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「水の王子」通信(5)

前回に書いた「義経物語」の児童文学、思わず古本で注文してしまい、届いたのをうっとりしながら読んでいます。佐藤一英さんの文章、やっぱりいいですねえ。

義経がまだ平泉にいるとき、家来たちと「平家は熟柿のようなもの、中はくずれているが、張り切った外の皮にあたる諸国の領主がいる。だがこれも一部が崩れればおしまいになる」とか話していて、ふと平泉の野辺の柿を見たくなり「忠信、窓を開けてくれ」と言って忠信が窓を開け、皆で虫の声を聞きながら月光にかすむ野辺を見ていたら、「早馬が来る!」と忠信が叫ぶ。それが頼朝の旗揚げの知らせだった、という場面。「たしかに早馬です。おう。もうあのむくの木のある小川をわたった。」と忠信が言う、この場面で初めて、幼い私は忠信が記憶に残って、以後ずっと七十年好きになってて、「吉野の雪」まで書いちゃったという(笑)。本当にどうってことない場面なのにね。多分「義経記」にはないよね。こういう細かいリアルな場面を作っちゃうのが佐藤さんはとてもうまいのよ。

今でも田舎の家の二階の座敷の床の間に座って、その部分に読みふけっていた小さい女の子の気分に戻れる。廊下の窓の外には庭や畑が広がって、たしか柿の木もあって、むくの木がどんなものかは知らなかったけど、義経や忠信といっしょに、その風景を見ているような気がしていました。

今、映画は早送り、本はダイジェストで読んで、他人との話題づくりのためだけにあらすじをつかむ、という読者もいるとか言いますが、私のようにこうやって、骨までしゃぶりつくして何十年も楽しむ読み方や観方をする読者も決していなくなることはないでしょう。
それは人生を何十回も生きて味わうことにも匹敵する楽しみで、これをいったん味わったら、とてもやめられるもんじゃない。

そして義経主従の有為転変、それぞれの最期を読むにつけ、幼い時にこんなものを暗記するほど読みあかして、現実の自分の生活以上にリアルに感じていたのでは、人や自分の死についてとても身近に感じるとともに、それほど恐くもなくなるのも無理がなかったかもなと、あらためて思う。

「水の王子」の電子書籍化について挿絵や装丁の打ち合わせをしようとしていたのだが、猛暑のためか体調や気力がいまいちで、数日延期。情ない。でもやみくもに急ぎたくもない。
そもそも私は、この作品の映像というかイメージが、まだつかめていない。ある意味、どんなのでも受け入れられるって気もしている。恐れ多いのも何もかえりみずに口走ると、萩尾望都さんの絵でも、ジブリの映像でも(ディズニーはいやかも。笑)、コクトーのイラストでも、ミュシャの絵でも、「断捨離」シリーズの装丁をお願いしているデュミナスライフさまのイラストでも、ビアズリー風でも、黒井健さんのカレンダー風でも、ピーター・マックナイトのカレンダー風でも、ますむらひろしさんのイラストでも日本画風でも油絵風でも宗教画風でも、重苦しくてもチャラくても、健康的でも病的でも、他の何でも、どれもそれぞれにいけそうな気がする。何かよさそうなものを思いつかれた方は、どうぞ「お手紙」欄からお知らせ下さい。自作のイラストをお寄せ下さっても歓迎です。いや、使えるのかどうかはわかりませんが、お楽しみの交流ということで。

私の方は目下ぼやっと見ている「ハワイファイブオー」や「ダウントン・アビー」「プロジェクトランウェイ」などなどの海外ドラマに端役で登場する男女もふくめて、「水の王子」のキャストには、この人なら誰に使えるかしらなどと、勝手なオーディションをして楽しんでおります。何だかなあ(笑)。

次回は四十五年前の記憶をたどって、当時いただいた四巻までの感想の印象に残ったものをご紹介することにします。

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カツジ猫