近世紀行研究法1-第一章 退官にあたって
1 はじめに
定年退官を前に、公私ともに思いがけない忙しさが続いて、この分ではどうやら最終講義のようなものもできそうにない。
そこで、せめてそれに代わるものとして、これまでの授業と研究をまとめるかたちで、現在考えていることを書いておきたい。
就職した時からこれまでずっと、「国文学概論」と「国文学史」について自分なりに満足のいく授業をしたいと思ってきた。だが結果としてそれはかなわなかった。退官後の自分の宿題としたいが、中途はんぱなりにまとめたことを書いておく。
また私は研究の方面では、江戸時代の紀行について調べてきた。これはあまりにも対象とする資料が膨大なので、死ぬまでやってもどうせ何かの結論が出る見込みはないと、はじめからあきらめてきた。しかし、これもまた、だからこそ今の時点で私なりにわかっていることを書いておいた方がいいと考えるようになった。
2 教育と研究
教育と研究をどう一致させるか、また教育大学での専門分野に関する教育はどうあるべきかということが最近、よく話題になる。私がこの点をどう考えてきたか述べておく。
主として教師を志望する学生が多い福岡教育大学では、そういう学生たちに対して、近世文学を中心とした国文学を教えることと、自分の専門分野の研究を無理に一致させるべきではないと思っていたので、卒業論文を近世紀行で書かせることはあきらめていた。
専門分野に詳しい教員が、自信を持って指導できるのは自分のわかる分野だけだからと、それ以外のテーマを希望する学生の指導を断ったり、自分の専門分野に関するテーマに変更させたりすることはしばしばある。自分が一番自信を持って指導できる分野だからで、それはそれで、責任ある指導のしかたである。だが私は自分の専門分野が一番自信がなかったので、他人を指導したくなかった。それに私の場合、源氏物語や平家物語や西鶴や芭蕉ならともかく、江戸時代の紀行、それも芭蕉以外という、あまりにも先行研究が少なく、他に研究者がほとんどいない分野なので、それに関するテーマに学生を限定、誘導することはかなり無理があると感じていた。
したがって、授業でも卒論指導でも、私自身の専門分野とはまったく異なる内容をとりあげて指導することが多かった。特に国際共生教育講座に所属するようになってからは、更にテーマを制限しなくなったため、男色から異空間、時空移動から日本神話から現代詩にアニメと、自分でも見ていてひるむような題目が並ぶようになった。後世の資料のためと私および我が大学の名誉のために書いておくと、これは現代の多くの大学の教員にとってはそう珍しいことではない。あいつぐ人員削減と要求されるサービスの際限のない増大によって、日本全国かなりの教員が驚くような題目の卒論指導をさせられているはずだ。本学などはまだ恵まれている方かもしれない。
その内に演習などのテキストに少しづつ紀行を使うようになり、それにともなって卒業論文のテーマに江戸時代の紀行を選ぶ学生が常に何人かいるようになった。前に書いたように私はむしろ、この分野の指導に一番自信がなく、あまり深く関わっている分野のため、かえって全体像が見えにくく指導がしにくいと感じていた。だが、幸いなことに紀行をテーマとした学生たちも他の分野の卒論と同様に、すぐれた成果を出してくれた。そして、滝沢馬琴や本居宣長をテーマとして現在も研究を続けている卒業生たちが、それぞれ、紀行作家の小津久足や中島広足について地道な調査を行って成果をあげていることは、私が思っていたよりも、江戸時代の紀行は他のジャンルと決して無関係ではなく孤立してもいないのだということを、逆に私に学ばせ力づけた。
3 大学の役割
もともと私は大学生だった頃から、自分が専門として研究する日本古典文学が日本と世界で豊かに発展していくためには、専門的な研究をする人を養成する以上に、専業主婦や企業戦士も含めたそれ以外の分野で活躍する人々が、どれだけ古典文学に関心を抱いてくれるかが大きな鍵になると感じていた。それは今でも変わらない。そのためには、小中高等学校の教師、あるいは公務員、また一般企業、さらに国際的な分野で活躍する人に、日本古典文学について正確で深い知識を有していてほしいし、その人々が、初めて古典にふれる児童生徒、一般の社会人の方々、諸外国の人々に、どれだけそれらの文学を正しく紹介してくれるか、それを聞いた人たちが、どれだけ愛情や尊敬をそういった作品に抱いてくれるかが、日本古典文学が日本の内外で理解され、保存され、発展していくかどうかを左右すると考えている。
それは、日本古典文学を研究する者の立場としての利益だけに関することなのではない。大学の使命は、手軽で便利な概説書や入門書に頼らず、マスメディアや自分の属する共同体の既成の概念に左右されず、あくまでも原資料を確認し、あるべき手続きで検証し、雰囲気や直感とは異なる愚直な検討と証明を積み重ねることで一つの事実に迫ってゆき、これだけは正しいと確信を持って断言できる結論に至る手続きと心構えを伝えることである。もちろん概説書も入門書もそれなりの貴重な役割があり、雰囲気や直感も人間にとって尊重されるべきものであるが、それは大学で学ぶことではない。人は現実社会の体験からも、インターネットの情報からも、酒場からも砂漠からも大切なことは学べるが、それはそこでしか学べないことで、大学がその代わりを務めようとするのは、逆に身の程知らずというものだ。そんなものの肩代わりをしようとして、大学でしかできない教育のために長くかかって蓄積されたさまざまな有形無形の財産を持ち腐れにすることは、効率的とはほど遠い。
どのような国でも世界でも、またいつの時代でも、現実や時の流れとは無縁に、昔からの手法を守って古い資料と向き合い、孤独な作業で当面は何の役にもたたず目的も持たない真実の追究のみを行う場所は、程度の差こそあれ要求されるし保障される。それがなければ日本も世界も人類も早晩滅びる。
外国語は何一つ知らなくても、私はそのような同じ目的にたずさわる、世界や過去や未来の人々とつながっていると常に感じてきた。自分が関わってきた日本古典文学の研究を通して、私は自分のそういった役割を果たしていると思ってきた。
実際に、これまで大学という職場で教育と研究に携わってきて、いや大学行政や地域の活動に関わってきてさえも、そういうことは確認しつづけられた。教育も研究も行政も、専門も教養も、すべては矛盾し合うものではなく、どんなに遠回りに見えても結局のところ融合するし刺激しあうし、しかるべき成果を出していくものだ。大学を卒業して就職して以来、どんな仕事をしていても、その実感が深まりこそすれ、決して薄らぐことはなかった。もちろんそれは恩師や学生や地域の方々、さまざまな場での先輩後輩、また教員と職員を問わず、多くの同僚たちに支えられてのものであることはいうまでもない。
今後十年二十年、この状態が続けば、またそれなりの発展と成熟と成果があるだろう。しかし、時の流れには常に否応なしの区切りがある。人の一生と同じように、仕事の終わった区切りや本人の意志とは関わりなく、どこかで打ち切られるものである。言い訳めくが、したがってそこでまとめるものは、どうしても中間報告でしかない。
最初に書いた通り、この一文も、定年退職までに完成させられなかった、国文学史や国文学概論の授業ノート、紀行研究法や卒論指導のマニュアルの未完成な原稿を当面ひとつにまとめたにすぎない。だが、通常の論文では削りがちな自分自身の体験や実感を多く引用しており、その分、印象に残りやすい面もあるかと思う。最終講義のみならず、多忙を理由に記念論集や文集、思い出の記、講演、宴会といったものはすべて不要と学生や卒業生に言い渡しているのだが、そのことをものたりなく思う人がいたら、いささかでもその代わりになるものとして、これを読んでいただければ幸いである。