近世紀行研究法3-第三章 要約について

1 あらすじの引用

ある学生が西鶴の「好色五人女」に関する卒業論文を書いていて、下書きを見せに来た。その中で彼女が、各話のあらすじを紹介している部分があった。「これは自分で書いたの?」と聞くと、他の研究者の論文にあったのをそのまま使ったという。「それはちょっとまずい。通説を紹介するという意味でやるのなら、当面一番権威あるとされる文学辞典からでも引用しておくべきだし、自分の論を説明するのに必要なら、自分の論に最も都合のよいように自分でまとめたあらすじを書くべきだ。あなたが引用した論文の著者もそうしているはずだから、それを、あなたの論文にそのまま使うのはよくない」と教え、それだけでは何のことかわかるまいと思ったので、「分類もあらすじも定義も、あなたたちは、宇宙の始まりから存在していて未来永劫変化しない恒久普遍のものと何となく思ってるだろうが、そうじゃない。そんなのは、人が作るもので、時々によって、それぞれの立場でちがうものなのだ。あなたは自分の論を語る時は、分類や定義と同じように、あらすじも、自分の論にふさわしいものを自分で作らなくてはいけないのだ」と説明したが、かえってわからなくなったかもしれない。

それからしばらく、授業や研究会で私は学生たちと「浦島太郎」だの「走れメロス」だののあらすじを、各自で書いて比べてみる、という遊びに没頭した。その作品をどういう話ととらえるか、どこをポイントと考えるかで、あらすじの書き方は異なってくる。たとえば「走れメロス」の最後の場面は大抵の人があらすじでは省略する。だが私は、あそこは素朴な羊飼いのメロスと、たとえ石工という労働者階級であっても、あくまで街育ちのシティボーイのセリヌンティウスの差が出て、両者の特徴がよくわかる場面と思うので、できればカットしたくない。

2 多彩な論文

西鶴や馬琴の小説ならともかく、近世紀行に関しては、紀行や日記にあらすじなどないだろうがと考えている人は多いだろうが、実はそうとも限らない。
二〇〇三年にぺりかん社の「江戸文学」という雑誌で私が監修して近世紀行文の特集を組ませてもらった。この時私自身は時間がなくて論文を書けず序文でお茶を濁したため、執筆者の一人であるロバート・キャンベル氏から「あなたも書かなきゃ」とやんわり苦言を呈された。

その時に論文やコラムの執筆を依頼した方々は、いずれも快く承知して下さり、それぞれの分野で優れた原稿を出して下さった。近世紀行の論文のスタイルは研究方法同様、まだと確立していないが、実に多種多様な作品がある分、あらゆるかたちの研究法が可能なはずと兼ねて予想はしていたものの、私一人では到底それを実地に確かめられず、単なる予測にとどまっていた。この特集を読むと、あらためてその予測が正しかったことがわかる。とりあげた作品も論文の形式も百花繚乱の趣があり、変化があって退屈しない。この雑誌は今でも購入できるので、これを読めば近世紀行に関する研究方法の幅広さと、その中で守るべき基本が身につくはずだ。近世紀行の研究をめざす人はこの雑誌を読んで自分に合った書き方を探してみるのがよいだろう。

私が紀行の研究を始めたころには、このような目標や基準にするような論文がほとんどなく、自分で論文の形式を考えるしかなかった。もっとも、それほどそのことに苦労したという記憶はない。とにかく調べた事実を報告すればいいと考えて、まずは、その本がどれだけ残っていてどういう状態かを調べ、次に作者について調べ、作品の特徴を示して評価する、という、まったく読者サービスは考えないし、紀行の面白さを伝えようとも思わない、無味乾燥で味気ない論文ばかりを書いていた。

指導教官だった中村幸彦先生は、私が貝原益軒の紀行をテーマに修士論文に書こうと思っていると言うと、「それならとにかく、益軒については何でも知っているというようになって下さい」というアドバイスを下さった後はしたいようにさせて下さっていたが、紀行の論文をいくつか書いた私に「とにかく面白い作品を紹介して下さい」と言われた。私ははいとは言ったものの、その時点では何が面白い作品かさえよくわからなかったのと、学問研究とは思いきりつまらなくて退屈なところからやっていかなくてはいけないという意識があって、先生のおっしゃった意味はずっとわからないままだった。

3 紀行のあらすじ

そうやって、ひたすら面白くない論文のスタイルの完成にいそしんでいる内に、数は少ないがさまざまな方々がそれ以前に書かれた近世紀行に関する論文を読んだ。その中で漠然と、自分の論文とちがうと感じたのは、そういう方々の論文には内容紹介の部分に必ず「何日にどこを出発し、どことどこを経由して、何と何を見て、それからどこどこに行って、誰と会って、」といった記述が続き、最後に、「何日に帰宅した」で終わる行程の紹介があったことだった。それに加えて、経由した土地に関する、いわば作品の舞台背景が書かれているものも多かった。
どちらも私の論文にはないものだった。行程の説明は私は大抵一行か二行で片づけていたし、旅先の土地の説明などは考えたこともなかった。
そのことに不安や危機感を抱くより、私はそれらの先行論文にある違和感を感じた。なるほど紀行という文学を紹介しようと思ったら、こうやって経過した土地の名を並べることになるかもしれないが、それは内容紹介だろうか、それが紀行のあらすじだろうかと思って、ずっと落ちつかなかった。また旅先の土地について調べ、それがどういう場所かを述べたところで、それが紀行という文学の理解や鑑賞に役立つのだろうかと、それも気になった。結局、行程の紹介も土地についての解説もしないまま、私は論文を書きつづけた。

もちろん私も、紀行を読む時、その行程はメモして地図でチェックしているし、それぞれの土地の現状も地名辞典で確認する。これまでに、先の『新日本古典文学大系』をはじめ、東洋文庫『江戸温泉紀行』、叢書江戸文庫『近世紀行集成』、葦書房『近世紀行文集成』蝦夷編・九州編と、近世紀行を翻刻紹介した時には行程図をつけたこともあるし、地名すべてに残らず「現在の○○」というような注を付そうと意地になったため校正が遅れて編集者に迷惑をかけたこともある。
ただ、あえて言うと、私は行程表や地名の注釈で紀行が理解できると思えない。
実はおそらく紀行を読む人、研究する人のどちらもが、行程と土地の実態については非常に興味を持つ。これを知ったり調べたりするのが何より楽しくて、紀行を読む人は多い。出版社から本を出す時はこの点を配慮して、現在の土地の写真でも入れる等の工夫をすれば売り上げが上がるのは必至である。
私もそれは理解しており、確かに調べていて楽しいし、自分の故郷や現住所付近の紀行を読んでいて、なじみの地名が登場するとうれしい。交通公社から出ている今井金吾氏の『東海道独案内』等の「独案内」シリーズや、京都の地理に関して何でも知っておられる矢野貫一氏の研究も、紀行注釈に必要というだけでなく魅力的だ。

しかし、そういう本を読んだり、紀行で地名を見つけたりする時に感じる喜びは、紀行を読む面白さとはちがう気がする。そういう喜びを与えることをめざして近世紀行を研究したり紹介したりしていたら、近世紀行の最大の魅力を伝え損ないそうでならない。
「走れメロス」も「南総里見八犬伝」も、あらすじを自分でまとめて書こうと思ったら、その作品がどういう作品であるのか、作者のねらいはどこにあるのか、あるいはそれとはまた別に、自分自身はその作品のどこに興味を抱き、どのような点からその作品を見直そうとするのかを考えなければならない。作品の本質や目的や特徴や問題点を把握し整理した後でなければ、あらすじは書きようがないものなのである。言いかえれば、論文の数だけ、読者の数だけ、異なるあらすじがあるといっても過言ではない。現実の歴史や事件においてでも、異なる国どうしや検察官と弁護士では正反対のあらすじを作るだろう。ある人物の生涯やある事件の経過について、新聞や週刊誌、テレビといったマスメディアの作り出すあらすじを、その通りにうけいれる人は多いが、時としてそれは瞬時に変化して人々を翻弄する。

紀行も実は同様に作者の手によって事実は編集されている。だが近似のジャンルである日記はまだしも虚構や現実との差が意識されるが、紀行はともかくある土地から土地への移動という確かな事実がある分、内容の分析や評価や検討をしないでも、その行程をそのまま記せば内容紹介になり作品紹介になると、研究者も読者も思ってしまいやすい。「あそこにも行ったのか」「ここで何をしたのか」という事実を読むことで満足しがちだ。
それで楽しめ、満足できるならもちろんそれでいい。しかし、紀行という作品の面白さは、それ以外にもそれ以上にも存在し、「誰がどこに旅して何をしたかなどどうでもいい」と思っている人さえも魅了する要素を充分に持っている。その魅力を理解させ伝えるような「あらすじ」を書かなくては、内容紹介とは言えないのではないだろうか。

4 引き続く模索

私自身、そのようなそれぞれの紀行の魅力を的確に紹介する論文をまだ書けているわけではない。先に挙げたいくつかの本の解説や、ぺりかん社『江戸の旅を読む』に収録した、日柳燕石「旅の恥かき捨ての日記」、佐藤信淵「中国九州紀行」、平田篤胤「天石笛記」の紹介、福岡教育大学国語国文学会論集に発表した「川めぐり日記」の紹介などで、それなりの試行錯誤はくり返した。特に最後の論文では先行の研究者が書いていたのと似た、行程をほぼなぞった、あらすじ紹介のようなこともしてみた。
作者の行動を要約するだけのあらすじは、結局あらすじにさえなっていないと思うものの、その紀行の特徴やおもしろさを把握した上で、それを最も強調するように再構築して、あらすじを記すというのは、結局、その紀行を私の目で見た場合の印象を述べているにすぎないのではないかとも悩む。こんな論文を読んでも、この作品がどんな作品か読者は決してわかるまいと思う一方で、しょせん、あらすじを読んでも論文を読んでも、やはり自分でその作品を読んでみなくては、ぎりぎりのところはわからないのが当然だとも思う。そもそも逆に、原作を読まなくてもきちんと理解させられるような、客観的で正確なあらすじや紹介や論文が存在すると錯覚することの方が恐ろしいので、そんなものを書こうと思うから、時々優秀で良心的すぎる学生や院生が論文を書けなくなったりするのではあるまいかとも考える。

私の指導した学生で、今は研究者になっている一人が言うには、私は彼の卒論指導の際、「論文なんてしょせん皆嘘なんだから、せいぜいきちんとした嘘を書け」と言ったらしい。自分ではまったく記憶がないのだが、彼がそんなことを自分で思いつくとは思えないので、多分事実なのだろう。だとしたら私が彼に言いたかったこととは、ここで述べたような逡巡と、おそらく大いに関っている。

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