サカキの花
椅子の回りや机の下にわしゃわしゃ積み上げていた読みかけの本が、うざくなって、少しずつでも読了しようと毎日読んでいる。軽い、薄いものばかりなんだけど、まさにチリも積もれば何とやらだ。
昨日は益田ミリ「永遠のおでかけ」と、「希望を紡ぐ教室」を読みあげた。前者は病死した父親の思い出が、感傷的になりすぎない穏やかな日常の描写の中に綴られていて、読む方も無駄に心を震わせないで読めるのがいい。そして、ぴりぴりしてはいないが、自分の気持ちや父の思い出をはれ物にさわるというか、水いっぱいの器を運ぶような細心の注意を払いながら書いている、それを人にさとらせさえしないように気を配っているのも伝わって来て、感謝したくなる。
ネットの感想で「文章が稚拙」と書いてる人がいたのには笑ったよ。こんないろんなごみが濾された澄明な文章、めったに書けるものじゃないぞ。よく文学者や名文家にありがちな、ぐちゃぐちゃ熱っぽい心情を書きなぐった自己満足と自己陶酔の追想とは対極にある、いい意味での「めだたなさ」なのに。
「希望を紡ぐ教室」も、力強いが荒っぽかったり、やかましかったりしない。平凡でまっとうで健全で普通に見えるが、そのことがとてもありがたく、大事なことに思える。こんな小説は誰もが書けるわけではないが、それでも、こういうものを書くつもりで毎日を生きていたら、誰もが幸福になれるだろうし、よい世の中ができそうでもある。同じ作者の前作も注文したくなったのだが、また本が増えるのもなあ。
ネットでこれという紹介記事がなく、ハッシュタグには私のブログが紹介されていて笑ったが、一応リンクしておこう。
その自分の過去のブログを見ていたら、たまたまだろうがホークスの記事が多くて妙に笑った。そんなにいつもは書かないのに、偶然かな。
ここのところ、ホークスは苦戦していて、不安定な戦いぶりで、特に俊足の周東選手の(本人のせいではないのも多いし、去年の活躍で他チームのマークが厳しくなったのが主要な原因なのだろうが)失敗が目につく。
私は周東選手は、どこやらうちの猫なみに、いろいろ言うことすることが複雑で面白いのでつい注目してしまうのだが、以前から活躍して人気が急上昇すると、なぜか派手な失敗をして、持ち上げていたマスメディアや増えてきていたファンを、ふるい落として選別してるんじゃあるまいかというような、スイッチバック式成長をするのだよねこの人は。もちろん本人はそれどころじゃない必死の苦労で、その失敗を乗り越えて成長して行ってるのだろうが、そのスイッチバックの高原列車か、三歩進んで二歩下がるか、返し縫いの刺繍かみたいな図式が、毎回スケールがだんだん大きく派手になって行ってるのが、頼もしいと言おうかえらいと言おうかファンはたまらんだろうと言おうかある意味究極のスター性と言おうか。基本はまじめで強い人のようだから大丈夫とは思うけど、けがだけはしないでまだまだ楽しませてほしい(いやだから何を)。
神棚に供えるサカキの枝を買うのがめんどうで、庭に数本苗木を植えたのはいつのことだったかしら。もう十年近くになるんじゃないかしら。私の背より高い大木になりやがって、今年は可憐な小さい白い花まであちこちにつけた。さわやかな香りまでする。しかし、思い切って刈り込まないと庭がサカキのジャングルになりそう。こんなに生命力が強いから、お供えするようにもなったのだろうと、つくづく納得している。