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「水の王子」通信(4)

永井路子さんの短編集『寂光院残照』を読んでいる。いい題だな。中味も安定して楽しく読めた。でも「土佐坊昌俊」で、義経を討ちに言った土佐坊がいきなり弁慶に連れて行かれるのはまったく個人的な好みだけど、ものたりない。「義経記」とかだと、この前に江田源三という二十五歳の若い家来が土佐坊を連れに行って、丸め込まれて帰って来て、「もう明日からは来ないでいい」と義経に怒られて、しおれて帰ることになってる。その夜、土佐坊が義経の館を急襲して戦いになり源三はかけつけて敵を倒すが、討ち死にする。義経は死の直前の彼を許してなぐさめて、彼のためにもと土佐坊を逃がさないよう皆に命ずる。

義経と家来たちとの交流は「義経記」ではしばしばていねいに熱く語られ、源三もここでしか出て来ないけど、そのけなげさは印象に残る。子どもの本で読んだときも、他の家来が死に瀕した源三に「ひざを枕にお貸しくだされているのは殿ですぞ」と教える場面が切なかった。この講談社名作全集の編者佐藤一英さんは、とても美しい、いい意味で少女漫画のような表現を随所にされるので、好きだったけど、こんな場面原作の「義経記」にあるのかしらと思っていたら、「義経記」の描写の方がもっと詳しかった(笑)。そして江田源三については論文まであるのか…。
リンクした現代語訳、ありがたいけど、あちこちちょっとおかしい気がする。そして佐藤一英さんの描写の方が、「義経記」より簡単なのに、何だかよかったんだよねえ。

「村に」で私は父親の膝枕で寝る息子を登場させたけど、もしかしたら、この場面をどこかで意識していたのかな。いやーもう、こんな風だから、古典文学の作者たちが何を典拠にしたのかという研究や論文につい「そんなことわかるわけないやん」とか私は思ってしまうのだろうか。よっぽどの証明がなされてないと。

義経つながりで言うと、「鳩時計文庫」には義経の忠臣佐藤忠信を主人公と語り手にした「吉野の雪」という一編もある。実は古代から江戸時代まで、各時期を舞台にした小説を書いてみようというのが当時の目的で、平安時代や江戸時代の構想もないことはなかったのだが、結局完成したのは、中世を題材とした「吉野の雪」と、古代を舞台にした「水の王子」の二つだけだったことになる。

「吉野の雪」も愛すべき作品と自負しているが、「水の王子」は量だけで言うと、その数倍にあたるし、「鳩時計文庫」の紹介コーナーにもあるように、これが完成するかどうかは本当に未知数だった。他の時代を舞台にしたシリーズを書くことはもう多分あるまいけれど、この二つを仕上げられたことだけでも私は充分に幸福だし、それを許してくれた、たくさんのものや人にとても感謝している。

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カツジ猫