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認知症予備軍

今日も今日とて、奥庭の花の中の椅子に座って朝食を食べました。
 久しぶりにコーヒーを入れて、かごの中にサンドウィッチときゅうりとりんごと、漱石の文庫本を入れて持って行って、風のそよそよ吹く中で、食事をして、文庫本の「明暗」を読み終わりました。ていうか、これ未完なんだけど。温泉宿で主人公が人と会ってる緊迫の場面で終わりました。

でも、エンターテインメントでもミステリでもないから、あんまり「先が読みたい!」って焦燥感や欲求不満がないのが不思議。何ていうか、ここまでも、充分に主人公夫婦の悩みや問題点や愛し方はわかったし、この先どうなるにせよ、それはそれでいい気がする。何だろうなあ、自分が年取ったのと関係あるのかなあ。大谷選手や大の里の晩年も、自民党の領収書も原発の将来も見られないまま死にそうなんだから、すべては、どうなるか興味もあるけど、見られないものはしかたがないって、そういう感じと似てるのかな。

それとも、子どものころも、私はこんな風だったのかな。だって考えて見れば小説だって映画だって、その先はどうなるかわからないことばっかりだったもん。スカーレットとレッド・バトラーがこの先どうなるのかとか、わからないままだったけど、特に不満はなかったもん。

ところで、そうやって、りんごをかじっていたら、ふいと「あなたのきれいな歯が(レモンを)がりりとかんだ」という、高村光太郎の詩を思い出し、そのあっちこっちの部分はわりと覚えているのに、何とまあ、肝心のそのレモンかじって死んだ、超超超有名な奥さんの名前をはったと思い出せないのに気づいた。

まあ、このごろ記憶力は衰えてるのを自覚してるから、時々九九や芭蕉の連句を唱えてみたりしてまだ大丈夫か確認してるぐらいで、さほどショックでもないが、さすがに、これはまずいぞと、コーヒーを飲みながら、あれこれ思い出そうとしたが、いまいち出て来ない。
 とうとう、よくやる最後の手段で、ア行から順に、あさこ、あいこ、あゆこ、などと連想する名前を確認して行った。タ行のチまで行ったとき、そうか智恵子さんだったと気づいた。

かなりヤバいぞと思ったものの、スリリングなゲームもどきに頭の虫干しをしたようで、ちょっと面白かった。いずれどこまで認知症になるのかはわからないが、あわてないですむ工夫はしておかないとな。

庭での食事は、キャンプ気分で楽しくて、はまりそうで恐いです。今度誰かお客さんが来たら、私の食事風景を写真に撮ってもらおうかなあ。それとも自撮りに挑戦してみたろかしらん。

※ひゃあ、さっきチェックしたら、小説の名も奥さんの名前の文字も、しっかりまちがえていて、ほんとに認知症を心配されそうな。一応訂正しておきました。これでは先が思いやられる。

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カツジ猫