江戸紀行備忘録徳永信之「寄生木草紙」(2)
(ツバメの話が長くなったので、「寄生木草紙」の項目を追加する。)
西鶴もどきの市井のゴシップ
もう一つだけ、「禍の転遷」という項目であげられる話を紹介する。二つの話が並ぶのだが、これはもう現代語訳であらすじ紹介と行こうかな。
ある男がいて、夢で何ヶ月か後に命が終わると告げられた。日付まで明らかだったので気味が悪く、元日に寺参りをするとそこの壁にその日付が大きく墨で落書きしてあって、ますます気が気でなくなった。気晴らしに博打に熱中しようとしていたら、その席で仲間が口論となり刃傷沙汰になりかけたので、組み付いて何とか仲裁してことなきを得た。
ふと気がつくと、勝負事に熱中していた間に、予告された日は過ぎていた。例の寺に行くと、壁は塗り直されて文字も消えていた。そのまま何事もなく無事に過ごしたが、けんかの仲裁をしてやった二人のうちの一人は、翌年のその日付の日に、水商売の女と心中して死んだ。おそらく争いの仲裁をした時に、何か彼についていた災いが移動して、他者にその運命が引き継がれたのだろう。この男は、その後も祭礼の折に橋が落ちて多数が溺死するという大きな事故にあうはずが、家族とともに直前で引き返して一家が無事だったこともあった。
この話はまあ、喧嘩の仲裁を命がけでしたのだから、悪い運命が移動したのも、何とかわからんではないが、次の話はもっと釈然としない。だが面白い。
ある町の金物屋の主婦(Aさんと呼んどく)が、町の鳶職の若者に恋をした。気持ちがつのるばかりで、とうとう隣の元結屋の主婦(Bさんとしておく)に相談した。元結屋にはその若者が仕事でよく出入りしていたからである。
もちろんいきなりではなくて、まずBさんに近づいて親友になった。そして、そろそろよかろうと思ったから自分の気持ちを手紙に書いてBさんに打ち明け、若者に手紙を渡して仲をとりもってくれるよう頼んだ。
Bさんは驚いて断ろうとしたが、考えてみると「Aさんは夫もいるのにここまで夢中になるというのは、よっぽどのことだろう。承知しなければ、これまでのつきあいもこわれてしまう。それは残念だ。まあちょっと気持ちを鎮めて時間がたったら、忠告してやめさせるチャンスもあるだろう」と思ったので、快く承知して、「悪くはしません。うまく機会を作って連絡しましょう」と言った。
すでに、この時点でしょうもないというか、ヤバいというか、しかし今でもまあよくありそうなことでもあるような、ないような。
で、Aさんは喜んで毎日毎日知らせを待っていたが、連絡がないので、毎日いろんなプレゼントを持って行ってBさんのごきげんをとっていたものの、やはりよくない事を頼んでいるわけだから、公然と文句も言えず内心で恨むしかできなくて、それでも時間がたっても返事が来る様子もないので、とうとう、「この前思い切って頼んだことですが、どのように伝えていただけたのでしょうか」と聞いた。するとBさんは、知らん顔で「それは何のことでしょう。私は何も頼まれていないですよ」と、そっけなく答えた。Aさんは「それはないでしょう。ふざけているのですか。恥ずかしいことだけど、こういう事を頼んだのに」とまた話すと、Bさんはびっくりした顔になり「それは思いがけないことです。おたがいに夫がある身なのだから、そんなはしたない事はあってはならない事ですよ。こうして姉妹のようにつきあっているのだから、そんなみだらな相談は聞いたらやめなさいと言うに決まっています」と答えた。
わあ、何かこれは最低のやっちゃいかん対応だろ。Bさん、どこでどうまちがっちゃったのかね。そりゃAさんは怒るわな。
Aさんはとても怒って、「今のお言葉は意味がわからない。この前は引き受けて下さったのに、こんなに嘘をおっしゃるということがあるものか」と腹を立てて抗議したが、ふと気づいて噂が広まってはいけないと、急に笑顔になって冗談のようにごまかして帰った。でも、これ以後はもうその好きな男に近づく手がかりもなくなったわけで、この恨みを晴らしてやるということ以外、何も考えられなくなった。
うーん、いろいろと恐ろしいですね。急ににっこり笑うとか、仕返しのことばかり考えて過ごすとか。
それなのに、例の男は毎日Aさんの家の前を通ってBさんの家に言って、話をして笑ったりしているのもくやしかった。それでなくても女性がいる家にカッコいい男が出入りすると人も気になるものなのに、自分の好きな男が隣家に気やすく出入りしているのを見ると、非常に嫉妬心がわき起こり、「きっとBさんははじめからあの男と怪しかったから、私にも嘘を言ったのにちがいない」とひたすらに思いこみ、こうなると今はその男も憎らしいし、Bさんにもきっと仕返ししてやると怒りつつ、その機会をずっと待っていた。
まあ、こうなりますよねえ。
ところで、近所のおばさんや奥さんやおばあさんは、このAさんの家(金物屋)はお金持ちなので、何かとおつきあいしたくて、よく訪れてはおしゃべりをしていた。その時の話題で、「おたがいにずいぶん仲がよくて行き来してらっしゃった元結屋(Bさんの家)には最近はお行きになるのを見たこともない。何かあったのですか。もし仲違いでもしたなら、仲介してあげたい」と、ごきげんとりに言う人がいた。これはいい幸いとAさんは、「お気持ちはありがたいです。でも最近は事情があってあそこには行かなくなりました。その理由は、よそで言ってはいけませんよ。あの奥さんはこっそり浮気男とむつまじくしているのに、うっかり行きあわせてしまって、とても気まずかったことが何度もあって、個人的にやめるよう忠告もしたのですが、逆に他人の楽しみを羨んで、そういうことを言うのだろうと誤解して怒ったようなので、このごろはすっかり行かなくなりました」と、自分のまちがいはかくして、おおげさな話にして悪口を言った。
そりゃ、このへんの展開は予想できますね。おばさんたちの反応も恐いのよ。今もこういうの、ありそうだから、なお恐いのよ。
ごきげんをとるおばさんたちには、ありがちなことで、「そうそう、私たちも最近その噂を聞いたのでお尋ねしたのですよ」と言って帰った。これこそことわざで「一匹の犬が嘘を吠えると、一万匹の犬が、その通りに吠える(一犬虚を吼て万犬実を伝ふ)」というもので、あっという間に噂が広がって知らない者がないほどになった。
それで例のカッコいい男性もそれを聞いて激怒した。「私は身分は低くても、そんな不道徳な事などすまいと心に誓っているのに、誰がそのようなデマを広めるのか、自分にとっては大変な迷惑だ。これはもう、この話を元結屋の奥さん(Bさん)に知らせて、二度とあの家には行くまい」と、主人の留守にBさんにこの噂のことを教えた。
さて、この後の予想は皆さん、どのくらいおつきになるのかな。だいたい、「禍の転遷」に、この話がどう関わるかも見当つきませんよね。
するとBさんは「そう、その事ですよ。以前にAさんが、あなたを恋して私に仲介してと手紙を渡すのを頼まれましたが、やはりその場で即座には断れなくて引き受けたものの、じっくり考えると、こういうことはばれないわけはないのだから、(姦通罪で死刑になるとか)人の命にも関わるかもしれない。そうなったら私の主人にも言い訳できない。まあしばらく放っておいたらもともと浮気心から始まったことだし、最後はよくないことだとわかってあきらめることもあるだろうと考えて、あなたにも彼女の手紙は届けないで、そのままにしていた。でもその後、これこれのやりとりがあって、彼女は帰ってしまった。その後はもうあきらめたのだろうと思っていたが、Aさんとしては、私があなたに取り次がなかったのは、前から私とあなたが浮気をしていたからだろうと、ひがんで誤解して、このように根も葉もない噂を流して自分の恨みを晴らそうとしたのにちがいない。こうなったら、ここまで広がった噂が消えることはないし、一人ひとりに説明して回ることもできないだろう。だったら、これも縁と思うから、あなたはどう思うか知らないが私は命がけであなたに身をまかせて、Aさんにあてつけてやったら気分がいいだろうと思う」と言ったので、若者もしばらくは拒絶していたが、いろいろなだめて見てもBさんはもう死を覚悟しているような様子なので、もういいかぬれぎぬを着せられたのだから、その罪を犯してしまえと、不道徳な関係を結んでしまったのだった。
まあこれは西鶴の「好色五人女」の第二話、樽屋おせんのパターンですよね。その話を知っていたのか、現実にもたまにあったシチュエーションなのかはわからないですけど。
でも、この後の最後の展開は、ちょっと誰も予想しないかもしれない。ぜーんぜん予定調和じゃないんだもんね。バルザックか自然主義か、なんかそっち方面の展開も連想する。知らんけど。
今回は、もう本物の浮気の噂が広がって、最終的にはBさんの夫も目に余るので若者を傷つけようとしたところ、あべこべに夫の顔に傷を負ってしまった。そうなると私的な問題ではなくなって、公的な裁判になり、不倫ということが確定してBさんと若者は牢屋に入れられ、そこで死んでしまったのは、どうにも救いのないことだった。このようにして、Bさんの夫の元結屋も、そこに住むのも外聞が悪く、どこへか引っ越してしまった。一方、金物屋の妻のAさんは何事もなく無事で、その後たくさんの子どもを生み、今では白髪まじりの老夫人になって、家もますます繁盛している。これは(Aさんの)災いを他人(Bさん)に移動させたのである。
いや何か釈然としないような、するような。作者は一応この後いろいろ解説してます。
最初の話の人は別に積み上げた善行があったのではないが、けんかの時に自分の安全をかえりみず刀を振り回している人に組み付いてとめたということは、放っておけばどちらかが怪我をして、もう一方は加害者になっていたわけだから、二人の命を救ったことになるわけで、だからこそ、自分にとりついていた死ぬ運命を避けられたのである。これは中国の孫叔敖が二つ頭の蛇を殺した立派な行いと同じと言ってもいい。
この金物屋の妻Aさんのようなのは、自分の浮気に人が協力してくれなかったのを怒って、その人(Bさん)に無実の罪をきせ、あげくは若者とBさんを死なせるなど、実に罪深い極悪人であるが、自分の災いを人に移して無事だったのは、前世や来世の行いとの関連か、それとも天が与えた運命か。まったく理解できないことだ。
さらに作者の考察は深まる。もしくは広がる。
私の知っている人にも、悪人で栄えたり善人で不幸だったりする人は多い。二つを比べると、悪人の栄えているのが大変多い。そうすると、悪いことをして栄えようとしても器がせまくで量が足らなかったら成功しないということだ。また、悪人の金持ちというのは、だいたい才能も智慧もそれほどないのだが、度胸がよくて欲望が大きい。人間は欲が多いから、その欲につけいってだますから成功するのだろう。わずかな欲に目がくらんで、小悪党の護摩の灰にひっかかるようなものだ。智慧がある人は後先のことを考えるから、運が沈んで散らばることがない。このように考えると「奇才の幼童」で紹介した天才の子どもが、軒端の蚊を見て持論を述べたのは大変意味があることだ。
この話はここで終っていますが、すみません、考察の最後の方はよくわかりません。特に「運小ずみて発する事なし」がわからない。おわかりだったら教えて下さい。
ところでタイトルを「続」から「2」に変えたように、あといくつか、この作品の話は続きそうです。(つづく)