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いいんじゃない?

◇新聞によると昭和天皇は晩年に、長生きしてもしかたがない、身近な人が死んで行くのが淋しいし、戦争責任を追及されるのがつらいと、側近にもらしていたそうな。

気の毒と感じる気にはとてもならない。それがいいことか悪いことか知らないが、何と普通のどこにでもいるおじさんみたいな述懐かと、とっさに思った。まあもっと立派なおじさんは、そのへんにいくらでもいるだろうが。

◇アベ首相の救えないところはいろいろあるが、一番私が気に食わないのは、人の上に立つ権力者という自覚がまるでないことだ。
その権力を歯止めもなく、ほしいままに使う一方、何かにつけてぽろぽろもらす発言を聞くと、この人は社会の最低限の弱者と自分が同等で、同じようないたわりや思いやりを受ける立場だと、本当に心の底から信じていることがよくわかる。
ものすごい世界トップ級の金持ちが、年末の恵まれない人への募金を本気でほしがるのと同じで、それはとても異様だ。

これはかつての職場の同僚たちにも、しばしばいて、どんなに責任ある重要な役職についても、普通のヒラと同じ権利を自分は行使できるんだと、何の疑問もなく思いこんで、そうふるまうのが、しばしば私を驚かせた。
一方で、自分の親友でも「長」がつく立場に立ったら、もう以前のようなつきあいはしない、ということをモットーにしている人もいた。その同僚は、「上に立つ者ってのはね、それだけ孤独なんだ」と言っていて、私は何もそこまでと笑ったが、基本的には同感である。

◇だから規模の大きさは別として、アベが必ずしも特例でないことは知っていた。
でも、天皇たちの心境なんて、めったにもれうけたまわることなんかないから、知る機会もなかったが、今度のようなニュースを聞くと、何とまあ、とことん平凡で普通の人が、国民すべての運命をにぎる「神」の力を持たされていたんだと、あらためて思う。海外ドラマ「エメラルドシティ」を見ているから連想するんじゃないが、まるでオズの魔法使いだよ。
とにかく、アベの同類がもっと古くから、もっとトップにいたことは、あらためてよくわかった。

今の天皇皇后は、その点明らかに、「上に立つ特別な人間」の責任と義務を自覚している。そのように行動し発言している。
だから、アベとネトウヨに嫌われ無視され軽んじられてないがしろにされ、結果として天皇の価値や威信を引き下げている。そのことについては、お二人のことを思うと、とても心が痛むけれど、それはもしかしたら皮肉なことに大きな功績なのかもしれない。

◇まあいいや。
でも、長生きとまでは行かなくてもいい、もうちょっとでも生きたかった、本当に膨大な人がいたんだよ。広島で、長崎で、沖縄で、東京で、全国で、南方で、大陸で。

「戦争責任を追及されるから長生きするのがつらい」なんて、昭和天皇よ、あんたの立場にある人は、側近にでも日記にでも、本来は死んでも口にしちゃいかんことだよ。
頭の中で考えるのも、心で感じるのも許されないことだよ。

そういうもんでしょ、あんたの立場というものは。
だから、私と同じ人間にそんなひどい仕事させちゃいかんと思うから、私は天皇制に反対なんだよ。

◇あらためて思い出すことが二つある。
ひとつは、戦時中は軍国少女だったという母が、戦後、天皇は軍部に利用された気の毒な存在とかいう話を聞くたびに、「そんなはずないやろ、あのころの天皇の絶対的な権力を知らんのか。あの人が戦争やめる、と一言言ったら、誰も反対できるわけない。そういうもんだったんだから」と、くり返していたことだ。
それが本当にそうだったかはともかくとして、当時の国民の一人だった母の実感としては、それしかなかったほどの存在だったということだ。

もうひとつは小説「神聖喜劇」の主人公の東堂太郎が、案外きちんと法制度で動いていると知った軍隊の中で、それを最大限利用して上官たちの責任を追及する戦いを続けながら、常に抱いていた、絶望的な無力感と虚無感で、それは、この制度の頂点には「何をしても責任を問われない」天皇という存在があって、どんな法律も責任もそこで天井が抜けてしまって意味がなくなるという実感だった。
(ちなみに、これは私が幼いときから男女の不平等や差別を実感したとき、ほとんどまったく口に出さず人と議論もしなかった原因でもある。いざとなったら、「蟹工船」のラストのように、秩序も体制もひょっとしたら神も、しらっと敵方のラスボスとして登場するという確信が、常に心のどこかにあって、「勝ち目はない」と思っていた。)

◇何にせよ、普通のおじさん以下であることがわかった天皇が、普通のおじさんのように晩年「戦争責任を責められる」ことを苦にして、長生きもしたくない気分でいたとわかった私としては、あら、天皇の戦争責任の追及は無駄じゃなかったんだな、よっぽど効いてたんだな、いいんじゃない?という感じである。

あらためて不幸な晩年、不幸な一生だったのだなとも、つくづく思う。
何を支えに喜びにして、最期を迎えたのだろう、後ろ向きの逃げの毎日で、どんなにつまらなかったろう。同情する気もさらさらないが、そう思う。

いらん親切かもしれないが、彼がもっと幸せになるには、戦争責任を人から責められること以上に、自分が自覚し自分を責め、悔い改めて何ができるかをとことん考えて行くしかなかったのだ。そこまで追いつめられなかったのが、しいて言うなら、彼に対する私たちの責任だろう。

まあ、比べ物にはもちろんならないが、私だってそういう逃げたり目をつぶったりした案件は多いから、そこは身につまされている。

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カツジ猫