映画「マスター&コマンダー」私自身のこの問題との関わりの経緯
目次
以下は、昨年の暮れにこの予告編を初めて見てからの、あちこちの掲示板に私が書いた文章です。一人の観客の気持の変化の経緯を知る資料にもなるかと思って収録しました。
長すぎて、多すぎて、読めない!という方、「雑記帳」では「●1」などのタイトルが「 ●1」みたいに赤いものだけでも読んでいただければ…って、それもけっこう長いけど(笑)。
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[1264] 何だか狐につままれたよう…。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2003/12/27(Sat) 11:26さっき、街の映画館で「予告編大会」というのをやっていて、「マスター&コマンダー」の予告もあったので見たのですけどね。
困ったなあ…予告編を見る限り、私この映画、大っきらいです。何なの、この安っぽさ、甘っちょろさ、ガキっぽさ、鼻につく教訓臭、ありきたりの泥臭い「少年成長」もののお涙ちょうだい路線は。
いっくら主演の二人(ラッセル・クロウとポール・ベタニー)が好きだと言っても、こんな映画おぞましくって見る気にもなれないわ。
もともと私、少年が(人間が?)成長する、って話がキライで、しかも集団で成長なんて、それも戦争を通してやってくれるなんて、よくもまあ、これだけ私の嫌いな要素をそろえてくれましたって言いたいぐらい。だからリドリー・スコットの「白い嵐」は大嫌いな映画の中のダントツトップだったりするんです、ああ、内緒にしていたのに言ってしまった(笑)。
だから、はっきり言って、そういう私の個人的好みもあります。「白い嵐」が大好きという立派な方や素敵な方も身近にいっぱいいらっしゃるから、これは私の趣味なんで、皆様には多分あてはまらないかもしれないから、そのおつもりではいらして下さい。
でも予告編見ててつくづく確認したけど、私、映画は監督でも俳優でもなく、「映画」でしか見ないんだなあ…実はラッセル・クロウがこの映画のために髪を長くしてもともとの金髪をもっと明るく染めてポニーテールにしていたのが、ファンサイトでは超不評で、「早く切れ」コールがあいついでたのですね。その中で私は「別にいーんじゃない?」「そこそこ似合うよ」と思ってたくちなんです。まあ、どっちみち生身の俳優がどんな髪型にしようが興味ないってこともあったけど、それにしても、そう悪いとは思ってなかった。
それが、あの予告編見ていたら、髪型も本人も冗談でなく大嫌いになりました。これってそれなりに演技の力だろうかね(笑)。「ビューティフル・マインド」のナッシュも嫌いだったけど、まだかわいいとこがあった。これはもう、その比じゃない。ひさびさに大嫌いなキャラを見たかもしれない。
あのー、でも私が納得いかないのは、この映画、そういう映画じゃないはずなんですよ。 日本以外の多くの国ではもう公開されていて、ほら、ぺコさんもですけど、熱心なファンの方で海外に見に行かれた方、多いんです。
私は何だかだ言いながらこそっと「ネタばれ掲示板」とかもしっかりのぞいて(あー、言っちゃった)ごらんになった皆さんの感想も拝見してるんですが、それから察する内容は、どう考えてもこんな映画ではない。
原作を愛して熟読しておられる方、映画を見る目ではほんとに私が信頼している方、いろんな方のすべてが、この映画について紹介し、語られていることと、あの予告編とはあまりにちがう。別の映画としか思えないほどちがう。
まあ、あんな予告編を作られてしまう映像や内容はこの映画にとにかくあるわけなんだろうから、そういう意味では私は多分、この映画が好きになれない可能性は高い。好きになっても、どこか気に食わないところや違和感がある可能性はもっと高い。
でも、もしかしたら、本編を見て「こんな映画だったのー!?」と私の評価が完全にひっくりかえる可能性もないわけじゃなくて、はっきり言うけどその場合、あの予告編作った人は銃殺もんですよ。
見てない方にお伝えしますと、少年の語りでつづられる予告編なんですよ。それも日本語の、吹き替えで。海外でもこのバージョンなの?ちがうんだったら、これまた許せないけど。多分ちがう気がするけど。
このガキが、私の大嫌いな深刻ぶった鼻にかかった甘い声で「僕らは、あの人を信じたからついて行った…」みたいにしみじみ語るわけ。あのね、どう考えてもこれはそういうスケールの小さい話ではないぞ。スケールの小さい話も、少年の視点も、少年も、私は嫌いじゃないけど、そういう手法を使ったらだめになる時もあるんだよ。そういう手法そのものも生きないし、チンケに見えてきてしまうのよ。扱う場所や題材をまちがえると。
これはその典型のような気がする。
まあ、予告編でこれだけ怒るのも危険だし空しいけど、でも、私がたまたま主演俳優のファンで、すでにごらんになった方の紹介や感想を拝見していたからまだこうなんで、何も知らない一映画ファンだったら、あの予告編見たら、あの映画、死んでも見ません。
ということは、もしかしたら、本来この映画が大好きになるはずの人が皆この映画見ないんじゃないの?そして、逆にこの予告編でだまされて見た人は期待うらぎられて失望し「つまんない映画」「あの俳優きらい」とか言いふらすんだよねきっと。
ああ、老母から聞いた大昔の言葉だけど、予告編作った人は「罪、万死にあたいする」ってフレーズが自然に浮かんできてしまう。
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おさえておさえて 投稿者:じゅうばこ 投稿日:12月27日(土)11時55分18秒
と必死で自分に言い聞かせながら書いてるのですが。
さっき、「M&C」の予告編を見てきたのですが、聞きしにまさる、という感じでした。
あの、これは私の個人的好みもあるので、いちがいには言えませんけど、私がラッセルファンでなかったら、彼を信頼していなかったら、あの予告編見たら絶対にあの映画は見ません。 いや、ラッセルファンでも信頼していても、見る気がほとんどなくなりました。
でも、信じられないのですよね。Kumikoさんはじめ、ごらんになった皆さんのお話とあまりにちがうのですもの。「私が見たのと同じ映画を見せてくれるんでしょうね?」とKumikoさんはおっしゃってましたが、私も思ってます。ほんとに皆さんがごらんになった映画を私は見せてもらえるんだろうか?
とても心配だし、いやなのは、この予告編見て映画館に行った人は、あの映画もラッセルもポールも多分好きにはならない。そして、本来この映画や彼らをものすごく好きになるはずの人は、あの予告編を見たらまず見に行こうとは思わない。私も、皆さんの感想を拝見していて、ラッセルを信じているから何とか持ちこたえていますが、それでも見に行く気がしなくなっています。
え、どんな予告編かとおっしゃるのですか?
ポールが出ないとかいう段階の問題じゃないですよ。ラッセルも脇役でした。
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No.2669 またまた怒りのうさちゃんがほしい
投稿者:じゅうばこ [北海道] 投稿日:2003/12/27(Sat) 11:38
さっき「M&C」の予告編を見てきたのですけど…本編とかなりイメージがちがうという話(不安、懸念)をいろいろ聞いていたのですけど、やはりそうなのかなあという印象でした。私は本編を見ていないから何とも言えないけど、映画を誤解させるのではないかしらと気になりました。
ラッセル・クロウを知らない映画ファンの方がここをごらんになる可能性はとても低いですけど、そういう方には、「あの予告編とはかなり感じがちがうかもしれないから、一度ぜひ本編をごらんになって下さい」と強調しておいた方がいいような気がする。
「グラディエーター」の初公開の時はまったく宣伝してもらえないままの公開だったし、日本の映画会社ってラッセルの作品を売るのはまずいですねえ。
あまり変な紹介するよりは、いっそ「グラ」の時みたいに宣伝してもらわなかった方が、まだよかったのかもしれないけど。
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[1266] この年末の忙しいのに。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2003/12/28(Sun) 12:54このことについて読みたくてここをのぞかれた方は「1264」の書き込みもごらん下さい。
「マスター&コマンダー」の予告編について、言いたいことがどんどん増えるので、忘れないうちに書いておきます。掲示板をメモ帳に使うなと怒られるかもしれませんが。どうせ年末だし、ごらんの方も少ないと思うので、年が明けてからまたきちんと書きますが。
もう一度確認しますが、私は少年たちが戦いの中で集団の規律を学び、大人の男になって行く、というお話が生理的に大嫌いです。その根底には自分自身が「かわいい」「叱る」などの用語で、どう見ても私以上に幼稚で幼児的な男女に子ども扱いされて、感覚的のみならず現実的に超迷惑をこうむった数々の経験からくる、トラウマに近い「飼育趣味」への嫌悪感と拒絶感があります。
今にしてあらためて思うと、ラッセル・クロウという俳優は、私の嫌いなそういう役を決して演じて来なかった。反社会性の極致を純粋な「悪」として崇高に無垢にさえ感じさせた「バーチュオ・シティ」のシド、純朴でありながら共同体のタブーを犯して崩壊して行った「ハマー・アウト」のイースト、弱小企業の皆が融和していくハッピーエンドの中、たった一人で「いやな奴」のままのびのびと生き残った「スポッツウッド・クラブ」のキム、未熟な反抗をくりかえして仲間からも裏切られて滅びた「ハーケンクロイツ・ネオナチの刻印」のハンドー、社会の性の常識にやわらかく明るく断固として対抗して自分らしく生きた「人生は上々だ!」のジェフ…その他の彼が演じた人物もすべて、既存の社会の常識に体制にすなおにあてはまって枠にはまっていくキャラでは絶対になかった。彼らは皆、協約やしきたりや慣習を無視して行動し、あるいはそれと対抗して苦しみ滅びて行った。
この俳優はそういう役を選びつづけ、演じつづけてきた。なぜ私が彼と彼が演ずる人物を愛するのか、また一つわかってしまった気がします(笑)。
さてと、話を戻しますと、「マスター&コマンダー」の日本版予告編は徹底的にこの私の大嫌いな成長・飼育図式にのっかって作られています。だからもうはっきり言って、こんな予告編と私に妥協や融和の道はあり得ない。その反感はほとんど、こんな予告編のもとになった本編の映画にも波及しかけて、私はこの映画が大嫌いになりかけている。
ラッセルファンの方ごめんなさい。私がこんなこと言うのは、この予告編でこう感じている者もいるということ、この図式で売ろうと思うなら、当然こういう反応もあることを、予測の内には入れたんでしょうね、と作った方々に確認したいからです。
でも、くりかえしますけど、これは完全に趣味や嗜好の領域です。私と反対にこの図式が生理的に大好きな人だっているわけで、別に私はそういう人そのものは嫌いでも何でもありません。そういう愛玩や飼育の対象を私にしない限り、親友にも恋人にもなれると思っています。
リトマス試験紙にして悪いけど、リドリー・スコット監督の映画「白い嵐」が好きな人なら、この図式は好きでしょう。この予告編も嫌いじゃないかもしれない。
…と思っていたのですけどね。昨日の段階ではまだ。
そう、私は昨日の段階では、まだ、この予告編が実際の映画をちゃんと反映しているなら、その方がいいと思っていました。
その結果、私はこの映画の本編も大嫌いだろうし、ラッセル・クロウやポール・ベタニーという俳優も多分嫌いになるだろうけど、でも、その代わり、そういう「白い嵐」が好きなような人たちが「マスター&コマンダー」という映画や俳優たちを大好きになってくれるだろうし、ラッセルやポールは新しいタイプのファンを増やすだろうし、それはそれでめでたいか、と。実は今もまだ、そういう期待が少しはあります。
しかし、昨夜からの他のサイトでの他の皆さんの書き込みや情報を拝見すると、どうやらやはりそうではないらしい。
この映画の原作を完読し、あらすじをサイトで紹介し、映画はロンドンで3回も見たとおっしゃる、この映画の真剣なファンの方は私の書き込みに共感した上で、「こんなにひどい映画の宣伝のしかたは見たことがない」「自分が何も知らずにあの予告編を見たら絶対見に行かなかった。興味を持っていても、あれを見たらやめただろう」と断言しておられます。
また、海外のサイトでの海外版の予告編は「成長する少年たち」の話などではなく「戦う勇者たち」の話として、重厚に紹介しているとか。
ではやはり、あの紹介のしかたは日本独特であり、きわめて意図的、恣意的なものとしか思えない。
実はこの映画の予告編は他の映画が(「ラスト・サムライ」などが)半年も前から予告編を流しているのに比べて、公開が迫っても一向に流れず、ファンをカリカリさせてたのですが、こうなると、ひょっとして「どの路線で売るか?」で激論が交わされていたのかもしれない。
そして結果的にセンスはないけど権力のある側の意見が通ってしまった結果がこれかな…と勝手に想像してしまったりするのですが。そうでも思わないと、これが何の抵抗もなく疑問もなく通ったのだとしたら、あんまり救いがないから。
しかし、ほんとにこの売り方で売れると思ったのでしょうか。
昨日は(今もか。でも今より)逆上してたので、いつものくせで、「私の好みとちがう!」を強調してしまったのですが、冷静に考えると、かりに私が「飼育狂」で「成長する少年」のお話が大好きだったとしても、果たしてあの予告編に魅力を感じるか?という気もするのです。
これまでこの予告編、ファンサイトであまり話題になりませんでした。ごらんになった方もそんなに熱烈に喜んでおられなかった印象があるのですが。えーと、つまり「見ました!」「もうすぐですね!」という喜びではあっても、予告編そのものにすごく感動したという感じではなかった気がする。
すでに本編をごらんになっている方は、それと重ねてそれなりに満足なさるだろうし、見ておられない方もラッセルやポールのファンであれば、一応彼らの映画というだけで、喜ばれるだろう、喜ぼうとなさるだろうと思うのです。かりに「何か変だなあ」「ものたりないなあ」と思われても、それを押し殺してしまわれるだろうと思うのです。ごめんなさい、またえらそうに。つまり、私のようにわがままで、気の荒い方はそうそうはおられないと思うのですよ。「せっかくの予告編なんだし」と作った人に遠慮されるのではないだろうか。
でも、あの予告編は、単に私の成長物、飼育物はいや!という好みをさしひいても、よくできていなかったと思うのです、今、冷静に思い出して見ると。 ラッセルの映像は魅力なかったし、映画も何言いたいんだかわからない、しまりのない、特徴のない映画に見えた。
どういう映画なんだかちっともわからず、「少年たちの成長物」にしても、新鮮な画像も迫力ある画面も何もなかった。
これは決して、図式の好みの問題なんかじゃない。映画そのものがちっとも魅力的に見えない、何言いたいんだかわからない予告編だった。
もっと魅力的なラッセルの表情、息をのむ画面があの映画には多分たくさんあったはずです。だからこそ、海外に見に行って3回、4回見る人が続出してる。いくらラッセルファンでも彼が出てるというだけで、そこまではまってしまうほど皆、甘くはないと思う。やはり映画そのものがすごく魅力があったはずです。まっとうにその魅力を売ろうとすれば、もっと見る人をひきつける画面が続出する迫力ある予告編が絶対に作れたはずです。
それを本来メインでもなんでもない、「少年たちの成長物語」としてねじまげてまとめようとするもんだから、本来そこが中心のお話じゃないから、ろくな画像が拾えない。それをつなぎあわせて、何とかつじつまあわそうとするから、どっかで見たような場面ばかりで結局何だかよくわからない、なまぬるくって平凡で間延びしたマンネリそのものの映画という印象しか与えない。
いくら私が「白い嵐」が嫌いで成長・飼育のお話が嫌いと言っても、そういうテーマでそれなりに見事にできてる作品だったら、魅力を感じるぐらいのセンスはあると思うんですよね。言いかえれば、私と逆にほんとにそういう図式が好きな人だったら、あの予告編のえせもの加減も見抜いてしまうと思うんです。そういう図式が好きな人さえもひきつけられない予告編だと思います、あれは。
もはや、そんなにしてまでなぜあんな売り方にしたのかという理由は、誰かあの子役の俳優に一目ぼれした中年女か中年男(別に若くてもいいですが)が制作サイドで色に迷って悩乱した結果ではないかと、こちらもほんとにまっとうでないことを妄想してしまいます。
しかし、こうなれば私も品のないのは承知で脅かしますが、そういう方が仮にいらして、あの少年俳優を好きだと少しでもお思いなら、こんな売り方をしたら逆効果ですよ。
端役や脇役の魅力とは、放っておいても観客が見つけるものです。それだからこそ楽しいのだし、そうして発見してもらった俳優は皆に愛されるのです。
そのためには、まずその映画そのものが、まっとうにその本質で評価され、愛されなければなりません。その一員として印象に残るからこそ、彼や彼女は人々の記憶の中で光り輝くのだと思います。 映画の本質をふみにじって売り出しても、そんなのは、その俳優の汚点にしかなりません。
私は好きな映画の端役の一人一人までを深く愛しているし、他の映画で見てもなつかしいと思います。でも、私は直接面識のない第三者、特に俳優やタレントには、徹底的に残酷で気まぐれなのは許されると思ってますから申しますと、もうこの予告編でこの少年俳優は私には消し難い悪い印象を残しました。この先、彼がどんな映画に出ようともどんな演技をしようとも、この印象が変わることがあるとは思えません。本来主役でも何でもなく、そんな演技も要求されてない、当然してないこんな俳優を表に出して、これだけの名優がその名にふさわしい演技をしている映画を宣伝しようということは、どう考えても常軌を逸しているとしか思えません。
だから、おそらく、宣伝されている方々は、この少年俳優のことも決して真剣に愛してなんかおられないのでしょうね。一目ぼれの悩乱という話は取り消します。少しでも好きなら、この子のことを大切に思うなら、こんなバカな扱い思いつくはずがないもの。
まったく、どこからどう考えても徹底的に救いのない話ですね。
まだ見ていない映画のことをこれだけ言うのは我ながら危険なのは承知です。しかし、もし、あの予告編と本編が大きくちがっていた場合、それがわかってからではもう遅い。今、この瞬間にもあの予告編見て「行くのやーめた」と思っている、ほんとはこの映画が大好きなはずの観客が年末年始どんどん増えつつあるのかと思うと、とてもじっとしていられません。
年末でもあり、関係者の方がこの掲示板を見ておられる可能性は限りなくまれですが、ひょっとどなたかつてのある方でもおられたら、一度ぜひ読んで下さるようにお伝え下さい。また、一般の方には「あれはひどい予告編だ」と口コミでどうぞ広めて下さい。
ラッセル・クロウについては、「クイック&デッド」のDVD版でも実は腹のたつことがあり、誰か、この俳優を陥れようとするプロジェクトでもあるのか、ただの限りないセンスの悪さにすぎないのか、どっちにしてもやりきれません。
しかし、こっちがチェックしてないだけで、他の映画や俳優さんにも、こういうことは日常的に起こっているのかもしれないと思うと、怒りを通り越して恐くなります。
やっぱり仕事というものは手抜きなく、きちんとしなくてはいけない。妙につくづく、そう思ってしまいます。あー、自分の仕事に戻ります!
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No.2674 予告編については、
投稿者:じゅうばこ [九州] 投稿日:2003/12/28(Sun) 07:59
もう少し落ち着いてから、きちんと書かせていただきます。
ですが、一言だけ申し上げるなら、もし、映画会社関係の方がここをごらんになっておられたら、あの予告編だけは即刻作り直すか、いっそ予告編なしで公開することを真剣にご一考願いたいです。
昨日の段階ではまだ確信がなかった部分もあるのですが、さっそくお返事下さった、くうさま、まりえるさま、他のサイトなどでのお話を拝見する内、↑の気持ちがはっきり言えるようになりました。
このことについては、こちらにリンクしてあるKumikoさんのファンサイトの掲示板と、やはりリンクしてある「板坂耀子研究室」の掲示板の最新の「じゅうばこ」の書き込みをごらん下さい。ファンサイトでは書くべきではないと思ったことも書いてありますので、どういう予告編か、見ておられない方はご想像がつくと思います。
またゆっくり心を落ち着けてから書きますが、私はラッセルが好きです。しかし、それだけに、この予告編には深く混乱しています。
(あ、昨日の書き込みはむろん「北海道」からではありません。気分は氷点下でしたが。)
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No.2677 またまた一言
投稿者:じゅうばこ [九州] 投稿日:2003/12/28(Sun) 17:11
掃除の合間に。
せんべいさま
そんな芸のないまのびした文句を深刻ぶった甘ったるい声で、実際に映画館で聞かされた者の身にもなって下さい…
(だんだんエスカレートする自分が恐い。しばらく自粛謹慎蟄居します。)
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たしかにそうですが、 投稿者:じゅうばこ 投稿日:12月29日(月)10時54分33秒
Kumikoさん、せんべいさん
私の言いたいことは掲示板ぐらいではおさまりそうもない。
少し煮詰めるか、他の方法を考えます。
私は普通、こういう場合は「とにかくあの予告編を変えてもらうにはどうしたらいいだろう。相手のプライドや心情を傷つけないようにしよう」とかいう配慮や計算がとっても働く人なのですけど、今回はその装置が壊れてしまって、あの罪のない少年俳優まで含めて、ものすごく残酷な攻撃を言葉でしてしまいそうで、必死で自制しています。
今回、自分の中のラッセル・クロウという俳優への好意まで消しそうになったあの予告編が、それを作った人たちが、本当に私は…ああ、もう言うまい。
何であんな予告編ができたのか、不毛なことをあれこれ考えてしまいます。あの少年俳優が少しでも好きだったら、逆にあんな予告編やあんな売り方はするはずがない。ちゃんと映画をまっとうに売って、その中のあるべき位置で愛され評価されるようにするはずです、彼を少しでも好きな人なら。結局やっつけ仕事の、思いつき?
私は性格悪いので、この予告編に「予告編も一つの作品」「本編とちがった創作」という、大勘違いの思い上がりをしている人の存在もありあり感じて、それも許せないのですけどね。「予告編」や「字幕」はおのれの分をわきまえてこそ見事で美しいのじゃないでしょうか。
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突然ごめんなさい 投稿者:じゅうばこ 投稿日:12月29日(月)16時15分11秒
ラビットさま、Heidiさま
職場が今ぐちゃぐちゃの状況で、こちらのサイトも拝見するのがやっとの状態です。
でも、どうしてもお伝えしたくて、這いずってまいりました。
せんべいさまがすでに書いて下さっていますが、「M&C」の予告編はほんとにひどいです。
私は本編を見ていないのですが、劇場で見た時、「この映画絶対見るまい」と思い、ラッセルまで嫌いになりました。この私が。
せんべいさまはじめ、すでにごらんになっていた方のお話を聞いていてさえそうでした。それほどひどい予告編です。
ブエナ・ビスタのサイトに行って見ましたが、売り方全体もまったくまちがえているとしか思えません。それでも映画がヒットするならいいですが、これではヒットするはずがないと思います。観客はそれほどバカではないですから。
詳しいことは、私のサイトの掲示板↓の1266の書き込みをお読み下さい。
http://www-fue.fukuoka-edu.ac.jp/~itasaka/cgi-bin/bbs/light.cgi
しかし、年末だし、そんな暇もないという方は、年が明けてからでも何でもいいですが、ブエナ・ビスタのサイト↓に行って予告編(劇場ではこれにカマトトな気味悪い少年の音声が入ります)と全体の売り方をごらんになって見て下さい。一言で言うと、ラッセルは脇役扱いです。せんべいさまが抗議を書き込まれたのは、このサイトの中の少年俳優のファンサイトの掲示板です。公開前から、この少年俳優のファンサイトを映画のファンサイトの中に立ち上げ、他には掲示板も作ってないからそうなさるしかなかったわけです。このことからもおわかりのように、映画の内容や本来のテーマはそっちのけで、この少年俳優を中心に売り出そうという、大変異常な、きわめてまずいやり方がなされています。
http://www.movies.co.jp/masterandcommander/index.html
私はもちろん、あらゆる方法で抗議しようと思っていますが、それを皆さまにもしてくれとかはまったく思っていません。ただ、こういうことになっているということを、ラッセルのファンの方々には、どうか知っていただきたくて。
あの予告編を見て、あの映画を見に行こうと思う人はいないと思います。逆にもしいたら、映画を見てとても失望すると思います。ほんとにあの映画を好きになる人を追い払い、だまして見させた人が映画とラッセルに反感を持つようにする予告編です。
私はふだんこんな時、「人はさまざまだから、あの予告編で感動する人もいるかもしれないけど」とか何とかつけ加えるのですが、今回はそんな余地はまずないと思います。それでも、ひょっとそういう方もいらっしゃるかもしれないから、とにかく一度ごらんになって下さるようお願いします。映画をごらんになっていない方でも、この宣伝のやり方はとても納得できないと感じられるのではないでしょうか。
たまもいいとこで現れて、よくない話題でまったく申し訳ありません。
──9──
No.2684 念のため
投稿者:じゅうばこ [九州] 投稿日:2003/12/29(Mon) 19:13
やはり、どう考えても納得いかないので、せんべいさまやlemonさまと同じところに私も投稿してきました。もちろん掲載はされていませんが。
この予告編についての私の見解は、あらためて書きますが、それとは別に、とりあえず少し気になることを申し上げます。
私は(多分皆さまも)現在いろいろあって死にそうに忙しいし、以前「指輪物語」のファンの方が字幕の問題で、大変な膨大な労力を使って訴えて結局ある程度の成果を得たような、あのような行動、活動、運動はとてもできません。(あの方々も決して暇だったのではないでしょうが。また私は今回のこの宣伝のし方は、あの時の字幕以上、ひょっとしたらもっとひどい問題だろうと思っていますが。)
せいぜい、映画雑誌に投稿するか、ファンサイトの皆さまに教えてさしあげるぐらいが関の山でしょう。あとは、あの予告編にぶつかるのはいやだから、1月と2月は大きな映画館に行かないで過ごして、公開の日を待つだけでしょう。そのくらいしか私にできることはないです。
おそらく、他の皆さまもそれと近くて、だからあのサイトにはあといくつか抗議のメールが届いたら、それでおしまいだろうと思います。
ですから、これをごらんになっているかもしれない宣伝担当者の方にお伝えしておきたいのですが、もしも、「そういう抗議が出て話題が盛り上がったらいい宣伝になる」と思っていらっしゃるなら、それはちがいます。おそらくそんなに抗議は盛り上がりはしません。逆に「激しい抗議が続くだろう」と心配しておいでなら、その意味でのお気使いはむしろ不要です。
心配していただきたいのは、その状態で、安心されたままで、あの予告編が流れ続け、あの方向の宣伝が誰にもさえぎられることなく公開時まで続くことです。最高の演技をしたと言われている主演俳優を、監督が見事に生かしたと言われる魅力あふれる原作を、そして何より映画というものを、深く愛しているつもりの私たちが、皆、強い懸念を抱いているあの宣伝の方法で、この映画をヒットさせる自信が本当におありなのでしょうか?あの生気のない予告編が、それだけの力を持つと本当に信じておられますか?
私たちは、主演俳優を無視したから怒っているだけではありません。この映画そのものが、あれでは絶対に成功しないという確信があるからいてもたってもいられない思いをしているのです。 あの宣伝で、本当に観客をひきつけられるのか、映画をヒットさせられるのか、どうかもう一度、私たちの書いたことをお読みいただいて、真剣に再考していただきたいのです。
それでもあの映画をヒットさせるには、あの方法しかない、絶対の自信があるからまかせてくれ、と胸をはっておっしゃるのなら、私にはもう何も申し上げることはありません。 その自信が成果となって現実に実を結ぶのを祈るだけです。
しかし、あの映画は、それほど卑屈な手段を使わないと売れない駄作とお考えなのですか?
あるいは、他の国での興行成績がいま一つだから、日本では成功させたいと工夫されたおつもりですか?
連続トップをとれなかったからというだけで、それほどの扱いに甘んじなければならない映画なのですか?
何より、かわいい少年で売れば日本の観客はひきよせられるという、その読みは正確なのですか?
それをめあてでやって来た観客の、映画そのものへの失望が口コミで広がることは予測されているのですか?
そして、そこまで原作を誤解させる宣伝は、果たして宣伝の名に価すると言えるのでしょうか?
結局、宣伝担当の方は、あの映画がお好きではなく、宣伝するにあたっての自信も誇りもお持ちにはなれなかったのですね。そうではないのですか?
それならいっそ、「ヒットさせよう」などと中途半端な義務感はお持ちにならず、諸外国と同じ、元来のバージョンを機械的にお使いになるべきだったのではないですか?今からでもそのようになさるべきではないですか?あの映画を愛せなかったなら、それがせめてもの良心だろうと思うのですが。
ここに書くより、ブエナ・ビスタの掲示板に投稿するのがふさわしい内容になりましたが、皆さまにも読んでいただきたいので、このまま投稿いたします。
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ありがとうございます 投稿者:じゅうばこ 投稿日:12月29日(月)20時52分25秒
Kumikoさん
トップページの↓「『マスター&コマンダー』の宣伝に関するお願い」
http://www002.upp.so-net.ne.jp/kumiko-meru/mc_senden.htm
を拝見しました。
もう、涙が出るほどうれしいです。ラッセルとポール、いえ、ジャックとスティーヴンもきっと喜んでくれていると思います。
──11──
もう一つありました 投稿者:じゅうばこ 投稿日:12月29日(月)21時00分33秒
Kumikoさん
他の掲示板である方がおっしゃっていたのですが、このままでは(すでに遅いかもしれない)次号の映画雑誌の大半が、あの宣伝の路線で、つまり主役でも何でもない俳優のグラビアやインタヴューで埋めつくされるような紹介のしかたになるのではないかと。
私は明日にでも主要な映画雑誌のすべてに投稿します。もちろん掲載されないまでも、少しはこの方向の雑誌報道をセーヴできるかしれません。インターネットをしていないファンの皆さんにも何とかして、少しでも本当のことを知らせたい。
できたら、このことも皆さんに呼びかけていただければと思います。
──12──
少し落ち着いて(ほんとか?) 投稿者:じゅうばこ 投稿日:12月30日(火)18時22分15秒
Kumikoさん
>なんだか今回、じゅうばこさんに全面共感しすぎて怖いですよ。こんなん初めてじゃないですか(笑)。
そうすか?(笑)いつも「何て気が合うんだ!?」とこっちは勝手に思ってたのに。
冗談はさておき(いやあの)、私も「お願い」を、自分の「まとめ」にリンクさせていただきましたが、下手なので失敗しました。また何とかします。
私はこの訴えがどうなるのかわからないし、自分もどこまでやれるのか時間的にも心もとないのですが、少し自分で気をつけていることを言います。この程度のこと、メールでひそかに言うのも何だかばかばかしいし、皆様にも見ておいていただきたいので。
○こういう時、「抗議しているのは、気むずかしい原作マニアやおたくっぽいヒステリックなファンだけ」というように、マスコミでは報道されがちです。まあ、「何も知らないバカが」か「やかましいマニアが」か、どうせどっちか言われるんですから気にしなくてもいいけど、一応、気をつけた方が(笑)。
○抗議先の映画会社とかは、抗議を寄せた人に「個人的な返事」をくれて「他の人には公開しないで」という条件をつけたりします。悪気ではないのでしょうけど、結果として抗議している方を分裂させてしまいます。「公開できない返事は不要です」と私は書くことにしています。
○少年俳優への感情は多分皆さまのどなたより私は激しいでしょうが、それでも彼を攻撃したり彼のファンを敵にしては絶対にいけないと思っています。この件では彼も被害者だということ、あの映画の大切なスタッフの一員だということを忘れないで、大切にしたい。
○予告編を作った側と私たちとの「この映画を何とかヒットさせたい」という望みは一致しています。このことは絶対忘れないようにして、行動、発言したいです。
あはは。守れるかしら?
それでは仕事に戻ります。「まとめ」を作っていて、この二日間でこれだけ書きまくったのかと自分で自分にあきれました。それだけショックが大きかったんですね。
──13──
早すぎるファンフィクション? new! じゅうばこ
私もあの予告編には悲しい思いをしています。
まだ映画を見ていなかったので、予告編を映画館で見た時は、「こんな映画絶対見に行かない」と思いました。
その後、すでに映画を見た方の話を聞いて、せんべいさんのおっしゃったようなことらしいと納得できましたが、なおのこと情けなくなりました。
あの予告編も映画の宣伝サイト全体も、まるで脇役の少年から見たファンフィクションのように見えます。
そういうのは本編が公開されてしばらくしてから、どこかのサイトで個人的に作って楽しまれるのなら私も喜んでのりますが…時間的な順序や人に見せる場所を間違っておられるように思えてなりません。
No.304 2003年12月30日 (火) 18時00分
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ラビットさま
ずっと以前のお返事ですが、ごめんなさい、私も監督へのお知らせが手抜きとは思ってないのですが、自分の気持ちの中に、「そういう人が一言言ってくれたら、一気に解決しやしないか」という怠け心がありまして…年よりは手抜きばっかり覚えるのですよ(笑)。でも、これはやはり、日本にいる者が不満を持ったら日本にいる者で不満を持った者の責任でまずは何とかしてみようとしないと、いけないだろうな、「こっちじゃこうなんですよ、あんたから何とか言ってー」と頼むのはやっぱり甘えなんだろうなと反省したりしてるわけです。そういう邪念なしでお知らせすることそのものは、充分に大切なことだと思います。
それと、私も宣伝担当の人が、地味そうな映画を何とかヒットさせたいと脇役の美少年を餌に使うのはある程度はですが、わかるのですよね。それで、とにかく映画館まで客をひきずりこんでしまえば、後は映画の魅力でちゃんと正しい鑑賞をしてくれるだろうという期待も持てるものなら持ちたいです。
何しろ何度か書きましたが、「仮面の男」を見に行った時、明らかにディカプリオ目当てで来ていた若い女の子たちが、だんだんポップコーンを食べるのが、彼の出ている時で、おじさん俳優たちが出てくると手がとまるというように逆転していく現象を目のあたりにした私としては、美少年を見たくて来ても帰る頃には別の誰かのファンになってるってケースもそりゃあるだろうと思わないでもない。
ただやっぱりそういう期待が持てないのは、ディカプリオはすでに「仮面の男」の時点でひとつのイコンといっていい存在だったし、もちろん予告編や宣伝のイメージも、映画とくいちがうものではなかったですからね。
今回のあの少年俳優は、その点とても気の毒で、まだ自分の声望も評価も定まらないうちに客寄せのように使われるというのは、彼に対してもとても侮辱だと思います。
私はラッセルに対しては絶対大甘と言われてたファンですが、あの短い予告編の中で、その愛が完璧に消えました。それに考えてみると私はもともと美少年は三度のめしより好きなおばさんと自負していたし、あの少年は客観的に見たら私の好みなんですよ。私は浮気でわがままだから、いい男がそばにいたら、ラッセルなんてすぐ振ってよろめきます。かつて「冬のライオン」を映画館に見に行った時、恋人にもひとしかったピーター・オトゥールがそばにいたのに、ティモシー・ダルトンの妖しい魅力にいちころになって、良心の痛みなんてかけらもなくうっとりと見入っていたもの。なのに今回、ラッセルへの愛も消えたけど、あの少年の魅力もまったく感じなかった。
それは多分、あの少年の演技を生かす、つまり映画の本当の内容を示す方向で予告編が作られていなかったからじゃないかしらん。あの子も、ラッセルも何だかとても気味悪く見えたのです。誤解を恐れず言ってしまうと、何だかゾンビを見ているようでした。それどころか映画一般への愛も何だか消えたというと、大げさなと笑われそうですが、ほんとに何かを愛する力を根こそぎ引き抜かれたような気がしました。「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」ってあの話の中に出てくる、人の心を食っちゃう化物(吸魂鬼=ディメンター)にめぐりあったような心境でした(笑)。そういう点ではすごい予告編です。作った人はただ者ではない。
冗談はさておき、そんなことになるのは結局、作った人も苦しかったし困っていたのではないかと思えてしかたがないのです。だってほんとにどう考えても無理なことをしているわけですから。だから、あの少年を売り出すと言いつつ、彼の魅力も消しているのです。とても映画館に客をひっぱって来れるような力のある映像ではない。
もっといけないのは、これは原作や本編を見た方の話から私が予想するのですが、予告編で得た先入観が本編をとても誤って理解させそうなこと。全体の枠組みがゆがんで見えて、ラッセル(オーブリー)の言うことやすることがまるでちがう意味を持って見られてしまいそうなこと。そういう点でもとても危険な予告編です。
だいたい「グラ」でも「マキシマスがローマをまだ見たことがない」という重要な要素を否定した字幕で公開されて、ビデオではまだ直っていないのに、それでもあれだけ人を(私も含めて)感動させたラッセルの演技の持つ力を基本的には私は信じているのです。場面のカットも字幕の改変もあり得るけれど、それでも彼の演技は見た者に正しく何かを伝えてくれると。だから、そっとして公開を待とう、という方の気持ちもわかります。でもこれはあくまで私の場合なのですが、もうその、そっとしておこうという気持ちそのものが平常心ではないもんだから(笑)、どっちみち気持ちは乱れてしまうんですね。
それにしても、ご本人は何も知らずにチャールズ君を抱いてにこにこしてるんだろうと思うと、まったくおかしいような、腹が立つような。いいけどね。もうまったく。
──15──
いやもうまったく 投稿者:じゅうばこ 投稿日: 1月 5日(月)12時38分4秒
せんべいさまの情報、私も勉強になります。
しかし、考えてみると、予告編ってそうそう勝手に作ってもいいものなのかなあ?まあ、法律や契約の規制とかはないかもしらんですけどですよ、映画の製作にもたずさわらなかった人たちが、「この国ではこうしたら売れるから、ちょっと自分たちで作ってみようか」って、思うかなあ、思えるか、普通?だとしたら何かもうほんとに度胸がありすぎはしないか?予告編ってある意味じゃ短編映画一本作ると同じでしょう?それも大長編や名作を短い時間に凝縮して伝えるんだから、並みの短編映画より難しいのじゃないの?
多分、だから制作元が作ったのが世界で使われるわけでしょう?それをはずして、自分たちで作ってみようなんて、考えてみるとほんとに大胆。よくあることなんでしょうか。
私は最初、予告編っていくつもバージョンあるし、たしか「キル・ビル」の予告編も「破壊屋」サイトさんだったかが、「なんかものすごく勘違いの予告編と思ってたら、さすがに変えたなあ」みたいなこと言って笑ってたのを覚えてたので、そんなに変えるのは大変じゃなかろうと思っていたのですけどね。そう言えば、その「キル・ビル」の最初の勘違い予告編というのが、私は何度か見たのだけど、「悲しい母親の母性愛」を訴えたお涙ちょうだいバージョンだった。あの映画をですよ。笑わせるでしょう?あ、でもひょっとしたら、今回の予告編作った人のお友達が作ったのかな。まさか同じ人じゃないですよね。いやまあ、ちがうと思うけど、だったら、日本で売るにはお涙ちょうだいでなくてはいけない、という信仰が映画界では根強くあるってことかしら。
それで、私や他の人たちがブエナ・ビスタさんに望んでいるのは、むしろ、「世界共通の既製品の予告編を使って下さい」ということなんだから、そんなに手間のかかる、損害与える要求じゃないのになあ。私はとにかく予告編を本来のものにしてくれたら、たとえばあの少年俳優のボールペン作ろうがTシャツ作ろうが気にはしないし、何なら予告編のおまけで、彼のインタビュービデオでもいっしょにくっつけて流せばいいと思ってます。その方がいっそのびのびやれていいんではないの、ミーハー獲得作戦を。それなら私もひっかかるかもしれないし。ただ、本編は本編としてきちんと紹介してほしいのです。
まさかと思うけど、せっかく作ったバージョンがもったいないとか、メンツにかかわるとか、そういうことでこだわっておられるんではないですよね。今の時点で予告編を「えらい不評みたいだから」とさしかえたぐらいのことで名前や履歴に傷がつくようなブエナ・ビスタじゃないでしょうに、もっと誇りを持ってほしい。あ、すみません、勝手にどんどん想像して、失礼なことばっかり言って。
ラビットさま、前の書き込みわかりにくかったですか?意味不明のこと言ってごめんなさい。自分でもよくまとめきれてないのかも。
──16──
[1308] ひどいなあ、これはもう、あまりにひどい。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/01/06(Tue) 00:10◇今日の新聞に「マスター・アンド・コマンダー」の大広告が載ったらしいですけどね。もちろん、私たちが抗議はじめる前からの企画でしょうから、挑戦とか挑発とかは思いませんけど、よそのサイトが引用してくださってる、その広告にあった文章というのが、例の主役でもない少年の手紙で、しかも、もとの映画にも原作にもないまったくの作り物。映画の画面や小道具を使って、全然ちがう話を紹介しているようです。まあ、予告編もそうだったわけですけど、もうほんとに、大丈夫かしら。映画の上映がじゃないですよ。こういうことする方々の感覚というか精神状態が。
◇予告編の時もそうだったのですが、私は本編を見ていないのですが、そういうこととは関係なく、「あー、そうだそうだ、このセンスにがっくり来るんだ」と思い出しました。この少年の手紙とやらを見て。以下に引用します。
愛する母さんへ
僕は今、故郷を遠く離れた世界の果てにいます。
ついに明日、僕たちの倍以上の兵力と武器を持つ
ナポレオン軍のアケロン号と戦います。
でも、僕たちには”ラッキー・ジャック”と呼ばれる
負け知らずのオーブリー艦長がついています。
僕たちはまだ、戦う術も知りません。
僕たちはまだ、死にたくはありません。
それでも友のため、家族のために、
艦長を信じて戦い抜いてみせます。
故郷のあの家、あの庭、母さんと歩いたあの小道を思い出します。
でも、今だけは全てを忘れて、僕はひとりの戦士になります。
さようなら、母さん ー ウィリアム・ブレイクニー
お願い。まじめにもうお願い。捏造でもいい。原作にない、映画にもない、嘘八百の手紙をでっちあげてもいい。日本人向きのお涙ちょうだいで売るのなら、それももう許す(←嘘ですよ。ことばのはずみです)。
でもお願い。たのむから、せめて少しはセンスのある文章書いてよ。何これ。ほんとに何なの。芸もない、ひねりもない、切実さもない、リアルさもない、美辞麗句もない、やる気もない、本気もない。
こんな無気力な型どおりの文章、最近サラ金の広告でもお目にかからないぞ。 そうなの。予告編の画像もこうだったのです。このやる気のなさと陳腐さと趣味の悪さに私は座席で死んだのよ。この文章よ。たしかにあの予告編と一致する感覚よ。
お願い。せめて名乗りなさい。こんな文章いいと思って書いてるんなら。私の好きな「いまを生きる」を作ったピーター・ウィアー監督や、演技がうまい、才能ある俳優らしいマックス・パーキスの名を使わないで。彼らのふりしてしゃべらないで。彼らのつもりにならないで。 おかしいと思わないの?これがアカデミー賞とる監督の作った映画が語ることば?もう、んなわけないじゃない。どう考えても。恥ずかしくないの?この文章の寸分すきのない趣味の悪さに私は窒息しそう。こんなしょうもない文章、紙面に載せるだけでも犯罪よ。で、この文章が、あの映画と結合して読んだ人の頭に定着するわけ?「汚す」という言葉の意味がまったくよくわかる。
映画とはもはや関係なく、こういう文章を公開するもんじゃないよ、人前に、って、そのレベルの感情だなあ、私は。
やれやれ、人に品位を保とうと言っておきながら。しかし皆さん、そう思われません?この文章の陳腐さはほんとにすごいよ。小泉首相の短歌といい勝負だけど、まだあっちの方が開き直った迫力がある。これはもう何ともかとも言いようが。
とり乱してごめんなさい。でも私、自分が何に弱いか、あらためて確認したなあ。こういう文章って一番私を苦しめる。
そんなに悪い?って思ってる人いますよね。そうなの。何かちょっと一見上手そうじゃない。書いた本人もそう思ってるんでしょう。でも内容がみごとにない。切実さもない。独創もない。常套的な切り張りをしてるだけ。悪文以上の駄文、駄文以上の死んだ文章。人が絶対書いたらいけない文章ですよ、これは。
それも、くりかえすけど、自分の責任で書くならいいよ。それで自分がバカにされるなら。でも、これ読んで吐き気がされたりバカにされたりするのは、ブレイクニー少年だよ、ウィアー監督だよ、「マスター・アンド・コマンダー」って、ひとさまが作った映画だよ。無責任だよ。卑怯でしょうが。
ああ、いけない、とまらなくなりそう。もうこのへんでやめておかないと、こっちの人格が疑われてしまう。
──17──
もうだめ 投稿者:じゅうばこ 投稿日: 1月 5日(月)22時13分51秒
当分何も書きません。
絶対、品性疑われることを書いてしまいそうだから。
Kumikoさん、せんべいさん
私はもう、ラッセルのために怒ってるんじゃありません。スティーブンのためにも、「マスター・アンド・コマンダー」って映画のために怒ってるんでさえない。もちろんブレイクニーのためでもない。
ことばや空想というものを使って作られた作品を、これほどにことばや空想で裏切って汚していいものでしょうか。ことばを使える、空想ができる能力を持っている人なら、他人の作った作品に、最低限の、尊敬を、畏怖を、愛情を、持つ能力はないのでしょうか。
許せないという言葉も甘い。たとえ原作者や監督やラッセルたちが許しても、私は絶対許さない。
──18──
〔1313] 不謹慎を承知で、 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/01/07(Wed) 00:33
◇ゆりぶうさん。
言っちゃいますと、私が心配しているのは、ブエナ・ビスタと私たちが手を組んで、この映画の新手の宣伝をしてるんじゃないかと思ってる人がひょっといやしないかということで…もちろん、絶対そんなんじゃないのだけど。
◇ブラスターさん。
はじめまして。こういう書き込みしていただいて、ほんとにうれしいです。
屈折した書き方をしますが、「自分もやってる」とこういう時に書く方は、そんなにやっておられない方なのではとまずは思ってしまいます。
あるいはやっておられても、知らず知らずに何かは回避したり選択したりしておられるような気がします。
私自身、自分の案や作品を売り込む時には嘘もつくし、きわどいこともするし、それを悪いとも思いません。
この映画の売り込みでも、少々どころかめちゃくちゃ汚いことしても、ジャニーズをつけようと、裸のおねえさんをつけようと、それが観客動員につながるなら、大笑いして許しました。これは私に珍しく確信持って言いますが(笑)、他のファンの方々もきっとそうです。
今回私が何よりもがっくし来ているのは、そういう点でこの宣伝が成功しそうにないし、まずいからです。
失礼を百も承知で言うならば、プロの仕事と思えない。
どんなに汚いことをしても、しっぽはつかまれないように、今回だったらだまして映画館に連れ込んだ観客が「何かちがうぞ。変だな?」と思っても、ごまかされて不満を忘れる、そのぎりぎりのきわどい線までインチキするのが詐欺師にしてもくろうとというものでしょう。 そこの見きわめがないと思うのです。逆に自分の考えた図式に異様にこだわって危険なまでに突っ走っているか、他の方法を思いつけないままにやってしまっているといった、とても未熟な感じがします。
低級なものを高級な装いで売るのも、しょうもないものを中身ありそうに売るのも、文化的すぎるのを下品に見せて客呼ぶのも、私はいっこうかまわないという立場です。でも、そうするには、本来のそれが低級なのかしょうもないのか文化的なのか、一応見きわめて戦略たてるものでしょう?ざっとでも、ちらっとでも。
「この映画がどうなのか僕には分かりませんが、他の国と同じ予告編や広告宣伝では日本では確実に売れないでしょう」というおことばは少し簡単すぎるし乱暴すぎる気もしますが、私は「せめて」他の国と同じ宣伝にする方が今よりはましと思うのであって、この映画の特徴や限界を見極めた上で、日本で売れる工夫をすることは少しも悪いと思っていません。
あえて言うなら、かわいい少年を使うというアイディアそのものは悪くないと思っています。ただ、そのやり方が絶望的にまずい。
映画そのものの性格を生かして客を呼べる要素も充分あります。アカデミー賞候補、男の友情、リアルな戦闘、脇役の名演、そういうもともとあるものを使いながら、裏わざやきわどいわざも併用するぐらいの工夫はしてほしい。そういうところが、あまりに手抜きです。
私はブラスターさんのやっておられることと、今回のこれが、「よくあること」か、「似たようなこと」か、そもそもわかりません。
くりかえしますが、私自身相当なことをして売り込みますけれど、そういうことが世間に多いのも知っているし認めますけれど、今回のこれは、ややそういうこととはちがい、「よくあること」でも「似たようなこと」でもない気がします。
マスコミ関係、情報関係、それ以外のどんな分野の方にも、こういうことは大なり小なり、覚えがあることで、良心的な人ほど「自分もやってる」とかばいたくなると思うのですが、かなりの場合、今度の件とはちがうのではないかと思います。
もちろん、このことと一線はひけないような状態がどこにでもあるのはわかりますし、あるいはブラスターさんのなさっていることの中にも私がやめてほしいと思うことはあるのかもしれません。それはそれで、お話したいです。
ただ、しつこく言いますが今回の件で私がこれだけ騒いでいるのは不愉快だからではなく(不愉快ですが、それだけならがまんします)、あまりにも「まずい」と思うからなんですよ。
──19──
[1316] あ、やっぱり? 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/01/07(Wed) 14:43◇ブラスターさん。
私も、宣伝担当の方は喜んでおられるんじゃないかなあという気がして心配していました。このへん微妙で私にも読めないところがあるけど、ちょっとそううまくはいかないんじゃないかと思っているのです。
「まずい」と思われなかったというのもわかります。私はこの宣伝全体に、初めから妙な「プロの誇り」を感じていて、実はそれに一番まいっています。このことももう少しわかりやすい説明のしかたを考えますので、今夜あたりまでお待ち下さい。
さらっと書いておられるのにセンスのない確認をしますが、「センスはない」とお思いになったのですね?(笑)
──20──
[1320] 手短に(書けるかな?) 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/01/08(Thu) 16:09◇ブラスターさん。
それでですねえ…と、カウンターで飲んでる口調ですみません。
私はいつメールしようかメールしようかと思って時間がなくてできないでいるのですけど、この映画の宣伝担当の方々に。ここを見ておられるかもしれないことにかけて、今ここでお話してしまおう。
ファンが騒いでる、反響がありました、って喜んでおられるとしたら、それが何かの効果になると感じておられるんなら、それはとっても甘い。私たちの批判や抗議をとても過大評価されてるのじゃないかなあ。
私たちがいくらしゃかりきで、こんなとこに書きまくろうが、口コミで伝えようが、誰もそんなこと知りませんよ、日本全国の人たちは。毎日全国の映画館で湯水のように流される予告編の影響力に比べたら、砂粒ほどの力もないと私は思ってます。ましてやテレビで流され新聞で大広告されたのでは、もう圧倒的にあの映画のイメージはそちらで決まりです。私たちがいくらしゃべりまくり書きまくっても、微々たるなんてものですらない。
失礼な言い方かその反対かよくわかりませんが、だから私たちごときの騒いでるのを「反響があった!」なんて情けないこと言わないで、もっと「責任者は自分たちだ。自分たちの宣伝がすべてを左右するのだ」という誇りを持って、「誰が何と言おうとこの映画は絶対に成功させる。そのためにはほんとにこれでいいのだろうか、考えるのは自分たちしかいない」と感じてほしいんですよ。だって事実そうなんだから。
人間は誰でも自分のしている仕事に誇りを持つし、「だまして売る」「とにかく見せてしまえばいい」というテクニックを究極まで追及したくなるのもわかります。でも私、このへんは「プロの仕事師」と「まじめな優等生」という、本来いっしょにならないものがいっしょになってる気がいつもするのですけどねえ…ランクを気にし、評価を気にする、それでいい結果を出すためのテクニックをみがく、というのは、私にはとても悪い冗談に思える。
またわけわからん話になりかけてるし、もちろんこれはブラスターさん個人に言ってることでもないんで、話を戻します。
たとえば、ほんとにどうしようもない映画をそれなりに面白そうにして売るというのはしかたがないし、わかるし、今回のこの予告編はどう見てもそういう姿勢なのです。本編ではもう救いようもない映画だから、どうかしてやらなくちゃ、という姿勢がはっきり見えている。
いろいろ推理するのは不毛だからしないことにしているのですが、どうしてそこまで宣伝担当者が自信を持ったのかどうもわからないのです。単に時間がなかったのか。よっぽど「こうしたら女性客は呼べる」「女性を呼べばヒットする」というマニュアルにこだわる人がいたのか。
この映画はアメリカでも大作が目白押しの中で、一応のヒットはしています。決してこけたとは言えない。批評家の評価も驚くほど高い。明らかに「非常に質の高い名作」と呼ばれる種類に属している。制作陣も主演陣も一流。言ってみれば、そう簡単に「いじれる」映画ではありません。どうしてこんな蛮勇を発揮できたか、ほんとに謎です。よそのサイトでのせんべいさんのお話では、配給や宣伝の方式にもいささか原因はあったようですね。
だから、そもそも、こういう扱いを簡単に受けるような映画ではない。よほどの不安材料があるならともかく、まずはまっとうな宣伝で売れないか、その場合のリスクはどうか、どうそこを補強するかを検討するのが普通の映画です。 私は予告編はけっこう好きでよく見るのですが、実はここまでひどい改変をしている例を知りません。先にうっかり「ひどい映画なら手を加えるのもやむをえない」と言いましたが、ひどい映画でも、ここまで手を加えられた例は知りません。 私は本編を見ていないので、逆に本編を見られた方より怒りは薄い部分があると思います。私はむしろ、映画一般のこととして、こういうことは異例であるし、許されないのではないかという怒りの方が強い気がします。
わあ、長くなりすぎ。いったん切ります。
──21──
[1321] あと少しだけ。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/01/08(Thu) 16:51◇あれだけお金を使った大広告で「気にならなかった」という程度の読まれ方では、年に一回映画に行くような女性をひきつける迫力があるのか不安ですが(笑)、ともあれ、最大好意的に解釈して「何かかわいそうみたい。泣けるみたい。かわいい子が出るみたい」と思った女の子やおばさんが殺到する可能性はあるということですね?
私はほんとに最初から、その可能性がありはしないか、だったらそれでもいいけど、と考えています。
「ヒットなんかしないでいいから、小さい映画館で地味にちゃんとやって欲しい」と言う声もファンの間にはありますが、私はそうは思ってないし、何よりブエナ・ビスタさんにそんなこと言ってはいけないと思ってます。
観客を大動員し映画を大ヒットさせることが目的という前提で、話はしなければいけない。
だから、あれでうまくいくのならそれでもなあ、と何度も考えたし、今も考えています。でもやっぱり危険が大きすぎる。
第一にあの予告編、「放っておいても来る」と分析されてる私のようなタイプの映画好きをかなり追い払う可能性があります。何も知らないで見る人にある種の拒絶反応を強く与えるほど、ある意味とても個性的な味わいのある予告編なんですよ。
私が「まずい」「プロじゃない」と思う一つはそこで、本編とちがう要素で売っても、本編をもともと好きになりそうな客はとりおとさない配慮をし、どこまでなら、そういうファンに容赦してもらえるか計算してぎりぎりをねらうのがプロの仕事と思うのですね。それも、とってもあたりまえの。
「こういうのが好きなやつはほっといても来るさ」という姿勢は、老舗が常連さんをなめて粗末にするようなもので、すごく危険と思います。天を恐れぬ所業といおうか(笑)。
第二に、そういう「本来来そうな人」が来ないかわりに、あの予告編見て「かわいい子どもたちの悲しい映画で泣こう」と思ってきた客が、本編見てどう思うかですよね。 これは参加できなかった人間さんもおっしゃっていますが、「連れてくれば勝ち」「映画見て失望してもかまわない」は、特に映画では通用しないのではないでしょうか。
最初の週はそれで呼べても、結局は見た人が満足して「よかったよ」と人に話し、自分もくりかえし行くことが大きな勝負のわかれ目で、だから、映画館に連れ込んでからがむしろ勝負でしょう。
その場合、この映画は、「よかった」と言ってくれそうな客をむしろ追い払う宣伝をしている。そして、「うーん、いまいち」「なんか、よくわからなかった」と言いふらしそうな客を(その人たちが悪いんじゃありません)限りなく呼び込もうとしている。
「だましても見せればいい」「そこで失望されても見せれば勝ち」なんて正気の沙汰とも思えません(ごめん。笑)。映画は、最初に見た観客たちが、そのままただ働きの宣伝マンになって口コミで広めてくれるという絶対の有利さがあり、これは、でも裏目に出ると「つまんなかった」という評判を広めて息の根をとめる存在にもなる。今回このご立派な予告編のおかげで、その危険な事態が着々と進行しつつあるとしか私には見えません。
あーあもう、どこが少しだけだ。また切ります。
──22──
[1322] そろそろ終わろうとは思いますが。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/01/08(Thu) 17:40◇第三に…「どんな人でもあの映画のよさはわかる、とにかく来て見てさえくれれば」と自分をなぐさめているファンも多い。私も映画の持つ力は信じているので、実はこれに一番望みをつないでいる。かわいこちゃんを見て泣こうと思ってでも、とにかく来て見てくれたなら、映画の本来の魅力を理解してくれるだろう、酔ってくれるだろうと。そこにはかなり期待している。
でもこれもねえ、実は不安があるんですよ。
本編を見た方の話だと、この映画はひとつの船に乗っている男たちの心の通い合いを感情過多にならず、時には荒っぽいユーモアもまじえてとてもいい味わいで描いているらしいんだけど、もちろん少年たちもエリートで志願して参加し、一人前の戦士として自覚と誇りを持って年長者たちと交流しているのですけど、この画像を「無理やり戦いにかりだされたかわいそうな少年たちの、それでも何とか成長物語」なんて図式にあてはめて見ていると、全体の人間関係も雰囲気もまったくちがったものとしてうけとめられる心配が、かなりなんてものじゃなくありそうです。
艦長の人柄も、少年たちの役割も、まるでちがったものに見えて、全然かんちがいの感動するか、なんだかよくわからない話ってことになってしまいそうで。
もうこのへんは、「まるっきりまちがった先入観を映像でどれだけ修正できるか」って実験として興味があるかもなあ、とさえ思ってしまいます。
同じ俳優が主演した「グラディエーター」って映画の場合、映画の大きなポイントとなる主人公の過去について決定的な誤解を抱かせる字幕で公開されました。ビデオでも直っていません。 この映画は日本では「スケールが小さい」「単純」という批評が当初多かったのですが、それはこの翻訳ミスが大きく作用したと私は判断しています。
それでも俳優の演技からある程度の何かは感じとれたし、私自身も「何だか変」と思いながら感動はしていました。
今回もある程度そういう風に、映画自身が観客を説得してくれる可能性はあります(あー、でもそんな悲しい戦いを見守るしかないのはいやだなー)。
でも、またファンの皆さまにはいやあなことを思い出させてしまうのですけど、少し前に「ロード・オブ・ザ・リング」の字幕問題ってのがあったじゃないですか。
あれは結局、字幕があちこち変だったばっかりに、本来の話が全然観客に理解できなかったわけです。
あの映画、すごくいい出来で外国では大ヒットしたのに、日本での評判はよくなかった。興行的にも今ひとつじゃなかったっけか。
「何だかよくわからない」というのが、それこそ口コミで広まりました。私自身の映画好きの友人の男性も、めちゃくちゃ酷評してました。
私は「なんか今ひとつ」と思いながら彼ほど否定できなかったのは、原作を読んでいたからだと思います。
「字幕が変で、見た人がちゃんと理解できないから評判が悪いので、ほんとはすごくいい映画だ」というファンの声が高まった時、ある方が自分のサイトで、周囲の人たちの評価を分析したのを見ました。
英語がわかる人、原作を読んでいる人、どちらも知らない人、で、みごとに評価がわかれていたのを忘れられません。
あれが、目の前にちらつきます。あやまった図式を頭に刷り込まれてそれにとらわれながら見たら、どんなすぐれた映像も演技もそれを払拭することはとてもむずかしいのではないか。
そのために「ロード・オブ・ザ・リング」(指輪物語)のファンの人たちは長く苦しい戦いをしました。
ゆがめられてうけとめられてしまった、すぐれた映画のイメージを何とかもとに戻そうとして。
「公開されたら、本編がすべてを語ってくれる」というようにも、私はだから、あまり楽観できないのです。
すみません、もう一回で最後にします。
──23──
[1323] 我ながら何と長い。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/01/08(Thu) 18:12◇第四に、そうは言っても、実はあの予告編で、そんなに人が来るのかなあ?と思ったりもするのです。
私のような、「本来映画を好きになりそうなファン」に吐き気を催させるぐらいの迫力があったわりには、かわいこちゃんやかわいそうな話が好きな人を夢中にさせる魅力もあまりなかった(だいたい私がかわいこちゃんは好きなんですから、これはたしか。笑)。
「さようなら」と書いてあればとりあえず感動する話とわかる、というブラスターさんのお言葉には吹きだしながら感服しましたが、その程度でこの不景気に忙しいのに、他の映画をさしおいてこれを見に行こうと思うでしょうか。そんな迫力も特色もあの予告編にはなかった気がする。
当然ですよね。「ブランデーをジュースと言って売るようなもの」とある方が他のサイトで名言を吐かれましたが、たとえば日本庭園でバラの花の写真をとろうと苦心しているようなものだもの。 短い時間の予告編の中に訴えようとすることに結びつかない無駄な画像は入れる余裕もないはずなのに、何の脈絡もなく、マストの上の艦長と軍医を写して見たり、焦点は拡散し、メインとなるべき少年の魅力さえもまったく訴えきれていない。
何でもこの映画ガラパゴス島にロケしたのが画期的で、私の博物学マニアの友人なんて、そういう映像があると聞いただけで、予告編でちらと見ただけでもすっ飛んで見に行くだろうのに、そのことの売りも全然入っていない。
少年を中心で売るにしても、そのやり方は雑でやっつけ仕事としか思えない。
まとめてみましょう(笑)。
1.この予告編ではそんなに人を呼べない。
2.でも本来来そうな人を追い払う力は持つ。
3.「泣かせる映画」と思って来た人は失望して悪口を広める。
4.そうでない人も、予告編の図式にとらわれて映画がよく理解できない。
5.だから、悪口だけが広まる。
6.それを否定してくれそうな人は見に行ってないから、弁護もしない。
たかが予告編を何もここまで攻撃したくはないけれど、要するに「こんな非常識なことまでして、やった結果がこれなのか」「なぜこんなつまらないことをするために、わざわざあんなことまでしたのか」、それがまったく理解できない。
まあ少しは理解できているので、せんべいさんがおっしゃっているように、どうもこの宣伝担当の方々は、映画をほとんど見ないままでこういうことをやっておられる可能性がある。
これについてはまたあらためて。
◇ブラスターさん。
私は時々こうやって書きまくってしまうのです。お忙しいと思いますし、お返事はいつでもゆっくりでけっこうです。お答えがなかったからと言って、納得されたとか、反論がないとかは決して思いません。どうかくれぐれも、お返事を急がれないで下さいね。
◇せんべいさん。
パークス君のサイト見てきましたよ。もう…笑いましたけど、こういうのってまったく彼にもとても失礼ですよね。気の毒です。
◇参加できなかった人間さん。
イスラムのことについては、私はまったくわからないので、勉強になります。
最後の部分はまったくそのとおりと実感するのですが、ただ、マスコミのただ中におられる方々の感覚は、とても私たちのような感覚とは開きがあるのでしょうね。
ブラスターさんがこういう発言をして下さることを私はとても感謝しています。マスコミやジャーナリズムの方々がどのように考えて感じておられるか、知りたくて、お話したくてたまりませんでしたから。
※19~23は次の書き込みへの答えとして書かれました。この方はブエナ・ビスタ(配給会社)とは関係なく、テレビ番組で似たような宣伝をする経験があるという立場から書いて下さったものです。
[1315] レスありがとうございます。 投稿者:ブラスター 投稿日:2004/01/07(Wed) 13:24気分に任せて書いてしまったので、言葉足らずだった点があったかと思います。わざわざレスしていただいてすいません。
僕はマーケティング戦略を考えて番組やドラマをTVで流す編成という仕事をしています。ですので映画やドラマを作品とは関係なくヤラセや捏造を含め様々なことをして多くの人に見てもらえるようにしています。人に話すとインチキだと言われますが、趣味ではなく「仕事」なので僕はできるだけ「仕事」ができるようになりたいのです。
映画配給会社に友人もいますが、彼らは僕らと同様に映画ファンである前に宣伝マンであるというプライドを持っています。
まあ端的に言ってしまうと、誤解を生むかも知れませんが人をだまして、「予告編見て行ったら全然違かったよ」という言葉を言わせたらそれは、彼らには誉め言葉なのですね。
だからじゅうばこさんが書かれていることを見て、彼らは「いい感じです!インターネット上でも反響ありです!」と上司に喜んで報告していると思います。僕ならかなり喜びます。 ちなみに映画公開前に文句をバンバンWEBに書いて反論するというのはアメリカでは、ちょっと前からよくやる宣伝方式です。ワイドショーや週刊誌のバッシングと同じで、文句が書いてあると人は興奮するんですね、面白がってくれるんです。
じゅうばこさんは言葉や文を大切にされているから、宣伝文句や広告を見て嫌気を感じているのだと思いますが、単純に考えると僕はセンスはないけど、人の目は引くと思いました。文章の中身は陳腐かも知れませんが、じゅうばこさんたち以外は全く気にしないと思います。僕は全然気にならなかったし。その時点で目的は達成されていると。
ターゲットは10~20代女性(F1)だと思います。映画はほとんど女性をターゲットにするんですが(男性は一人では行かない)一番苦労するのは、映画ファンじゃないフツーの女のコが年に1本だけ見る映画に選んでもらうことです。映画ファンや原作ファンは何もしなくても映画見てくれるんで宣伝対象じゃないんですね。
子供から親への手紙をモチーフにして「さようなら」って書いてあればれば、言葉は悪いですが、どんなバカにでも、本も映画も見ないようなタイプの人にも、誰もが感動する話だってイメージできますし。
ですので、ブエナビスタがやってる宣伝は「プロ」だなあと思います。「ますい」とも思いませんし、僕にはどうしても間違っているように思えないです。すんません・・・。
書いてて思ったのですが、僕ならこの映画は子役の「はじめてのおつかい」風に売り込むことを考えたと思います。それでタイアップしたらオバさんも見てくれるかもなんてことを考えながら。
長々と本当にすいません。
宣伝とは関係なく映画が楽しめることを祈ってます。
──24──
[1328] うー、短い書き込みはできんのか。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/01/10(Sat) 01:01◇ブラスターさん。
おっしゃっていることのひとつひとつが、私はとても興味があります。じっくりお話したいのですが、そうもいきませんので、なるべく短くお返事します。これで終わりというのではなく。
それと、私の方も、お答えになって下さったことと、微妙にずれたところでお話しそうですが、その方が逆にわかりやすいと思って。
だいたい、三つにまとまりそうです。
第一に。最初の書き込みの時に「自分だったら『はじめてのおつかい』風にやってみると思う」とおっしゃいましたよね。
実はあそこを読んだ時、私は何のことかよくわからずに、また少し驚いて、何度も読み直してやっぱりそういう意味でおっしゃっているのだなあと確認したあと、しばらく宙を見つめていたのですよ(ちょっと脚色)。
その後も、このことをお聞きしようと思っては何となく遠慮していました。
あっさりそれを、はっきり今回書いて下さったので、そうか、とまた宙を見つめました。
私は何かを宣伝、紹介しようと思う時、それを見ないで「こうしよう」と考えるということがそもそもできません。見ないもの、知らないものについて人に何かを伝えることができると思うことさえ不可能に感じます。何度見ても、どれだけ見ても、それを自分が正確に理解しているのか、把握しているのか、その理解や把握を人にそのまま伝えられるか、そこを一番悩みます。
これはしかし、普通ではないですか?私は自分が普通とはまったく思っていませんが(笑)、このことについては、大抵の人は「見ないもの、知らないもののことは説明できない」と考えると思います。
しかし、お話を聞くと、現在のテレビや映画の宣伝では、「紹介、宣伝しようと思うものを見ることの方が、とても珍しい」のですね。
多くの方が、これには驚かれるのではないでしょうか。作り手も、受け手も。
この点について、ブラスターさんがいらっしゃる世界と、私がいる世界とでは、かなりもう、すごい常識の差がついてしまっているのだなあと痛感しました。どちらが特別なのかはおいておくとして。
第二に。前回の書き込みで私があいまいに書いてわかりにくくしてしまったことです。「売ればいい」というプロ意識について、優等生志向とプロ意識という本来まったく性格のちがうものが合体している奇妙さを、このような発言をされる方々に(ブラスターさんのことではないですよ)よく感じます。
視聴率、動員数、上司の評価、周囲の評価、そういうものを、とにかくもうどうしても得たい、最高のところまで行けたら幸福、そう考えるのは何かの枠で保護された中で、あくまで既成の基準に従って競争させられ訓練させられる子どもの世界の優等生の欲望です。私もそうだったし、そういう時期はなくてはならない。でも大人になり一人前になるということは、誰ともちがった自分だけの基準や欲望を持つことで、それを実現させたいと願って努力できるようになるということではないでしょうか。
視聴率も動員数も周囲の評価も大切です。でもそれは、自分のしたいことを実現するための手段であり障害であり、利用したり克服したりするものでしかない。
自分の好きなことに溺れて、そういうものを無視して破滅するのもプロのひとつのかたちでしょうが、自分のしたいことを忘れず手放さず、その実現に向けて努力しながらも一定の評価はきちんと受けつづける、というのもプロの一つのかたちでしょう。あるいは、特にしたいことも望みもないけれど、当面自分に与えられた仕事はほどよく、着実に処理して破綻しない、というのも、それはそれでまたプロでしょう。
ですが、パパラッチの方々も含めて私が時々とまどうのは、その「評価をめざして努力する」「売れる写真をとる」「視聴率をかせぐ」ということを、妙に崇高に芸術のようにしてしまわれる人がいる。
私はほんとに、そういうことを「生きていくためにはしかたがない」「金がほしい」と思ってやっている人は、えげつないことしていても、どこか淡々としているし、節度も品位もあると感じています。
でも、それではものたりない、それでは淋しいと思う人が、しかし何かを持とうとしても何もない人は「売れるためなら何でもする」自分を異様に強調し、そのことに陶酔する。そんな風に見えてしかたがありません。
友人の教え子に、ゲームセンターで腕相撲の機械と格闘して腕の骨折ったバカがいて、そいつはまったく立派でいいやつなのですけど、友人たちが「あいつ筋肉自慢だったけど、骨は細かったんだな」と言ってたそのことが、妙に思い出されるのです。
何か自分の価値観や夢や望みがあるのでもない。そうかといって、それを認めてさしあたりの仕事をきちんとしていくだけでは何だかものたりない。見回してもめざすものは、結局世間の基準、他人の評価しかない。それはつまり子ども時代の優等生から変わってないのですけれど、やはり「大人になってそれではいけない、恥ずかしかろう」というところまでもそういう人は優等生で、だから、その、人の評価を得るために努力することを一つの技として磨き、そのことによって自分はプロだ、仕事師だ、ただの優等生ではないと思おうとする。それは、幼児のような細い骨にレスラーのような筋肉をつけていく異様な姿に私は思えてなりません。
こういう人は今とても多い気がします。
「見ないものを紹介宣伝する」というのも私にはすごいブラックユーモアの、何だかチェシャー猫を見ているような冗談ですけど、まだ笑えます。
この「人の評価を得ようと必死になる優等生志向」そのものを、「プロ精神」「仕事師」と結合させて自分を納得させ、盲目的に邁進する姿というのは、同じようにものすごく、ありえなく、ニセウミガメみたいに変ですけど、すごく見ていていやだし悲しい。
第三は、時間がなくなったので超簡単に。
「あの少年だけに花があった」とブラスターさんが感じられたのは多分正しいです。あの少年はそういうものとして大変上手に作品の中で使われているはずです。だから、予告編がわざわざあんな風に作らなくても、もとの映画自体がもともとそういう役割として十分に生かしているはずです。おかしな作為をしなければ、彼はあの映画でブレイクすると思いますよ。
外国の予告編をそのまま使って大丈夫かどうかはもちろん検討されなければいけませんが、少なくとも今の予告編よりは確実に安全です。
だんだん私も自分の感じている不安の中身がわかってきたのですが、あの予告編が少年を売り出そうとしたことまでは、まだ笑って見逃せたのですよ。いや、顔をしかめて見逃したかもしれないけど、ここまでのことはしなかった。
抗議行動を起こしたファンの方が、今でも「あのナレーションさえなかったらまだ許したかも」とかおっしゃっておられますが、結局あの予告編の一番の問題は、非常に見る人の好みがわかれる予告編だということだと思います。
逃げる層と獲得できる層を天秤にかけて計算して、プラスになると判断したのだろうとブラスターさんはおっしゃるし、私もそれは何度か考えて見たのですが、どうしても不安なのは私自身の中に生まれたものすごい拒絶反応なのですね。他にもそういう方がいらっしゃいます。
これは、私の場合は明らかにそうだし、他の方もそうではないかと思うのは、その反感や拒否感、嫌悪感は、「原作をゆがめている」「本編とちがう」ということでもないのですね。ゆがめてたって、ちがってたって、もっと別のかたちなら皆、許容した可能性がある。 そういうこととはもう関係なく、あの予告編そのものが嫌いなんですよ。
なぜかって言うと、この予告編の演出は、ひとことで言うとすっごく「臭い」んですよ。「臭い演技」のあの「臭い」。これは気にならない人はそうでもないけど、嫌いな人は絶対許せないはずです。とても過激に反応します。
私が最初からふしぎでならないのは、少年を売り出すにしても、どうしてここまでリスクの大きい過激な演出をしたかです。予告編には「見せる」と同時に「かくす」という要素も大切で、どんな映画か気になるけどわからないようにしておいて、その映画が嫌いだったり苦手だったりする客でも、それこそ「だまされて」来るようにするのが必要なはずで、好き嫌いがはっきりわかれる予告編はそういう点でも予告編としてできがよくない。予告編ってそういう意味ではあまり強い特徴を持っちゃいけない。
そして、もっと決定的に救いがないのは、この映画もですけど、この少年のした演技こそ、決して絶対「臭い演技」なんかじゃなかった。おそらくその対極にあるものだったでしょう。そういう点でも予告編はこの少年を決定的に凌辱し冒涜したと思います。もう今私は、誰よりもこの少年のためにあの予告編と宣伝に怒りを感じているほどです。
予告編がどれだけ人をひきつけるかは疑問ですが、それで映画に行こうと思うのは、少なくともこの「臭さ」が苦にならない、あるいは好きな人のはずです。それそのものは別に悪いことではないけど、ただそういう人は、この映画の本編には一番ひきつけられない人です。私が絶望的にまずい宣伝というのはそこです。予告編はそもそも好き嫌いが強烈にわかれるものではいけない。もしわかれるなら、せめてその映画を好きな人が映画館に来るようにわけなければいけない。この予告編はそれを逆にわけるのです。これだけ強烈な臭さを放つ予告編には、それに見合った、それで成功する映画がある。でも、この映画にはあらゆる意味で効果的ではありません。
ええっと、最後にですが。
ブラスターさんのお話はとても率直だし、そういう面は現実にたしかにあると思うけど、一方でこれ読んで「ちがう!」と怒っている同じ業界の方もいると思うのですね。 そこは理解した上で言うのですけど、何の仕事でも「努力してます」「がんばってます」「自分たちもつらいです」「彼らも大変なんですよ」というのは、不充分な仕事の言いわけにはならないし、抗議の返答にもなりません。路上駐車もせず、投票にちゃんと行って、政府や警察に文句言うのは自分の暮らしを気持ちよくするためには、うっとうしいけどありふれた日常の仕事だと私は思っています。
…と、私もかなり乱雑な書き方をしたような。失礼があったらお許し下さい。
※24の書き込みは、次の書き込みに対する返事として書かれました。
[1324] 無題 投稿者:ブラスター 投稿日:2004/01/09(Fri) 20:42どうもです。なかなか忙しくて書き込めません。すいません。
うーんと、まず一言で感想を言ってしまうと、やはりじゅうばこさんは「マニアックな人」なんだと思います。ちょっと物事に対する基本的な考え方や、映画という商品に対しての価値観が僕とあまりにも違いすぎてどこから近づいていったら良いのか分かりません。 なので僕なりに書いていただいたことに素直に感想を書くことしかできないことをお許しください。
まずインターネットの反応ということについては、ある意味、じゅうばこさんの書かれている通りです。配給会社やTV局がインターネットを媒体としてちゃんと認めていません。「マスメディア」ではないということなので、ネットで抗議をしても「反響」としか捉えられないということです。つまり「とても良かったです、頑張ってください」と同じ扱いです。
>この映画はアメリカでも大作が目白押しの中で、一応のヒットはしています。決してこけたとは言えない。
いやいや、それじゃ困っちゃいますよお。アメリカでそれなら日本ではよほど思いっきり違うことやらないとヒットもしないと思います。正攻法ではダメだと思います。
>だから、そもそも、こういう扱いを簡単に受けるような映画ではない。よほどの不安材料があるならともかく、まずはまっとうな宣伝で売れないか、その場合のリスクはどうか、
映画について調べましたがラッセルクロウじゃF1層は引っ張れません。作品観てないから分かりませんが他にパッと見で「花」があるのはあの子役だけでした。彼の顔や表情は記憶に残ります。「これなら使える」と僕も思いました。不安材料満載の作品です。まっとうな宣伝で売れないというのは最初の会議で決まるでしょう。じゃ今の宣伝で売れるか?となるんだと思うんですが、数字だけで言ったら売れないでしょう。先に挙げたターゲットに売り込む材料があまりにも乏しいです。僕の結論は「あれしか方法がなかった」んだと思います。
>「こういうのが好きなやつはほっといても来るさ」という姿勢は、老舗が常連さんをなめて粗末にするようなもので、すごく危険と思います。天を恐れぬ所業といおうか(笑)。
うーん、受け取り方だと思いますが、そうではなく実際に売上的に見て経験から天秤のバランスを取ってるんだと思います。予告を見て行く気をなくす人より、カワイさ目当ての不特定多数の女子高生のほうが若干多く取れると思います。その計算が出たからアメリカからもGOサインが出たんだろうし。
>これは参加できなかった人間さんもおっしゃっていますが、「連れてくれば勝ち」「映画見て失望してもかまわない」は、特に映画では通用しないのではないでしょうか。
ごめんなさい、映画こそそれ以外は通用しないと思います。
「連れてくれば勝ち」だと思います。
>「ブランデーをジュースと言って売るようなもの」とある方が他のサイトで名言を吐かれましたが、たとえば日本庭園でバラの花の写真をとろうと苦心しているようなものだもの。
ピッタリの表現ですねえ、そう思います。
もし、それができれば、じゅうばこさんのお給料が増えたらどうします?
もし、じゅうばこさんが仕事でそれをやらないとお前クビだって言われたらどうします?
そっち方が良いと信じてやらなきゃ組織は成り立たないですよね。
僕はやります。たとえ失敗だったとしても宣伝は不可欠なんで良いと信じてやるしかないです。
このままだと延々続いてしまうので、まとめていただいた(笑)ことに感想を書きます。
>1.この予告編ではそんなに人を呼べない。
でも他の国と同じ予告編なら話題にもならないのではないでしょうか? 見ましたが日本では通用しない(映画館を説得できない)ファクターがいくつかありました。
>2.でも本来来そうな人を追い払う力は持つ。
いや、来ると思います。本来来そうな人というのは自分で判断できる人たちが多いですし。
仮に減ったとしても、それは絶対数として少ないという読みでブエナビスタは仕掛けているのでしょう。
>3.「泣かせる映画」と思って来た人は失望して悪口を広める。
映画は公開して10日間が勝負らしいです。
悪口が広まる頃には回収できていないとビジネスとして成り立ちません。
これも誤解を生むのを承知で書くと、いかにうまく「振り逃げ」できるかが「もともと売れない番組や映画をヒットさせる重要ポイント」だと言われています。実際の数字が物語ることなので明確ですが、皆さん(一般の方)が失敗したと思っている映画の中には「興行的成功」な映画がいっぱいあります。ブエナビスタはこれに賭けているのでしょう。つまり普通に宣伝したら宣伝費に対して「成功」はありえない作品との判断だと思います。
よくビデオに○○を押さえて全米No1なんてありますよね。公開した週末3日間だけNo.1になれば事実です。
>4.そうでない人も、予告編の図式にとらわれて映画がよく理解できない。
理解できるかどうかは、配給会社の仕事が終わった後の話ですよね。
よく分からなかった人はもう一度観に来る人になるかも(笑)
>5.だから、悪口だけが広まる。
悪口を含めて「ねえねえマスターアンドコマンダーって観た?知ってる?」という話が広がると思います。
>6.それを否定してくれそうな人は見に行ってないから、弁護もしない。
否定してもらう意味はどこにあるのでしょう・・・。否定でも肯定でも「個人の趣味」に過ぎないですし。だから映画館に行く・呼び込むという行為だけが意味があることになると思うんですよ、仕事の場合。
長々とすいません。
よく考えずに書いているので、辻褄が合わない文章もあるかと思いますが、僕が伝えたいのはやはり彼らも「仕事」でやってるんで、個人の心情で抗議するのは良いとしても彼らの仕事を否定するのは配給会社の仕事をやってからじゃないと。政治家や警察の文句は言うけど選挙に行かないのや路上駐車してるのと似てるような気もします。単純に「作品や俳優のファンなので、私がイヤだと思うのはやめてください!」というのだけで良いと思うんですが。
>せんべいさんへ
>だったら自分たちで捏造してしまえばいいのに。ね、ブラスターさん(笑)。
そうですよね、本当にそう思います。僕なら絶対にやるけどなあ??こういうところはブエナビスタさん甘いですね、仕事なんだから徹底的にやるべきだと思います。
>あ、調べたかぎりでは、彼等は満足に下調べもせず碌に映画も観ずに宣伝物を作ってしまったそうなので、
>これまでのは「創作」ですね。念の為。
うーん、これは結構面白い意見ですね、全員が下調べしたり作品をちゃんと観てるってことはあまりないかも。本当にヒマだったらマスコミ向け社内試写に出るかもしれないですけど、僕なんかほとんど観たことないです(笑)見るのが仕事ではなく売るのが仕事だし。ドラマのプロデューサーはドラマ見ないですよ。キライな人のほうが多いかもです。
>参加出来なかった人間さんへ
当面をクリアしないとその後もない状態です。売上を上げないと会社潰れちゃいますし、文化だの芸術だの言ってる余裕がないのが現実です。リピーターだけで食っていけるのは料亭や割烹みたいにそれ自体がブランドになるところですよね?メディア商売で重要なのはリピーターではありません。書かれている10~20代女性やいちげんさんのように、意味なくお金を使ってくれる人です。あまり考えずにお金を払ってくれる人が最高です。キャバクラを実際に支えているのは一部の指名客ではなく、不特定多数の一見さんですよね?感情的は理解できますが・・・理想論かと。
──25──
[1332] 一言だけ(笑)。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/01/10(Sat) 14:08◇笑ってる場合かと言われそうですが。
私がブラスターさんの書いておられることがわかる気がすると言ったのは、自分自身が以前に何度も、映画も見られない小説も読めない時期があったからです。仕事や生き方が自分でもいいことしてると思えなくて、でもそれと向き合ったら生きていけない。美しいものや楽しいものを見て、心がいやされる、あたたまることそのものが危険だから、そんなものを見ると恐いし、ひどいことになる。
「気の毒」というのは、まりえるさんのように私も思います。また、参加できなかった人間さんのように、あるいは今の私のように、他の評価と自分の目的、生きる事のバランスをそれなりにとることを覚えた老獪さ?を持つ者からもお伝えしたいことはあります。でも、目まぐるしく条件の厳しい職場で生きている若い人たちは、さしあたりブラスターさんがとても凝縮したかたちで、とても明確に言おうとして下さった状況はとても抵抗できないものではと感じます。そこにいる人たちだけでは。十郎さんもおっしゃったように観客の役割もまたあるのではないでしょうか。
あとでまた。
◇ブラスターさん。 しつこいけれど、お返事を急がれないで下さい。この話題はきっと当分長引きます。一ヵ月後にお返事されても、少しも遅くはないぐらいでしょう。お仕事も忙しいはずですし、どうか急いでお答えにならないで、ゆっくり考えをまとめられて下さい。お節介ですねえ(笑)。
◇十郎さん。
あれまあ、こちらも忘れていました。
あけましておめでとうございます。何だかもう戦場のクリスマスって観ですが。
うん、匂いのたとえっていいですね。でもマクドナルドならまだいいんですよ。割と不特定多数にいけるじゃないですか。それだったら私も心配しません。あの予告編の匂いはすごく癖のある個性的なニンニク料理の匂いなんです。ちなみに私の知ってる若い女の子の中には、ミーハーはミーハーでも、こういう(あの予告編的な味わいの)表現に対しては「きゃー」「さぶー」「きもーい」などと、悲鳴を上げて意味不明の言葉を発し、蛇蠍のごとくにいやがる連中がけっこう多く、年代性別関係なく、あの手の表現に関する拒否反応を持つ者の感覚は鋭敏かつ残酷で容赦ないですよ。 そういう点では、あの予告編って、若い女性をねらうという割には、なんか異様に古臭い。小学校の年取った校長先生のご訓話のような仰々しさと自己陶酔があって、他ならぬ若い女性に一番「けっ」とそっぽ向かれそうで、そこがどうしてわからなかったのかまったく不思議です。映画の調査もしてないかしらんけど、ターゲットにする若い女性の調査だってまともにしてないんじゃないのかなあ。
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[1341] そうかあ…。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/01/12(Mon) 17:07◇十郎さん。
お話をうかがっていると、ブラスターさんとはまた別の面で、あの予告編を作った人たちの気持ちがわかるような気がする(笑)。私はあの予告編、しょうがなくて作ったか、うれしくて夢中で作ったかどっちもありだなとずっと思っているのですが、後者の場合、こういう心境なのかなあ。できたものは大いにちがうとしても。
私は皆さまにあきれられるかもしれないけど、この映画に今そんなに興味はないのですよ。興味持ちたくないです。だってまだ見てないし。
この問題が起こってから、「先入観持たないで見たいのに雑音を立てないで」と思っている方々の気持ちが私はすごくよくわかる。私自身がそうですから。
ただ、ものすごくひどいものを「これがあの映画」と言ってさしつけられて、あの映画が大嫌いになった、もし他の情報がなかったら見にも行かなかった、そのことははっきりと「被害を受けた」と考えているだけ。
映画の予告編なんて、必要以上の先入観を持たせては失敗で、過度な情報や印象はむしろ与えちゃいけない。予告編にも字幕にも「節度」と「分」というものがある。
私はあの予告編は自分が映画とりたくてけっこう自信もある人が、自分の作品作ってるって気がずっとしてたんですよ。一つの可能性としてですけど。
もしそうだとしたら、そのことについての感想を言うのはもうよしますけど、そういうことはやはり、自分の金使って、自分が監督になってから思う存分してほしいのね。
それで私は、この映画について今ほんとに知りたくないし考えたくないし、とにかく本編見るまでは「少なくともあの予告編が紹介したような映画じゃない」ということを確認しつづけるだけです。
どっちみち私は、何かについて語る時は、それをいやというほど見たあとでないと何も言えないんですよ。攻撃するにもおちょくるにも愛撫するにも(笑)。だから、見ていない、知らないものについては「わからない」という以外、まったく何のコメントもできなくて、宣伝担当などになったら一日ももたずにクビなんでしょうね。
私やキャラママ(板坂)の世界では「知らないことについて何か言ってる、見てないものについて発言してる」ということはもうそのまんま職業的な死を意味するんですよ。二度と相手にしてもらえないし、誰にもかまってもらえなくなる。そして私はジャーナリズムやマスコミの世界でも、むろん政治の世界でも、これは同じだと思っていたのですけどね。ひょっとしたらそうじゃなかったのかもしれない。
──27──
[1345] さてさて。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/01/13(Tue) 09:50◇十郎さん。
実は、お返事する時に、別の言い方も考えていて、それは「まず何とかして映画を見る。何もかもそれからだ」だったのです。まあ、言ってることは同じなんだけど。
私は何かについて発言する時、それがある事実であれ、情報であれ、作品であれ、一番支えになり力をもらうのは、その事実、情報、作品そのものです。それを見て、見つめて、見直すことからしか、力を得られない。
それを見なくても自分の中に、それに匹敵するだけの何か(学識、体験、技術、感情、その他)があるとはとても思えません。いかに自分が豊かであれ、優れた人間なのであれ、そこまで自信は持てません。
遊びでもどうかなあ?私の場合、パロディや冗談にする時ほど、相手や対象をよく知ってないとえらいことになると思ってますからね。これも、パロディや冗談とは、遊びとは本来絶対そういうものだと何の疑いもなく思っていたのですが、それも常識ではなかったのかしら。
──28──
[1349] カウンターを見ていると、 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/01/15(Thu) 14:07◇トップページのですが。おいでになる方が多い気がするのは、キャラママ(板坂)が、2年生の卒論ガイダンスの時、ここを紹介したからか、それとも、「まだ見ていない映画」のコーナーに、いろんな方へ出した手紙をのせたせいか。
で、後者の場合(あるいはそうだと人が思っている場合)、私も最近(前からだろうという突っ込みが多いのは承知ですが)性格がめちゃ悪くなって、更にまた、映画の宣伝担当者の方への先入観がそうとうゆがんだ方向でかたまりつつあるので、まさかと思うけど、あのコーナー見て宣伝担当の方は「やったー、マスコミがこの話題で盛り上がってただで宣伝してくれる。騒ぎのもととなってるあの予告編、もうしばらくおいておこう」なんて大間抜けなことをもしや考えて喜んでいるんじゃないでしょうね。
いろんな意味で世の中そんなに甘くないですよ、絶対に。
私はブエナ・ビスタさんには、これまでたくさんのいい映画を見せてもらった感謝の気持ちがあるし、そういう仕事を一生懸命してきて下さった、これまでの社員の方々に感謝しているから、悪口を言いたくないし傷つけたくもないです。そうやって、これまでの方が築いてこられた会社の名前、商標にどれだけ今の方々が支えられているかわかっておられるのだろうか。
この問題が大きくなって映画がヒットしたとしても(私はそううまくはいかないと思っています。少々話題になったって、あの予告編の与える影響はやはり最大です。「年に一回しか映画を見ない」女の子がどこでどれだけあの予告編を見るのか私には謎だけれど、それより映画が好きで話題作なら見ようかなあと思っている人たちの多くが、今もどんどん拒絶あるいは敬遠の方向に傾いてるでしょう。あるいは、この問題そのもので、いやけがさすファンだっているはず。あらゆる意味で、まちがったゆがんだ印象で映画を汚すことになるでしょう)それは、その会社の名前にうさんくさい印象をきざみつけることと引き換えですよ。そんなことまでして一本の映画をヒットさせなきゃ困るほど経営が行き詰まってるのならとにかく、そんな危ない裏技で大当たりをねらおうとすること自体、ブランドの格をものすごく下げることになる。
まあ、こんなところを担当の方は見ておられないかもしれないから、ちゃんとお知らせする義務も感じてはいるのですが、いくら何でもそんなこと、私なんかに教えられたくはないだろうって気もするのですよね。
──29──
でもでも 投稿者:じゅうばこ 投稿日: 1月18日(日)20時11分22秒
秋林さん
「ミスティック・リバー」の宣伝文句のお話、読んで思わず吹き出しましたけど、でも、いっそ「意味不明」ならいいのに、と思ってしまいます。まるっきりちがう、いやな印象与えるよりは…って、私もう、いくらでも書けるなあ、あの予告編のことなら。文句、悪口、罵詈雑言、皮肉、冷静な批判…とまりそうにない。ああ、我ながら不毛だ。
せんべいさん
しょうもないことあれこれ考えるのですが、たとえ大嘘でも歪曲でも、あの予告編の少年の声がせめてうっとりするぐらい可愛くて感じよかったら、私もひょっとしてこんなに文句は言わなかったかも。予算をけちるものではないですよね。特に嘘ついて人だまそうという時に手間ひま惜しんじゃいけません。
──30──
[1365] 戦争を描く、ということ。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/01/19(Mon) 23:14◇「マスター・アンド・コマンダー」の予告編の問題については、さまざまな人がさまざまに語ってきた。その中で、それなりに問題点をしぼってきた人たちもいる。私自身は、「結局、あの歯の浮くような趣味の悪さ、あくどい陳腐さが理屈なしに反発を招く。それは私だけとは思えない、かなり広い層のはず」というところに危惧を感じると述べ、別のサイトである方は「戦力不足のため、少年たちを戦線に送った」とまったく歴史的事実に反し、しかも映画の内容にも反する宣伝文句を強調することで、「誤った歴史を教え」「正しい事実を知っている人には、『嘘をついている映画』と思わせる」ことが許せないと言われる。
この予告編の最もたちの悪い不愉快さはそこにある。映画の欠点を増幅するのではなく、映画にない欠点を増幅するのである。映画そのものの持つ欠点を増幅するのでさえも、すでに予告編として失敗ではあろうが、それはあくまでまだしも映画に内在する欠点であるだけ、それにひかれて来るファンを満足させる余地もあり、本来の欠点で嫌われたのなら映画の方もあきらめはつくだろう。だが、その映画が持っていない欠点を人に伝えてしまったら、他にどんな魅力があろうとも、それは宣伝の名には価しない。ましてや「気にならなかった」「大丈夫だった」という評価しかせいぜい肯定する人からも引き出せず、その代わりに身に覚えのない欠点を作品に烙印する宣伝は。
私がこれから述べることも、この、「本編の映画にはない欠点を勝手に作り出して、この映画のものとして人に伝える」救いがたいこの予告編の特徴だ。私はこの問題について考えはじめてまもなくそれに気がついたのだが、あまりに胸が悪くなる話だったし、今それを語ることは不謹慎と思ったから慎んできた。しかし、やはり書いておこうと思う。 と、言っていたら時間がなくなったので、また明日に。ちょっと簡単に予告だけしておくと、これはもうなかば結論でもあるのだが。
この予告編の制作者は、「戦争を描く、戦争を題材とする」ということについて、いったいどのように考えているのか、私はぜひとも聞きたいと思っている。
──31──
[1390] 数日前に20世紀フォックスに出した手紙です。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/01/29(Thu) 22:00◇ブエナ・ビスタと親会社?のディズニーにも出したのですが、内容はほとんど同じです。 私がどうして、この映画の予告編に怒っているか、特にあの新聞広告が許せなかったかは、これを書いている間に自分でもはっきりしてきました。
この映画の公式サイトの宣伝文句は昨日少し訂正されました。でも、予告編などは変わっていないのではないかと思います。宣伝の基本的な路線も。 きっと、訂正をされるにあたっては逡巡も決断もおありだったと思いますし、おそらくあまり前例のないようなこのような対応をして下さったことには深く感謝していますが、拝見していると、逆に「この基本路線だけは絶対に変えたくない」というお気持ちも見えるようで、複雑です。
自分の気持ちを確かめるため、宣伝担当や関係の方に、またここを見ておられる方にもあらためて考えていただくために、この手紙を期間限定コーナーに載せる前に、あえて掲示板で紹介します。 何が問題なのか、私が何にこだわるのか、少しでも伝わればよいのですが。
◇以下が、手紙です。
拝啓
突然お手紙をさし上げる失礼をお許し下さい。
私は二月末に公開予定の貴社の映画「マスター・アンド・コマンダー」を楽しみにしている者です。そして既に他の方々からもお手紙が届いているのではないかと思いますが、この映画の日本での宣伝方法について心を痛めている者です。
原作にも映画にも歴史にも存在しない「戦力不足のために海軍に送りこまれた」かわいそうな少年たちの話という筋書でこの映画を紹介宣伝することの問題点については、他の方も述べておられるでしょうからくり返しません。私なりに憂えていることを一つだけ申し上げたいと思います。
戦争や軍隊というテーマは非常に大きくまた微妙です。たくさんのことがこれらについて語られて来たし、人それぞれが自分なりの先入観やイメージを持っています。私自身は戦争は嫌いだし軍隊は好みません。しかし、それだけに、それらをきちんと描いた映画は評価するし好きです。安易に反戦のレッテルをはったり、道徳的な基準で切りすてることは許されないと思っています。
この映画の監督やスタッフも、その点は強く意識し、注意深く慎重に、この題材をとり扱う視点や姿勢を選んだはずです。彼らのめざしたのは、今とはちがう一つの時代、一つの世界を生きた人間たちの群像を等身大に描くことだったのではないかと思いますが、そのために彼らは、映画の世界が安易に現代の価値基準と結びつけて感情移入されないよう、大きな努力を払ったでしょう。「いまを生きる」の名作を生んだピーター・ウィアー監督、デビュー作に戦争犯罪を扱った秀作「アンボンで何が裁かれたか」を選んだラッセル・クロウといった面々が、そのようなことに無関心だったとはとても思えません。
もちろんこれは困難な試みです。特に「誇りをもって戦闘に積極的に参加した少年たち」の存在が、万一、今、全世界で悲惨な事実として知られる少年・少女兵士のイメージと重ねあわされたりしてしまったら、映画にとっては致命傷でしょう。
しかし、既に見た人々の高い評価から見ても、この映画は優れた作品のすべてがそうであるように、深い哲学、精密な計算、血のにじむ努力、巧妙なバランス、などによって、これらの危険を回避して、観客を現代の感覚からひきはなして監督たちの作り上げる世界を実感させることに成功しているのではないかと思うのです。そして、そうであるからこそ、逆に私たちにこの現代を生きる力を与え、戦争について平和について深く考えさせることにもなるのです。
今回の日本での宣伝方法が、監督たちのこのような努力や配慮、その結果完成した作品の偉大さをかたちづくる精妙さや微妙さを、充分に理解した上でのものだとは、私には思えません。
監督たちが何よりも避けようとした方向へ徹底的に観客を誘導することによって、この作品を決定的に傷つけてしまう恐れがあると考えます。
原作にも映画にもない「前線の少年士官が戦いの前夜、故郷と母をなつかしむ手紙」を、少年の母親でもない別の登場人物の肖像をあたかも母親のそれのようにレイアウトして添えるという信じがたい操作までして、大々的に掲載した新聞広告が各紙に掲載されたのは、自衛隊の海外派兵が話題になっている折でした。無意識にせよ、宣伝効果をねらってにせよ、そこに私は宣伝担当の方の戦争に対する、どんな真剣な姿勢も深い洞察も感じとることはできませんでした。この程度の感覚なら、あるいはあの「戦いにかり出されたかわいそうな少年たち」という宣伝の図式のそもそもが、「積極的に子どもが戦争に行った話よりこっちの方が、戦争ぎらいな日本なら無難だろう」という、実に適当な判断で何となく決められてしまったのではないかという疑いが、その時生まれてまだ消えません。もしもそうなら、それは戦争ぎらいな私のような人間も侮辱するものです。
くり返しますが、その程度の判断で、ここまで決定的に、監督たちが心血注いだあの映画を、原作ファンや批評家たちの厳しい目も評価せざるを得ないほど完成させたあの映画を、最後の最後に傷つけて苦しめる、あのような宣伝方法が選ばれたということを、私はどうしても認めることができません。
ハヤカワ文庫の「マスター・アンド・コマンダー」第十巻のあとがきを見て、貴社がこの映画の字幕に配慮されていることを知り、うれしく力強く思いました。けれどもどうか「英国海軍は戦力不足のため、幼い少年を軍に送りこんだ」という、映画の作品世界を根本的にゆがめてしまう、この宣伝の方向についても早急なご検討とご対処を心からお願いする次第です。
長々と書いてしまいました。失礼な表現の数々はどうぞお許し下さい。
なお、この手紙にお返事等は不要でございますが、もしも頂きました折には公開させて頂くこともあるかと思いますので、この旨どうかご了承下さい。
最後になりましたが、貴社の今後ますますの御発展を心より祈っております。 敬具
二〇〇四年一月二十六日 じゅうばこ(本名)
20世紀フォックス映画会社宣伝制作部様
──32──
めちゃくちゃ無駄話 投稿者:じゅうばこ 投稿日: 5月29日(土)19時41分7秒
もしくは、笑ってる場合じゃないけど。
私は「トロイ」はけっこう好きで、あちこちの掲示板のぞいて見てるのですが、ブラッド・ピットのファンサイトの映画ネタばれ掲示板で、「ニュースの予告が『史上最大の愛のための戦い』から、『男たちの何とか』に変わっていた」との報告がありました。
書かれた方は「そりゃ、あれ(映画)を見たらねえ」とかおっしゃっておられましたが。 私は「トロイ」の予告編はまああんなものかと思い、あの程度に「愛」を売りにするのは別に全然かまわないやと思ってたのですが、何だかもう、笑っていいのか喜んでいいのかどうしていいのか複雑な心境です。
まあ、こういうことに少し世間や宣伝が神経質になってくれているのなら、それはそれでうれしいのですが、あまりそうなると、「マスター・アンド・コマンダー」の場合は、そういうのとは程度がダントツにひどすぎたのだ(だから黙っていられなかったのだ)ということが薄らいでしまうような気もして。「トロイ」はもちろん「キル・ビル2」程度でも私は、お偉い余裕ある批評家の方々がおっしゃって下さったように、それこそ「笑って許し」ますよ。そういう意味では、いっしょくたにされたくありません。あーあもう、何怒ってるんだか自分でもわからなくなるけど。
──31──
とりあえず 投稿者:じゅうばこ 投稿日: 1月23日(金)19時18分53秒
字幕のことは、少しほっとしています。
「なんだか、やかましそうなファンが多くて、ちょっとややこしそう」と思われたのかもしれませんね。だったらいいですけど。
でもまだ安心はできないなあ。
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え~っ! 投稿者:じゅうばこ 投稿日: 1月25日(日)22時25分47秒
ペペペコさん
それって、あのバージョンじゃない予告編も流れてるってこと?
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[10] Cutの二月号見ました! 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/01/25(Sun) 23:09きちっとしたいい記事でしたね~。でも筆者の方、ラッセルにインタビューでぐれられてひどい目にあわれたんですね。それでも絶対の演技力を評価して下さっているのが快い。
でも、その「最初の印象は最悪」と言っておられる部分が妙にリアルでおかしくて笑ってしまいました。たしかにそういうことしそうだし、だから本物の彼とは私はあまり知り合いになりたくないんだよな、とか思ってしまって。
彼に対するいろんなゴシップについても「信憑性は薄かったが同情する気にはなれなかった」って、何だかもうわかるわかるって感じで、こういう書き方って好きだなあ。
ところで例の予告編ですけど、ひょっとして私がげんなりしたのとちがうバージョンのも流れてるのかしら?ペコさんが前にごらんになったのもひょっとしてそれ?さあ話がややこしくなった(笑)。
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[1401] それにしてもですよ。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/02/02(Mon) 21:32◇大量破壊兵器が見つからなくっても反省も弁解もしないし、方針の変更もしない国や、その説明も求めないまま平気で自衛隊派遣してしまうこの国の中で、映画の宣伝コピーがいくら明らかなまちがいとは言え、抗議してたださせようとするなんて、昔の映画「将軍たちの夜」の、戦争や残虐行為のただ中で、たかが殺人事件の犯人をしつこく追及しつづけるオマー・シャリフの軍人捜査官みたいな気分だなあ。
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あんまりうれしくて 投稿者:じゅうばこ 投稿日: 1月29日(木)20時06分37秒
ぴーと様
ついふらふらと書き込みを。
私も映画を見ていないのですが、去年の暮れに映画館であの予告編を見て、しばらく呆然と町を歩くほど衝撃を受けました。気がついたらネットカフェにふらふら入って、ここの掲示板で怒りを吐き出していました。何もかもそこから始まりました、私にとっては(笑)。
年末と新年は親戚や老母とホテルで優雅に過ごしたはずなのですが、あの予告編の気持ち悪さがずっと尾を引いて、陰鬱な数日でした。ああ、いくらでも書けてしまうわ。 同じようなショックを受けた方が他にもおられると知って、元気が出るというのも変ですが、何だかとても救われました。
おっしゃることは皆すべて、まったくその通りだと思います。
まりえる様
昨日、町の地下街の壁で、あの映画の素敵なポスター見たのですよ。でも歯の浮くような文句が端っこを汚してました。私かなりマジに暴走族の使うスプレー缶持ってって、深夜か早朝にあの文字の上にかけて消してやろうかと思ったことです。ああ、危ない危ない。
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[31] 「マスター・アンド・コマンダー」の宣伝の文句が 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/01/29(Thu) 20:16ちょっとだけ変わりましたね。
担当の方、これだけ変えるのでも、きっと勇気と決意がとても必要だったのでは。ありがとうございました。心からお礼を申します。
でも、とは言え、基本的な路線が同じなので、ひかえめになった分わかりにくくなっています。 この路線はやはり無理なのだと見るたびに思います。昨日も町で大きなポスターを見たのですが、画面のストイックな美しさと、甘ったるいコピーの文字とがこれほど相殺しあっているのは珍しく、ラッセルの表情や帆船の美しさと、つけられた言葉のそぐわなさが痛々しいほどでした。
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[1404] あーん、ウェン君。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/02/03(Tue) 22:42◇お留守にしていてごめんなさい。
おばちゃんは今日まだ豆をまいていません。鬼にとっつかれるかもしれないので、帰って急いでまきますね。今夜は泊まって行って下さい。
ROYさんのところで、ウェン君とお父さんのお話も読んでるのです。まりえるおばちゃまのも。なかなか感想を書けなくてごめんね。もう少しまってね。 あ、下のアドレスはウェン君は見なくっていいのよー(笑)。
◇以下の2サイト、荒っぽい発言もあるけど(それでも私が掲示板の外で友人知人と話してることよりかは穏やかですが)、特に下の「マスター・アンド・コマンダー」に関するやりとりを読んで見て下さい。
予告編の嘘への批判については、どうせ宣伝担当の方々は、「こんなこと書く人たちは少数のマニアだから無視してもいい」と思われるのでしょうが、たとえば次のようなことがわかります。
1.ラッセルと子どもたちがいちゃつくだけの映画だろうと思っていた人がいます。
2.帆船の走る美しさに陶然として期待をふくらませてる人がいます。
3.12歳の子どもで若い女性が呼べるのか?と思ってる人がいます。
この3については私も前から思っていて、十代後半から二十代の女性で、十二歳ぐらいの「幼い少年」がかわいいと思って映画館に来る人って、そんなに大勢いるものだろうか。その年令の女性がかわいいと思って騒ぐのは、もうちょっと上の年令ではないのかなあ?こういうところも実は若い女性のことをあまりよく考えてない宣伝・予告編のような気がしてしかたがない。
そして、2のような人が確実にいる。こういう人も呼ぶ宣伝を工夫してほしい。船の美しさ、実物の魅力をもっと訴えられないのでしょうか。
http://tv3.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1021793699
http://tv3.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1075356495/l50
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[1407] 私はまだ見ていないのだけど、 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/02/05(Thu) 18:43◇「週間文春」の新しい号に、「マスター・アンド・コマンダー」の予告編のことがちっちゃなコラムに載ったそうですね。
◇私は時代に遅れていたのか、「泣ける映画」がいい映画、ということになってきてたのを知りませんでした。よそのサイトで読んでええっとのけぞりました。そうだったのか。それで、あの宣伝も。
でも私、「戦場のピアニスト」見てまったく泣けなかったけど、それはあまりに強い印象を受けたからで、泣いたりしたら罰があたると思ったんですが。
ちなみにキャラママ(板坂)は、市民劇場という団体で演劇を鑑賞してますが、ここでは、「とにかく笑える劇がいい」というのが皆の希望らしく、「どんな偉大な人物もちっぽけでつまらなく解釈して、『あー、私らと変わらないんだよねえ』って感じで、おばさんたちがげたげた笑い倒すのが超フユカイ」と彼女毎回怒っています。
泣ける映画に笑える演劇。どうしてもうそうやって「安心して見られるマニュアル」を誰もほしがるんだか。結局疲れているのかなあ。
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〔49] まあ、無理はしない方がいいですよねえ 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/02/02(Mon) 19:38
チャールズ坊やが抱けなくなっちゃいけないし。
今日「テレビタロウ」のインタビューを読みました。なかなか面白くまとめてあって楽しかったです。M&Cのインタビューでは彼はいつもきげんがよさそうですね。
「子どもが生まれたぐらいで性格はかわらない!」と言ってるけど、実際の様子を見てるとあまり説得力ない、と書かれていたのに笑いました。
あー、でも映画の紹介のとこでは以前のあの「戦力不足」の嘘筋が。まあしょうがないよね、見てない記者は宣伝文句を信じるしかなかったんだろうから。だからもう、罪が深いのよ、あの宣伝。と笑ったり怒ったり忙しかったです。
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[1409] いじましい。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/02/05(Thu) 19:06◇今、Yahooのニュース見たら、今年のアカデミー賞の中継は5秒遅れで放送するとか? どこそかの誰とかがなんかの中継で胸を露出したので、そういうことのあった場合、事前にチェックできるようにするとからしいけど、誰だって思い出すよね、去年のマイケル・ムーア監督の「くたばれ、ブッシュ!」演説を。きっとあれを警戒してるんだろう。
ヴィゴ・モーテンセン(アラゴルン。映画が候補作)は来日した時、「イラク攻撃反対」のTシャツ着てたし、ジョニ―・デップは「ブッシュは最悪の嘘つき」とか発言してるし、今年の顔ぶれもなかなかだから。
どっちにしてもいじましいなあ。アメリカらしくもない。というのも幻想か。
アラゴルンと言えば、今回の「マスター・アンド・コマンダー」の予告編について、「アラゴルンを出さないで『ロード・オブ・ザ・リング』を売るようなもの」「渡辺謙を出さずに『ラスト・サムライ』を紹介するようなもの」「スター・トレック映画をそれと知らせないで売るようなもの」「スター・トレック映画の宣伝でスポックをかくし、カーク艦長を小さく扱い、ウナとか女性の搭乗員を拉致されてきたとして中心にすえて紹介するようなもの(一部変えました)」などと、すっごくわかりやすい例えをしてる方々もいらっしゃいますね。
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[1412] 「マスター・アンド・コマンダー」の予告編のことですが。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/02/07(Sat) 18:08◇「週刊文春」の2月12日号(かわいい犬三匹の表紙)の52ページに、この映画の予告編についてラッセル・クロウのファンが怒っている、JARO(日本広告審査機構)も動いたという記事がのっています。
きちんと取材してよくまとまったいい記事です。
でも、二つだけ文句をちょっとつけるなら
1.怒ってるのはラッセルのファンだけではない。ベタニ―のファン、この映画のファン、原作ファン、映画全体のファン、なども怒っています。
2.「原作とちがう!」「本編とちがう!」というのが怒りではないんですよ。「あの宣伝では客は来ない!」ということがそれとセットになってるところが、一番許せないんです。これは私だけではないと思う。
まあ、紙面の関係でそこまで書くのは無理なのはわかっているのだけど。
◇2チャンネルのこの映画の項目を拝見していると、「ああ、やっぱり」と思うことがたくさんあります。少しだけ紹介すると、
「どうせラッセル(指揮官)と餓鬼(子分)3人ぐらいのグダグダ話」「海洋版ハリポタ」「中南米やアフリカのゲリラみたいに近隣の子供達をかっさらって戦争に送り込んでるみたいな(略)キャプテンって英雄ぽいけど子供使ってんのかよ、鬼だな」と誤解してた人、
「すげーイヤな宣伝」「あの予告は糞」「予告編だけであれだけ嫌悪感を抱かせるってのもなかなかない」「予告編見たかぎりでは、『こんなガキ臭い映画がなんでアカデミー賞候補?』と不思議。ここを読むまでは、仮に作品賞を獲っても絶対観に行かないつもりだった」「自分も宣伝そのまま信じて、この映画は好みじゃないからとスルーするところだった」「予告を見て脱力して行こうかどうしようか迷ってたが、ここを見てアメリカのトレイラーとサイト見に行って前売り5枚買うことにした」などと、この予告見ただけで絶対行かないと決めていた人たち、
「(この宣伝では)10年に一本の海洋アクションの傑作が台無し」「渋い男のドラマを好む観客は、予告や宣伝を見て『ケッ』、涙腺直撃の感動大作を好むF1層はブレイクニ―君萌え萌え映画を期待して見に行って『だまされた~』となる」 などと心配している人、
「宣伝に嘘はつきものだが、この宣伝ではヒットしそうにないのが一番問題」「『萌え視点』で見ても、12のコドモよりマチュリン&オーブリ―」「『母さん、母さん』と呼ばれて若い女性が喜ぶのか。中高年女性をねらっているのか」「美少年好きもあの予告では釣れない。美少年だなどと一瞬も思わなかった。もっと強力な魅力の映像がないと」「ポール・ベタニ―は絶対女性誌にうけそうなキャラなのに、なぜもっと彼を押し出さないのか」などとの意見も。
(まとめたりはしょったりして適当にまとめたりしてすみません。この他にもまったく同感!と叫びたい書き込みがたくさんあるのですが。)
しつこく書くけど、私もこの「12歳の」「幼い」少年にメロメロになって映画館に走る若い女性層というのがどうしてもイメージできないのです。あの少年俳優はそんなに強烈な美貌や魔力を感じさせない。せいぜいが「かわいい」で、それが「母さん」と呼びかけて誰がひきつけられるのか、その対象がわからない。若い女の子はむしろおじさんの友情に「かわいい」と言ったりするんですよ。子育て中の若い女性は自分の子どもが一番かわいいと思ってるか、もう子どもなんて見るのもいや、映画館でぐらい現実逃避したいと思ってるはずだし。もっと年上のおばさんたちはむしろクロウやベタニ―を好むでしょう。
第一ねえ、言わせてもらえば、子どもってつまり女子高生あたりって、「幼い」なんて言葉は嫌いですよ、多分、とっても。多分若い女性も。自分たちは「幼い」かもしれない。「幼い」ものも好きかもしれない。でも言葉で「幼い」と言われて喜んで「幼い少年?見に行こう!」と思うのは、いたってとっても少数と思う。そういうところの感覚がねえ、何だかこの宣伝、救いようもなくずれている。
いったい、何をどうねらったのか、まったく理解できないのです、思えば思うほど、あの予告編が。そして結局、こうして2チャンネルだけでもすでに数名、「あれ見て絶対行かないと思った」という人を生み出している。これは氷山の一角、どれだけの人がそう思って今も見に行くのをやめているのか見当がつきません。
──42──
[76] とてもいい批評 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/02/09(Mon) 23:48くうさまがおっしゃっていた、品田さんの批評を読みました。
ほんとにとてもいい!心がこもって、品があって、嘘を書くまいときっちりエリをただして、そしてほめておられる。
映画を愛する良心的な人たちってまだまだいらっしゃるんだ、と思って世の中への信頼がずいぶん回復しました。
おおかたの内容は、トップページでリンクしていただいてる私の「まだ見ていない映画のために」の「最新情報」のところに紹介してあります。ぜひお読みになって下さい。
これは、しかも新聞広告の一部なんですね?ブエナ・ビスタにもほんとに感謝します。
「映画秘宝」という雑誌では「映画会社の宣伝にめげないで、見に行くこと」とかこの映画を紹介しているらしい(笑)。ちょっと今から雑誌をさがしてきます。深夜まで開いてる本屋さんがあるので。
──43──
〔82] もうこうなったら 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/02/11(Wed) 18:01
何でもよく見える…からじゃないと思うんだけど、品川さんのお顔も素敵で、あの文章と映画の雰囲気にとてもよく合っていますよねえ。
「映画秘宝」って、見た目より案外とってもまじめな雑誌が「マスターアンドコマンダー」(ちまたでは「マスコマ」と言われはじめているみたいですね)を「海の『グラディエーター』大殺戮映画!!」などとすごいタイトルで、でも記事はしっかりといい内容で紹介しています。最後が「メーカーの宣伝(萎えるぞ)に誤魔化されずに劇場へ駆けつけろ!」っていうのが笑わせる。
「ヤングキングアワーズ」という漫画雑誌でもM&Cをきちんと紹介し宣伝を批判しています。この人も原作を読んで、また見ようと思ったと言ってます。
──44──
妄想には妄想を 投稿者:じゅうばこ 投稿日: 2月19日(木)02時43分10秒
私のHP、ちょっとサーバの調子がおかしく、まめな更新ができないのですが、予告と字幕のことはいずれもう少し、初めての方にもわかりやすいように整理しようと思っています。
その時には削ろうと思っている、私の最初からの書き込みの長い記録をお読みになると(いや読まなくていいですが)わかりますが、私は最初からずっと、あの予告編が忙しくてばたばた作られたとか、時間がなくて本編見ないで(見てないとは思うけど、仮に見てたとしても)やっつけ仕事したとかいう風に思えなかったのですね、どこかでかすかに、何となく。
あれは、すごくていねいに作られた自信作じゃなかったのかなって。
自分はたまたま運が悪くて埋れてるけど、ほんとはピーター・ウィアーなんかよりよっぽど才能あるって確信してる人が、心をこめて作った「自分の短編映画」だったのじゃないかって。
何の根拠もないただの妄想ですけどね。今回の字幕改竄の件がもし本当なら(集団催眠にかかったのでもあるまいし、これだけの人が何か余計なものがあったと言ってるのだから、何かはあったのだと私は判断してますが)、また一つ、その妄想がほんとじゃないかって気がしてしまった。
何が何でもだましてでも映画館に連れ込めばいいんだったら、あとはもうほっといてもいいわけでしょう。まあ、字幕全部を改竄しようというならまだしも、それは無理そうな状況では、もう冒頭の解説に手を加えることにそんなに意味があると思えない。私たちへのいやみ?せめてもの意地?まさかね。そんなもので大切な商品を汚しはしないでしょう(カマトト!と言わないで)。
なのにあえて字幕につじつま合わせる文章つけるのは、つまり、あの予告編が、ご自分がお作りになった短編映画が、何よりも大切、嘘にしたくない、消したくない、本編で打ち消されたくない、と願っている方がいらっしゃるのではないですか?
ええ、多分、ですから、その方にとっては本編は、ご自分の大切な「作品=少年バージョン予告編」の解説、参考資料でしかあってはならないんですよ。印象に残るのは本編より自分の作品であってほしいし、本編が自分の作品ゆがめたら困るんですよ。
この間のいきさつを見ていたら、もうそうとしか思えないじゃないですか。ちがうんですか?
多分とっても、あの予告編を愛しておられて、何度も一人でうっとり見ておられて、われながらよくできたなあ、本編よりこっちの方がずっといいのになあ、どうしてピーター・ウィアーはこういう作品にしなかったのかなあと、しんから不思議に思ってらっしゃる方がいらっしゃるのじゃありません?
あ、すみません。皆さま、頭に血がのぼらないようになさって下さい。多分そんなことはないでしょう。あんまり妄想めいた宣伝を見せつけられてると、こちらも感染してしまうもんですから。
──45──
妄想には妄想を・2 投稿者:じゅうばこ 投稿日: 2月24日(火)12時58分23秒
3はありませんので、ご心配なく(笑)。
問題の字幕が削除されたし、少しはいい方向に向かってる様子もあるので、これはもう書かないでおこうと思っていたのですけど、どうも見ていると、いろんなかたちであの子どもバージョンの図式にこだわって巻き返ししようとしてる気配があるので、念のために書かせて下さい。
もうずいぶん先に流れて行ってしまったけれど、ブエナのJAROへの回答の中で、皆さんがあきれはてた「画面に登場してない部分の話はどう作ってもいい」という判断がありましたね。 せんべいさんもおっしゃってましたが、あそこ読んで私は自分の妄想が妄想じゃないのではと思ってしまいました。
連想した人が多かったのじゃないかと思うけど、その考え方って、ファンフィクションの作り方と似てますよね。ほぼ同じだと言っていい。
私の妄想をくりかえしますと、本編を見たかどうかはともかく、あの宣伝作った人の頭の中には、もう本編とはまったく別の背景を持った「自分の話」ができている。かわいそうな美少年が拉致されて涙ながらに成長して戦士になるみたいな。そして、その人はその話を愛していて、本編よりずっと感動できると思ってる。だから、本編がそのじゃまになると腹が立ってしかたがない。
ファンフィクションって、「それ自体が面白くなくちゃいけない」「本編を大事にしなきゃいけない」ものだし、この場合、その二つのどちらの点でも失格だと思うんですが、でもまあ、これが仮にほんとのファンフィクションなら、面白くなくっても本編を傷つけても許されるでしょう。だって、書く人はお金はもちろん、悪評も何も、自分の責任でうけとめるわけなんだから。
今回このファンフィクションもどきの予告編と宣伝が、実はどんなつまらないファンフィクションの足元にも及ばないし風上にもおけないのは、自分で責任とってないことですよ。人さまの作った映画で自分の趣味を満足させてる。自分の金は使わないで。いや多分、お金もらって。
妄想で突っ走りますと、私、プレミア会場であの予告編が流されてたと聞いて、もしかして、作った人は天にものぼる幸福感味わってたんじゃないかと思った。映画のプレミアじゃなくて、自分の予告編のプレミアの気分でいたんじゃないの?自分の作品のためにピーター・ウィアー監督も来たつもりになってたんじゃないの?
そのくらいの、とてつもないかんちがいしてるのでなきゃ、「宣伝と一致しないから、本編に余分な字幕つけて宣伝と一致させる」なんて倒錯した精神、どっから生まれるんですか。
しかもそれがまた、林さんと高橋さんの字幕・監修担当の名をつけて流そうとしてたわけなんでしょう。そんな重大なことするのに人の名前使って、その人たちをどんなに汚すかも考えてなかったわけでしょう。
この宣伝の体質そのものにそういう「人に寄生して自分の欲望をとげる」無責任さと自信のなさ、そして、自分の名前で勝負したことがない、しようとしない繰り返しの中でものすごく肥大してしまった妙なうぬぼれと思い込みを感じてしまう。
こういう人のかんちがいの方向って「自分はピーター・ウィアーより才能あるのに世間は気づかない」か「ピーター・ウィアーはほんとはこうしてほしかったんだ」かのどっちかで、どっちなんだか知りたくもないけど、そういう風だから、こうやって私たちがこの宣伝を批判してるのに、すごく傷ついて怒ってる反面、話題にされることの喜びに恍惚とし、ぞくぞくしているのかもしれないと思います。
そういう人が一人なのか複数なのかわからないけど、あの少年バージョンの予告編やそれに類した宣伝がなされている限り、そういう人が存在するにちがいないという私の妄想は消えませんね。 まあ、表に現れてない部分で何が起こっているか想像するのはかまわないとなると、そういうことにもなる。
不毛な比較をしてもしかたがないのですが、「宣伝に本編を合わせるために余分な字幕をつけた」なんて本末転倒さでは、「指輪物語」の字幕問題以上の異常さではないでしょうか。そりゃすべては誤解かもしれませんけどね、でも、こういうことをしている限り、私のような妄想も生ませてしまう。それだけはわかってほしいです。