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「水の王子」通信(164)

「水の王子  空へ」第三回

【最初の戦闘】

「将軍によって運不運というようなものがありましてな」タケミカヅチは言った。「ワカヒコさまが乗船されて、まだ船の全部も見て回らない内、本当に数日後に、いきなり大きな戦いに我々はまきこまれたのです。あの方は騒ぎもあわてもしなかった。緊張さえもされておらず、何やらきょとんとしているようにさえ見えた。敵は狭い峡谷に我らの船を誘い込み、両側の峯から石や火矢を雨あられと浴びせて来た。苦戦でした。数せきの船が砕かれ、死者もかなり出ましたな。しかし私が何よりも驚いたのは、あの方がこれといった指揮をとろうとなさらなかったことです。『まかせるよ、タケミカヅチ、トリフネ』と平気で言われて、戦いを見守っておられた。決してあせって必死になって、あれこれ命令をしようとはなさらなかった。多分、よくわかっておられたのです。自分はまだ船団のことをよく知らない。この段階では、それぞれの場所でわかっている者たちにまかせておいた方がいいのだと。そして実際そうでした。我々はそれぞれの持ち場でわかっていることをした。それが一番やりやすかった。しかもあの方は、のんびり船首に立っておられて、未曾有の状況に我々が混乱すると、ひょいと隣りの船に飛び移って、『あの岩の上の射手をねらえ』とか『そこの、ひさしのような崖の下をくぐって向こうに出てしまえ』とか、ちゃんとおっしゃるのです。経験や知識がなくても、その場で見ていておわかりになることを、誰より早く見抜いておられた。被害は多かったが、我々は勝ちました。最終的には谷を抜け、上から山上の敵に火矢をあびせて、全滅させたのです」
     ※
 「その夜、船の修理やけが人の手当が終わってから、私はあの方のへやに行きました」タケミカヅチは言った。「それまで実戦の経験はないとうかがっていた。たとえあっても、若い将軍がいきなりあれだけの戦いに出会えば、きっと気持ちが高ぶって、その夜は眠れないだろうとわかっていたからです」
 若者たちはうなずいた。
 「私はまだお会いして数日でした」タケミカヅチは言った。「お人柄がよくわかっていたとは言えません。いつもきげんがよくて明るくて、人なつっこくていらした。見た目はほっそりときゃしゃで優しげでいらしたし、すぐれた戦士とはうかがっていたが、どこか育ちのよい、もろいところもおありになるのではとお見受けしていた。とにかくご様子を見ようと、酒を持ってうかがったのです。ここだけの話、眠れずに歩き回っておられた方も、私に身体を預けて朝まで嘆いた方も、それまでの将軍の中には何人もおいでだった。たくましい、勇ましい男女でも、それがむしろ普通でした」
 タケミカヅチは首をふった。
 「扉をたたいても返事がない。ようやく眠そうな声で『何かあったか?』とおっしゃるので入って行くと、あの方はとっくに夜着に着替えて、寝台に気持ちよさそうにもぐりこんでおられましたよ。寝ぼけまなこで目をこすられて『どうした?』とおっしゃるので、何もございません、どうしておられるかと気になってと申し上げると、心配ないよ、君も早く休めよとあくびまじりにおっしゃいます。あの戦いも、部下たちの死も、何ひとつ気にしてはおられない風で。混乱したまま一礼して私が引き上げようといたしますと、『大したものだねえ』と感心なさいました。『あんな大変な戦いの後で、まだ起きていられるなんて。私はもう限界だよ。眠くて眠くて、もうだめだ』とおっしゃりながら、また枕の上につっぷしておしまいになりました。のぞきこむと、もう寝息をたてておられて。その寝顔を見下ろして私は、思ったわけです。それまでも、それからも、お仕えした方に対して、一度も考えたことのないことを。何なんだ、もう、こいつは、と。もう本当に、いったい、どういうやつなんだ、と」

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