近世紀行研究法4-第四章 比較について
1 論文を読む
分類や要約とともに、卒業論文や研究論文をを書く際に欠かせないのは、「何かと何かを比較する」作業である。そもそも比較して区別を見つけなければ分類もできない。
私をはじめ多くの教員が大学で学生たちにくり返す注意は、「レポートで(もちろん卒論でも)他人の論を引用する時は、必ず出典を記せ。自分の意見と他人の意見は、たとえ同じであっても明確に区別して書け」ということだ。理解して守る学生も多いのだが、中にはまじめに出席してレポートもそれなりに努力しているのに、この点だけは決して守れない学生も少なくない。
私は空しい努力も理由のわからない失敗も嫌いなので、なぜそうなのかをあれこれ考えてみていて最近次第に思いはじめたのは、これは学生の怠惰や悪意の問題ではなくて、そもそも彼らが「世間にあふれる様々な意見や論は、ある程度厚い本や地位のある人ならすべて一致している」と錯覚しているせいなのではないかということだった。ちなみに私は、どんなに気に入らない同僚や同輩でも学生や後輩の前では絶対に批判しないことにしていて、それはそんなことをしたら若い人たちが誰に味方するか帰趨を決める必要に迫られて気の毒だ等、まあいろいろ理由があったのだが、学生たちのそういう錯覚について考えていると、少なくとも彼らに対しては「大学の先生にも対立があり、尊敬できる先生たちの間でもまったく意見のちがうことはある」と目に物みせておく方が、生きた教材になりはしないかと思わないでもない。
一応私も授業では毎年新入生に、「大学に入って真っ先に学んでほしいことは、世の中にはわかっていることなど何もない、ということです。人を殺してはいけない、ということでさえ、戦争、死刑、正当防衛、安楽死、などを考えれば絶対とはいえません。皆さんはこれまで、両親、警察、教師、新聞、テレビ、そういうものはだいたい同じことを守って信じていて、それをひとつづつ学んで身につけていくのが大人になることと思っていたかもしれませんが、実際には何が正しいかなど、大人も専門家もわかっていなくて、せいぜい、一応こんなところで申し合わせて妥協しておこうという程度のものです。大人や偉い人の意見も皆ちがうし、皆さんはその中から何かを選べるし、新しく自分で作ることも可能です。しかしそれは、不安定で恐ろしいことでもあります。その恐怖と不安にまず慣れて下さい。それが学問の始まりです」と言うことにはしている。だが、それがどのくらいの効果があるのかはわからない。
少なくとも西鶴や芭蕉や秋成の山ほどある論文を読む学生たちの多くは、どの論文も同じことを言っているのだろうと思い、したがって、どれか一つ読めば後は読まなくてもいいと思っているふしがある。「結論は何ですか」「まとめたらどうなるんですか」といった質問を授業で受けると言って愕然としていた同僚もいるが、たしかに学生たちとしては、作品の評価でも作者の経歴でも、専門家どうし議論してとっとと結論を出して自分たちにはそれだけ教えてくれればいいのにという心境なのだろう。
もちろん、素人や子どもにはそれでいいし、そうしなくてはならない。私も宇宙ロケットが飛ぶしくみや新型ウィルスの習性やアフリカ奥地の沼の深さについては専門家の結論だけを要求するし満足する。だが、大学に来るということはそれぞれの分野の専門家のはしくれになるということで、いくら大学が庶民的になろうが幼稚になろうが、大学というかっこうをつけている以上、その本質は変わらない。将来どんな仕事につこうが、あるいは仕事につくまいが、「人のいうことをうのみにせず、現実の体験や見聞を利用するのではなく、最も生の資料を手に入れて分析し自分で真実を追究する」という姿勢と方法論の基礎を学んでおくことは、大学に来て得られるほとんど唯一の成果である。
もっとも学生たちが、論文のちがいを見出せないのは、私もそうなのだが最近の学界では研究者も温厚で慎重で、他者との意見のちがいを明確に表に出して論争するようなことが少ないからかもしれない。それはまた学生に限らず今の社会の、「何だかだ言っても皆さん同じなんですよねえ」と変にこねまわしてまとめてしまい、周囲に存在する対立などは目をつぶって死んだふりをしてでも絶対に認めようとしないやり方とも共通しているのかもしれない。
私は他者との意見の些細な相違を声高にあげつらうことで自分を確認するのが普通だった七十年代が大嫌いで、今の時代の方がずっと好きだ。また、最近では珍しく激しい議論の応酬をしている論文を快く読んでいても時々、「そこはそんなに対立しなくてもけっこう一致してるんじゃないか」と思ったりする。それに、七十年代だろうが冷戦構造や労使対立の中だろうが、対立の図式だけは固定化していても、たがいの内部ではそれこそ一致団結の名のもとに、異なる意見は丸められるならまだしも踏みつぶされていただろうとも思う。だから今の時代やましてや日本がそう特別とは思わないし、そのことがそう悪いとも思わない。だが、それはともかく、やはり最近の世の中、下手すると社会や世界全体規模で意見の違いはぼかされ、くるめこまれやすく、そういうことが与え手と受け手の両方で、「どこが違うか」を見抜き、比較し、自分の立場を選択するということをやりにくくしているのは確かだろう。
教育大学の学生の多くが受験する教員採用試験では、集団討論の場が設けられることがよくある。学生たちがどのようにそれを乗り切っているか、詳しいことは知らないが、そういう場合でも各自の意見の共通点と相違点を早く正しくつかむことは何よりも重要だろう。選挙の際の各党のマニュフェストから就職先や進学先、日常生活のすべてにおいて同じ能力が必要だ。ある作品や作家についての論文を数多く読む場合もそうで、どんなに対決を避けて無難な書き方をしていても、その逆に殊更けんかを売っていても、その論文が他の論文とどこがちがってどこが同じか、徹底的に読み取らなくてはならない。それはやさしいことではないが、「どの論文も結局は同じことを言っている」という錯覚だけは早くなくしておいた方がいい。そうすることでかえって、それぞれの論文がわかりやすくなることもあるのだ。
2 出典を調べる
最近、学生の卒論指導で西鶴研究の歴史を読んでいたら、『西鶴と浮世草子研究』(笠間書院)第二巻に収録された「本朝桜陰秘事」の研究史(大久保順子氏)の中で、昭和三十年代以降の研究史にふれて「原拠論に明け暮れている観」と吉江久弥氏が指摘した時期から次第に変化発展すると述べている部分があった。私の大学院生時代はそのような時期の最後にあたっていたようで、先輩の方々の論文は西鶴の各作品が、どのような書籍のどういった記述をもとにしているかという、出典や原拠についての研究が多かった。私はその精緻さに感服しながらも、作家が作品を書くときに、何にヒントを得て題材にしたかがそう明確に決められるものだろうかとも思っていた。自分が趣味で小説を書いたりしていて、その時にたとえばクリスマスカードの絵や包装紙の模様を見て冒険小説を作り上げたり、餅の焼けるかたちを見ていてベッドシーンを思いついたりというようなこともよくあったため、作家がある場面や構成について何に影響を受けたかをつきとめるなど不可能に近いと感じていた。
ある作品について分析する時、それが他のある作品の影響を受け、引用していると決定するには当然、両者を比較して同じことばが使われていたり、人間関係などの設定が酷似していたりすることを確かめなければならない。しかし、それがどの程度なら共通する、似ていると認め、更にどちらかがもう一方の影響を受けていると判断するのかは簡単なことではない。
結局、それぞれの分野での先行研究を読んで、それなりに定まっている常識的な基準に基づいて類似や関連を認めていくしかないだろう。もちろん、その常識も基準もまた変化することはあるだろう。
近世紀行の場合に困るのは、先行研究があまりなく、そういう常識も基準も成立していないことだ。更に、紀行というジャンルはその題材が実在する土地の山川や神社仏閣であることが多いため、その実際をそのまま記せば、互いにまったく関係なく書かれたものでも記述は同一になりやすい。紀伊半島の旅をつづった「南歩の記行」という作品の和歌浦近辺の描写は、貝原益軒の「南遊紀行」とほぼ同一で、おそらく参照していると思うのだが、それが断言できないのは、「この坂を上ると右に島が見え、左に木があって」といった記述がいかに同一でも、事実がそうならそれをそのまま記録したら必然的に同じ文章になる可能性が高いからである。
近世紀行は多くが出版されずに写本で残り、その創作も孤立して孤独でなされたように見えるが、案外そうでもなく、明らかに多くの作家が互いの紀行を読みあい影響を受け合っていることが序文や跋文からでも推測できる。だが、それがなかなか明確に証明できない。多くの作品中に具体的に書名をあげて引用されるのは、前期の益軒、後期の南谿で、その他の作品はほとんどない。また、「蘆のかりふし」という東海道紀行は先行の紀行を非常に多く随所に引用しており、当時の紀行作家たちがどのような同時代の紀行を参照することができたかの目安にもなる貴重な作品だが、こういった作品もまた他には存在しない。
私は結局、このように明確に書名が作品中に登場し、作者自身が引用したことを明記している場合や、作者の蔵書目録や日記に名前があがっていて読んだことがほぼ確認できる場合以外は影響関係を指摘したことがない。近世紀行の場合、文章の相似だけからそれを指摘することは危険すぎると思っている。
中村幸彦先生が退官された後、私の新しい指導教官になって下さった中野三敏先生は、演習などで談義本作家の増穂残口が、陽明学者の熊澤蕃山の影響を受けていると指摘される際にいつも、「そっくり同じ文章が出てくるわけではない。だが、同じ文章を書かなくて、自分の文章で書いてしまうほど深く影響を受けているのだ」とおっしゃっていた。詭弁めいた印象を持つ人もいるかもしれないが、私は以前から抱いていた実感として理解でき、妙に深く納得したのを覚えている。
また、たまたま自分が目にした二つの作品が似ていて共通することが多いからといって、両者をただちに関係づけるわけにはいかない。それ以外の作品をいくつか見ると、同じぐらいどれも似ている可能性があるからだ。私自身、かつて「東海道名所記」の記事の多くが林羅山の「本朝神社考」とそっくりなので、出典はこれだと指摘しようとして忙しいので放っておいて、後に同時代の名所記や地誌類をいくつも見ると、どれにも同じ内容があって、論文にしないでよかったとしみじみ胸をなでおろしたという体験がある。
更に、出典が明らかなように見えても、特に江戸時代の場合には、作者は原典そのものではなく、手軽な解説書で読んでいないかも検討しなけらばならない。江戸時代初期に大流行した談林派の俳諧には、源氏物語、伊勢物語、平家物語の中の故事がよく引用されている。しかし、その大半はそれらの古典を要領よくダイジェストした、謡曲の詞章からの引用であり、俳人たちの知識は源氏や平家そのものより、そういった要約された手軽な書籍によっていることが多い。
出典や影響関係を指摘する際は、縦にも横にも、つまり同時代の文献、先行する時代の文献とに一冊でも多く目を通し、それらのすべてを比較して類似や近似の濃淡を確認した上で慎重に行うべきである。
3 作品を評価する
近世紀行は面白くないというのが長い間、学界の定説だったが、その反面私の周囲でたまたま何か近世紀行の作品を読んだ研究者は、「この作品はものすごく面白い。名作だ」と賞賛することが多かった。そういうことが何度かあって私が気づいたのは、紀行という作品はたまたま丁寧に読んで、背景を調べたり注釈をつけたりしていると、どの作品もたいそう魅力的な名作に見えてくるらしいということだった。一見すると平凡で単調で退屈でも、先にあらすじに関する項で述べたように、地名や人名などを細かく調べていると紀行はなぜか輝き始める。それに関わる研究者の目には、かけがえのない名作を発掘したように見えてくる。
私はこの「調べていると名作に見えてくる」というのは、他のジャンルに比較して紀行に著しいように感じるが断言はできない。そこに生まれる魅力が錯覚なのか真実なのかも容易には決めがたい。私自身は錯覚だろうと考えているが、そうだとしたら、これは紀行の持つ一種の魔力なのだろう。
そんな作品群を相手に、中村先生がかつて私に与えた、「面白い紀行を紹介して下さい」という課題にふさわしい名作を発掘するにはどんな視点が必要か。
紀行に限らず、近世文学に限らず、他のジャンルでも他の時代でも、これは共通する問題だ。優れた作品とそうでない作品をどうやって区別し選定するか。卒業論文である分野やある作家をとりあげても必ず、その分野なり作家なりの作品を比較し評価する作業が必要になる。既成の定説に囚われない自分の目で鑑賞し、順位をつけることが要求される。
学生や院生の時代、中村先生や中野先生から私たちはくりかえし、「現代の目で古典を見るな。当時の人の目で読め」と言われた。近年これがさまざまな問題を呼んだ新しい歴史教科書の冒頭に使われていたのには恐れ入ったが、それはともかく私はこれを聞くたびに学生時代から、「そんなこと言ってもそもそも私の感覚や好みは現代人なのだろうか」と漠然と考えていた。私は自分がいろんな点で、周囲の社会の価値観や常識を持っていないと感じていたし、まだしも外国の人や昔の人と話が合いそうな気がしていた。それ以上に、どの時代にもどの国にも理解し合える人とそうでない人がいると感じていて、この現代に生きる同時代人や、この国に生きる同国人に特別な思い入れや共感は何もなかったと言っていい。
今にして思えば、先生方の胸中にあったのは、戦後民主主義の中で江戸時代を封建主義の名の下に否定し、身分制度や男女差別や人権侵害を認めないという観点で江戸文学を切り捨てていく傾向、具体的にいうなら社会主義やフェミニズムといった観点での評価への不安だったのかもしれない。
だが、特に女性の立場からどう作品を読むかということは、フェミニズムやジェンダーフリー、ウーマンリブさえ言葉も存在しなかった幼少時から、私にはかなり重要な問題だった。私が大学院生だったころ、女性が圧倒的に多かった中古文学に比較すると近世文学会では数百名の全国大会の会場に女性は数名しかいなかったほど、江戸文学を研究する女性は少なく、居ても和歌とか俳諧とか私のような紀行、小説なら読本等で、江戸文学の花ともいうべき遊里に関する研究をする人がいなかったのも、そのことと無関係ではないだろう。
さまざまな作品を比較し評価する際には、どうしても何らかの基準が必要になってくるし、それには評価する者の人生観や価値観が必ず関わる。それがまったくない、無色透明、公平公正な視点などあり得ないし、あえて言うなら、「その当時の人の目で見る」ことも心がけとしては大切だが理屈としては不可能と私は感じている。マルクス主義であれフェミニズムであれイスラム原理主義であれ、私たちはそれぞれ自分の信じている、培ってきたものに基づいて作品を評価するしかない。「自分はそんなものを持たない、自分にはそんなものがない」と思うのが一番危険な過ちだ。生きている以上、人は誰でも家庭や共同体、その他何かの価値観と基準に染まって生きている。そのことを自覚しておくことこそが大切なのだ。その上で、他人との交流を通して、それを深めて豊かにしていくしかない。
私にせいぜい言えるのは、自分の好き嫌いで作品を評価するのはかまわないが、少なくとも研究者であるならば、いくらつまらないとか不愉快だとか思う文学があったとしても、それが存在し流行したのなら、なぜそのように当時の人にそれが好まれたのか、その魅力を探って発見し、現代の人にわかるように説明する義務があるということだ。評論家と研究者のちがいもそこにある。
私は時代の差というだけでなく、もともと紀行の魅力というのはあまり理解できなかった。それでもさまざまな作品を読んでいく内に、ただ調べていたら親近感が芽生えて大変面白い作品のように錯覚するというのではなく、はじめから確かに人をひきつける作品があると思うようになった。たとえば、旅先の土地に関する豊富な情報。旅の日常に関する細かい観察。力強く積極的な主人公像。風景や事物に対する正確な観察と描写。作者自身の心情の丁寧な表現。工夫された独自の文体。作者の哲学や思想の反映。概ねこういったものが、すぐれた紀行作品の要素であると今は考えている。
とはいえ、私がまだその魅力を理解できず、すぐれた紀行の基準を作れないでいる作品もまた多いにちがいない。実は私は中村先生から「あんたは絶対、あれは好きやと思うのや」と太鼓判を捺された高山彦九郎の紀行の面白さをいまだによく理解できていない。そのことを白状しない前に中村先生は亡くなられてしまったのだが、ぐずぐずしていると私自身が死ぬ前にその面白さを見つけられないままになりそうで、あせる。あの世の存在は信じていないが、もしあって、先生に会いでもしたら大変だから、早く何とかしなければと思っている。