一人の食事が一番楽しい
ここ数日バテて寝過ごして、サボっていた朝のラジオ体操を、今朝は久しぶりに目が覚めて、ちゃんとやれた。その後ついラジオを入れっぱなしにしていたら、「楽しい季節を一人で過ごす方法」みたいなことが話題になっていて、視聴者からの便りなどから、「一人の食事はつまらない、などと決めつけてほしくない」「自分はとても楽しく一人で食事している」などという発言を紹介して、「こういうことを私たちは気をつけていかなくてはならない」とアナウンサーが話し合っていた。
まったく同感だが、これも一人暮らしの人が増えて来た結果なんだろうから、まあ多数派はいつも強いってことだよね。
そうは言っても最近でも、けっこう有名らしい生活や日常について見識のあるとされている学者なんかが、いけしゃあしゃあとラジオや新聞で「一人の食事は淋しい、みじめ、楽しくない」などと決めつけて話すのを見ると、けっと鼻で笑ってしまうのだが、それというのも私の実感で、他者との食事はちっとも楽しくないことが、あまりに多いことなのですよ。
男性のメンバーばかりの中の女性ひとりだと、十数人のごはんとおつゆとお茶の補充にてんてこまいしながら、自分の食いぶちを味も分からずかっこまなくてはならず、母や叔母などの高齢者といっしょに食事をすると、余ったおかずをごみバケツのように、こちらの皿に積み上げられたり、店との交渉やサービスも一手に引き受け、こぼしたり汚したりするのに目を配ってきれいにし、「このお魚なあに?」「何が入っているのかしら?」などなどの質問に答え続け、要するに侍女と執事とウェイターと家畜人ヤプーのような仕事に邁進し、友人と食べれば、こいつが変に他人の食べる順番や箸の上げ下ろしにいちいち口を出すやつで、不愉快でちっとも楽しくなく、何だかだって、他人の世話を焼かないで、不快なことも聞かされないで、ゆっくり一人で料理を味わい、あたりの雰囲気を楽しみ、来し方行く末に思いを馳せ、空想や計画に身を任せる、こんな至福の時間があろうかってもんなんです。
それが淋しいとかわびしいとか、反射的に感じてしまう人ってのは、私なんかに言わせると、ふだんよっぽど快適で満足な食事をしておられるとしか思えない。もう一言ついでに言うと、自分がそれだけ快適で気分良く食べてるために、周囲や目下の人たちが、どれだけ気を使い犠牲を払い疲れているかなんて、まるで考えても感じてもいないんでしょ。そんでもって自慢話やお節介やなんかをぶちかまして、楽しく過ごしてるから、「一人はわびしい」なんて思うんでしょ。よせやいな、もう。
私だって、人と過ごすのも食事するのも嫌いじゃないけどね、食べるのも、寝るのも、生きるのも、人といっしょにやるのと同じぐらい一人でやるのもまた楽しいの。誰にも犠牲をしいてないし迷惑もかけてないって思える、それだけでも幸福なの。くり返す、「人といるのが楽しい」人は「相手もそう思ってるのか?」を一応はチェックしておくべきだと思うよ。金でも払ってるんならまだともかく、タダ働きの侍女や奴隷にひとしい友人や家族や同僚を侍らせてるだけの快適さだったら、ほんともう最低だ。
あー、しかしこんなこと書いてるひまは今日はないんだよ~。今から大急ぎでごはん食べて、クリスマスツリーもどきを作るっ! でき次第写真をアップするっ!
…とか言いながらだらだら過ごし、ようやく暗くなる直前、上の家と下の家のそれぞれの前庭に、つつましくも怪しげなクリスマスツリーを作りました。上の家のはトネリコ、下の家のはゴールドクレスト。
トネリコが育ちすぎて大きくなったせいか、飾りのチェーンがちょっと物足りない。ものは増やしたくないが、今度どっかで、赤の飾りでも少し買って来ちゃおかな。
その後、暗くなった庭に強引に水まきをして、何とか今日のノルマは達成。あー、今からごはんなんだけど、ご近所からいただいたカマボコとトマトであっさりすますかな。それとも豚肉とか焼いちゃうか。どっちもいいなあ。どうしよう。