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年度早々

◎ぎゃあっと言いたい事態が発生。引き受けたカルチャーセンターの講座がみごとにダブルブッキングしていた。
これは、あくまでも私の記憶なのであるから、絶対とは言えないが、今年度から新しく始まる方を依頼された時、これまでやっていた講座が隔週なので、その空いている週にということで引き受けたつもりだった。というか、もうそれ以外は考えられなかった。
あまりにそれが大前提で、それが基本方針で話が進んでいるつもりだったので、新しく始まる方の日程表がメールで来たときも確定申告、原稿しめきりその他でとち狂っていたものだから、あらためてチェックしなかった。
おまけに月末からカゼをひき、ようやく体調がもとに戻ったので、そろそろカレンダーと手帳に予定を書きこもうと思って確認したら、みごとに前からの講座と同じ週に重なっている。

さっき、大あわてで担当の方にメールしたが、今さら変更は無理だろう。まるっきり重なっているのなら、まだ何とかしようもあるが、午前と午後なので一日にやってやれないことはない。
昔ならそんなの平気だが、最近では体力に自信がないし、遠くまで行くのだから一日仕事でゆっくりじっくりやろうと思っていたのだが、とんでもない。しかもその前日が大学の非常勤で、ほとんど夜まで授業がある。もう、私に死ねってか。こんなことはこの何十年かずっとやってきたから、いいかげんもう飽いているというのに。

まあ、ものすごく前向きに考えれば、ムダな時間を使わずに一日仕事だけに専念すればいいわけだが、本当に体力に自信がない。

◎新しい家の方はほぼ、じゅうばこさんとカツジ猫に引き渡した。最高に住み心地はいいのだが、何やらもう毎日毎晩、いつごろ帰ったか何をしているかご近所に見られているようで、疲れ果てる。自分の神経の方がおかしくなっているのかもしれないとまで思いはじめて、精神の健康のためには、しばらく住まないでいる方がいいという結論に達した。

不毛だと思いつつ、自分の気持ちを分析して見たが、別に見られるのも気にされるのも、それ自体はいやではないし、それどころか、人に見られるのも人を驚かせるのも関心を持たれるのも、カッコよく生きよう、庭をきれいにしておこうなどと、それなりに刺激になって励みになるくらいだ。庭先でお会いしておしゃべりをするのも、とても楽しい。
何が困るかというと、私の生活や私の家が何だかおもしろそうなので、ながめて話題にして楽しんでいただくのはうれしいのだが、それを共有しよう、共有できると思いこんでしまわれている時があることだ。
思えば、学生ともこれまで何度か、そういうことでぎくしゃくしたことがあったなあと昔のことまでいろいろ思い出してしまう。

こういう感覚は微妙で、本当にわかって下さる人は決してまちがえないのだが、人でも家でも物でも何でも、居心地よくて面白くて楽しいと、まるでそれは自分のものでもあるかのように錯覚する人は、みごとにかんちがいする。まあ家族がいても何でも、そういう人は同じかもしれないが、やや被害妄想をたくましくすると、私のように、一人暮らしで普通の家族構成とちがう場合は特に関心を持たれ、気軽に踏みこまれてしまいやすい。「この人は誰のものでもない」から「私のもの」と思ってしまうのかもしれない。
拒絶してしまえばいいのだが、こちらも気持ちよくおつきあいはしたいから、いつも距離のとり方に頭を悩ますことになる。

一番困るのは、私自身がこのように他人の家や生き方にまったく関心がないことで、友人知人の家がきれいで居心地よかったら、それは客としてうれしいが、宮殿にいようと樽の中にいようと、まったく関心も興味もない。ときどき、相手が興味を持ってほしいのだなと気づいた時は本当に気が重くなる。であるからして、しょせん他人で私のことなど何も知らないのに、家を見たいという人の心境が私には実にもうわからなくて、本当はそのことが一番気が重いのかもしれない。

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カツジ猫