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心配だなあ。

◇タイトルは共謀罪のことじゃない(それももちろん心配だが)。
授業で使ってる「ぬれぎぬと文学」のテキスト、私家版で500円だから学生たちもまあまあ買っているようだが、見ていると買ってないのか忘れたのか、テキスト持たないで授業を受けてる学生がそこそこいる。

私の話は一見わかりやすいので、何も見なくても聞いていればわかるつもりになってるのだろうが、どっこい実は相当にややこしいことを言っていて、それは後でテキストで確認しないと、ほぼ多分絶対に、聞いただけではわからない。

私も変なサービス精神があって、授業の内容を100%や80%理解してもらうのが理想だが、10%や5%しか理解しない人がいても、それはそれでまあ家で寝てるよりはいいだろうと思っている。
ひじょーに問題なのは、10%や5%、ひょっとしたら3%しかわかってなくても、私の授業の場合、多分学生は充分に理解したと満足している可能性が高い。こっちもそういう授業をしている。どなたさまにも、それなりにご満足いただけることをめざしているので、ジェフリー・アーチャーの「十二の意外な結末」だっけの中に出てくるトルコの絨毯商のように、安物を売りつけて満足している客には、わざわざ高級品は売らない。

だからそういう学生は5%しかわかってなくても大変満足して、アンケートなんか取ったら、すべてよくわかった、いい授業だったと書くだろう。だから、ああいうアンケートは私は根っから信用しないが、それはさておき、これから授業の内容は、次第に超ややこしくなり、テキストなしで聞いていても、ほとんど理解できないだろう。だが、くりかえすが、それでも私は聞いているだけでも何かわかったようなことは一応言うので、それでしっかり学んだつもりになって「テキストなんてなくても大丈夫だった」と満足して帰る者も多いだろう。

私はちっとも困らない。再三テキストを見ないとわかりませんよという注意はしているので、学生側の自業自得と思っている。たださすがに教育者として、詐欺を働いているような気のとがめはちょっとある。
愚かになるとまでは行かなくても、理解できない、賢くなれないというのは、ある意味知的に殺されるにひとしい。私が教育者として、すぐれているけど失格なのは、どんな相手にも殺されてるのに気づかれないまま、殺してしまえるということだ。理解できてない、ということを気づかせず、自分は愚かだ無知だという絶望を伝えない教育者というのは残酷だ。私はそういう点では、とことん残酷な教師だと自覚している。

学生に厳しい指導をし、自分も傷つき絶望し、それでもなお学生と四つにとりくむ教師を何人も知っている。というか、ほとんどがそうだと思う。だが私は、たとえばテキストを買わない者や持って来ない者と、きちんと買ってそれを見ながらノートをとって授業を受けている者をはっきりと差別しているが、そのことを気づかせはしない。
というか、私が差別しているのではない。彼ら自身が自分をそのような位置におき、自分で自分を貧しいものしか受け取れない境遇においている。それを何とかしてやるサービスは、私の俸給の中に含まれないと私は考えている。

人にもよるが、多分かなりの学生にとって私の授業は面白くて楽でわかりやすい。だけどねー、私の授業に限りませんが、そういううまい話はないのよ。面白すぎて楽過ぎたら、ちょっと怪しいと疑った方がいい。本当は何もわかってないんじゃないかとか、他の皆はわかってるんじゃないかとか。
まあどっちみち、テキストはそろそろ品切れなので、今から買おうとしても遅いんだけど(笑)。どうしても不安な人は受講をやめても、もちろんかまいません。このまま、テキストなしで、私の話を聞き流して、授業の上澄みだけすすって、何かを学んだ錯覚をして満足するなら、それはそれでかまわない。そういう授業もあっていいと私は思っていますから。そういう錯覚や満足はみっともなくて恥ずかしくて危険ですが、責任は一応私にあります。

◇今日はそこそこいい天気。とどいた資料でも読みながら、カツジ猫の首輪でもとりかえようと思います。

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カツジ猫