赤毛のアンと若草物語1-「赤毛のアン」と「若草物語」はどうちがうか

江戸文学が専門なので、大学の授業で「歌舞伎とぬれぎぬ」について講義しています。古今東西の文学には「ぬれぎぬ」つまり無実の罪を着るという設定がよく登場しますが、時代や作者によって、かなり差はあります。
江戸時代には特に「ぬれぎぬ」がよく登場し、中でも歌舞伎には非常に多いです。それについて考察する授業です。
その中で、学生に「罰を受けるときに、納得して反省して罰されるのと、敗北しただけで罪は犯していないと確信したまま罰を受けるのと、どちらが気持ちが救われるか」と聞くことがあります。

よろしければ皆さんも、どちらがいいか、考えて見て下さい。

私はしばしば授業で学生たちに、どうしても罰を受けなければならないとしたら、それがバケツを持って廊下に立たされることであれ(いつの時代の話だ)、公衆の前で鞭打たれるのであれ、大切なものを奪われるのであれ、牢獄に幽閉されるのであれ、死刑になるのであれ、「それは自分の犯した罪を思えば当然である」と心から納得し悔悟して受け入れるのと、「絶対に自分は悪くない。これは不当な弾圧だ」と怒りをもって抗議しつづけるのと、どっちが気分的に楽か、という相当悪趣味な質問をする。この問いかけにもちろん正解はない。しいて言うなら最もよいかたちでそうなるのなら、どっちもそれなりに楽だろう。

(いたさかランド 「朝の浜辺」コーナー金時計文庫「ぬれぎぬと文学」より)

さて、オルコット(1822~1888)「若草物語」シリーズ(1868~1886)と、モンゴメリ(1874~1942)「赤毛のアン」シリーズ(1908~1921、2009)は、どちらも、アニメや映画にもなっており、熱烈なファンが多い有名な作品です。
「若草物語」は、アメリカが舞台で、父親が軍医として、南北戦争に行っている間の、母と四人の娘たちの物語です。四人の娘たちはそれぞれタイプはちがいますが、父と母を愛し尊敬しており、さまざまな失敗をしては反省して悔い改め、成長して行きます。
「赤毛のアン」は、カナダが舞台で、マシュウとマリラという中年の兄妹が畑仕事の手伝いにと、孤児院から男の子を引き取ろうとするのですが、手違いで女の子が来てしまいます。それが主人公のアンで、結局この家に引き取られ、優しいマシュウと厳しいマリラに育てられながら、友人や村人などさまざまな人たちの中で成長して行きます。

どちらの話も続編があって、四人の少女もアンも、大人になって結婚し、家庭を持って、さまざまな活躍をします。

特にアニメなどになると、多くの人に受け入れられるように工夫されることもあって、二つの作品は似て来ますし、おいしいケーキやきれいな服や、美しい景色など共通する要素も多く、どちらも好きな人は多いし、とっさに区別がつかない人もいるかもしれません。一方で、どちらかは好きだが、もう一方は苦手という人もいるかもしれません。

実は、最初に言った、「罰を受ける時に、どちらの方が耐えられるか」という点で、この二つの作品は、まったく反対の精神が基調となっており、そこがそれぞれの魅力でもあります。「素直に反省して罰を受ける」のは「若草物語」、「自分がまちがっているとは認めない」のは「赤毛のアン」の根底を支える要素です。
わかりやすくするために、私の個人的な好みを言うと、私は圧倒的に「赤毛のアン」の方が好きでした。

もっとわかりやすくするために、昔の私の文章を引用したいと思います。

そして、アンがマリラのしつけをうけて成長して行く過程。よく見るがいい、よく読むがいい、ここに、アンが屈服し、敗北したケ-スは一つもない!レイチェル・リンド夫人にあやまったとき、アンはそれを楽しんでいることに、マリラは気づいて、あきれる。紫水晶のブロ-チは、アンは盗んでいなかった。しかもとったと白状し、こっけいな行きちがいがおこる。アンは成長していくが、しかし、大人にしつけられてではない。むしろこの少女にあるのは、誇りを傷つけられると、男の子をなぐりつけ、学校も退学する、激情である。一方で彼女の魅力、ナイ-ヴなやさしさ、風がわりな美しさが強調されるから読者は忘れてしまうが、アンは大胆で、強情で、異常な子である。ぐさりと鋭い皮肉を言うし、負けずぎらいで、戦う力を持っている。そののびのびとした力強さが逆に回りをかえてゆくのだ。「若草物語」をはじめとするオルコットの少女たちが、常に大人に反抗しては失敗し、おのれを恥じて、くいあらため、そして「リットル・ウィメン」になっていく、あの過程とは何たるちがいか!

(いたさかランド 「朝の浜辺」コーナー「私のために戦うな」の「夢の子ども」より)

これを書いたのは大学時代ですが、それよりずっと前の幼い子どものころから、私は大人が子どもを教育して成長させる話を非常に嫌悪していました。
時代が変わると本当に今の若い人には予想もつかないと思いますが、当時は現実でも虚構でも、そんな話がものすごく多く、それしかないほど一般的で、しかもそれは体罰や、精神的虐待も平気で肯定していました。
またその一方では、男が女を教育して成長させる話も多く、それは時にはDVやレイプへの容認にもつながっていました。

そういうこともあって、私はどちらも大嫌いでした。高校時代の私の最大の愛読書はカミュの「異邦人」だったし、シリト―の「長距離ランナーの孤独」も好きでした。それはどちらも、社会の常識や道徳や、それに基づいた教育をあたりまえのように拒否する話でした。

私はこんな世の中は変わらないし、私は死ぬまで「異邦人」のままだろうと思っていました。
しかし、さまざまな人たちの努力によって、この五十年間に世の中は驚くほどに変わって来ました。

体罰やレイプは今でも残っているにしても、昔のようには決して擁護されないし、何より文学作品その他ではほとんど肯定されなくなりました。二十年ほど前に私が「動物登場」という本を書いたとき、動物のように人間を調教する文学作品を引用しようとしても、見つからなくて困るほどでした。

それで、喜びに満ちて人を教育し成長させている文章をここで紹介しようと思ったのだが、これがなかなか見つからない。言っておくけど、昔はごまんとあったのである。廊下を歩いていたら蹴飛ばすぐらい、そんじょそこらに転がっていた。何しろ私は、中学校の図書室で、ぐれていた生徒をやさしくしたり、ぶんなぐって厳しくしたり、あの手この手を使って改心させたというような、先生たちの成功談を書いた話をしょっちゅう目にしたものだから、その手の話にうんざりし、私は絶対改心なんかしないぞ、人にさせられるような改心なら、その前に自分で全部しといてやるわいと決心してしまったぐらいなのである。それでもう、日夜自分の欠点をさがし、直すべきところは皆直し、直せないところについては、ちゃんと点検して、いつ不意をつかれて誰かから、おまえにはこれこれこんな欠点があると言われても、そんなことは承知しておりますと言えるようになっておこうと心がけた。さぞかし嫌な生徒だったろうと思うし、そんな自分が教師になっているのは、自分が教師になれば少なくともこの世から自分以外の(したがって肉眼で自分に見える)教師が一人減るだろうと考えた以外の理由を思い出せない。

アメリカや日本の軍隊映画にしても、男の子の野球漫画、女の子のバレエ(踊りの方も球技の方も)漫画にしても、すべてスパルタ式の根性物が花盛りだった。殴ったり蹴っ飛ばしたりした上官や教官を最後には愛するようにならないと、人間らしくないと言わんばかりの作品のオンパレ-ドだった。本当にあんなにたくさんあったあの種の話は、この三十年間に皆どこに消えたのだろう?あんまり消えすぎたのも不気味な気がする。そのうちまたどこかから、わらわら現れるんではあるまいかと。

(いたさかランド「朝の浜辺」コーナー「動物と文学」の「飼いならす文学」より)

当時の傾向を示す作品として、私の手元にある本から一つだけ例をあげておきます。シドニー・ポワチエ主演の映画になって公開されましたが、それほど有名な作品ではありません。そして、これは黒人の教師が白人の生徒たちから反抗されるという人種差別のテーマも含んでいる上に、反抗するリーダーの少年が体育の時間に自分の得意なボクシングで対決を挑んできたのに対して、やむを得ず教師は対応しているという点でも、さまざまな配慮がなされた設定になっています。

それでも、基本的にはこれは教師が腕力で生徒を屈服させ、精神的にも服従させ、それが美談でハッピーエンドになっている話です。このような設定上のさまざまな配慮さえなく、教師がもっと積極的に教育的配慮のもとに、生徒をたたきのめして尊敬のみならず愛や信頼もかちえるという話が、小説でも映画でもドラマでも、当時は圧倒的多数でした。そうでない作品を見つける方が困難でした。

彼の防御にすきのできたのを見たぼくは、彼の打撃に身をかわして、ぼくのグローブはあべこべに、彼のみずおち深くはいった。彼は元気がすっかり抜けてしまい、二つ折れになってヘナヘナとぶっ倒れてしまった。

体操場は一時シーンと水を打ったように静かになったが、やがてポッターと二、三の生徒が彼の所へ駆けよった。

「しばらくそのままにしておくほうがいい。みんな、早く跳躍に整列。クラーク、グローブをまとめて戸の側へかけておくよう」
ぼくが驚いたのは、みんなが素直にぼくの命令に従ったことだった。(略)
授業が終って、解散の号令をかけておいて、ぼくは再びデナムに近よった。彼の顔はまだ多少蒼白だった。

「あれは君、ちょっとしたラッキー・パンチにすぎなかったんだよ。君をやっつける意志なんて毛頭なかった。洗面所へ行って、水で頭を冷やしたまえ。気分がずっとよくなるよ」

「はい、そういたします。先生」彼の声はまだ少しふるえていたが、彼の使った「先生」には嘲笑的なものは全然なかった。(略)

この出来事がぼくとクラスとの関係に大きな転換を与えた。デナムの態度もだんだん変わっていったし、彼の取り巻き連のそれも同様だった。

(ブレイスウェイト「いつも心に太陽を」1975年 二見書房刊)

くり返しますが、今はこのような作品は、めったに見ることがありません。私が非常に印象的だったのは、ベトナム戦争の時期に書かれて大きな話題となったジョーゼフ・ヘラーの「キャッチ22」という小説の中で、型破りな反抗を続ける一人の兵士に手を焼いた上官たちが、ついに彼を戦場から故郷に返すという最高の賄賂で彼を懐柔しようとする場面です。「交換条件は何だ」と聞く兵士に向かって、腐敗し汚れきった上層部の高官たちが提供する取引はただ一つ、「我々を好きになってくれ」です。

この小説はもともとブラックユーモアに満ちて、冗談か本気かわからないおふざけのオンパレードで、しかし実は骨太で真剣な反戦小説です。映画化もされ、よくできていますが、一度テレビの深夜放送で見たとき、全編の最大のテーマが凝縮されている、ラスト近くの数秒間の映像が、多分残虐(と言っても大したことはないのに)という理由でカットされていたのに私は呆然としました。こういうことがあるからテレビ放映は信用できません。

それはさておき、かつて、日本の軍隊物や学園物で、なぐられ蹴られたあげくの果てに、そのようなことをした相手を愛するようになる若者たちの姿を歯ぎしりしながら見続けていた私は、これほどに権力者の本質がえぐり出された場面が描かれるようになったことに、大きな時代の変化を感じました。彼らが苦しめ踏みにじり支配する相手から、最終的に奪いたいのは、自分たちへの愛なのです。それを手にしたときに、彼らの支配は完成します。そのことを指摘するまでに文学は、彼らの本質をすでに見抜いているのです。

だから私は誰が何と言おうとも、世の中は前よりよくなっていると思っていますし、昭和とか三丁目の夕日とか、少しもなつかしいとは思えません。それは私にとっては、体罰を加えられた子どもや若者が、そうされた相手を愛し、レイプされDVを受けた女性が、そうされた相手を愛し、それが健全でまっとうなことと思われていた時代でしかありません。

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