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いかーん。

◇老後だか晩年だかになって、中年程度ですませておくべき大仕事がいっぱい目の前にあって、どっから手をつけていいのかわからないあまりに、何時間もパソコンゲームをしてしまうという救いがたい状況になったりするので、やっぱ優先順位をはっきりさせておかねばと思う今日このごろ。というか、ここ数日。

本当は喫茶店に居座れば一番いいのだけど、今のところ自宅がそこそこ居心地いいし、食べ物もたっぷりあって下手すると腐らかしそうなので主婦的感覚が作用して、ついつい家に帰って来る。
せめて、上の家の茶の間だと、喫茶店に近い気分が味わえるので、ノートを持ってそこにこもろうと思うのだけど、このごろ私が家にいるのに慣れたカツジ猫が、私の帰宅を下の家の庭の金網の中で、棚に座って、これがまあ、世にもかわいい顔で待っている。夕方や夜などは、目がまん丸に大きくなってこぼれそうで、その目でじっと見つめていやがる。

そこで、ついほだされて、下の家に入って、にゃおにゃお甘えるのに応えて、おやつとかかつぶしとか食べさせてしまう。そのまま寝てくれたらいいのだが、彼は食べ終わるともう私に用はないかのように、ぷいとまた庭に出て行く。多分よその猫の見張りをしているのだろう。結果として私のことも見張るかたちになるわけで。

彼は私が外出するのはあきらめているようだが、上の家に行くのはがまんできないらしく、大声で鳴いて呼ぶ。よって私は結局上の家に行けないまま、DVDやパソコンやお菓子やその他誘惑物がやたらと多いだけではなく、怠け者菌でもただよっているのじゃないかと思うほど、居心地がよくでれでれしてしまう下の家で、あっという間に夜中過ぎまで遊んでしまう。いかん、いかん、いかんなあ。

カツジは実は飼いやすい猫だと思う。トイレの失敗は皆無だし、覇気がないから、置物や雑貨にもまず手を出さない。ラグをひっかいても、すぐあきるのか、執着して攻撃しない。どうかすると、かみつく癖さえなかったら、満点猫の優等生だ。私の愛猫だった故キャラメルは去勢後でも、あちこちにけっこうスプレーしていたが、カツジはそれらしく、しっぽを立ててぴりぴりぴりと震わせたりはするのだが、実際には発射したりしたことがない。あ、ときどきカーテンにやってる気配はあるが、これまた生命力がないからなのか、臭いがほとんどしないのだ。

てなわけで、忙しい高齢者(何のことだ)が飼うのには、何かと都合のいい猫なのだが、この妙に淡白で屈折した愛情表現がくせもので、はまってしまうと、ひどいことになる。案外こいつは、ヒモかジゴロかホストの才能があるのかもしれない。
こういう話をすると、皆が口をそろえて「甘やかしすぎです」「きたえるためにも数日留守番させるべきです」と言うのだが、困ったことには実際に今、私は家でする仕事が多くて外出する機会がないのだよなあ。彼を甘やかさないために金と時間を費やして、よそに行くのもあまりに本末転倒だし、それはそれで甘やかし過ぎみたいだし。もう知らん。

◇というわけでもないが、今日は午後から遠出して、「美女と野獣」の映画を見て来た。連休まっただなかだったから、駐車場も劇場も相当混んでいたが、時間に余裕があったので、のんびり駐車スペースをさがし、のんびり先の回を予約して楽しんで来た。もちろん字幕版で見たのだが、見終わってみると、恐いもの見たさで吹き替え版もちょっと見たくなった。まあDVDを待つか。

「アナと雪の女王」がひどすぎる例だが、昔ながらの童話にへんちくりんな現代的解釈を加えるとろくなことにならない場合が何かと多いと感じているので、今回も前半はその目新しさが目障りで、いらん解釈しまくるなと思ったり、何よりお城の食事がまずそうだし、図書館の本の魅力がちっとも表現されないし、野獣の外見は魅力に乏しいし、前半はイライラして、あーでもそう言えば童話の王子って、たしかに皆、最後にハッピーエンドの象徴みたいに出てくるばっかで、することないんだよなあとか、これならもうやっぱり「ワンス・アポン・ア・タイム」のアホでかわいいチャーミング王子とか、ロバート・カーライルのルンペルさんの貧相な野獣の方がどんだけ魅力的だったことかとか、いろいろ毒づきながら見ていたが、やっぱり原作の力で最後はしっかり満足できた。でもやっぱり、実写とか新解釈とかで、原作をいじり倒す前に、本来の魅力をきちんと押さえてほしいと切に思う。

◇映画の直前に、どしゃぶりになったが、終わって出る時にはやんで、涼しくなっていた。午前中の集会の時に降らなくてよかった。私の手作りうちわに九条の会の事務局の人たちが、かわいいイラストや文字をいっぱい使ってスローガンをはってくれていて、うれしかった。

主催者の私のあいさつは、何かぐだぐだだったが、いろんな人たちが原発のこと、教育現場のこと、共謀罪のこと、沖縄のこと、その他いろいろ多彩な報告をして、内容は充実していてよかったと思う。そして、いろんな人たちがスピーチの間に交流や紹介や連絡をして情報が共有されつつあるのも、うれしかった。
事務局の人によれば40人ほどの参加者だったそうだ。いつも合同する教職員組合は今日は福津で集会をしたのだから、この人数は立派だったんじゃないだろうか。

◇私のまとまらないあいさつの中で、皆に強調した二点は、次の通りである。あ、三点か。

「最近断捨離で家を片づけていて、古い日記を読み返したら、10年前に自分の将来を予測していて、母のこと家のこと仕事のこと、だいたい今その通りになっているのだが、そのころには私が予想もしていなかったのは、この宗像の地で、これだけ多くのいろんな人と知り合って、手をつないで、このような活動ができるようになっているということだった。皆さんの中でも、これからスピーチされる方で、まさか10年前や5年前に、この駅前でマイクを握って自分が人々に訴えることになると予想もされていなかった人もおられるのではないか。安倍内閣の暴走も予想以上だが、私たちもまた思いがけなかったほど、大きく進んできていることを忘れてはいけない」


「私たちは安倍内閣を倒したあと、どのような政権を作り支えるかも、もう考えておかなくてはいけない。ネトウヨの人たちなどは今でも安倍内閣の弁護に、民主党政権がいかにだめだったかを持ち出している。私は民主党政権の欠点など、今の政権と比べるのも話にならないと思うけれど、やはり自民党を倒した後の政権を支えられなかった

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カツジ猫