中途半端のアドリブ5-宗盛ってバカ

「平家物語」のあらすじの覚え方は、実はもうひとつある。これは、ちょっと、テーマとも関わりがあるかもしれない。
それは、やっぱり「都落」あたりを境に、前半と後半をわけて考えるのだが、ずばっと言おう。それは、

前半
清盛・・・悪の権化
重盛・・・正義の象徴

後半
知盛・・・賢い人
宗盛・・・バカな人

これだけである。これにつきる。「平家物語」って、ほとんど、これしか言いたくなかったのではないかと思うぐらい、この図式は徹底している。

最近のテレビドラマや小説では、清盛を立派な人物として深く描こうとするものが多い。それはそれで悪くないが、そういうのを見るたび、「わかっとらんな」と感じてしまう。そういう風に描くと、平家物語はわかりにくくなる。この複雑な長い話をすんなり理解させるのは、単純な図式が必要で、「清盛悪い、重盛正しい、知盛賢い、宗盛はバカ」というのが、その方程式なのだ。これを無視してしまったら、すごく全体のバランスが悪くなる。

もちろん、バランス悪くても、わかりにくくても、それはそれで魅力ある文学もある。平家物語のあとにできた軍記物「太平記」はまさにそれで、まとまりの悪さ、わかりにくさが、そのまま魅力になっている。しかし、平家物語はそうではない。この物語の受け手も作者たちも、そういう混乱を好まなかったのだ。

平家物語が「文学」として扱われるようになったのは、そんなに古いことではない。戦前・・・ではないかな、少なくとも近代に入ってかなり後まで「歴史」として読まれていた。そして今でも、平家物語の論文は、そのことをはっきり意識していないで、どこか歴史書として見ているものがかなりある。

だが、これは私は声を大にして明言しておきたいが、平家物語は全然、歴史なんかではない。創作もいいとこ、嘘っぱちもいいとこの、れっきとした「文学」なんである。まあ、歴史だって作り物だって話もあるけどな。先日、大学院生の一人が、「以前、卒論の相談にうかがった時、先生は『論文なんて、どうせ、嘘なんだから、うまく嘘をつきなさい』と言われた」と言ったので、私は呆然とした。そんな記憶は実はまったくないのだが、私が言いそうなことではある。彼にそんなこと思いつけそうにはないから、やはり私が言ったのであろう。

それはまあいいとして(よくないかもしれないが、時間がないのでいいことにする)、平家物語が事実と違った嘘を書いてるという指摘はすでにいくつもなされている。たとえば、平家の中で勇敢な戦士である能登守教経は、実際は一の谷で死んでいるのに、その後も活躍し、結局、壇ノ浦で壮絶な討ち死にをする。最近、有名人がガンなどで死ぬと、マスコミはバカの一つ覚えというのは、こういうことをいうのだというのに、これ以上の例はないほどに「壮絶な死」と言いたがるが、本当に壮絶な死というのは、教経のような死に言うので、たかがガンで死ぬくらいのことでそんな言葉を使っては教経に失礼である。
彼は、(物語の中では)壇ノ浦で、味方の敗北、滅亡と自分の死を確信しながら、なお戦いをやめようとはしない。敵を殺しまくる彼に、「かしこい」知盛が「いたずらな罪作りはやめよ」と伝言すると、なるほどと思って、小物ではなく、敵の大将義経を道連れにしようと探し回る。義経が、鎧を着たまま、船から船へ飛び移る「八艘飛び」で逃れてしまうと、兜をはずして海に放り込み髪を振り乱し、大手を広げて「腕に覚えのある者は生け捕りにせよ。鎌倉に行って、頼朝に言ってやりたいことがある」と挑戦する。恐れて誰も近づかぬ中、安芸の何とかいう武士が自分も弟も家来も、それぞれ五十人力と言われる大力なので「合わせたら百五十人力、いくら能登殿でもかなうまい」と、いっしょに飛びかかる。教経は、その一人を海に蹴込み、二人を両脇に羽交い絞めにして「さあ、おまえら、死出の旅路の供をせい」と叫んで、波間に飛び込むのである。
壮絶な死とは、せめて、このくらいのことに対して言うもんである。

そういう、事実との食い違いはちょこちょこあるのだが、それだけで、「だから平家物語は歴史ではない、文学だ」などと私は言ったりはしない。
そういう食い違いが、明らかに意図的に、一つの構想にそって行なわれているから、文学だというのである。そこには、明らかに作者の意図があり、構成があり、創作意識があるからだ。

ただ、くりかえすが、それは歴史にもそんなとこあるし、論文にもそんなとこあるんだよなあ。でもまあ、それは、本来あってはならんこととして、ここでは考えないことにする。

いやまあ、でもまあ、ちょっと言っておいた方がいいか。
私は子どもの頃、世界史や日本史に強かった。国語の次に得意だった。それは、小説や文学で読んでいたからだ。で、今、世界情勢や、日本の現状に私がうといのは、それを描いた面白い、よい小説がないからだと、ひそかに責任転嫁をしている。
いつからか、そういう小説が書かれなくなった。フランス革命は「二都物語」で、ロシア革命は「静かなるドン」で、南北戦争は「風と共に去りぬ」で、ローマ帝国は「クオ・ヴァディス」で覚えた私としては、ソ連の崩壊や南ア問題も、できれば小説で読みたいのである。

それと、私は学生にしばしば言うのだが、日本史であれ世界史であれ、簡単に覚えようと思ったら、マルクス主義でもフェミニズムでも皇国史観でもファシズムでも何でもいいから、徹底的にひとつの立場をつらぬいて、誰かを、何かを悪者にして書いている歴史を読んだ方が面白いし、手っ取り早く覚えるものである。公平な立場(そんなもん、あるかどうか知らないが)に立って、客観的に(そんなこと、できるかどうかわからないが)書かれた歴史は、とてもわかりにくいし、覚えにくい。
片っ方を悪者にして、徹底的に偏った立場で書いている歴史の本は、いや、歴史に限らずさまざまな本は、単純な図式だから、さしあたり覚えやすいのである。
歴史が苦手な人、覚えにくいという人は、この方法をためすとよい。ただし、その偏った主義主張にはまって、他の見方ができなくなったら危ないけど。
ただ、どんなに公平に見える主義主張も、結局はそれぞれの立場はあり、どっちかに、どういう風にかは必ず偏っている。だから、まず、どれかを読んで、とにかく覚えてから、ちがう立場の本を読んで補強修正すればよいことである。

そういう点では、どんな歴史も論文も、「よくできた嘘」の要素は持っている。しかしそれでも、論文や歴史はやはり「真実」「事実」とちがっていてはまずいのである。そこが勝負のしどころなのだから、そこを譲ったり妥協したりしたらいけない。でも、これを言い出すとまた、論文や学問の話になってとめどがないから、ここで終わっておく。
言いたいのは、平家物語は「真実」や「事実」とちがっても、作者が何かを読者(聞き手)に伝えたがってる作品であり、それはやはり、歴史よりははるかに、文学に近いのである。

では、平家物語が読者(聞き手)に伝えたかったこととは何か。
それは、とりもなおさず、読者(聞き手)が、聞きたがり、知りたかったことでもあるのだ。
私もだんだん疲れて来たので、少々、話が雑になるが、一口に言って、それは「平家は、なぜ滅びたのか?」ということである。
そして、それと重なるような、もう一つの問いは「私たちはどうやって、何をめやすに生きていったらいいのか?」ということである。

文学は役にたつのかたたないのか、たたなくてもいいのかどうかと言うことは、しょっちゅう、ではないまでも、何十年かおきには必ず再浮上する、あるいはいつも潜在的にそのへんに漂っている問題である。
それは、国語の教科書の教材ということにも関わる問題だろう。
今ここで、そのことに深入りする暇はない。ただ、私は「文学は役になんか立たなくていいんだ」ということを、そう簡単にえらそうに言ってはいけないだろうと思う。その一つの例がこの「平家物語」で、貴族であれ、貧しい庶民であれ、琵琶法師の語りでこれを聞いていた当時の人々は、明らかに、「どう生きたらいいのか」という答えをほしがっていた。「平家という巨大な勢力が滅んでしまった理由をどう解釈し、どう考えたらいいのか」という答えをほしがることと、それはドッキングだかリンクだかしていた。

なぜ、おまえは見てきたように、そうきっぱりと言えるのかって?
だって、平家物語は必死でその回答を探り、必死でわかりやすくそれを伝えようとしているではないか。
要求がなけりゃ、そんなこと答えようとしたりするもんか。

で、その答えが、これなんである。
清盛は悪い、重盛は正しい。
知盛はかしこい、宗盛はバカだった。

そして、正しい重盛が早く死に、かしこい知盛の意見はいつも採用されなかった。
だから、平家は滅亡した。
第一段階では悪いことをしたから。
第二段階ではアホなことをしたから。
そして、前半では清盛に徹底的に悪いことをさせ、後半では宗盛に徹底的にバカなことをさせて、平家物語は「平家が滅びた理由」を聞き手に鮮明に伝えるのである。
言いかえれば、平家のやった悪いことのすべては、清盛のしたことにし、バカなことのすべては宗盛のしたことにしている。
いくら清盛が無茶でも、宗盛がバカでも、現実にはそこまで徹底することはあり得ない。これは作者(たち)がはっきりと意識してやっている、役割分担なのである。
まじで、腕が痛くなってきたので、今日はここまで。

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