月を見ながら。
◇今夜は仲秋の名月。運よく晴れて、月は外国童話っぽい言い方をすると、金貨みたいにぴかぴか光っていました。昨日、母のところに行くのがちょっと遅くなって、月が窓のはしっこの方に行って見えにくかったので、今日は早めに行って、カーテンをいっぱいに開け、電灯もテレビも消して、暗くした中で、二人でずっと月を見ていました。せっかくなら、すすきとまんじゅうでもそろえとくんだったな。
母は「きれいねえ」「やっぱり昔からこんなにきれいなのを見て、皆が歌を作ったりいろいろするんだね」と、くりかえして、私といっしょに「月の砂漠」や「浜千鳥」や「歌を忘れたカナリア」や要するに月の出て来る歌を、かたっぱしから歌っていたのですが、その内にふっと、「戦争に行って、故郷のことを思ってこんなきれいな月を見る人は、きっと悲しかったろうねえ」と言い出しました。それから何度も「戦争に行ってこれを見たら悲しいよね」と、くりかえしていました。
どういう連想だったのかわかりませんが、ヒガンバナを見ても月を見ても、結局戦争を連想してしまう母の中には、そういう悲しみがいつもどこかにあるのでしょうか。
そしてその内、またふいっと、「元ちゃん(母の弟)が戦地に行ってる間、私はしょっちゅう、同級生のFさんのところに行っていたよ。そして、元ちゃんはこんな年でこんな格好だと思い出してたしかめて、帰って来てたよ」と言い出して、それからまたずっと、「ほんとに私は、いつもFさんとこに行っちゃあ、あー、元ちゃんを思い出したと言って帰って来ていたねえ」とくり返していました。
私と母は実は高校のころまで、いっしょに寝ていて、毎晩真夜中近くまで、読んだ本のことや世界情勢のことや、家族のことや村のことや昔のことや哲学論やバカ話や、それはもう、ありとあらゆることをしゃべり倒して、時には大笑いして、遠く離れた部屋で寝ている祖父が「夜中に何の声かと思った。もっと上品に、おほほほほ、と笑え」と翌朝文句つけたりして、それでまた笑いこけるみたいな状態だったのですが、それでも、そんな話はこれまで一度も聞いたことがない、初めて聞く話でした。
「Fさんはなぜ村にいたの。徴兵検査に不合格だったの」と聞くと、「立派な体格で頭もよかったし、不合格になるわけはないけど、何でだったのかねえ」と母は言っていましたが、とにかく、戦地に行った弟を思い出すため、同級生をときどき見に行っていたらしいです。
二年ほど前、字がしっかり書けなくなってから投票に行くのをやめるまで、母は戦後一度も棄権したことはなく、多分共産党と社会党以外の党に投票したことはないでしょう。誰から言われたわけでもなく、当然のようにそうしていました。時には共産党候補の推薦演説などもしていました。それでも、そんな話は一度もしたことがありませんでした。
まだ聞いていないことが、たくさんあるのだろうなと、あらためて思いながら、月を見ていました。
◇カツジ猫も書いてくれてる通り、思いきり断捨離に走っていて、好きな服も雑貨も、じゃんじゃん処分しています。それでも次から次から荷物が湧き出て、恐ろしいほどです。あー。
◇この前、町に出たとき、繁華街の交差点で一人で戦争法案反対の街宣をしているおじさんがいました。思わず声をかけて、チラシをもらって来たのですが、カンパもすればよかったなあ。チラシは自衛隊が派遣されるかもしれない南スーダンの状況について、大変わかりやすくまとめてあって、あのおじさん何者なんだろ(笑)。せっかくだから表の掲示板にチラシをはっておこうと思います。
◇首相の頭痛くなるような、例によって要領を得ない会見の様子は、こちらのブログがていねいに紹介してくれてます。それと、このブログで指摘されてる、政府の広報版のイラスト、何だかもうひどいなあ。いつものことだが、どうして誰か何か言ってやらなかったのかい。
◇毎日新聞の読者の川柳欄の句は、けっこう政権にシビアな内容のものもあり、まあ川柳の性格からしてそれが当然なのですが、法案採決前後は何となく自粛気味で、一度は戦争肯定みたいな句が載って、うっとうしい気分になってました。昨日やっと「デモデビューこの法案のおかげです」という句が載ってて、ほっとした。
◇さて、栗ご飯がたきあがったみたいだから試食するか。もちろん市販の栗で、うちのじゃありません(笑)。カツジ猫は何だかさっき興奮して、部屋中飛び回っていたけど、またコオロギか何かとってきたのかしらん。