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勘弁してよ

◇百田氏の日本史に関する本が、ぐっちゃぐちゃだという批判はよく目にしたが(それでも五刷まで行ってるらしい。ひぇー)、興味もないので放っておいた。おかげで今日、こういう書きこみを見つけて、心臓がとまりそうなほどのショックを受けるはめになる。

「保守@安倍政権支持@hoshu_nippon

百田先生の日本国紀について、パヨク共が参考文献が無いからどうとか叩いているが、そもそも参考文献付いている本なんてあんの?
参考文献というのは論文やレポートで用いられるものであって、一般書籍に参考文献が付いているところなんて見たことないぞ」

だって。パヨクって左翼のことです。
いやもう、愕然とする。
もちろん、皆にいっせいに突っこまれてるが、そもそも、こういう感じの人たちが、いっぱしの意見を平気で言える気になっている現状がすごいよ。パソコン使ったことないけどセキュリティ担当の大臣してますと言うよりも、こっちの方が私には衝撃かもしれない。むしろ両者でセットになって、ものすごい世の中になったとしか言いようがないくらいの感慨があるよ。

◇ちなみにですねえ。私は自分の著書に参考文献をつけたことはありますが、実はこれはそう好きじゃない。
論文やレポートの最後に学生がずらずら参考文献を並べるのも、あまり感心しない。
他人の本の参考文献一覧を見て、これだけしか読んでないのかと思う人も、ちょっとどうかと思うしね。

普通に本を一冊書くぐらいの調べ物した人が、ノンフィクションでもフィクションでも、目を通した、読んだぐらいの本まで並べたら、参考文献だけで別に本が一冊できる。
私はどうしてもしょうがなく、あげる時は、せいぜい読者に読んでほしい、あまり知られない珍しい本だけに限ってあげる。「こんなの読んでてあたりまえ」「あ、私も読んでいる」なんて普通の人が思うような本は、載せたりしません、基本的には。そんなの、あったりまえじゃんか。

論文やレポートでも学生には、「引用文献や参照文献は、使ったその部分で注をつけて明記しておけばよい。見ただけで、どう使ったのかわからない、賛成か反対かも示さないまま、使った本をだらだら並べ立てたって何の意味もない」と、指導しています。
同じ意見の同僚もいましたが、一方で、巻末ずらり参考文献方式を肯定指導する先生もいらしたから、分野や専門がちがえば、やり方もいろいろだろうし、ちょっと遠慮はしてました。
しかし基本的には、「どう使ったか」きちんと注釈で示さない参考文献なんか、最後に山ほど並べてもらっても知らんわというのが私の実感です。

◇が、しかし、その巻末の参考文献さえ、「ないのが当たり前」というような人が、こういう断定的な発言をいっちょまえにしてるのか。
いや、そういうことを知らない人は昔も今もたくさんいたと思うんですよ。私だって、ゴルフのマナーや香水の使い方は知らないしね。
ただ、その「知らない」ままで平気で大手を振って、「知ってる」つもりで発言するのが、イタイ、醜い、おぞましい、やってられんわもう、ってことで。

ソクラテスはやっぱり偉いわ。「汝自身を知れ」を最も重要な哲学の根底にしてるんだから。高校生のころには「はあ? 何それ? あたりまえじゃん、面白くもない」とか思ってたけど、やっぱりこれって根幹なのな、いろんなことの。このトシになって、つくづく思うよ。

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カツジ猫