1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. ほんともやもやする

ほんともやもやする

聖火リレーのみっともなさについては、ツイッターの方でいろんな記事を紹介していますけど、そこには紹介してなかったかもしれないのが、相模原市が殺人事件のあった障害者施設の「やまゆり園」で聖火の採火を行う計画を、遺族には話さないまま進めていたって話だ。
もちろんいろいろ批判されてるし、ある意味とても気持ちが悪い。でもその一方どこかで、悪気はなかったのだろうなとか、他のことがちゃんとしていれば着眼点としてはいいところもあっただろうにとか、さまざまなことが浮かんで来て、やたらもやもやしてしまう。

たしか出発のときか何かに白血病を克服したアスリートの方を登場させたりしていたのも、何かちがうんじゃないかと批判されていたのを見た。こういう風に根本の思惑がカネ目当てとか私利私欲とか変な魂胆で汚されている中で、あれこれ人間として感動的な要素や忘れちゃいけないことなどを、見つけ出して、選び出して、並べあげてくるのって、ほんとにうんざりするしかないけど、どこか正しくて善意なセンスもかけらのように部分的に感じられて、それがもういっそう、やりきれなくて、いらっとする。最高級のダイアモンドが、マンホールのふたの飾りに使われているような違和感みたいなものかしらん。

さて話はちがって、昨日の書き込みの最後にちらっと言った、プロ野球選手の高橋礼投手のことばのセンスですが、もったいぶって継続にしたわりには、全然大したことじゃないもんで、一夜明けたら、つまらんことをとびびってますが(笑)一応書いとこ。

この高橋投手が、何かの番組のインタビューで、「恋人のことを話してるように嬉しそう」とアナウンサーたちから言われるほど仲がいい同じチームの俊足の人気者周東選手について(その日も自宅に食事に行く予定だとかで)、「個人的には(周東選手は)どんな性格なの?」と聞かれると、「んー、厳しいっすね」「優しさが少ないっす」と言ったのに、え、「足りない」じゃなくて「少ない」なのか、とあまり聞かないことばの使い方にふと耳をそばだててしまった。

国語学者の友人などに分析させたら、さぞや長々いろいろ述べそうですが、素人の私でも上から目線じゃなく、文句や批判じゃなく、べたつきすぎる甘えではなく、でも実感としてはそうでしかない、という絶妙の距離感の表現ではないかと感心しました。

ファンの間では知られていることですが、高橋選手はけっこう時間にルーズでのどかで、周東選手はきれい好きの片付け魔で、特に時間にはきっちり厳しく、もうひとりの仲良しの栗原選手がこれまた時間にわりとルーズなので、いろんな番組で「あの二人には何年間も注意しているけど、絶対に直らない」と、かなりカリカリ怒っていて、それでも仲がいいままなのがおかしいのですが。

さらに「どんなところが厳しいのですか」と水を向けられると高橋投手は「時間を守らないのをしょっちゅう注意されるし、服を汚したり車を汚したり、食べてるときにものをこぼしたりすると、きっ!と横目でにらんで来るから、気が抜けなくて緊張する」とどことなく楽しそうに答え、「本当に彼女みたい」とまたあきれられていましたが、その後で言ったことが「きっとまだ僕のそういうところに慣れてないんだと思います」だって。

ホークスの選手たちを熟知している女性アナウンサーが、すかさず「慣れてほしいんだ?」と反応しながら、それ以上突っ込まずにそっとしておいたのにも感心しました。しかしながら、数年仲良くつきあっていて、何が相手をいらつかせているかもわかっていて、「慣れてないんだと思う」って、これほど自分は何も直す気がないことをのほほんと宣言していることばというのも、これまたすごい。無邪気に最強のことばの使い手かもしれない。

定年退職してから、若い学生たちとつきあうことがなくなって、かつてのゼミの若者たちも皆校長や教頭やベテランになってる年代だったりするので、つい昔目にしてたような若者たちの感覚やつきあい方を、タレントやアスリートたちの生態で観察してしまうんですが、そういう点では彼らの(多分今の若者たちの)センスはなかなか参考になります。

ところで話題はまたまた変わって、昨日の重っ苦しい方の話の続きに戻るんですが。
私はコロナが蔓延し始めた最初から、検査のしかたとか予防のしかたとか、そういうことについては、自分の意見を持っていません。素人だからわからないもん。わかっているのはただ、アベさんスガさんをはじめとした今の政権が、絶対に国民すべてを守る気がない、特に弱い者はいくらでも犠牲にしていいという感覚に染まりきっているということで、だから、とにかく今の政権を変えて、どう頼りなかろうが失敗しようが、野党に政権をまかせるしか、国と私を救う道はないと、それだけを言って来ました。

ちなみに、その一つとして、オリンピックも絶対にするべきではない。それもわかっています。だから、それも主張します。

でも、それ以外のことについては、正直よくわからない。そして私が信頼しているいろんな人たちの発言や意見も、いろいろとくいちがっていて、それも当然で一致しているのも気味悪いものですが、私はどちらが正しいかわからない。

アベ政権が日本と民主主義をぐちゃぐちゃにした間に、野党は大きく成長しました。共産党をはじめとして、野党は皆、柔軟になり共闘ができるようになりました。市民運動もそうです。暴力的な対立はなくなり、連帯や共闘の訓練がくり返されて、マニュアルもノウハウも豊かに蓄積されてきている。私はこの点でまったく退歩も衰退も感じていません。これは大きな幸福です。

ただ、その中で、やはり、ともすれば、さまざまな意見のちがいは生まれる。どちらが正しいか決められないままに、リツイートできない記事が、このごろ次第に増えています。相反する主張の記事もすべて紹介して行くというのもひとつのあり方かと思いつつ、私はまだそのへんを決められていません。

昨日ご紹介した件も、その一つです。そして私は、女性差別や人権や動物愛護についてはかなり過激に徹底している方だとは思いますが、また一方で、「ちびくろさんぼ」や「風と共に去りぬ」を排斥する気にはなれないし、徴兵制や軍隊という制度が世界からなくならない限り、女性だけが差別されているという考えに賛成することはできません。

そういう意見のちがいを出し合って、話し合って、一致できるところをさぐりつつ進んで行くことに、臆病であってはならないし怠惰であってはならないと思います。しばらく留守にする間に、そういうことについても、いろいろ考えてみるつもりです。高橋投手なみのことばのセンスを忘れずに(笑)。

写真、昨日のと同じようだけど、微妙にちがうんですよー。

Twitter Facebook
カツジ猫