにしているじゅうばこ)
5 ファンの一人がJARO(広告審査機構)に出した審査請求書(無断転載を禁じます)
社団法人 日本広告審査機構御中
新聞掲載の映画宣伝の虚偽について申し上げます。
同封の1月5日夕刊(朝日新聞・読売新聞。各全国版)に掲載された「マスター アンド コマンダー」は以下の3点に関して虚偽と捏造があります。同映画の宣伝・配給会社(ブエナ・ビスタ・インターナショナル・ジャパンー以下BVJと略)はこの虚偽と捏造を基にしたした宣伝活動を予告編、チラシ、ネット上のサイトで繰り返し行っております。
今回は大きな影響力を持つ全国紙の新聞紙上の広告について申し上げます。
1、広告の問題点
1)キャッチ・コピーの捏造と歴史的背景の歪曲。(Aの部分)
「~その兵力を補うために 英国軍が送り込んだのは、まだ幼い少年たちであった・・・」
映画本編(以下本編)では、彼らは貴族の子弟であり、将来海軍の士官となるべく親の積極的な支持の元に乗船しているのであって、徴用されたのでは無い。よって、彼らは上官から訓練は受けるものの指導的立場にあり、闘う術も心得ており、果敢である。この部分はBの手紙の部分とも著しく異なる。
2)捏造と偽造。(Bの部分)
まず、本編ではこのような手紙は登場しない。手紙を書くシーンも無い。母親に言及するのは負傷した少年を気遣う艦長の台詞に一言あるだけで、本編のどこを観ても少年のこのような心情を表すシーンはない。むしろ、この少年は誰よりも勇猛果敢に戦った士官候補生である。むろん、死亡してもいない。
※この点をBVJ宣伝担当者に問いただしたところ「手紙の件が存在しないことは、映画を観て知りました」とのことでした。映画をよく観ないで宣伝物を作っているのであり、そのことの当否を問うたところ「映画の宣伝は中身と違うのはよくあることです。」と、この業界での誇大広告・虚偽宣伝を是認する返事であった。
3)捏造。(Cの部分)
少年が書いたかに見せている手紙の上に肖像画ロケットを表示し、それが母親であるかのようにみせているが、これは全く別の女性であり、本編にも出て来る。
この女性は主役である艦長の婚約者(あるいは妻)であって、冒頭近く艦長が手紙を書くシーンの時に登場する。その通りに解釈すると、少年の母親は艦長の婚約者(あるいは妻)という関係になる。この女性は原作でも重要な役割で本編時代はまだ20代前半である。因みに少年は12歳の役である。
※この点をBVJ宣伝担当に問いただしたら、この肖像画ロケットがそういう物であることを全く知らなかった。本社(アメリカ)から送られてきたものをそのまま使った、との事であるが、本国からの資料に「少年の母親」と明示されていたわけではないことは認めている。
4)意識的な無視。(全体)
上記の映画内容で宣伝するために、大事な助演陣を全て無視して「可愛い天使のような少年」のみを強調している。この少年は脇役に過ぎない。
2、広告及び同社の予告宣伝が及ぼしている影響
1)情報の混乱
現在の映画は日本公開の前に多くの人がその作品を観ることが出来、今回の同作品も多数が海外で鑑賞している。また、公開前に海外からも情報がふんだんに入手できる。 そうした実際の鑑賞から得た知識と、BVJの宣伝との乖離はあまりにも大きすぎ、同じ作品とは思われない混乱を人々の間にもたらしている。
例:本作品の監督・出演俳優のファン・クラブ、ファン・サイトでは1)に基づいた情報(因みにBVJ以外では本国アメリカからの公開情報に基づいた宣伝をしている)活動を行っているが、映画が違うようだとの疑問・抗議が噴出している。
2)文化的混乱
公開国で高い評価を得ている作品をBVJは利益の為に内容を把握もせずに、若い女性の関心を引くのを目的に、間違った印象をもたらす宣伝を行った。
その結果、多くの人に先入観を与え、同社が設定した宣伝路線上で解釈するように誘導している。既に試写会を観た識者の発言にもこの傾向が顕著である。
以上、正当なる広告が成されていないのでご検討ください。
尚、1の間違いの証拠となる根拠については、それぞれの件について、現在でも放映中の国の人たちとのネット通信で確認しており、その記録があります。また、アメリカのサイト上でも既にこの問題は着眼されております。 更に本文中にあるBVJとの電話でのやりとりも記録に残してあります。
宜しくご調査、改善指示をお願い申し上げます。
6 ファンの一人が20世紀FOXに出した要望書(無断転載を禁じます)
宣伝担当者様
Manager,
Marketing Dept.,
映画「MASTER and COMMANDER」の日本での予告宣伝について苦情を申し上げます。
I would like express my dismay for an appalling strategy to promote "Mater & Commander :The Far Side of the World" in Japan.
現在、日本で流されている予告編は本編と全く異なるばかりか、本編を著しく歪曲し、嘘に満ちた宣伝となっております。
I have discovered that a trailer was distorted the premise of the film completely and it gives even a false story line.
私がこう申し上げるのは、既に海外でこの映画を何度となく観ているからです。そして、映画の完成度の高さに非常に感動いたしました。
I have seen this film several times in abroad and am a great fan of This film which you can describe as a masterpiece.
また、海外在住の友人達を含めて5人が本編を何度も観ており、同様に高い評価を持っていますが、それだけに日本での予告宣伝の欺瞞性に大変怒っております。
Not only myself but there are five of us have seen it many times and have raged by the say it's been promoted in Japan.
その内容の欺瞞性は以下の通りです。
I would like to point out the following:
1、話しを歪曲し、特に少年士官の役割を戦争の犠牲者に仕立て上げている。本編には無い話を作り上げ強調している。
The trailer is giving a wrong impression by focusing young midshipmen as victims of war which is fabrication entirely.
2、その少年を準主役の扱いにし、Paul Bettanyを始めとする役者陣を過小に描いている。
Values those young actors more than other actor such as Paul Bettany who really should have credit for.
3、Aubreyは本編とは全く違う人物に描かれ、とくにMaturinの存在はゼロに等しく、大事な脇役を少しも描いていない。
Describes main character, Aubrey as a different one. No connection what so ever to the character in the film. It also ignores Maturin as if he does not exist.
4、映画を子供向けの話しに捏造している。Max Pirkisを中心にした「僕は死にたくなかった!」という趣旨の宣伝を繰り返し、彼を売り出すためのファン・サイトまで設けている。
It distorts a storyline to suite to promote "boys film" by repeating "We did't want to die" like a mantra throughout the trailer. In order to do so, even Max Pirkis fan site was set up.
予告編では上記の内容の画面に甘い声の少年のナレーションを重ねております。
As you can imagine, they use boy's voice as a narration.
調べた限り、諸外国でこのような予告編が流されているのは日本だけであり、公開情報を請け負っているBV(J)の独自の判断かとも思われます。同社に苦情を伝えておりますが一向に回答がありません。
I have found out that only Japan shows this kind of trailer which is a total fabrication. I do believe BVJ's sole decision to create such a trailer.
I have already contacted them to voice my opinion but no avail.
既に日本と海外のインターネット上では抗議の声が拡がり、問題は大きくなりつつあります。やがて活字メディアでも取り上げることとなるでしょう。この騒動は映画のヒットにプラスとはなりません。
It already attracted a great number of complaints on Japanese and overseas' internet sites and getting a huge response. I think it reaches to media as well.
I can not see how this would be an advantage to promote this lovely film.
このままでは、宣伝を信じて観た人を裏切り、前からこの映画の公開を待ち望んだ人を遠ざける結果となります。
くりかえしますが、映画のヒットにはつながりません。
Imagine young audiences' reaction who would expect to see a lot of young boys in action and then they would only be disappointed. A word of mouth would not be kind to this film. If you wish to promote this film this trailer should be reconsidered before it gets too late.
私はこの映画に出演している俳優たちのファンであり、同時に原作の愛読者でもあります。
I am a big fan of actors who were involved and also POB book itself.
この映画を愛する私達はBV(J)の予告宣伝を変更させるべく、また本来の正しいトレイラーを制作してもらうべくあらゆる手を打つつもりです。
We try our best to pass this message to BV(J). I understand they've already made this "young boys trailer" but we would like them to create another proper version of it which this film deserves at least.
貴社におかれましても、可及的速やかに対処してくださる事を要望し ます。敬具
I would be grateful if you could look into this matter as an urgent agenda.
Your sincerely, ○○(実名)
7 ある人がウォルト・ディズニー・ジャパンに出した手紙の一部(長文のため、この方の自己紹介の部分は省略してあります。無断転載を禁じます)
拝啓
突然お手紙を差し上げますことをお許し下さい。
<中略>
ところが先日、ブエナ・ビスタの「マスター・アンド・コマン ダー」日本公式ホームページおよび予告編を拝見し、率直に申 し上げて、愕然としました。これが、本当に私が観た映画だろ うか?何かの間違いではないのか?
この予告編、および宣伝全体において、特に問題である点を二 つに絞って申し上げます。
(1) 映画の紹介が、到底同じ映画だとは思えぬほどかけはなれ ている。
(2) メインのコピーとして、予告編をはじめ全ての宣伝材料に 使用されている
「イギリス軍はその兵力を補うために、幼い少年達まで戦場に 送らざるをえなかった。」という意味の文章は、映画の内容に も歴史的事実にも反し、映画全体に誤解を与える。
まず(1)について申し上げます。この宣伝において、この映画 のストーリーは次のように紹介されています。
「1805年 ヨーロッパ征服を狙うナポレオンの前に、多くの兵 士の尊い命が犠牲となり、イギリス軍はその兵力を補うために 、幼い少年達まで戦場に送らざるをえなかった。弱冠12歳の士 官候補生ブレイクニーら少年達は伝説的な名艦長として名を馳 せるジャック・オーブリー率いるサプライズ号を拿捕するとい う、危険極まりない大追跡だった。攻撃力で圧倒的な優位に立 つアケロン号と、荒れ狂う大海原を相手に、戦う術を知らない 幼い少年達はひたすらにジャック・オーブリー艦長を信じ、愛 する家族に再び会える日を夢見て戦うが・・・・。」(試写会 案内のサイトから引用しました。)
この文章で正しいのは、最初の「1805年」と、「攻撃力で圧倒 的な優位に立つアケロン号と、荒れ狂う大海原を相手に」とい う部分だけです。あとの文章はすべて、焦点がずれているか、 勝手な解釈であるか、はっきりとした誤りです。
もしここに「主演ラッセル・クロウ、監督ピーター・ウィアー 」と記されていなければ、この映画を既に観ている者として「 これは私が観たのとは違う映画だ」と断言していたでしょう。
「映画と宣伝が違うのはよくあることだ」とおっしゃる方もい るかもしれません。しかし、私は既に30年近く映画を見続け ているファンであり、多くの映画宣伝を見てきましたが、これ ほど極端に違う例は記憶にありません。
この「違い」から強く感じるメッセージは、次のようなもので す。「この映画はつまらない。全然違う映画として宣伝し、観 客を騙して映画館まで来させでもしないかぎり、どうしようも ない映画だ。」
このメッセージに怒りを感じるのは、私のようにこの映画を既 に観て、この映画を愛している少数のファンだけでしょう。し かし、今はインターネットの普及により、映画ファンなら、こ のようなハリウッドの話題作については、日本公開前からかな りの情報を得ているのが普通です。公開前に映画の「正体」を 知っているのは配給会社と一部の映画評論家だけ、という時代 とは違うのです。この宣伝を見た人は、今までに得た情報との あまりの違いに戸惑うでしょう。(実際、そういう声をよく聞 きます。)そして、戸惑った人たちが「本編とかけはなれた無 理な宣伝をしているということは、これは観る価値のない映画 なのだ」と結論するのは、むしろ自然ではないでしょうか。そ う思うのも当然です。宣伝を作る人自身が、映画を評価してい ないのですから。それはこの宣伝全体に表れていて、敏感な人 なら気づかずにいられないでしょう。
本当に駄作ならともかく、この映画は本国で批評家の絶賛を受 け、興行においても、大ヒットとはいかぬまでも堅実な成績を 収めています。アカデミー賞ノミネートの声さえある映画です 。一体どうして、その映画を宣伝するのに、これほど躍起にな って本当の姿を隠そうとするのでしょうか。
次に(2)についてですが、これは(1)より遥かに大きな問題だと 私は考えています。
「イギリス軍はその兵力を補うために、幼い少年達まで戦場に 送らざるをえなかった。」
これは明白な偽り、「嘘」です。英国が「兵力の不足を補うた めに幼い少年を戦場に送った」という事実はありません。当時 、平水兵はともかく、海軍士官はむしろ人員過剰でした。戦時 中でさえ乗る艦がなく、「失業」していた士官も多くいたぐら いです。それはこの映画の登場人物、リーダーシップに欠ける ために30歳になっても士官になれない「万年士官候補生」の ホラムを見ても明らかです。
この宣伝で主人公のように紹介されているブレイクニー、カラ ミーたち士官候補生は、将来の士官、艦長、提督として英国海 軍の中枢を担うため、早くから海軍に入って、リーダーシップ や帆船操縦法などを学ぶエリートたちです。彼らの年が若いの は、戦争の激化や兵力不足とは何の関係もなく、平時でも士官 候補生は通常12歳ぐらいで入隊します。彼らは当時の紳士階 級の子弟で、ブレイクニーのような大貴族であることも少なく ありません。
現代の感覚からすれば、彼らは「幼い」かもしれませんが、こ れは200年前を舞台にした映画です。当時の日本においても 、武士の息子は15歳にもならぬうちに元服し、大人として扱 われていたのではないでしょうか。
加えて、海軍の士官候補生が若いのには特別な理由があります 。当時の帆船の操縦方法は非常に複雑で、天文学や数学の知識 を必要とします。彼らはこれを、18~19歳で一人前の「士官」 として認められる時までに、完全にマスターしなければなりま せん。1年や2年で出来ることではありません。そしてひとた び士官になったなら、艦長の片腕として軍艦の運営すべてを指 導しなければなりません。優秀な者なら小さい艦を任され、艦 長として多くの部下の命を預かることもあるのです。早くから それにむかって努力するのは、いわゆる「ノーブレス・オブリ ージ」です。それなのに、自分たちが「大人の兵が足りないか ら補うために送り込まれた」「まだ戦う術を知らない」子供だ と書かれていることを知ったら、彼らはどんなに嘆くことでし ょう。
このコピーを信じてこの映画を観る人は、映画全体をまったく 誤った前提で観ることになってしまいます。士官候補生が負傷 する、あるいは戦死する場面でも、彼らが「大人の兵が不足し たために仕方なく、無理やり戦場に送り込まれたかわいそうな 子供」であるか、「自ら一生の職業として海軍士官を選び、将 来の海軍を担うリーダーを目指して修行中の若者」であるかで 、大きく意味が違ってきます。どちらが政治的に正しいか、ど ちらがより涙を誘うかという問題ではありません。前者は、映 画の意図にも歴史的事実にも反する「嘘」なのです。
この映画の製作過程が綴られた「The Making of Master and Commander 」という非常に優れた本があります。それを読むと、この映画 が時代考証に細心の注意を払って作られたということがわかり ます。ピーター・ウィアー監督をはじめとする多くのスタッフ たちは、この時代の帆船の世界を完璧に再現するために、信じ られないほどの凄まじい努力を払っています。ほんの一例を挙 げますと、この映画の衣装はすべて当時の布を再現し、手縫い で仕上げられています。この映画を観れば、歴史にそれほど知 識のない者ですら、本物だけが持つ力に魅了されずにいられま せん。
英米の熱狂的パトリック・オブライアン(原作者)ファンは、 この時代の歴史に造詣が深く、かつ厳しく口うるさいことで有 名です。公開前は多くのファンが映画化に懐疑的でした。しか しその彼らですら、この映画の完成度と作り手たちの誠実さに 打たれ、今では大多数がこの映画を絶賛しています。(そのこ とは、"The Gunroom"というオブライアンの世界最大のファン 掲示板を読めばわかります。)
歴史を正しく伝えようと丹精をこめた映画に対し、歴史的に大 きく誤っているばかりか、映画の根底にかかわる部分を決定的 に誤解させるコピーをつけて宣伝するのは、作り手の努力を踏 みにじる行為です。
なお悪いことに、宣伝にメインで使われるコピーというのは公 開前だけの一過性のものではなく、後々までその映画の紹介に 引用されることが多いのです。「全洋画オンライン」というサ イトのこの映画のページには、すでにこのコピーが記載されて います。映画の作り手の意図に沿わないコピーであっても、日 本では「映画の一部」として永遠に残ってしまうのです。
外国映画を配給するという仕事は、「商売」であると同時に、 他国の歴史・文化を伝えるという責任を負った仕事です。これ ほどの映画に、このような他国の歴史も、作り手の努力も一顧 だにしないコピーをつけることが、どれほどこの映画を傷つけ ているか、どれほどひどい侮辱であるか。もし、それを「よく あること」「ささいなこと」としか感じないようなら、文化・ 芸術としての映画に対する敬意を完全に忘れ去ってしまってい ると言わざるを得ません。
多くの日本人と同様、私も幼い頃から、ウォルト・ディズニー 社の発信する文化に親しんできました。「ピーター・パン」「 美女と野獣」「アラジン」「トイ・ストーリー」などの優れた 映画をはじめ、ミッキー・マウスなどのTVアニメ、そして東 京ディズニーランド。これらのエンターテイメント文化に、私 が長年に渡ってどれだけ励まされ、心慰められてきたか、言葉 にはできないほどです。ディズニーの映画もテーマパークも、 アメリカで生み出されたその品質と精神を損なわぬよう、多く の方が細心の注意と多大な努力を払い、大切に大切に日本に伝 えてきのだと思います。だからこそ、私を含む多くの日本人を 感動させてきたのではないでしょうか。
そのディズニーの系列会社であるブエナ・ビスタ・ジャパンが 、他社(20世紀FOX)の製作した映画に対してこれほど無 神経な行為をしているのは、誠に残念でなりません。
長々と差し出がましいことを申し上げましたが、これも「マス ター・アンド・コマンダー」という映画を、また映画というも の全体を愛しているが故です。この件に関しまして、貴社のご 高配の程を何卒よろしくお願いします。
敬具
8 監督、俳優たちへの手紙(既に発送され、一部は届いているはずです。無断転載を禁じます)
※以下の文章は監督のピーター・ウィアー、俳優のラッセル・クロウ、ポール・ベタニー の三氏に宛てたものです。内容は、差出人、国内外の人たち8名が合議の上で作成しまし た。文中の実名は全て伏せてありますが送った文章には本名が記してあります。また、本文の文末には差出人名と連絡先が明記されています。
まず、大まかな日本語訳を載せ、次に彼らに送った英文を載せます。
親愛なる Mr.Crowe(ポール・ベタニー、ピーター・ウィアー監督) 及び 関係者の皆様方
「MASTER AND COMMANDER」について重要なお願いがあります。
私達は日本人で、既にこの映画を何度となく観ております。
大変素晴らしい作品で、俳優達の演技も、話しの展開も、小道具の一つ一つ、爪の色、 船の上の洗濯物への気配りなど、全てに感動いたしました。
何度も何度も、感動を確認するために、現在も日本とイギリス、アメリカとの間で メールのやり取りをしております。ファン・サイトもあります。
さて、日本では2月28日に公開されます。
日本に住む映画ファンは、撮影開始からその日を待ち望んでいました。
ところが、大変残念なことに、ここに来て、大きな問題が起きました。
12月中旬より、予告編を含む宣伝が始まりましたが、その内容が、映画本編とは 全く違うものになっていたのです。
当時の歴史を歪曲し、話しを捏造し、重要な俳優陣を故意に無視し、「天使のような 少年たちの悲劇の話し」に作り変えています。
予告編・新聞広告・チラシ・ネット上での宣伝全てをこの内容で繰り返しています。
※どのように作り変えられているか、資料の一部を添付しましたのでご覧下さい。
注:資料として新聞、チラシを同封。この部分は別途、資料に「説明文」を 添付しました。
私達はなぜこのようになったのか調査しました。
日本での宣伝配給会社はブエナ・ビスタ・インターナショナル・ジャパンです。
同社は本国から送られた宣伝材料の内容を確認せず、また事前に映画も見ずに、これら の宣伝物を製作したことが判明しています。
質問に対して、BV(J)の宣伝担当者は「宣伝と映画の中身は違っていて当たり前」 とも言いました。
さらには、観客動員のためには「悲劇にあった可愛い少年」を使うのが一番というのが、 日本の映画宣伝担当者の意向です。
こんな事をしなくても、映画を観れば、この少年達の演技の素晴らしさは充分に判るの に、今では、映画ファンの間では、この少年は問題の焦点となり、嫌われ者にもなりか ねません。全く残念です。
これまでにも、日本では何度となくそういう例がありました。
古い時代感覚、観客を馬鹿にした宣伝が映画のヒットを阻んだ例はいくらでもあります。
我々も宣伝を鵜呑みにはしませんが、今度のケースはあまりにもひどすぎます。
イギリス在住のHeidi(実名を)は「ブランディをジュースだと言って売ってるよう なものだ」と嘆いております。
この宣伝が拡がった結果、監督・俳優のファンの人たちは「こんな映画じゃないはず。 観たくない」とも言ってます。
BV(J)主催の試写会を観た評論家は「少年達の挫折と成長の映画だが中々良かった」 と勘違いの評価をしています。
つまり、観る前に観客に先入観を与え、話しの解釈を誘導した結果がこれなのです。 既に観た私達はこの路線で字幕が作られることを恐れ、怖くて観に行けません。
大学教授のじゅうばこ(実名)は文化芸術への侵害と冒涜を怒り、激務の中を、関係各所 に改善を働きかけています。
自らも宣伝を仕事とするせんべい(実名)はこんな滅茶苦茶な宣伝は初めてだ、と呆れ BV(J)に変更を要請してますが、なんら回答はありません。
さる11月○日、ロンドンプレミエまで12時間をかけて観に行ったまりえる(実名)は ショックのあまり食欲不振になりました。
海外在住の人たちは、ファン・サイトなどで実状を訴えており、反響が拡がっています。
監督や俳優の方達はマーケティングにはタッチしないのであろう、と思いますが、私達に はここから始まるのです。
どうぞ、製作の20世紀FOXやBV(J)へ「日本ではどうなっている? この映画宣 伝がおかしいそうだが?」と伝えてください。そして、他の主要国と同じ宣伝にしてくれ るように要望して下さい。
映画という芸術作品が、日本でも正しく伝えられるように、お力を貸して下さい。
ここには、要望する者の一部しか名前を書けませんが、沢山のファンがこの映画の正しい 公開を待ち望んでいるのです。
ぜひ、お力添えをお願いいたします。
更なるご活躍と、次に公開される映画を楽しみにしております。
(尚、お問い合わせがありましたら、連絡先を記載している所にご連絡下さい。)
Dear Sirs,
We are Japanese and we love Master & Commander. We have viewed it dozens of time.
We would like to draw to your attention the marketing strategy of the film in Japan.
All of us can not stop talking about it since we first saw it. We all exchange our thoughts and comments via e-mails and fan site postings.
We have been looking forward to its' release date, 28th Feb 04, in Japan since it was announced.
But unfortunately the marketing of the film in this country has spoiled our expectations.
Promotion of the film started in mid- December but to our amazement, a misguiding trailer was produced and shown in cinemas throughout Japan.
They twisted and turned a storyline , ignored all the major actors and fabricated a tragic tale of angelic boys who were caught in a war.- See attached.
They have been enforcing this image in all trailers, newspaper/internet adverts and all other promotional materials.
We contacted the distributor, Buena Vista Japan and discovered that they did not check literature nor actually saw the movie.
When we queried one of marketing staffs we were told clearly that it's a usual practice that adverts shows something totally different from the actual film.
And in their opinion it's better to push this "tragic pretty boys image" in order to appeal to more general public.
It may be so, as this is not the only one to be exaggerated and presented as a something different.
But this fabrication of the story is beyond our comprehension. Just unacceptable.
**** who lives in London describes "It's like selling brandy as a sweet fruit juice."
Because of this false trailer, fans of the director and actors feel they would like to boycott the movie.
One film critic said "It's a quite good film for a story of boys' struggle to growing-up" this statement itself shows that people have been fed a wrong image of it and it has been viewed as kid's film.
We are very afraid of the Japanese subtitles as well.
********,a university professor who had not seen the film but trailer was enraged by the way they insulted fine literature in this way.
******** who is herself in the marketing business had never seen such irresponsible false promotional material inher life and contacted BV(J) in a effort to get them to revise the trailer but to noavail.
******** who went to Royal Premier in London by flying the other side of the globe was in such a state that she lost appetite and has not been well since.
We have been posting our opinions at some film sites worldwide and got some good reaction by it.
We understand that directors and actors are nothing to do with the actual promotional material but for us it's very important. We just would like to draw your attention to it.
When you have any opportunity, please mention about the marketing in Japan and ask them to look into it.
We would be grateful if they would use the original trailers like other countries.
We believe that film fans in Japan deserve films to be presented in their best unspoiled art form.
Your kind co-operation is greatly appreciated.
Yours sincerely,
※Should you wish to discuss or exchang opinions, please do not hesitate to contact one of us.
9 ある海外在住の方がウォルト・ディズニー・ジャパン㈱ 代表取締役宛に出した手紙(無断転載を禁じます)
突然のお手紙お許し下さい。
ディズニー映画は大好きで、特に今は子供達とよく見に行っております。
愛、友情、冒険、勇気、さまざまな視点からいつも私達に夢と希望を与え続けて来てくれている素晴らしい作品を数多く拝見してまいりました。
しかし、今回はディズニー系列のブエナビスタジャパンにより宣伝の映画「マスターアンドコマンダー」についてお話しさせて下さい。
私は海外に住んでいますが、今現在、この映画を 6 回観賞しています。映画の出来は素晴らしく、特にその帆船の美しさ、その中で繰り広げられる男達のドラマ、ガラパゴス島での撮影など、どれもリアルで、現実からその世界へ入り、まるでその船に乗り合わせてでもいるかのように錯覚してしまうほどです。
日本でも是非字幕入りで観賞したいと思っていましたが、ブエナビスタジャパンのサイトを見て唖然としてしまいました。
なぜ主役でもない少年をあのように大きく取り上げて、ファンサイトまで作り、戦争の犠牲者として可哀想な戦う少年達として宣伝しているのでしょうか ?
実際、彼ら若い士官候補生は、エリートでありプロとして乗船しておりとても勇敢に戦うのです。
さらに新聞広告の酷さといったらもう愕然としました。あの少年が母に書いた手紙その内容すべてが捏造です。誰がいったいあのような物を書いたのでしょうか ? 信じがたいです。しかも映画の中でとても重要なドクターマチュリンのことは、完全に無視されているようですし・・・
予告編に至っては、あの甘ったるい少年のナレーションを嘘だらけの言葉で入れて、お涙ちょうだい路線にしています。どうしてこのようなことをするのでしょうか ? これは女性向け?子供向け? に作られた偽りの予告であることは間違いありません。
たとえ一年に一度しか映画を見ない人を呼べたとしても、結果的には騙すことになります。この映画の本質は、何度も見るリピーターがいるということをお忘れではないですか ? 騙して見せた観客の声と、口コミで広がっていくであろうリピータと、どちらが大切だとお思いですか ? なぜそのままの海外向けの予告を使用せず、偽りの予告を作るのでしょうか ?
理解出来ません。
すでにこのことはネット上で海外のサイトにも広く知れ渡っており波紋を広げています。
この映画を楽しみにしている原作本のファンも沢山いますが、皆一番気にかけているのは字幕のことです。予告の字幕ではキャプテンが少年のことを「お前たち」と呼んでいるらしいですね。映画では「ミスター、ロード」ときちんと呼んでいます。
すでに一部の方達は、監督俳優にその事実を知らせるべき行動を取っているようです。
お願いです。私達は心からこの映画を愛しています。決して汚すような宣伝、広告、字幕だけは止めていただきたいのです。
このことは歴史的事実にも反していることになるのです。
書面にてたいへん失礼ではございますが、なにとぞよろしくお願い申し上げます。
(署名)
10 ある方がウォルト・ディズニー・ジャパン㈱ に出した手紙(無断転載を禁じます)
ウォルト・ディズニー・インターナショナル・ジャパン(株)
宣伝担当スタッフの皆様へ
厳寒の候ではありますが、微かな梅の香りに早春の足音を聞く今日この頃、貴社 益々のご清栄お慶び申し上げます。
突然お便りを差し上げる無礼をお許しくださいませ。私は、貴社のアニメーション や映画は子供の頃から拝見しております。
特にウオルト・ディズニー氏が大好きで、お髭の優しいおじ様の大ファンでした。 彼の放送の楽しさは、今の情報溢れる現代っ子には分からない感激で、その頃からま だ見ぬアメリカに憧れを持ち、明確な未来の指針に致しました。
余談はおきます、貴社系列のブエナ・ビスタ社における映画「マスター・アンド・ コマンダー」の予告編について申し上げます。
たまたまロンドンに滞在中に見る機会があって、最近ではまれに見るリアルな時代描 写の映像と感心いたしました。
帆船の勇壮な戦い、艦長の統率力、少年士官の可憐さ、二時間を19世紀にタイムス リップした感がありました。これは歴史と英国海軍を描いた秀作と思い、現代の子供 達にも是非見せたい映画と思いました。
再び見たい思いから、ネットで検索して予告編を見て驚きました。 少年士官が中 心ではありませんか!
主演俳優と見事なコンビネーションを見せた、あのドクターが全く姿を見せないの は映画の本筋を伝えていません。
また、あの時代の貴族の子弟は、年少でもロードと呼ばれ、名誉と家名のために戦い に赴くのです。
貴族の子弟は幼い時から身分の高い者の義務として、プライド高く生きることを教え られて育ちます。例え、少年でも戦うすべを知らないまま戦場には行きません。日本 の武家社会と同じではないでしょうか。
この映画は、現代の若者が階級なる、今はタブーになっている事実に触れるいい機 会と思いました
現代日本ではあり得ない事になっている、今は形を変えた階級が、厳然と存在する事 実を社会人になってから知るのはあまりに残酷です。
いかにも日本的解釈の予告編は、若年層に間違った歴史知識を植えつけます。この予 告編は、英国海軍の歴史を侮辱し、また、日本の映画ファンをも貶めています。 先日の全ページの新聞広告も間違いを助長していました。少年が手紙を書くシーンは 無かったし、小さな写真の女性は母親ではなく艦長夫人のように見えましたが・・ ・。
子供達が戦場に・・・との設定は、19世紀大英帝国海軍と第二次大戦末期の日本 との全く異なる状況を混同されているように思いました
それとも、製作スタッフの方々はご存知なかったのでしょうか?
予告編の製作は本編を見ないで作られるとかの記事を見ました。こんな事は製作サイ ドでは普通の事だとか、なんと恐ろしい事でしょう。これからの未来を象徴する言葉 か、悪魔の言葉かとも思いました。
貴社の夢溢れた美しい映画の数々がこのような言を発する方々が担当しているとは ・・・言葉がありません。
毎年、我が孫達には貴社のビデオをクリスマスプゼントにしております。現代の良 くも悪くも情報に左右される時代を生き抜く子供達のためにもどうか正しい情報を送 り出して下さいます様お願いいたします。
「マスター・アンド・コマンダー」は孫達にも前売り券をプレゼントするつもりで すが、予告編は間違いである事はきちんと話しておきます。
お忙しい中、お読み頂きありがとうございました。 孫の将来を危惧する祖母よ り
11 ピーター・ウィアー監督記者会見記(何人かの方からうかがって確認修正し、まとめたものです。無断転載を禁じます)
2月5日午後。新宿パークハイアット39階のボールルーム。
厳重なチェックの受付を通ると、次の部屋は海を思わせる青で統一。チェロ2台が挿入曲を生演奏する中でフリーのコーヒーサービス。窓際にズラリと帆船模型。やたら人が多い。
そこから会見会場に入る。壇上にはサプライズ号の船首部分の大きな模型。傍らに大きなテレビ画面があり、始まるまでの時間をエンドレスで少年中心の予告編を流し続けていた。壇上の対面にはズラリとTVクルーのカメラ。
スチール用カメラマンは前列の席にかためられていた。 ぐるり見たところ、予告編を除けば少年の写真などは無い。掲示のポスターは映画館でお馴染みのもの。
そこそこお金をかけている会場設営ではある。
ざっと150人ぐらいの参加者。
その予告編だが、映画館で流している部分に本編が若干編集されていた。字幕の大きさが違うので判る。
どなたかが気にしていたが、予告編では「舵をとれ!」の部分が本編部分では正しく「艦の指揮をとれ!」になっていた・・・と思う。
通訳はタケウチマリさん。聞いてるかぎりではてきぱきと無駄の無い話し方でしたが。
主だったやりとりだけ、メモをベースに再現します。
質問者は指名されたら名前と媒体名を言うのだが、その媒体名は殆ど聞き取れなかった。最初の3、4人はあらかじめ決められていたようだ。(★はメモ)
* * * * * * * * * * * * *
監督登場。まずは紹介のあと・・・(★一部固有名詞はイニシャルに変更省略)
P:(模型を指して)あのオブジェでシドニーに戻りたい(笑)。皆さんようこそ、ありがとう。
ラッセルから皆さんにお詫びしてくれと頼まれました。肩の怪我が無ければ、ここに一緒に並んでいる筈でした。
Q:J・オーブリーにラッセルを起用した理由は?
P:彼以外にはいなかった。OZだからではありません(笑)。なによりもあのリーダー気質です。
Q:マックス・パーキスの顔もそうだが、19世紀の顔立ちに気を使ってオーデションをしたそうですが。
P:1989年、ベルリンの壁崩壊の時のヨーロッパ人の顔がとても印象的でした。彼らはカメラが向いても表情を作ったりしません。特にポーランドの人たちの顔つきは印象深く、エキストラなどにも沢山出てもらいました。
この映画では時代考証をとても大事にしたので、絵画や写真を見て当時の顔立ちを研究し、その上でオーディションをしたのです。今、ハンバーガーを食べてきたばかりという顔では困りますから。
(★このほか女性記者からマックス・パーキスにからめての質問が続く。「撮影後の面白いエピソードは?」「彼の印象は?」とか。監督はそれらの質問には答えつつも、マックス・Pに関しては一言も触れない。不思議なくらい全く触れない。そこで思う。監督は既に日本での宣伝の仕方を知っていたのではないか、と。)
P:面白いエピソードは、メキシコでセカンドユニットが撮影の時、非常に霧が深くて海上は何も見えない状態でした。
その中からいきなり帆船が現れたので、海にいた漁船の人たちは仰天したそうです(笑)。
Q:監督は子どもを主人公にした映画が多いですが、その子どもの視点は監督のものと同じですか?
P:子どもは好きです。大人が苦労するような状況で生き延びていく子どもたちの姿が好きです。でも、子どもの視点は自分のものではありません。この映画の子どもたちは当時の記録を元にしたものなのです。
Q:映画の中では「ミスター・ブレイクニー」と呼ばれていましたが、当時の決まりですか?
P:ヤング・ジェントルマンを意味してます。時代考証によれば彼は「少年」ではありません。「子ども時代」というのは19世紀を過ぎてからの考え方です。当時はたとえ10歳でも働いていれば大人の扱いでした。
Q:男性ばかりの映画だとホモ・セクシュアル的なものを考えがちですが、この映画ではその点をどう考えましたか?
P:当時の英国軍ではホモ・セクシュアルは厳罰で死刑です。それに、私も体験しましたが、帆船を動かすのは重労働でSEXのことなんか考えてられません(笑)。
Q:海での撮影は大変でしたか? ガラパゴス撮影はどこの島ですか?
P:海に行かなければ簡単ですよ。タンクでの撮影とCGIを利用しての100日間です。ガラパゴスロケは、三人でのシーンはバトロメー島(?)。その他のシーンはメキシコのバハでした。
Q:原作には陸地でのシーンもかなりありましたが?
P:当時は海に出るというのは宇宙に行くようなものだったのです。ガラパゴスは宇宙の中の星です。それを描きたかった。だから陸ではなく海の世界に徹底したかったのです。
Q:この映画で伝えたかったメッセージは?
P:私はストーリーテラーであってメッセンジャーではありません。この映画で、人間性、感動を分かち合いたいだけです。特定のメッセージを伝えたいわけではありません。 1805年に戻ってJAと共に過ごして欲しいだけです。理屈をつけたくありません。200年前も今も人間はそう変わらない。彼らからエネルギーをもらって欲しいだけです。
Q:原作についてなにか?
P:私が原作を読んだのはパトリック・オブライアンがまだ生きてる時、90年代のはじめでした。「○○○○ショー」のギフトでプレゼントは何が欲しいかと聞かれてPOの著作を要望したら、ハードカバーの初版本を貰いました。その時はまだ映画化を考えてはいませんでしたが。
Q:アカデミー賞については? 「LOTR」の監督へのライバル意識は?
P:ノミネートが大切だと思ってます。受賞するかどうかは運ですから。
ピーター・ジャクスンは友だちです。彼のところはサプライズ号の模型をつくる時にも力を貸してくれました。
Q:原作ではアメリカ国籍の船が敵でしたが、それをフランスに変えたのは?
P:映画のアケロン号はファントムなのです。どこの国、を象徴しているのではありません。
だから、とくに仏軍を、というのでもありません。JAが自分と戦っている意味でもあるのです。
司会:最後に監督からひとことを。
P:私は原作を読み、とても楽しかった。それを伝えたかったのです。映画の中の男たちを理解し愛して欲しい。
そして2時間ちょっとを楽しんでください。
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★このインタビュー記録は通訳の言葉をメモし、それを再現したもので、正確な言葉や微妙なニュアンスに違いがあると思います。ご了解ください。