近世紀行研究法5-第五章 資料について
1 諸本の検討
『国書総目録』という十冊ちかい大きな目録がある。日本に現存する、江戸時代以前の和装本をすべてリストにしたもので、古典特に近世文学の研究者には欠かせない。以前は大抵の図書館のカウンターわきに置かれていた。最近は私の大学の図書館でもそうだが、書庫の片隅に追いやられていることが多く、日本文化の廃れていくさまを見るようで、責任も感じて気が重い。
それはさておき、何か変体仮名で書かれた和装本を見つけたら、その本が一つしかないのか、全国にいくつもあるのかは、この目録を見ればすぐわかる。もちろん間違いや遺漏も時にはあるが、そんなことに文句を言うのはぜいたくというものだ。完璧でなくても重要な手がかりと思って読めばいい。
そうやってたしかめると、江戸時代の紀行には、たった一つしかないものもかなりある。しかし油断ができないのは、まったく異なる書名で実は同一の内容の本や、その逆に同一の書名でまったく異なる内容の本というのが、ままあることだ。前者は、たとえば熊本の儒者藪慎庵の妹が書いた「船路の記」で、「女流文学全集」に収められているが、『国書総目録』では別作品になっている、早大の「松のみどり」も、実は同じ内容の作品である。後者は、たとえば雪国の旅を描いた九州大学所蔵の「しるしの竿」で、『国書総目録』では、全国に五点あることになっているが、九州大学にあるその本は、他の四つとはまったく内容が異なる、題名は同じだが別の作品である。
そういうこともあるので、一応、研究したい本が全国にいくつかあるとわかったら、それなりの手続きをふんで、可能な限りすべて見ることが望ましい。直接行けないなら、複写や写真で注文しても、すべての本を見て、どれが一番もとのかたちを残しているのか確認しなければいけない。研究する時は、その最も原形をとどめた本、あるいは作者がこれが最高の完成形と考えているだろう本を対象にするのが原則だ。また、それらの本がそれぞれどういう関係にあるのかも、解明できれば、した方がいい。そこまでやれれば、それはもう立派な論文になる。
江戸時代には活字で出版された本も多いが、ここでは写本つまり手で書き写した本に限って話す。同じ内容の本の存在は、何十点から数点までさまざまだが、その状況も事情もそれぞれちがう。たとえば、古川古松軒という岡山の郷土史家が書いた、蝦夷地への旅行記「東遊雑記」は全国に八十点ほど存在する。その一点が十数冊ある大作だから手こずるが、とにかく私はその六十点あまりをチェックした。そうしたら、東北地方の部分をばっさりカットしたものと残すものなど、大きく三系統にきれいに分かれた。また、平田篤胤の「天石笛記」という紀行は十点近く写本がのこるが、どれを見ても仮名遣いまですべて同一でちがいがない。字体までそこそこ似ているのがすごい。おそらく弟子たちが先生の本というので、精魂込めてそっくり書き写したのだろう。その一方で四国の学者菊池高洲の「祖谷紀行」は平家の隠れ里を探訪する面白い作品だが、調べていると、たたけばほこりが出るように『国書総目録』に載ってない写本が次々みつかり、しかも十点近いその内容が、錯綜をきわめて、どれが一番もとの形かまったくわからない。現在私の研究室所属の院生である氏田あき氏の綿密な調査で何とか二系統に分けられたものの、そうなった過程は更に不明な部分だらけだ。
このように、どんな作品も、調べてみないとどうなるか、まったく先が読めない。だからこそ、ない時間と金を使っても、すべての写本を一刻も早く何とかしてどうにかして見たくなる。
私はかつて、佐藤深淵という農学者の「中国九州紀行」という作品を調べた。それほど残っている写本は多くなかった。たかだか数点で、それも大きく二つの系統にわかれて、わりと簡単だった。ただ、秋田県立図書館に三点があって、論文を書く前にどうしてもそれを見たかった。会議や授業が忙しかったので、私は無理無体な予定をたて、飛行機で福岡から秋田まで行って空港から図書館に直行し、チェックするポイントを確認してどの系統の写本かたしかめ、すぐまた空港にとんぼがえりし、日帰りで福岡に戻った。そうしたら、ちゃんと書類も届けも出したのに、大学から出張旅費をもらえなかった。秋田まで日帰りをするとは、ありえないことなので、そういう書類は作るのが不可能とのことだった。つまり書類の上では私は映画「ジャンパー」もどきの超能力者になっていたことになる。ついでに言うと、この紀行はあと二点、アメリカのバークレー大学にあるのだが、そこまではまだ手がのばせない。
言うまでもないが、こういう調査をするためには、昔の草仮名(変体仮名)が読めなくてはいけない。私は大学院入学当時はまだろくに読めなくて、いつどうして覚えていったか記憶していない。すぐに不自由なくなったから、それほど時間がかからずに身につく。最近では柏書房から初心者向きの値段も手頃できれいな本がいくつも出ているので、買って読むのもいいだろう。
学生に授業で、「国文学の雑誌をさがして、いいと思った論文を持ってこい」という課題を出すと、それなりのものを見つけて持ってくる。先日その一つを読んでいて、内容豊かないい論文なのに、なぜか読んでいて居心地が悪く、ひどく奇妙なものを見ている気がしてしかたなかった。なぜだろうと思ってふと気がつくと、その論文には原文で読んだ資料が一つも登場しておらず、すべて活字で書かれたものだけを使用して論をすすめているのだった。「普通こういう専門的な論文で、活字の資料しか使っていないと、何これという感じになってしまうのよね」と学生に話したが、やはり変体仮名でしか読めない資料を用いていない近世文学の論文は、ぼんやり読んでいるだけでも、とっさにどこか異様な気がする。
2 地方史は重い
私が大学院生だった頃、「近世紀行文をやってはどうか」とすすめて下さったのは九州大学におられた近世文学の権威、中村幸彦先生だった。今となってはわかるのだが、そうすすめられた中村先生の胸には、それなりにいろいろと精算があったのにちがいない。ある酒の席で先生は私や周囲に、「今、紀行文の研究はやりやすい。各地方で自治体が地方史の本をどんどん出している。あれを利用すればきっと研究がしやすい」と言っておられて、それもその一つだったのだろう。
実際、当時、全国の各市町村は、きっと今とちがってそういうことに使える予算もあったのだろう、市史や市誌や町史や県史の編纂を盛んにおこなっていた。こんな小さな町までがというような自治体が、広辞苑ぐらいの厚さのある町史をのきなみ出版していたものだ。中村先生はすばやくそこに目をつけられ、時間があればご自分でやりたくて、きっとうずうずしておられたのだ。
先生の意図はよくのみこめないなりに私は言われた通り、いくつかの市史や県史を注文して買ったのだが、十冊も揃えないうちに中断してしまった。以下、先生の示唆に応えられなかった言い訳をする。
たしかに地方史は紀行研究の役にたつ。これから研究する人も大いに利用してほしい。しかし、やってみればすぐわかると思うが、地方史の本というのは例外なく、とにかく大きくて重いのである。自分で買って自宅に置くと、かさばりようや狭い書庫の占有率がはんぱではない。
しかも、その内容の大部分が、紀行どころか文学とも関係がない。大抵の地方史は、古代の洪積世や沖積世あたりからはじまって、村のおこりを考古学的にときあかす。私が求める江戸時代の地方文人に関する記述など、そのずっとずっとずっとあとに現れて、数ページどころか、どうかすると数行もない。そして最後のあたりは、最近の戦争で出征して亡くなった村の若者たちの名前の一覧表が延々とつづき、招魂碑の場所が紹介されていたりする。
いや、沖積世や招魂碑をあなどるのではない。それらを見ていると、どんな小さな村にも存在した人々の生活がひしひしと伝わり、それもまた紀行研究の根底をつちかう上で重要な感覚ではあろう。そうではあるが、当面当座の役にはたたない情報が満載された分厚い本を、半端な量ではなく買い求め保存するのは、さすがに無駄なことの好きな私も断念せざるを得なかった。
地方史類は、中村先生の見通しどおり、資料としてはたしかに利用できるのだが、個人で購入保管できる容量、体積ではない。だからこそ、これからの紀行研究者のためにも、決して東京だけでなく、誰もが日帰りで帰れる程度の全国各地のどこかに、これらの地方史をすべて保存して閲覧させてくれる機関はあってほしい。たとえば九州大学の九州文化史研究所には、長い廊下の端から端までのガラス棚いっぱいに、かなり多くの地方史が収集されていて、私はずいぶんお世話になった。ちなみに私がこれを使ったのは、岩波書店の「日本文学史」の中で「地方の文学」という項目を担当させていただいた時のことで、できたらその項目も読んでいただきたい。地方史をせいいっぱい利用して、中村先生の宿題を少しだけ果たしたつもりでいる。
もうひとつ、これらの地方史は非常に概説的で一般的で、研究資料としてはちょっと役にたたないものもあれば、超緻密で豊富な資料を駆使して第一級の研究書として通用するものもあって、その差が何ともはなはだしい。それなりの編纂方針でなされている仕事なので、いちがいに玉石混淆という言い方はできないが、紀行研究者が利用しようと思ったら、あたりはずれはかなりあるということは承知していた方が、「何だ、これは!どこの文学全集にでも書いてあることの抜粋でしかないじゃないか!」などと、むやみに腹をたてなくてすむ。