中途半端のアドリブ7-俊寛いろいろ(続)
それで、この、俊寛のイメージというのが書く人によって実にさまざまなのである。
まず、近代文学から見よう。
小山内薫と倉田百三にともに「俊寛」という戯曲がある。内容はもちろん違うが、どちらも陰隠滅滅、徹底的に暗い。どちらの戯曲も俊寛を絶対の不幸に見舞われた、この上ない悲劇の人物として描き切り、これはこれで、あまりに悲惨なのでいっそもう気分がすっきりするぐらい悲惨である。何ひとつ救いがない。希望のかけらも、明るさもない。残されて絶望している俊寛に、都に残した妻子も皆死んだという知らせがもたらされるわ、最後は岩の上に飛び下りて頭を砕いて自殺するわ、まったく、爽快なほど、暗澹としている。
俊寛の運命は、そのようにとらえることもできる。むしろ、平家物語をまっとうに受けとめてそのまま書けば、こうなるのだろう。
だが、そうでない俊寛もある。
菊池寛の中篇小説「俊寛」は(私は、菊池寛という作家は、もっときちんと大々的にしっかりと研究されるべき作家だといつも思っているのだが)、「恩讐の彼方に」の文庫本に収録されていて、手軽に読めるので、ぜひぜひ皆さん読んでいただきたい。笑える。馬鹿にしてではない、感心して笑える。面白いですよ。平家物語を知らないで読んでも、ただのお話として充分にいける。
この俊寛も、迎えの船が来て、自分ひとりが残されると知った時には絶望する。浜べに倒れて死のうと思う。しかし、平家物語と同じなのはここまでである。彼はまもなく島の自然の美しさに気づいて起き上がり、生き始める。もう食べ物を運んできてくれる者もないから、(これは平家物語も書いているが、成経の縁者がそこそこ仕送りをしてくれていたのだが、それも途絶えてしまうのだ)、自分で魚をとり、狩りをする。そうこうしている間に、彼の身体は日に焼けてひきしまり、手足はたくましくなって来る。おいおいそんなのあるかよと思うだろうが、よく考えると平家物語も書いてるが、俊寛は死んだ時三十何歳かで、今なら若者である。でも、よぼよぼで老いさらばえて死んだように書いてあるので、八十歳にもなってたように思ってしまうのだが、年を考えると別に筋骨たくましくなっても全然おかしくはないわけなんである。
それである日、気がつくと島の現地人の娘が俊寛のたくましい姿をうっとりと見ているのである。嘘かと思うなら文庫本を読んでよね、本当にそう書いているのだから、菊池寛が。やがて二人は愛しあう。娘の部族の人々が怒って押し寄せてくるのだが、娘は毅然として部族の長である父親を説得して二人の仲を認めさせる。それはあんたポカホンタスだろうと言われたって私は知らない。そして二人は幸せに暮らし子どももたしか三人だか生まれる。
しかし菊池寛は平家物語を忘れてはいなくて、そこに有王がちゃんと訪ねてくる。現地人と化してしまった旧主を見て有王少年は、「ああ何とあさましいお姿に」と言ってさめざめ泣くのだが、俊寛は「何で?」という顔をしているのである。そして別れ際に、自分が彫った妻子の小さい木像を有王に土産だか記念だか知らないがとにかくくれて、「都に戻ったら俊寛は死んだと言え」と命ずるのだが、島の訛りがひどくって、有王にはほとんど聞き取れないのだよ、何か、いいでしょう、ねえ?
船に乗った有王は浜べを楽しげに歩いて行く俊寛一家を、獣を見るような汚らわしい思いでながめているのだが、だんだんそれでもいいような気もしてくる、みたいなラストで、ここもまた、よいのですよ。
いや~、皆さん、ぜひ読んでみて下さい。
芥川龍之介「俊寛」は、彼の全集とかには入ってるが、文庫にはなってないから、ちょっと見つけにくいかな、でも、これも面白いですよ。菊池寛ほど全力投球じゃなくて、気軽に書いた感じだけど、芥川らしい、のんびりと品のいい才気がただよっている。
多分、菊池寛の「俊寛」の後に書かれたのだろう、(って調べりゃすぐわかるんだけどね)冒頭は「え~、皆さん、琵琶法師ってのは、本当にまあ、見てきたような嘘をつくもんで、ある琵琶法師は私の主人が絶望して岩に頭をぶつけて死んだと言うし、別の琵琶法師は島の女と結婚して幸せと言うし、よくまああんな嘘が語れるもので」などとはじまる。あっ、忘れてたけど、この話、有王少年の語りなんです。芥川お得意の手法ですね。
芥川の俊寛は、ものすごく落ち着いていて、これはこれでいい味を出してるんですよ。全然、ドラマティックではありません。有王と会っても「おお、有王か」って感じで、クールです。そして、有王を自分の粗末な家に連れて行って、淡々といろんな話をするんですが、たとえば、「許されなかったのはそう苦にもならなかったとおっしゃるけど、あなたが海に入ってきて、手招きをして船を呼び止めたって伝説が都では有名ですよ」と有王が言うと、俊寛は「それは、成経と恋仲になってた島の娘がいて、泣いてすがるのを、成経は赦免が取り消されては大変と邪険に突き飛ばしたので、わしは思わずかっとなって、その船帰れと手招きしたのさ。それがそんな風に伝わってしまった、人間かっとするといいことはない」とか、どこまでも冷静である。「しかも、その後、倒れて泣いてる娘を助け起こそうとしたら、いきなり張り飛ばされたよ」とか、あくまでも、散文的で、皮肉っぽい。最後は「ご主人は今ごろ、島で月の光をあびて地酒を飲んでおられるのか、ヤシの葉のうちわをつかっておいでか」とか、何かそういう有王の述懐で終わるのですが、全体にひなびて、洒落てて、いい味出してるんですよ、この俊寛も。
つまり、これらの小説では、平家物語が描いたように、島は地獄などでは決してない。更に、吉川英治「新・平家物語」ではどうなるかというと、ここでは流罪になった直後から、都を恋しがる成経・康頼とちがって俊寛は一人さっさと島人の仲間に入り、彼らとの暮らしを満喫する。赦免の船が来ても、出発しても出て来ない。くやしがった成経たちが浜べを見てると、俊寛がかけ出してきて、手を振るのが見える。「お~、くやしがってる、ざま見ろ」と二人が快く思っているとそうではない。俊寛は酒に酔ってふらついてるので、そばには長い黒髪の島の娘を抱き寄せている。風に途切れながら、叫んでいる声が船まで届いて来る。「おまえらはバカだ、阿呆だ。ここを鬼界が島だ、地獄で鬼が住むと思うのか、おまえらが今から帰って行く、その都こそ、地獄だ、鬼の住み家だぞ・・・」と、彼は叫んでいるのだった。
成経たちは、その言葉を都の人に伝えないで、「俊寛は嘆き悲しみ、船を追って走って来ました」と語ったのである。都の人たちもその話に納得した。
「鬼がいるのはこの島ではない。都こそが地獄ではないか」と俊寛が叫ぶ時、彼の悲劇はそのかたちを、まっさかさまに変える。何が幸福で何が不幸か、見方によって考え方によって、ひとつの事実はまったく正反対の物語をつむぎ出すということを、これほど明らかにする言葉もそうそうあるものではない。
だが、実は、この価値の逆転は、近代に入って行なわれたのではない。菊池寛や芥川の作品の発想のもとは、すでに江戸時代に存在している。原型などというよりは、はるかにすぐれた完成度で。
というわけで、次回は近松門左衛門「平家女護島」と馬琴「俊寛僧都島物語」の描いた「俊寛」をご紹介。この二作品がこれまた、めっちゃ、面白いんですったら~。