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株が悪いわけでは(多分)ないんだろうけど。

◇母が去年のクリスマスに98歳で亡くなったとき、何人もの人から、もうちょっとで100歳だったのに残念でしたねと言われて、無茶いうなよーと笑ってた私ですから、105歳で安らかにお亡くなりになった日野原重明先生のことを惜しんだり懐かしがったり、もっと生きていてほしかったなんて言うのはほんとは変です。
それでも、とても淋しいです。もちろん面識などないし、ご本だってちゃんと読んでいるわけでもないし、ファンというほど熱烈に見守っていたわけでもないのに、どこかで心の支えでした。

戦争法には絶対に反対です、今の憲法にはキリスト教の精神と通じるものがありますと発言されていたことを、今朝の新聞で見て、あらためて思い出しましたが、いて下さるだけで心強かったのは、それだけではありません。

◇友人が海外旅行先で知り合った高齢のお医者さんから、株の手ほどきを受けて一時はまって、かなりもうけていたことがありました。それで親しくおつきあいするようになった、そのお医者さんが愉快な人で、大変な財産を持っていて優雅に暮らしているけれど、仕事が忙しいのが苦になるらしく、重症の患者のことを「死ねばいいのに」と冗談に言っていたという話も、彼女は笑いながらしてくれました。

私もそうまじめな人間ではないですけど、それを聞いたときは、胸の中がまっ黒に汚れて行くような気がして、その時はあははと笑って流しましたが、しばらくしてから、がまんできなくなり、「祖父も叔父も叔母も皆医者だった。たいがい皆はちゃめちゃで、わがままで、言わせてもらえばろくな人たちではなかったけど、それでも患者のことを死ねばいいなどと、どんなに内輪の家族の前でも、どんなに忙しくて倒れそうで苦しいときでも、楽しい予定が狂ったときでも、一度も口にしたことはない。教師が生徒に言うのと同じに、医者が患者にそんなことを言うのはおろか、思うことさえ私の回りでは考えられないことだった。いくら名医か金持ちか魅力ある人か知らんけど、いったい何なの、その人は。下品な人だよ」と、まくしたててしまいました。

友人はこの私に長年つきあって我慢してくれて来た人ですから、「うーん」とそのまま聞いてくれていて、ずっと後で「あんたの言うように下品な人よ」と言ってましたが、まあ親友ではありますけど、私的なことにはよっぽどのことがないと立ち入らないので、その後もそのお医者さんとつきあいがあるのかどうか知りません。完璧に私はどうでもいいです。

◇ちなみに、その私に言わせりゃ下品な医者は長年株をやっているので、相当勘が働くらしく、プロ以上の情報をくれたそうで、友人もまあ少しはもうけさせてもらったようですが、ちょうどアベノミクス(今や死語やん)が盛んだった時のことで、その医者は数か月で6千万だったか一億近くもうけたそうです。
アベの経済政策で潤ったのは、そういう連中なんですよ。いつも、身に染みて実感していました。

私も叔母の遺した株を持っていたことはあり、今は手放してしまいましたが、この金利の低さなので、90歳超えて生きたら手持ちの預金ではヤバいかなと思うこともあって、銀行で「資産の運用」を勧められるとちょいと心が動かないわけではありません。
まあどっちみち忙しくて少しでも気が散るのがいやだから、やらないでしょうが、心のどこかには、患者に死ねばいいと言うような医者の同類になんかなるぐらいなら、ホームレスになって飢え死んだ方がましという気分があるのは否めません。株が悪いんじゃないけどね。でもやっぱり最終的に株で大もうけするのは、結局そういう人が多いんですよ。

だから私の投資は、まともな政府を作って、まともな福祉社会を作って、たとえ自分が最底辺のどん底に落ちてもそこそこやって行けるような世の中作ることです。大半の人にも、それしかないです。いや冗談じゃなく。平和憲法なんて、最高の優良物件ですよ、株にしたら、これ以上のものはない。

◇まあ学校の教師が生徒に死ねと言ったり、牧師がセクハラしたりするのも珍しくない世の中ですから、そんな医師もいておかしくはないかもしれませんけどね。
でも私の家族にはいなかった。たしかに叔母は私と高級料亭でごちそうを食べているとき、勤務先の病院から電話がかかると、てきぱきと投薬や処置や、時には亡くなった直後の手続きも指示して、携帯をぱちんとたたんだとたん、「このアユは、おいしいねえ」と目を細めたりする切り替えはすごかったけど。祖父も自宅につながる診療所から戻って来ると、患者の病室で家族が泣いているような深刻な病状でも、けろっとしてかわいがってる目白のえさとか作ってたけど。

たしかに医師や看護師や葬儀屋は皆そうだけど、そうやって切り替えつづけてないと、いちいち感情移入してたら生きてはいけないでしょうからね。子どもだったころから、それを見ていた私は「自分にとってどんな悲劇でも、他人にはそうではないし、世界も日常も平気で続いて行く」という感覚を、しかと身につけてしまったんだと思います。それは悪いことでもなかった。

患者に死ねばいいと言い、それを家族でもない他人に冗談で口にするのは、そういうのとは次元がちがう、やっぱり「下品な人」としか言いようのない低劣な愚鈍さです。くり返すけど、アベノミクスが手厚く面倒見たのは、たとえばそういう人です。

祖父も叔父も叔母ももう亡くなりました。いろんな点で比べ物にならない立派なかたですけど、私は日野原先生の中に彼らの面影を見ていたのかもしれません。

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カツジ猫